煙のあった風景 13 2022年の煙のあった風景、これからの風景【タイ>>コロンビア>>パナマ>>メキシコ>>アメリカ】

煙草はリラックスのための嗜好品。しかし命がけの一服もある――。
「危険地帯ジャーナリスト」としてスラムやマフィアなどの裏社会を取材し、世界の生々しい姿を平和ボケの日本に届け続ける、丸山ゴンザレスさん。
本連載では愛煙家でもある丸ゴンさんの数々の体当たり取材の現場に欠かせなかった煙草のエピソードを通して、その刺激的な旅の足跡をたどります。

▶いままでの「煙のあった風景」

危うい旅とともに必ず煙草があった丸ゴンさんの、今回のエピソードは―

丸山ゴンザレス


ジャーナリスト、國學院大學学術資料センター共同研究員。國學院大學大学院修了後、出版社勤務を経てフリーのジャーナリストとして日本の裏社会や海外危険地帯の取材を重ねている。主な著書に『アジア親日の履歴書』(辰巳出版)、『世界の混沌を歩く ダークツーリスト』(講談社)、『MASTERゴンザレスのクレイジー考古学』(双葉社)、『世界ヤバすぎ!危険地帯の歩き方』(産業編集センター)、『危険地帯潜入調査報告書 裏社会に存在する鉄の掟編』(村田らむ氏と共著・竹書房)など多数あり。

13 2022年の煙のあった風景、これからの風景

22年・夏 やっと開いた航路

この連載をスタートしたのはコロナ禍真っ只中の1年前。そのころは出国前PCR検査陰性証明、帰国時のPCR検査、隔離期間などなど、海外に出ることが非現実的だった。もちろん、それでも海外に出ている人はいたので、あくまで面倒な手続きが大嫌いな俺にとってということにもなるだろう。
状況が変化したのは夏になったあたりだ。徐々に各国で出入国規制の緩和で、海外往来の制限もほぼなくなった。こうなれば俺を阻むものは何もない。
どこに行くかは迷っていたものの結果、最初の旅先に選んだのはタイだった。

元々馴染みのある国ではあるが、昨年6月からマリファナが非犯罪化となり、実質「合法」の扱いになった。その様子を見たいというのが強い動機だった。2年以上も日本の中だけで過ごしていたので、空港までの移動にも戸惑うところがあったし、免税店では愛飲しているタバコが仕入れられていなかった。いつもカツカレーを食べていく食堂は閉店していた。今までの海外旅ルーティンが崩れ去り、大きく変わってしまった。それでもタイのスワンナプーム空港に到着して、喫煙所でタバコに火をつけて深く吸って吐き出した煙が異国の空に流れていく感じがたまらなくなった。

タイ入国後、国内線に乗り換えて北部のチェンマイへ向かった。
この街ではマリファナのグロウ(栽培)を見たり、日本人グロアーにインタビューしたりして過ごした。その後はバンコク市内に移動して、今度はマリファナの販売店に行くなど精力的にこなすことができたと思う。その様子については、雑誌、ウェブ記事、Youtubeなどでも発信したので、目にしてくれた人もいることだろう。取材のフィナーレにはパタヤのビーチでのんびり過ごして、ビーチでビールを飲みながらタバコを燻らせることができたのだ。本当に贅沢な時間だったと思う。そして、この取材の裏では、俺にとって旅の原点であるタイに漂う煙を眺めて、次の旅に出る気持ちを作り始めていた。

詳しくはこちら▶「08 新しい煙の流れる風景を見つめて【タイ】」

”あの番組”の復活…「これから取材に行く」

日本に戻った俺は、かねてから計画していた旅を実行に移すことにした。麻薬ビジネス取材旅である。最初に計画を立てたのは、コロナ以前である。日本の裏社会を取材してきたこともあり、元々興味はあった。2016年にはメキシコ南部のミチョアカン州に麻薬戦争の取材に入った経験もあった。
戦場以外では世界で最もヤバいとされる麻薬戦争を取材したことで、麻薬を取り扱う組織や流通、このビジネスそのものをもっと掘り下げてみたいと思ってはいたのだが、当時は「これ以上に危険な取材なんてできない!」と思って自分の中でメキシコ取材に区切りをつけていた。多分、諦めていたところがあったのだろう。ところが、この数年で麻薬戦争は激化するばかり。しかもNetflix『ナルコス』のヒットで日本でも麻薬カルテルに注目も集まっていた。波が来ていると思った。区切りをつけていたはずの取材したい気持ちが動き出した。一度動き出した好奇心は止められない。
いつかは麻薬ビジネスを取材できたらいいなというつもりで、ゆるく連絡をとっていた相手に「これから行く」と伝えながら取材の算段を整えた。誰もが「本当に取材するの?」と言いながらも協力するとは言ってくれた。まだまだ不確定な要素も多いながらも形にできそうだと思っていたところに、今度はTBS系クレイジージャーニーが復活という話が持ち上がった。

