煙草はリラックスのための嗜好品。しかし命がけの一服もある――。
「危険地帯ジャーナリスト」としてスラムやマフィアなどの裏社会を取材し、世界の生々しい姿を平和ボケの日本に届け続ける、丸山ゴンザレスさん。
本連載では愛煙家でもある丸ゴンさんの数々の体当たり取材の現場に欠かせなかった煙草のエピソードを通して、その刺激的な旅の足跡をたどります。
危うい旅とともに必ず煙草があった丸ゴンさんの、今回のエピソードは―
丸山ゴンザレス
ジャーナリスト、國學院大學学術資料センター共同研究員。國學院大學大学院修了後、出版社勤務を経てフリーのジャーナリストとして日本の裏社会や海外危険地帯の取材を重ねている。主な著書に『アジア親日の履歴書』(辰巳出版)、『世界の混沌を歩く ダークツーリスト』(講談社)、『MASTERゴンザレスのクレイジー考古学』(双葉社)、『世界ヤバすぎ!危険地帯の歩き方』(産業編集センター)、『危険地帯潜入調査報告書 裏社会に存在する鉄の掟編』(村田らむ氏と共著・竹書房)など多数あり。
空の上でタバコを
喫煙者にとって失われゆく風景が増えている。そこに旅人の視点を加えると、さらにはっきりとした形で喪失を実感する。
高校一年生。俺が日本国内を旅するようになった頃、在来線の一部では車内喫煙できた。新幹線には喫煙車両があった。ホームには喫煙スペースがあるのも当たり前。
20歳で海外を旅するようになった時には、飛行機の喫煙席は無くなっていた。今では信じられないが、座席でタバコを吸うことができた時代があったのだ。
この当時を知る先輩旅人などからは、「俺は飛行機でタバコ吸ったことがある」とマウント取られることがある。納得はいかないが少し羨ましいところではある。
愛煙家の旅立ちの作法
初めて成田空港に向かった時は電車だった。千葉に住んでいる友達のところに立ち寄ってから空港に行ったような気がする。道中、別にタバコが吸いたいとも思わなかった。空港内のいたるところに喫煙所があり、どこでも吸うことができたからだ。良い悪いではなく、当時は普通のことだった。それから時代が下るとともに喫煙のルールは徐々に変化していき、禁煙に世の中が傾き始めていった。海外旅の頻度が多くなってくると、旅に出る前の喫煙の手順が身につき、それが俺にとってルーティンになった。
バックパックを背負って家を出るとコンビニでタバコを買っておく。タクシーで新宿駅に着くと成田エクスプレスの乗り場のホームの端っこにある喫煙ボックスに入る。そこでタバコを吸うために余裕のある便を選ぶ。空港に到着すると喫煙所でブラックの缶コーヒーを飲みながら一服。それからチェックインして保安検査所を通過する。
免税店で1〜2カートン購入する。これは旅の期間や場所に左右される。アメリカのように高い国なのか、自分の愛飲しているタバコが売っている国なのか。そんなことを考えて購入するのだ。
それからスマホで検索するのは、乗り換えの空港に喫煙所があるのかどうか。屋内に喫煙所がない場合、施設の外に出ないといけない。そのためには入国手続きが必要になる。乗り換え時間が大幅に増えてしまう。旅の命運を左右しかねない。
その一方で到着地に喫煙所があるかどうかは調べない。施設の外に出れば大抵は吸えるからだ。調べるのはタバコに対して取り締まりがどの程度厳しいのか。タイやシンガポールでは、ポイ捨ては高額な罰金になってしまう。
おおよそこんな感じでルーティーンは完了する。
俺には搭乗が開始されてからも気にすることがある。搭乗口に一番近い喫煙所でギリギリまで過ごすことで、できるだけ遅く乗ることだ。以前は持ち込み手荷物が大きなバックパックだったので、早く入って座席上部の荷物入れに放り込もうと必死だった。
最近ではバックパックからキャリーバックに変わったこともあり、カウンターで預けてしまうので、急ぐ必要すらなくなった。せいぜい免税で購入したカートンをバラしてサブバックに入れるか、そのまま突っ込むかを悩む程度である。
以前、ロスからオレゴンに乗り換えるときに座席上部の荷物入れに置き忘れたことがあるので、免税で購入した時の袋のまま別にしておくことが怖くなったのだ。
なにせ10時間以上も座席に座っていると、自分がタバコを買ったことなど綺麗さっぱりと忘れてしまうからだ。タバコは好きだが、吸わないと死んでしまうほどの愛好者ではない。
20代の終わりぐらいまで、それに近いところがあったのだが、世相の移り変わりとともに、俺のタバコ好きも落ち着くようになっていた。
若い頃、どれだけタバコが吸いたかったのかを思い出すと、南アフリカに行く途中に立ち寄ったドバイの空港で、係員に「喫煙所どこ?」と泣きついて、結局、空港職員が秘密で吸ってる店の裏に連れて行ってもらったことがある。アメリカの中でも巨大なダラス空港では、喫煙所が見つからなくて、いよいよトイレで吸おうと思って入ったら、すでに先客の何人かが吸っていて空港職員に怒られている現場に遭遇。大人しく退散することもあった。
