煙のあった風景 14 煙の向こうに見える貧乏旅の記憶【インド】

煙草はリラックスのための嗜好品。しかし命がけの一服もある――。
「危険地帯ジャーナリスト」としてスラムやマフィアなどの裏社会を取材し、世界の生々しい姿を平和ボケの日本に届け続ける、丸山ゴンザレスさん。
本連載では愛煙家でもある丸ゴンさんの数々の体当たり取材の現場に欠かせなかった煙草のエピソードを通して、その刺激的な旅の足跡をたどります。

▶いままでの「煙のあった風景」

危うい旅とともに必ず煙草があった丸ゴンさんの、今回のエピソードは―

丸山ゴンザレス


ジャーナリスト、國學院大學学術資料センター共同研究員。國學院大學大学院修了後、出版社勤務を経てフリーのジャーナリストとして日本の裏社会や海外危険地帯の取材を重ねている。主な著書に『アジア親日の履歴書』(辰巳出版)、『世界の混沌を歩く ダークツーリスト』(講談社)、『MASTERゴンザレスのクレイジー考古学』(双葉社)、『世界ヤバすぎ!危険地帯の歩き方』(産業編集センター)、『危険地帯潜入調査報告書 裏社会に存在する鉄の掟編』(村田らむ氏と共著・竹書房)など多数あり。

14 煙の向こうに見える貧乏旅の記憶

妙なタバコの持ち方の理由

タバコを吸っているときに「妙な持ち方しますよね」と指摘されることがある。
こんなこと言われたら「失礼なやつだ」と思うところなのだが、実際に持ち方におかしいところがあるので、「致し方なし」と納得している。

もちろんのことだが、タバコを吸うたびに妙な持ち方をするわけではない。理由を言葉にするのはちょっと古い旅が関わってくるのと、そもそも説明すると長くなるので、その場でどうしてこんな持ち方をするのかを説明することはほとんどない。今回はそんなタバコの持ち方にまつわる煙のあった風景をお届けしよう。

まず肝心な妙な持ち方だが、親指の第一関節と人差し指の付け根でタバコのフィルターを挟んで、残りの指を屋根のようにしてタバコの本体を覆うのだ。
「それで?」と思うだろう。実際、ちょっと変ではあるが、それだけである。もうひとつ付け加えるとこの持ち方をした際には吸い方にも特徴がある。挟んだところからフィルターをはみださせないのだ。フィルターの吸い口と挟んだ指をできるだけ平らにする。そこに口をつけて周辺の空気ごと吸うのだ。
「だから、それで?」と思うだろう。俺もそう思うところはある。
いったいこの吸い方はなんなのか。
それは25年前のインド旅に遡る。

あの頃の俺は、とにかく金がなかった。上京してバイトをしながらの大学生活。それなりに充実していたが、それだけでは物足りなかった。今と違って若いうちに海外へ行くムーブメントがあって、どうしてもそこに乗りたかった。

実家は普通のサラリーマン家庭で、仕送りは期待できなかった。裕福な大学生ではなかったが、それでも旅に出たかった。高校時代から青春18きっぷを使って国内を旅する程には旅が好きだった。
渋谷の飲食店でバイトした金をどうにかかき集めてチケットを買った。何度か海外と日本を行ったり来たりするようになって、節約すれば自分の予算でも旅ができることがわかった。航空券込みで一ヶ月10万円が目安だった。


泊まる宿はとにかく安いところ。ドミトリー最優先。飯は食堂で食べることができたらいい方で、屋台で何か食べたら残りの空腹分は水を流し込むような感じで構わない。そんなやり方で東南アジアを中心に旅を重ねたが、どこへ行っても貧乏旅行だった。必然、嗜好品である酒やタバコに回せる金なんてごく僅かである。

吸い方がわからないインドのタバコ

物価が安く、長期滞在が当たり前になっていたインドの旅でも同様で、カルカッタ(当時)のサダルストリートにあった日本人宿にチェックインしてドミトリーでだらけてタバコを吸っていると、長旅をしてきたと思しき日本人から「それ、日本製ですか?」と言われて、「そうだ」と答えると「交換してください」となり、遠慮なくたかられた。一応、インドタバコをくれるのだが、あっという間に日本から持ち込んだタバコ(空港の免税で購入)は底をついた。

仕方ないので、物々交換で溜まったインドタバコ「ビディ」を吸うことにした。ビディは葉を筒状に巻いたタバコである。パッケージがクラッカーみたいで可愛いのが特徴である。当時の値段は覚えていないが、はっきり言って安かった。1本1ルピーしなかったかもしれない。

ビディ(bidi)