顔馴染みのない新しいスタッフ(ディレクターが1名カメラを持って密着するスタイルは同じだったが)が同行するということで不安はあった。それでも、これ以上ないタイミングであるとも思った。今自分のところにきているのは波どころか本当の大波である。ここを逃すわけにはいかない。
というのもテレビ局の名前を借りれば、取材先が公的機関であっても取材OKを出す可能性が高くなるからだ。実際、それまで返事を保留していて不確定だった捜査機関からも前向きな返事をもらうことができた。

先ほどのタイに行く頃には、実はこの旅の準備を始めていたのだ。といっても手続きやオファーではなく、帰国して数週間で準備したのは、あくまで俺のメンタルの方である。リスクの高い取材に挑む心を作っていたようなものなのだ。東京で過ごしている間に吸ったタバコ。そこから流れていく煙は、俺にとっての覚悟が含まれていた。

中南米の旅を振り返る

麻薬ビジネス取材旅を実現することは俺の夢である。麻薬の原産国から運び屋と同じ流通ルートを辿り、消費地となるアメリカまで旅をする。途中で麻薬カルテルの心臓部である麻薬工場や麻薬トンネルを取材する。概要だけ書いてもアクセスするための難易度が異常であることはわかる。もし新宿の飲み屋あたりでこんな話でもしていたら、ほら吹きのおじさんで終わることだろう。それを実現しようというのだから、我ながら正気の沙汰ではないのかもしれない。
2022年、最初に訪れたのはコロンビア。コカインの原産国の中で最大の生産量を誇り、麻薬ビジネスを国際規模に拡大したパブロ・エスコバルの故郷メデジンは首都ボゴタに次ぐ第二の都市。かつて熾烈な麻薬戦争が巻き起こったことを思うと盆地に広がる都市は巨大な箱庭のように見えた。この街では、パブロ・エスコバルの痕跡を辿った。彼の作った街、施設や関わりのあった人に出会うことで、麻薬王の素顔を垣間見ることができた。
それから、麻薬密売ルート上にある中米パナマに向かった。
これまでパナマには正直なところ思い入れがなかった。日本からも遠いこともあるし、裏社会的にも何かを耳にすることもなかったからだ。実際に訪れてみるとカジノと高級ホテルなどが入った高層ビルが建ち並び、まるで小さなラスベガスのように思えた。しかし、都市化しているのはパナマシティだけ。少し離れたらジャングルが広がるようなところで、南米からアメリカを目指す移民たちがダリエン地峡を越えてくる場所でもあった。

この国では、国境警備警察の協力で検問や潜水艇を取材することができた。さらに都市部のエアポケットのようなスラムにも行き、そこでドラッグを扱うギャングと接触した。そこで聞いたのは、コロンビアとメキシコに挟まれた場所で、両国の麻薬カルテルから見たら自分たちがいかに矮小な存在であるか、それこそ自虐的に語ってくれた。ギャング一本でも普通の仕事だけでも食えない。そんな存在なのだ。久しぶりに感じたどうにもならない現実のモヤモヤは、自分がどこを取材しているのかを突きつけてくれたような気がした。おかげでパナマの印象が強く焼き付いた。

