煙のあった風景 12 喉に刺さった骨と沖縄タバコの煙の記憶【日本】

煙草はリラックスのための嗜好品。しかし命がけの一服もある――。
「危険地帯ジャーナリスト」としてスラムやマフィアなどの裏社会を取材し、世界の生々しい姿を平和ボケの日本に届け続ける、丸山ゴンザレスさん。
本連載では愛煙家でもある丸ゴンさんの数々の体当たり取材の現場に欠かせなかった煙草のエピソードを通して、その刺激的な旅の足跡をたどります。

▶いままでの「煙のあった風景」

危うい旅とともに必ず煙草があった丸ゴンさんの、今回のエピソードは―

丸山ゴンザレス


ジャーナリスト、國學院大學学術資料センター共同研究員。國學院大學大学院修了後、出版社勤務を経てフリーのジャーナリストとして日本の裏社会や海外危険地帯の取材を重ねている。主な著書に『アジア親日の履歴書』(辰巳出版)、『世界の混沌を歩く ダークツーリスト』(講談社)、『MASTERゴンザレスのクレイジー考古学』(双葉社)、『世界ヤバすぎ!危険地帯の歩き方』(産業編集センター)、『危険地帯潜入調査報告書 裏社会に存在する鉄の掟編』(村田らむ氏と共著・竹書房)など多数あり。

12 喉に刺さった骨と沖縄タバコの煙の記憶【日本】

風が魂を運ぶ島へ

今回は沖縄のタバコとそこにまつわる煙の記憶について思い出してみたい。
海外危険地帯の取材をメインにしてきた俺だがコロナによって活動は大きく制限されていた。俺が活路を見出したのは日本国内。普段はYouTubeに力を入れつつも、記事やS N Sでは国内でも特に沖縄を重点的に扱った。
沖縄中部のホテルspice motelのアンバサダーとして、地域の魅力を発信する仕事などもした。この時に沖縄の面白さに目覚めてしまい、この2年だけで3、4回訪れた。もはや取材とか関係ない。プライベートで楽しくなっていた。しかも11月の終わり、俺はまた沖縄にいた。直前に高知でトークイベントをして、その足で沖縄に同じくトークイベントで訪れていたのだ。

今回は一人旅ではなく同行者がいた。元火葬場職員の下駄華緒さんと呪物コレクターの田中俊行さん。人気上昇中の怪談師二人との旅は最初から面白いことになっていた。

まず、イベント場所である高知に向かう飛行機に田中さんが乗り遅れた。空港のベンチで眠ったまま飛行機は出発。結果、イベントに大遅刻。2時間近く遅れて別便で高知にたどり着き、会場にタクシーで乗り付けてステージに直行するかと思いきや、そのままスルーしてタバコを吸い始める珍事が起きた(会場が古い日本家屋だったため渡り廊下越しにスルーして歩いていく田中さんの様子がお客さんに丸見えだった)。

参加してくれたお客さんには申し訳ないが、遅刻いじりでイベントは盛り上がった。しかも遅刻した田中さんが、流石に凹んで高知でも沖縄でも奢ってくれたりしたので、財布も傷まない。沖縄でも遅刻ネタをいじり倒したことで盛り上がった。圧倒的に気分良くそのまま東京に帰るかと思いきや、旅のメンバーに現代魔女のマハさんが加わった。

普段は大阪で魔女活動をしている彼女をわざわざ沖縄まで呼んだのには、相応の理由があった。実は取材したい場所があったのだ。それも沖縄本島ではなく、隣の与論島。正確には奄美群島に属しているので鹿児島県なのだが、那覇空港から30分の距離で、気持ち的には沖縄である。ここを訪れたのは伝統的な埋葬方法である「風葬」を見るためだった。

風葬は火葬や土葬と違い遺体を剥き出しにして自然の風に当てて葬る葬儀方法のことだ。かつては世界中で見られたのだが、宗教や衛生的な観点から法律で禁止されていることもある。ほぼ目にすることはできないのだ。そのため今の我々には奇異に映る葬儀(埋葬)方法かもしれないが、実は日本でも古くから行われていた。それが沖縄や与論島を含む奄美群島だったのである。
ほとんどの風葬は戦前のことで、戦後は「墓地、埋葬等に関する法律」が定められたため廃止・禁止された。そのあたりのことは、元火葬場職員である下駄さんが詳しく教えてくれたのだが、南国で飲みすぎたせいかあまり覚えていない。
ただ、目的地であった与論島に火葬場ができたのは20年ぐらい前のこと(これも下駄さん情報)。この島には風葬の名残が他の島よりも多い。そんなことを魔女のマハさんからも教えてもらったが、同じく飲みすぎたせいか細かいことは覚えていない。

