煙草はリラックスのための嗜好品。しかし命がけの一服もある――。
「危険地帯ジャーナリスト」としてスラムやマフィアなどの裏社会を取材し、世界の生々しい姿を平和ボケの日本に届け続ける、丸山ゴンザレスさん。
本連載では愛煙家でもある丸ゴンさんの数々の体当たり取材の現場に欠かせなかった煙草のエピソードを通して、その刺激的な旅の足跡をたどります。
刺激的な旅とともに必ず煙草があった丸ゴンさんの、今回のエピソードは―
丸山ゴンザレス
ジャーナリスト、國學院大學学術資料センター共同研究員。國學院大學大学院修了後、出版社勤務を経てフリーのジャーナリストとして日本の裏社会や海外危険地帯の取材を重ねている。主な著書に『アジア親日の履歴書』(辰巳出版)、『世界の混沌を歩く ダークツーリスト』(講談社)、『MASTERゴンザレスのクレイジー考古学』(双葉社)、『世界ヤバすぎ!危険地帯の歩き方』(産業編集センター)、『危険地帯潜入調査報告書 裏社会に存在する鉄の掟編』(村田らむ氏と共著・竹書房)など多数あり。
2年半も離れていた海外への旅が始まる。約2年半もの期間日本にとどまっていた。これほどの期間日本にいたのは海外旅を始めた20歳の時からしても最長かもしれない。時間やお金がない中でもどうにか工面して海外を旅する。それが俺の生き方だったからだ。
どうしようもない理由で制限された海外渡航。コロナのおかげで強制的にスタイルの変更を余儀なくされている。例えばワクチンパスポートや陰性証明。国によってはコロナ用の医療保険への加入が義務付けられている。おまけに燃油は高騰、円安はガッツリ。まさにこうした手続きや必要な証明を揃えてマスクを装着し、体感でほぼこれまでの倍近い航空券代を支払うのがwithコロナ時代の旅スタイルなのだろう。
正直、たまったものではない。それでも旅しかできない俺は旅に出る。今までと違う旅のスタイルなんて上等である。むしろ初心にかえってやってやろうというものである。
前置きが長くなったが今回は原点に立ち返り、俺にとって最初に海外で出会った煙のあった風景の話をしようと思う。
◉最初の旅
初めて海外に出たのは1998年の夏だった。それまで日本国内を旅していたがいよいよ海外へと踏み出す決意を固めた。というのも当時は猿岩石のユーラシア大陸横断、テレビ版『深夜特急』の放送、いしだ壱成のCMによるタイ旅行のブームなどなど、若者が海外、特に物価が安く長期間滞在できる東南アジア旅が当たり前になっていたからだ。旅好きな俺が海外に行っていないことが自分で許せなかった。
Eチケットなんて存在していない頃のことだ。下北沢のHISの店舗に行って最安値のチケットを買い、夏休みの全期間を旅に費やすことにした。行き先はタイである。ブームの後押しもあったが総合系の空手を嗜んでいたこともありムエタイに興味があった。せっかくなので本場のジムに通ってみようということで武者修行を兼ねることにした。
今になって思えばあの頃の世の中はタバコに寛容というか多くの人が無関心だった。灰皿は駅のホームにあったし、空港の喫煙所はそこらじゅうにあった。もっと古い旅人に言わせれば、飛行機で吸えた時代があったというのだが、流石にその経験はしたことがない。
ともかくタバコに寛容な時代であり20歳の俺は何の問題もなく喫煙者であることができたので成田空港の免税ショップで自分が吸うためのタバコ、ラッキーストライクを1カートン購入した。実は直前に読んだ旅行記の中で、「免税でタバコを買うことがお決まり」みたいなことが書いてあっただけで、免税の仕組みがどれほど得なのかすらよくわかっていなかった。今より半分程度の一箱250円ぐらいだったこともあり、免税のお得さもそれほど実感できないでいた。
バンコクに降り立った俺はすぐにカオサン通りを目指した。ガイドブックや事前のリサーチでは「そこに行けばどうにかなる」となっていたからだ。路線バスを乗り継いで渋滞する市内を抜けていく。旧市街の端っこに位置する何の変哲もない通りに安宿がひしめき合っており、通りには屋台が並ぶ。およそ旅に必要なものはここで全て賄えるような場所だった。