ちなみに普通のルポであったら触れることのない話なのだが、ここまでの旅で特に気になるタバコがなかった。手持ちの日本から持ち込んだタバコを吸っているだけだった。

ようやくタバコのことを考える余裕ができたのは、メキシコに入ってからだった。
首都メキシコシティに次ぐ大都市グアダラハラのリベルタ市場に宝くじ屋を探して訪れた。この市場は観光名所でもあるし、目的の宝くじはカルテルの資産がそのまま商品になっている変わり種で、どちらも興味があったので、終始キョロキョロとしてほっつき歩いた。その時に並んでいるお店の中にタバコを扱っている雑貨&軽食屋があった。
メキシコのタバコはある?」と聞くと、店主は「ん〜」と困り顔を浮かべて少し考えた素振りをする。そして、何かを思い出したようにマルボロを指差した。
「それはアメリカだろ!」と思ったが、せっかくの店主の好意である。1本だけ買って吸ってみることにした。
1本というのは、バラ売をしていたからだ。東南アジア、アフリカなどでよく見かけたスタイルなので違和感なく受け入れることができた。着火したのは上からぶら下がっていたライター。こういうところには、共有ライターがあるのも定番である。

深く吸ってみたが、俺の知っているマルボロの味しかしなかった。

店をあとにして宝くじ屋を探していると同行していた案内人のメキシコ人ジャーナリストのガブリエルが話しかけてきた。
「ゴンザレス、マルボロはメキシコで作られているんだ。だからメキシコのタバコなのさ」
意外過ぎる角度からの回答だった。
以前にメキシコのコーラがアメリカよりも美味しいという話をメキシコ人から聞いた時に抱いた違和感と同じである。アメリカは嫌いだけど、アメリカのブランドであってもメキシコで作られているからOKというメキシコ人ならではのマインドだ。このわずかばかりのことからもメキシコとアメリカの関係性が垣間見えた気がした。
ついでというわけではないが、ガブリエルに「メキシコのローカルのタバコはないのか?」と聞いたところ、また別の店で「これ」と言って少し小ぶりなタバコを教えてくれた。

ひどく雑なデザインのパッケージには「Delicados」と斜めになった文字が並ぶ。包装ビニールを破こうとしたところで、指先が止まった。その場では吸う気が起きなかった。験を担ぐわけではないが、せっかくなら、この旅のゴールで吸ってみたいと思ったのだ。ゴールまでは残りシナロア、ティファナを取材すればもうすぐそこである。

その後、俺たちの旅は国境あたりで紆余曲折あったものの、なんとかティファナを経てサンディエゴにたどり着いた。ガブリエルにはロスまで付き合ってもらい、そこで取材チームを解散した。同行していたディレクターを空港で見送り、通訳をしてくれた友達とはロスの街中で別れた。

独りの旅で立ち止まりかけた時は

完全に一人になった俺はロスのコリアンタウンにあるホテルにレンタカーで向かった。そこでしばらく滞在して最新のマリファナ事情を取材しようと思ったからだ。ホテルはこれまで以上に清潔で安全が確保されていた。周辺を歩いても銃声が聞こえることもないし、路地裏の交差点でコカインが販売もされていない。
そんな街で一人になってみると妙な寂しさがあった。それは長い旅を終えた果ての達成感からくるものなのか、しばらくぶりの旅で一人旅の感覚を失ってしまったからなのか。もっと別の感情なのかもしれない。わからなくなった。コロナ禍を経ての心境の変化は多くの人にも起きていることだろう。
俺にもそんな変化の波が襲いかかってきた。
これからどこを旅するのか。いや、これからどこに行きたいのだろうか。
だが、俺はこのマインドの変化への対処法を知っている。自分の好奇心に忠実になることだ。
尊敬する旅の大先輩である関野吉晴さんと日本で飲んだ時、70歳を過ぎたレジェンドは「俺、将来さ」と前置きしてこれからの旅のプランを話してくれた。その頃の俺はやや自分のこの先の取材人生に迷いが出ていたのだが、一気に吹っ飛ばされた。関野さんは生涯枯れることのない好奇心を宿している。俺にだって、むしろ、今奮い立たなかったらいつ動くのか。関野さんがグレートジャーニーに出発したのは44歳。当時の俺と同い年のことである。

そんなことを思い出しながら、ポケットから取り出したのはメキシコでガブリエルから勧められた「Delicados」だ。両切りでフィルターのないタイプだった。火をつけると口の中にヤニの味がへばりついた。その苦味を噛み締めながら、ロスの空に向かって煙を吐き出した。

これからもずっと好奇心に忠実に旅していこう。そして、メキシコではマルボロを吸おう。
そんなことを思う一方で、これからどんな風景を見るのか、今から楽しみで仕方がない。


▶いままでの「煙のあった風景」

文・丸山ゴンザレス
Twitter:@marugon

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