マハさんは数年前に島を訪れて、その時に知り合った島民の方が管理しているジシと呼ばれる風葬地に行ったことがあり、その際にその方の一族の墓域へ入る許可をもらっており、今回はそのコネクションを活かしての取材となった(こういう時代なので不法侵入ではないことを強調しておく)。
はっきり言って、俺と下駄さん、田中さんは露骨にテンションが上がっていた。
島民は5000人ほどの小さくて美しい島で、現在の本州や沖縄本土でも見ることのできない異文化の埋葬方法を目にすることができるのだから興奮するなというのが無理からぬことである。不謹慎な部分は目を瞑っていただければ幸いである。

那覇から飛行機で与論空港に降り立った俺たちは、近くでレンタカーに乗り換えて民宿に向かい、そこで荷物を置くとすぐに探索に出た。静かにテンションマックスである。
ここから右往左往の珍道中を期待される方には残念だが、マハさんの案内で風葬の場所付近に迷うことなく10分ほどでたどり着いてしまった。本当に小さな島なので道に迷うということがほぼない。ここで何も起きないことに少々の落胆はあったが、実に不思議な導きがあった。


海に面した崖面に不意に現れた坂道。妙に気になったので登っていくと窪み、ジシがあり、そこに無数の人骨が散乱していた。ここは彼女が前回訪れていないジシだった。

想定していた以上の人骨の数にやや圧倒されていると、
「この島では人骨には魂はなく、ここに埋葬されたときには海に、島に還ったと考えられています。気にしないで大丈夫ですよ」
そんなふうにマハさんが教えてくれた。そして、「そんな魂に呼ばれたのかも」と優しく言い添えてくれたのだった。

大学院で横穴墓を研究していた俺にしてみれば、ジシは見慣れた光景のはずだった。横穴墓は崖面などに掘られた洞窟状の墓所で、古墳時代から古代にかけて造墓され、全国的に分布している。埋葬されていたのは地域の有力者であった。その墓の形状と少し似ている。
違いはここに葬られているのは島民たちであるということ。きっと探せば子孫たちがこの島には残っている。あとは埋葬されている骨が100年ぐらい前から70年かそこらだということ。横穴墓みたいに1000年も昔の人たちではない。
墓の研究もしていたし、樹海探索もしてきた。おかげで過去に何度も人骨を見たことがある。殊更に珍しがるものではない。それなのにジシにある骨は、過去に見た骨とは何かが違う。スピリチュアルな言い方になるが、まとわりつくような念が感じられないのだ。みょうにスッキリしている。

ジシに散乱する骨と骨壷の蓋

その理由についてはマハさんが教えてくれた。与論の骨は洗い清められてから風葬されているという。肉体には穢れがあり、完全に朽ちるまではジシに葬ることができないからだ。最初は砂浜に一時的に埋葬され、数年かけて肉体が完全に朽ちたところで、風葬される前に洗骨されているのだ。このプロセスを経て風葬されることで魂はニライカナイ(海の彼方や海の底にあるとされている伝説の島、理想郷)に還っている。ジシにある骨には魂すらも残っていない状態なのだ。
島ならではの宗教観でありながら、自然信仰や祖先崇拝、そんなことから理解できる部分が多いと思った。ただ、魂の存在を信じているとかではない。あくまで現場でそんなことを感じたというだけの話である。ジシを去るときに心ばかりのお礼の品を備え一礼して立ち去ることにした。島の流儀はわからないので、自分なりの敬意を払った。
海に還った魂は許してくれるだろうか。海を見ながらタバコをふかして、そんなことを考えていた。

青春時代の苦い味

ジシを後にして島内を少しうろついた。島に漂う空気はゆったりとしたものだ。宿に戻って休憩してから夕飯に行くことになった。部屋に取材道具を置いて、民宿の二階の廊下の端っこに行った。疲れを癒すために一服である。
置かれた灰皿の前で田中さんがタバコに火をつけてマハさんと話していた。そのタバコは同行者の下駄さんが那覇のコンビニで買った「うるま」だった。

うるま、ハイトーン、バイオレット
これらが沖縄を代表するタバコであることをご存じだろうか。とはいえハイトーンは2011年、バイオレットが2018年に販売が停止されていて、現在はうるまを残すのみである。
下駄さんが買ったはずのうるまをなぜか田中さんが持っていた。理由は不明であるが、俺もこの連載のことが頭にあったので、是が非でもうるまを吸いたい。
「1本、いいですか。ケムールの連載でこのタバコの味を描きたいんです」と伝えると、この旅では遠慮がちな田中さんが嫌な顔ひとつせずにパッケージごと差し出してくれた。1箱はいらないので1本だけ取り出す。鼻に近づけてゆっくりタバコの匂いを確かめた。嗅いでいると記憶の端っこにも残っていないはずのタバコ香りのはずなのに妙に懐かしい感じがした。
それもそのはずで、沖縄タバコを吸うのは初めてではない。何年も前に手にして吸っているのだ。
このタバコとの出会いを解説するには少々昔話にお付き合いいただく必要がある。断っておくが、特筆するようなエピソードもなく、それほど面白いわけではない。