30代、40代と年を重ねると体は刺激をそれほど強く求めなくなった。おかげで10時間以上のフライトの後で、イミグレを通過して空港の外に出てからの一服の良さを楽しむことができる程には成長できた。むしろ老化とでも言えるかもしれないが、ともかく今はルールの範囲内で喫煙をするように体が慣れてきているのだ。
喫煙所での再会
空港の喫煙所で思い出深い切なさがあるとしたら、バンコクのスワンナプーム空港内から全ての喫煙所がなくなったことだろうか。空港の外に行けば、今でも吸える場所は設置されているのだが、空港の施設内の喫煙所は完全になくなったのだ。
このスワンナプーム空港の喫煙所に直接つながるような記憶があるわけではなく、旅の終わりの場所としての空港から喫煙所が消えてしまったことに一抹の寂しさがあったのだ。
スワンナプームができる前、バンコクのメイン空港はドンムアン空港だった。
喫煙所がいくつかあったのを覚えているが、もっと記憶に残っているのは、そこが最後の再会の場所になっていたことだ。
東南アジアを旅してバンコクに戻ってくる旅人が多かった。日本から往復チケット(オープンかフィックスかなど、当時はいろんな買い方をしていた)がお手頃だったこともあったのだろう。旅行者の聖地となっていたカオサン通りに宿をとって同年代の旅人たちと交流する。やがてそれぞれのスケジュールで帰国していく。学生時代の帰国便はノースウェストかエアインディアが定番。安い便を選ぶとフライト時間は決まって深夜か早朝になった。
お金を節約するためにバスで空港まで移動するため、どうしても数時間を空港で過ごすことになる。バーガーキングかマクドナルドで軽い食事ぐらいはとるが、そもそもお金がないので自然と喫煙所に行くことになる。そこには、宿や旅先で別れたはずの連中がいたりする。それは帰りの飛行機の選択、大学の授業開始のタイミングなどから決して低くない確率だったりするのだ。
インド、カンボジア、マレーシア、ベトナムなどで出会った連中と「あ〜久しぶり!」という感じで出くわす。わずか1週間前に別れた奴がいたかと思うと、1年前に出会って名前も知らないけど顔だけは覚えていたやつもいる。関係性の濃度はバラバラだが、喫煙所で出会うと旅先で気を張っていた感じが薄れて、自然とお互いに咥えタバコで旅の報告をしてアドレス帳に連絡先を交換し合う。ネットが未発達だった時代によくみた風景だった。
そうして何度か日本に帰ってから集まる仲間もできたりした。当時、住んでいた川崎のアパートに泊まりにきて鍋を囲んで旅の話をしたり、無理に背伸びしてアイリッシュバーに繰り出しては、「次はどこに行く?」なんて話を飽きずに繰り返していた。
やがて、学生だった連中が割といいところに就職したり、留学したりする。なかには連絡がつかなくなったり、共通の知り合いから失踪したと教えられることもあった。連絡がついていた連中とも、タバコの火が永遠に燃え続けないように、いつかはその関係も途切れていた。
灰皿がない空港で
本当は俺も就職して家族を持つとか、親の期待するまともな人生を歩むチャンスはいくらでもあったのだろう。その道を選ぶことはなかったので、今でも若い時と同じか、それ以上の頻度で海外に通い、旅をして、取材を重ねて記事を書き、動画を発信し続けている。あの頃よりも少しグレードの高いホテルや飛行機を選択できるようになった。時には空港のラウンジで出発時間まで過ごすこともある。そこには喫煙所はないし、旅先で出会った同世代の連中との再会もない。
切ないわけではない。俺が同じ場所をずっと見続けてきたから気になるだけ。本当はもっと早くに卒業しているべき生き方なのだ。これも俺が選んだ人生である。
ただ、バンコクの喫煙所は俺にとって若い頃の自分とその周りにいた旅人たちの存在証明のようなものであったのだ。だから、それがなくなった時に少し寂しくなった。そんな感じなのである。
”CUBE”の中で見えた風景
そもそも喫煙所にまつわる記憶なんて大半の人は覚えていないかろくなものがない。最近の俺は原稿や動画作業のため都内のホテルに自主的に缶詰になっていることが多い。そのため急増している外国人観光客とホテルの喫煙所で一緒になることもある。
先日も新宿のビジネスホテルの喫煙所でビール片手にタバコを吸っている欧米人の4人組が「東京の喫煙所ってCUBE(立方体)だな」「店の中にCUBEがあったよな」「クレイジーだよ」と笑い合っていた。
おそらく後付けで設置された喫煙ブースのことだろう。飲食店などに多いタイプだ。それが珍しかったというだけ。きっと喫煙所を出たら覚えてもいないだろう。本来、喫煙所なんてその程度のものであるはずなのだ。
それでも旅することで出会う風景がある。それを煙のあった風景に落とし込むことで皆さんに伝えてきた。俺にとっては当たり前の風景。それがタバコから立ち上がっていく煙に託してきた。自分の中のこの風景がやがては失われていくものだと思っている。
いつか消え去る風景をこれからも書き記していきたい。記録ではなく記憶に残るものとして。まあ、できる限りではあるが。
Twitter:@marugon