そんなビディを吸おうとしたが、これがうまく吸えない。単なる丸まった葉っぱなのである。火はつかないし、そもそもどうやって吸えばいいのかわからない。どうにか吸うことはできても、うまく煙が吐き出せない。作法が分からなかった。
俺から日本製タバコをたかり尽くした連中にでも聞けばいいのだが、妙な旅人のプライドが邪魔をして質問できなかった。若いということもあったのだが、旅経験が相手より少ない的なことを認めるのが嫌だったのだ。本当に青臭くてしんどい奴だったのだ。
そんな俺が宿の前の道に腰掛けてイライラしながらビディに火をつけては吸えないを繰り返していたのは、他にすることもなかったからだろう。目的地も決めず、いつ出発するかも決めていない。それぐらい自由な時間の多い旅、今では贅沢なことだと思う。
さて、苦戦する俺に吸い方を教えてくれたのは、宿周辺にたむろしていたインド人である。
これはインドあるあるなのだが、何をしているのかわからない連中がいっぱいいるのだ。宿の前はもちろん、駅、店の前などとにかく路上に一日中いるのだ。たまに何かあるとすぐに集まってくる。
そんな連中の一人が俺に声をかけるというか、ごく自然な流れでビディを掴んで、火をつけた。それも手持ちのマッチで流れるような動きだった。周辺の風を遮るように手の平で炎を包むと、指に挟んだビディに器用に点火したのだった。
そして、挟んだ指の間から周囲の空気を吸うようにして吸ってから、見事な煙を吐き出したのだ。煙の量は自分が吐き出すのに比べて圧倒的に多かった。
すごいと素直に思った。自分ができないことを上手にやられたのだから、そこには賞賛したいのだが、思わず言ってしまった。

「それ、俺のだけど」

これに「ごめん」とか、「へへ」とか愛想笑いでも浮かべてくれればいいのに、この男は「金をくれ。あともう一本くれ」と言ってきた。そこまで悪気はないのはわかるのだが、ちょっとうざかった。

思い出のなかの貧乏

手でタバコの覆いを作って周囲の空気ごと吸う方法は、ビディ以外で役に立つことはほとんどない。ちょっとだけ役立つとしたら不意の雨とか風からタバコを守るためぐらいだろう。

このインド旅では、電車に乗って地方の街を回ってからバラナシに行った。その道中に金がいよいよ底をついて駅で電車を2日ぐらい待ちながら手品をしたりして小銭を稼いだ。大道芸のような大層なものではなく、インドの人たちの善意に縋り付いただけのどうしようもない甘えのようなものだ。貧乏旅行は人間性を磨くものではないと今になってみるとわかるのだが、それでも当時は必死だった。
どうにかこうにか手品がきっかけで仲良くなったインドの人たちが食べ物やお茶をご馳走してくれたりした。それでもホテルはどうにもならず、駅の床に布を敷いて寝た。今だったらいったい何やってるんだろうと情けなくて惨めに思うかもしれないが、20歳の俺にはそんな貧乏旅行経験をしていることが誇らしいぐらいだった。きっと日本に帰ったらどうにかなる。ここは別世界だ! ぐらいに思っていたのだろう。まさか、その後は就職に失敗してギリギリの生活を送ることになるとは、この頃の俺は思ってもいなかった。

さて、当時に戻るが、とにかく宿や小銭程度はなんとかなっても根本的にカロリーが足りていなかったので、寝ていても空腹はどうにもならず、旅している間に随分と痩せた。ダイエットというよりも、ただの不健康である。床の上だと背中が痛くてあまり深くは眠れずにゴロゴロしていると、明け方、少し肌寒い空気の中でチャイ売りがくる。
「チャーイ、チャイ、チャイ、チャイ」
飲みたい気持ちを我慢していたが、一定のリズムで繰り返される呼び込みに吸い込まれるようにポケットの小銭を集めて差し出してしまった。素焼きの器にポットから熱々のチャイが注がれた。手品の報酬に貰ったパンを鞄から出してかじった。素焼きの器に口をつけると少し砂利っとしたが、気にしないでパンとチャイで流し込む。チャイの甘さが体に染み込んだ。

胃が満たされると、今度はタバコが欲しくなる。酒はいらないが、煙を吸う行為だけはやめられそうにない。
ビディを取り出して、慣れた感じで火をつける。最初はできなかった謎の動きのマッチで点火するやり方を身につけていた(今はどうやってもできないが、その時にはマスターしていたのだ)。
いったいいつになったら到着するのかわからない電車を待っているホームの淵に立ってタバコを吸った。この駅についた時に「電車が1日遅れてる」と聞いて、どうにもならないし、することもないので周りを観察していた。チャイの器の扱いぐらいは覚えてしまった。
チャイを飲み干したら素焼きの器を地面に放り投げるのだ。釉薬もかかっていない器は、土に還るらしく、誰もが飲み終わると放り投げる。
目の前に散乱する破片を見ながら、大きく吸い込んだ空気を吐き出す。手のひらをくぐって外に出た煙と吐き出した煙が一緒になって空へと抜けていく。白い煙が綺麗に流れた。この風景を見た俺は、少しだけインドに馴染んだ感じがしたのを覚えている。そして電車が来て、空港から日本に帰国するまで、いつかまたこの国に来るのだろうか。その時、俺は何をしているのだろうか。そんなことを繰り返し考えていた。少なからず旅暮らしをする自分の将来に不安は抱いていたのだ。

最初にインドを旅してから25年が経過した。その後もインドを取材で訪れることはあったが、どうしても一人旅で訪れる機会が作れなかった。貧乏旅の記憶がインドを遠ざけているのかもしれないとも思ったが、20歳の頃に感じた充足感を上書きしたくなかっただけなのかもしれない。きっと年齢を重ねていくうちにインドを純粋に旅だけで楽しむマインドが作れなかったのだと思う。さすがにあれほど無鉄砲な旅をすることはできない。

長くなったが、つまるところ、昔の旅や将来のことを考えていなかった若い頃のことを思い出した瞬間、それがタバコを吸うタイミングに被った時には、あの手になってしまうということなのだ。やはり説明するほどのこともないので、この先、持ち方の理由を聞かれても答えることはないだろう。


▶いままでの「煙のあった風景」

文・丸山ゴンザレス
Twitter:@marugon

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