行き交う人たちもどこかの国から訪れた外国人ばかり。日本人、それも同世代の若者たちの姿も多かった。通りから溢れる熱気は気候によるものではなく、この通りに集う人々から発されるエネルギーのようであった。世界が旅を許してくれている気がした。
飛び込んだ先はドミトリーで日本人宿だった。今でこそ避けるような宿だが、当時は何もわからない初心者だった。ドミトリーも知識として知っている程度のもので、実際に泊まるのは初めてのことである。
そんな宿のベッドにカバンを置いて、速攻で出かけたのはバンコクを代表する歓楽街パッポンだった。実は空港で空手道場の先輩と遭遇して、遊びに連れてきてもらったのだ。
目の前に広がるGOGOバーの煌びやかな世界。すっかり魅了された。GOGOバーはタイを代表する夜遊び。ステージに露出度の高い女の子たちが並び音楽に合わせて体をくねらせる。
気になった子がいれば店員に言ったり、目で合図して自分の席に呼ぶことができる。その後は交渉次第で外に連れ出すこともできる。詳しい値段までは覚えていないのだが、渋谷のレストランの厨房で稼いだバイト代が旅の資金になっている俺にとっては真剣そのものだ。
日本円に両替したタイバーツ札の一枚一枚に血が通っているイメージなので、とにかく無駄にしたくなかった。何人もの美女たちを眺めながら、ステージにかぶりつきでタバコを咥え、シンハビールを飲んだ。
灰皿には何本ものフィルターが刺さっていた。全て日本から持ってきたラッキーストライクだった。
ヘビースモーカーな自覚はなかったが酒もタバコも刺激のあるものは人一倍欲するようなどこにでもいる若造だった俺は、自分がムエタイの修行というストイックな目的で訪れたことも忘れて、灼熱の熱い熱いバンコクの夜を堪能した……はずだったのだが、簡単には終わらなかった。
きっと変にこだわらずに女の子を選んだりしていれば何も起きなかったはずだ。それなのに旅先の高揚感と、妙な欲張り加減から、俺が選んだのはショートカットの細身のスタッフの子だった。
店は暗くてはっきり確認しなかったが、かなり可愛い子だった。
既に一緒に来た先輩はお気に入りの女の子とどこかに消えてしまった。俺も飲み続けるのか、帰るのか、それとも連れ帰るのか選択が迫られていたのだ。
これ以上は引き伸ばせないと思い選んだ子だった。
今の時代に笑い話としてしまっていいのか難しいところだが、到着の夜に遊ぼうとGOGOバーから連れ出した彼女は元男性のレディボーイであった。割と密着して歩いてきた割に連れ込みホテルに行くまで気がつかなかった。それほど舞い上がっていたのだ。
いざ服を脱いでとなったところで、彼女の体を見てようやく気がついた。その瞬間、露骨に嫌な顔をしてしまった。
彼女の方も言葉は通じなかったけど、俺が選択を誤ったと思っていることを察したのだろう。優しく「終わりにして帰る?」と拙い英語で声をかけてくれた。
「帰る」と返事をするので精一杯だった。
別に彼女が悪いわけではない。むしろ、俺が選んだわけで迷惑をかけたに過ぎない。とりあえず彼女にお金を手渡して、やり場のない感情を抱えたまま一人ホテルを出た。俺の旅の初日は最悪の気分のままで締め括られるのだろうと思いながらカオサンに向かった。トゥクトゥクに乗って夜のバンコクを眺めながら夜の空気にタバコの煙を混ぜるように吐き出した。逆風でタバコの臭いが俺の体に絡みついてくるようだった。
◉旅人になった夜
宿に戻った俺のことを待っていたのは同部屋の連中だった。ドミトリーに10人以上いただろう。20〜30代の男ばかり。みんな日焼けして着古したTシャツやタンクトップである。ベッドに腰掛けて飲み会をしているようだった。
昔からコミュ力は低い方ではないが、流石にこの輪の中に入っていくのはハードルが高い。いったいどうやって溶け込もうかと思っていると、輪の中心にいたアラサーぐらいの男が俺のことを見ていきなりかましてきた。
「ヒーローが来たね」
なんのことかわからず「?」を顔に浮かべた。
俺の困惑を楽しむように彼は続けてその理由を伝えてくる。
「パッポンでレディボーイ買ったでしょ」
