たばこと映画でできている|四作目【マレーナ】初恋が少年を大人に成長させる

今回見ていく「マレーナ」という作品は、以前ここでも紹介した『海の上のピアニスト』などを手がけたジュゼッペ・トルナトーレ監督による作品である。

彼のうまさは“人情の機微”をものすごく細やかに描ける点にある。彼の手腕がいかんなく発揮されている本作に、しばし浸ってみよう。

町中の男たちを虜にする女神…その名は、マレーナ

ジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画はすべて観たのだが、作品としてのテーマはしっかりと持ちながらも、それを観客に押し付けない作り方に特徴がある。

本作『マレーナ』では第二次世界大戦中のイタリアの田舎町が舞台なのだが、並みの描き方をすれば「戦争って悲しいよね」「人間って汚いよね」といった戦争映画のイメージがどうしても付きまとってしまうものだ。観た後に、何とも重苦しい気持ちになるのは、エンターテインメントとしてはNGだろう。

しかし、トルナトーレ監督の素晴らしい点は、テーマとして戦時下における大衆を描きながらも鑑賞後に重い気持ちにならないところだといえる。一体なぜだろうとしばらく考えていたのだが、監督が描く作品はどれも「リアルな人間のあり方、生き様」を描いているからだということに気が付いた。

「リアル」な生き様というのが、どういったものか説明する前に、まず本作の概要に触れておこう。
本作の主人公のレナート(ジュゼッペ・スルファーロ)は12歳の少年でありながら、年上の女性であるマレーナ(モニカ・ベルッチ)に夢中となり、彼女を見守りながら男として成長していく、というのが基本的なストーリーである。

では、早速だがこのシーンを見てみよう。
この描写は、レナート少年の妄想上の出来事である。
思春期の少年あるあるだが、特定の相手に入れ込むあまり、現実に起こっていない出来事にまで想いを募らせる。

このような描写が本作ではしばしば登場し、レナートのマレーナへの想いが強すぎるがための表現であることが分かる。しかしこの妄想は前半と後半で描かれ方が変わっていく。

マレーナのことを深く知らない前半は自己中心的でコミカルに描かれている。しかし後半のマレーナが生活のために我が身を売ってでも生き抜いていこうとする姿を見てからは、自分よがりな妄想でなく、マレーナ自身の幸せを想うような内容へと変化していくのだ。

こういったレナートの心情の変化が男としての成長を表現していて、トルナトーレ監督の“人情の機微”へのこだわりを強く感じる。

波乱万丈な彼女だからこそ、幸せになってもらいたい…少年の心が切なく痛む

人間の数だけドラマがあり、幸せも不幸もさまざまな形がある。映画に限った話ではなく、誰しも生きていればそう感じる場面があるものだ。

20代の頃、京都へ旅に出かけたときに街角に立っていたお坊さんの話を聞いたことがある。「人生には上り坂、下り坂、そして“まさか”という坂がある」と。「まさか私がこんなことになるなんて…」と絶望してしまった経験は、この記事を読んでいる方にもあるだろう。もちろん、僕にもある。

人生とはままならないものと頭では分かっていても、どうしても心が追い付かなくなってしまうとき、人は絶望してしまうのだろう。しかし、いくら嘆き悲しんでも、生きていれば明日という日は来るものだ。

本作のマレーナもままならい運命によって選択を迫られることとなる。戦争により愛する夫が戦死した知らせを受けたのだ。そしてさらに、戦時色が濃くなっていく中で、残された肉親の父も空襲によって命を落としてしまう。

マレーナ_決心

天涯孤独の身となったマレーナは、文字通り生きる希望を失うのだが、生活のためにはいつまでも嘆いてばかりもいられない。彼女は美しい黒髪に自らハサミを入れ、赤く染めた。

マレーナ_娼婦として生きていく

この場面は、本作において一番印象的なシーンだ。周りの男たちの眼差しを一身に受けながら、震える手でタバコを咥えるマレーナ。火を差し出す男たちの無数の手に戸惑いを感じながらも、受け入れていく。

自分の身に訪れた現実を受け入れるかのように、娼婦として新たな人生を歩み始める。この描写をみるだけでも、マレーナの心情の変化を感じることができる。

初恋相手の幸せを心から願えるからこそ、自分も幸せになれるのかもしれない

10年、20年という月日を経ても、印象に残る映画というのは共通した特徴がある。主演俳優や主演女優の演技がすばらしいというのも、その1つだろう。

『マレーナ』でも、主演のモニカ・ベルッチを抜きにしては語れないし、この作品そのものが成り立たない。主人公のレナート少年の心の動きにスーッと入っていけるのも、マレーナを演じるモニカ・ベルッチの存在あってこそだ。

一方で、映画と音楽という切り口も見逃せない。本作もアカデミー賞の作曲賞にノミネートされているが、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品で使われている音楽は、イタリア音楽界の巨匠であるエンニオ・モリコーネ氏がすべて手掛けている。

『ミッション』『アンタッチャブル』『ニュー・シネマ・パラダイス』『バグジー』『マレーナ』など多くの作品で楽曲が評価されており、日本では2003年NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』の音楽担当としても知られている。『海の上のピアニスト』もそうだったが、音楽が映画に与える影響や印象というものは、改めて大きなものがある。

こうして僕が、21年前の作品である『マレーナ』を忘れていなかったのも、氏の音楽あればこそである。

さて、本作の終盤は第二次世界大戦が終わり、娼婦として生きていたマレーナが周囲の誹謗中傷にさらされて、町を追われるところから始まる。

町の広場で群衆から罵倒される彼女を助ける人は誰もいない。レナートはただ、故郷を追われて汽車の窓から町を見つめる彼女をそっと見守ることしかできなかった。

マレーナ_夫

しばらく月日が経過し、レナート少年にも彼女ができた。戦争からの復興で町中は忙しく、町の誰もがマレーナのことを忘れていたとき、彼女は戦争で生き残っていた夫と共に帰ってきた。

一度は故郷を追われ、再び帰ってきたマレーナの心中を一言では語れない。1つだけ言えることがあるとすれば、それでも彼女はすべてを受け入れ、この故郷で夫と共に生きていくことを決意したのだ。

マレーナ_レナート

最終盤で、買い物帰りのマレーナが道端で果物を落とすシーンがある。少年レナートはその時初めて、長年恋焦がれていたマレーナと短い会話を交わすのだが、まさに少年の中で初恋が終わりを告げたことを意味する。「マレーナさん、どうぞお幸せに」、少年はそう言うと再び自転車にまたがって走り去った。

『マレーナ』は少年の初恋を描いた作品であり、生まれた時代や地域にかかわらず、普遍的なテーマを投げかけてくる映画だ。誰にとっても子ども時代というものは限られた時間であり、それが何であったかは大人になってから分かるものなのかもしれない。映画としては90分ほどでうまく構成されているので、大切な人と一緒に観て、本作について語り合ってみるときっと素敵な時間を過ごせるだろう。

文責:方山敏彦