沖縄タバコとの出会いは大学生の時だ。専攻していた考古学の道で生きていけたらいいなと淡い期待を抱いて大学院に進学したものの、時代は平成不況が世の中を暗く照らしていた。考古学者として身をたてることなど現実感がなさすぎるどころか夢物語だった。
一般的に学者になるというと大学の教員になることや研究職に就くことがイメージされるだろう。これは時代に関係なく非常にハードルが高い。他に考古学で生きていくためにはどうするのか。最も早道なのは公務員になることだ。地方自治体の教育委員会や文化財課、学芸員として採用されることで給料をもらいながら研究ができる。
ところが不景気の時には公務員が人気になる。これまで公務員に見向きもしなかった優秀な学生たちが公務員試験に挑む。結果として倍率は跳ね上がる。専門の勉強をしてきた学生よりも、公務員試験に特化してきた学生の方が突破しやすくなる。
実際、いくつかの自治体の試験を受けたが見事にどこにも引っかからず。その後も、公務員試験の勉強をするわけでもなく、いつも研究室のある建物の前の喫煙所で同じように澱んだ空気をまとった親友と呼べるような仲間たちとタバコを吸って、「将来どうする?」と答えの出ない問いを繰り返し、暗くなると金をかき集めて酒を飲んだ。
どうやって金をかき集めることができたのかわからないが、ほぼ毎日のように飲んでいた。多分、師匠や先輩が払ってくれたのだろう。若かったので、普通にいつも腹が減っていた。当時のお気に入りはチャーハンにトンカツを乗せ、そこに山芋をかけるというメニューで「スペシャル」と呼んでいた。
とにかく無駄なことばかりしていたのだ。今になって思うとこんな現実逃避ばかりしているような奴が公務員試験をパスできるはずがない。

そんな日々を重ねているときに、親友Nが縁あって沖縄にハマり旅に行くとお土産で買ってきてくれたのがうるま、ハイトーン、バイオレットだった。今と違ってパッケージに健康被害の警告文が掲載されていない旧版のうるまで、値段は160〜180円ぐらい。当時でも200円しないタバコは安い印象だった(あんなに安かったのに今では530円である)。
喫煙所では沖縄の味よりも、安くタバコが吸えるので嬉しかった。それだけで沖縄に思い入れもないはずなのに普段なかなか見ることのないデザインが気になって、空になったパッケージを捨てずに何年か自宅のアパートの壁に貼っていた。引っ越しを繰り返すうちにどこかに行ってしまったので今は手元にもないのだが。

こんなネガティブな記憶はとっくに忘れ去っていたつもりだった。しかし、俺には考古学の世界に残らなかった小さな後悔があって、それがずっと小骨のように刺さっているような気がしていたのだ。

それが気のせいだと思える出来事が島に来る1ヶ月前にあった。20数年ぶりに、沖縄タバコを持ってきた親友Nの地元を訪ねたのだ。学生時代に一度だけ遊びに行ったことがある。そこで今のNが埋蔵文化財を扱う行政マンとして立派に務めを果たしていたのを目の当たりにしたのだ。
かつて喫煙所で同じように迷っていた友は夢をかなえた。一方の俺は、あの頃、思い描いていた未来とは全く違うジャーナリストの道を歩んできた。そのことに以前は引け目もあったのだろうが、今は自分のやっていることにプライドを持っている。卑屈になることもなくNと話し彼のやっていることに敬意を払えたことで、俺の後悔はもうないのだと自覚できた。何より、中年になった今、若かった頃の後悔などしても意味なんてない。

いろんな記憶や思いが溢れてきた沖縄タバコのうるま。いざ火をつけて煙を吸うと、雑味のある強い煙が入ってきた。アメスピになれた俺の喉にはちょっとキツめだった。懐かしさよりも口の中の苦い味の方が優っていた。
宿の廊下から階下へと漂う煙を眺めていると、俺に刺さっていた小骨は風葬された骨よりもスカスカで、むしろとっくに刺さってすらいない、そんなふうに思えた。

今回の連載にこのことを書こうとあらためて決意し、清々しい気持ちで部屋に戻った。
離島に新たな煙のあった風景が生まれたような気がした。


▶いままでの「煙のあった風景」

文・丸山ゴンザレス
Twitter:@marugon

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