今度は「なんで知ってるの?」の「?」を浮かべたが、それでも俺は本能的に「ここは引いちゃダメだ」と思った。どうせやられるなら前のめり。とにかく突撃である。
「聞いてくださいよ〜」
飲み会の輪の中に飛び込み、今日が初海外で空手道場の先輩に偶然出会って夜の街へ。そこでちょっと変わった子にチャレンジしたい精神からダンサーじゃなく店員の子を指名したらレディーボーイだった。ホテルまで行って気づいたけど、どうしようもなく行き場のない怒りが湧いたままここに来たと、顛末を説明した。
それを聞いたみんなが大爆笑。
「ヒーローだ!」「勇者だ」「最高だよね」
口々に絶賛の嵐だった。今になって思えば飲み会に格好のネタを提供しただけなのだろうが、その瞬間から一気に打ち解けることができたような気がした。実際、そこからはフロア全体で会話のキャッチボールがスムースに進んでいった。その過程で今度は彼らが知っていた理由を説明してくれたのだ。
答え合わせをしてみれば、ものすごく単純なことで、彼らも同じ店にいて、俺がレディボーイを連れ出すところを見ていたそうだ。やはり舞い上がっていて周囲が見えていなかったのだろう。
「な〜んだ」とちょっとつまらなそうに、でも安心したかのような反応をしたところで、あらためて自分の手持ちのラッキーストライクに火をつけた。今では考えられないかもしれないが当時は屋内でもタバコを吸うことは問題なかった。
いつの間にかビールを渡されたビールを飲み干し、くわえタバコで酒盛りのメンバーとして迎え入れられていた。
自分が持っている小瓶がタイで最も有名なビールだったシンハであることはわかったが、それ以外のみんなが持ってるローカルな銘柄のビールは見たことがないものばかり。「なんですかこのビール?」と聞いてみると「シンハより安いから」という理由で買ってきているらしい。そういえば周りの人たちが吸っているタバコも見たことないパッケージのもばかりだ。些細なことで、今自分が海外の旅を始めたのだという実感が湧いてきた。
「日本から買ってきたの?」
「免税で買いました」
「一本、交換しない? 俺、日本から持ってきたタバコが尽きちゃって」
自前のラッキーストライクを吸っていると横に座っていた坊主頭の青年(と言っても当時の俺よりも年上)にそう言われて、謎のローカルタバコをもらった。ラッキーを消して、そのタバコを吸ってみた。安くて濃い味がした。吸い込むと喉に張り付く煙が粘っこい。ビールが進む。
やがて話の中心は周囲の人たちの旅歴。これから先の旅の予定。今まで遭遇したトラブルや思い出の場所まで、いろんな話に移っていった。とにかく旅のことをひたすら語り合ったのだ。それでわかったのは、この宿にいる人たちの多くは数ヶ月から年単位の旅をしているベテランが多いということ。これまで日本で出会った旅好きとはレベルが違う。なにせ実際に人生をかけて旅をしている人たちが目の前にいるのだ。俺は彼らの旅の話を聞くことに夢中になっていた。持っていたラッキーストライクは徐々に減っていき、明け方にはほぼ残っていなかった。
どれだけのタバコを吸って、何本のビールを飲んだのかはわからない。覚えているのは視界がぼやけるほどの煙いドミトリーに充満したタバコの煙。海外で旅しか考えないでいい空間に包まれた。この瞬間、俺は感じるものがあった。
「ここから俺の旅は始まるんだ!」
最高の旅のスタートになったと思う。まさか、それから20年以上旅をするようなことになるとは思わなかったが。
ともかく、この日から俺は彼らと行動を共にしてバンコクで様々な経験をすることになる。当初の目的であったムエタイ修行などどこかへ行ってしまった。しかも延長して海外に留まったために大学の後期の授業に間に合わないほど旅にはまっていた。
そこまではまったのは、この夜があったからだと思う。そして自分の旅人としての生き方を決定づけたように思う。
今でも時々想像してしまう。もし、あの煙の充満した部屋で、俺にとって海外最初の煙のあった風景に出会わなかったら、きっと今の自分はいなかった、と。それほど俺はあの二度と出会うことのない風景に魅了され、今もどこかで追い求めている。
Twitter:@marugon