たばこと映画でできている|一本目【ブロークン・アロー】略奪・奪還・一騎打ちの果てに爆死炎上!

僕は夜な夜なネットニュースを漁るのが趣味なのだが、最近ふと1本の記事を見てとても驚いてしまった。それは、僕が大好きなハリウッドスターのジョン・トラボルタの年齢が「67歳」という事実を知ったからだ。

いや、冷静に考えれば何も驚くことではないのだが、小学4年生の時に見た彼はもっと若いオッサンだった。27年という歳月が僕もトラボルタも、大人にしてくれた(トラボルタは最初から大人なのだが)。

歳月とは恐ろしいものだ。成人すると自分の歳はあまり気にしなくなるが、ふとした瞬間に好きだった芸能人が老けている写真を見ると、急に自分の年齢を感じてしまう。そして、それ以上にもはや年金をもらう歳になっているトラボルタの若かりし頃が、いまいち思い出せなくなってしまっていた。

時間とはなんと残酷なものだろう。そして、記憶もまた然り。僕は気づけば、ストリーミング配信でトラボルタ主演の映画を探していた。それが今回紹介する『ブロークン・アロー』だ。1996年に公開されたこの映画なら、もれなく40代前半の彼に会える。俳優の若かりし頃の映像を観ると、その俳優と同じだけ自分も若返ったような気持ちになるのは本当に不思議だ。きっと初めて映画館でこの映画を観た当時のことを思い出すためであろう。しばしの時間、僕と一緒にお付き合いあれ。

ロッカールームのトラボルタ

お馴染みの20世紀フォックス。この画面を見ると、どうして心が躍るのはきっと僕だけではないはず。タイトルロゴが表示されしばらくの間。冒頭は何も知らないで観るとボクシング映画と勘違いしてしまいそうな、シーンから始まる。

ボクシンググローブを身に着けて殴り合っているのは、本作の主人公であるクリスチャン・スレーター(ヘイル大尉)とジョン・トラボルタ(ディーキンス少佐)だ。このスパーリングはトラボルタの華麗なアッパーで決着するが、「お前には負けたぜ」という顔のスレーターの演技から、特に何も考えなくても、2人の関係がそれとなく分かる構成がとてもいい、、、

場面は変わってロッカールーム。映画のどの部分が印象に残るかは人それぞれだが、私はこの開始4分の喫煙シーンが大好きだ。スパークリングを終えて、ロッカールームで一息つく少佐のシーンから始まる。肩幅のある男が直立不動でたばこを吸うだけでもかっこいいと思ってしまう。

何度観ても、このシーンはクセが強い!カッコつけたいのは分かるけど、こんなに大げさにたばこを吸わんでも笑
目をカパッと見開いて、指はピンと立てて一服するのがトラボルタ・スタイル。

僕も喫煙者なのでよく喫煙スペースにいくが、未だかつてこんなたばこの吸い方をした人をトラボルタ以外には観たことがない。いや、やろうと思っても何だか気恥ずかしくて無理なはずだ。これはトラボルタだから許されるのだろう。自分のロッカーに向かって煙を吹きかけるアングルは、監督のジョン・ウーもきっと狙ってやったに違いない。

くつろぐ彼に、先ほどスパーリングで負けたヘイル大尉が何やら差し出す。受け取れと言うヘイルの右手には四つ折りのドル札。どうやらスパーリングで勝つか負けるかを毎回賭けているらしく、負けたほうが20ドルを相手に渡す決まりのようだ。

ディーキンスは彼を一瞥して、「いらん」と一言。続けて、「勝つのはいつもおれだ。気がとがめる」と自信に満ちた表情を浮かべる。そして、よせばいいのになぜヘイルが勝てないのかを口にする。「勝とうって意志がないからだ」と。

昨日や今日、友人となった仲ならここで喧嘩となるかもしれない。しかし、不思議とディーキンスの言葉が嫌味に聞こえないのは、彼なりに友人のヘイルを思ってアドバイスしているからだと思う。ヘイルも彼の話に耳を傾けながらも、適当に聞き流せるのは2人の間に絆があるからだ。

「本気で勝負しないような奴の金は欲しくない」と受け取った20ドルをヘイルに返そうとするが、それはお前がシャワーを浴びてる最中に盗んだ金だと突き返される。本当にヘイルが盗んだか定かではないが、表情からは受け取ってもらう口実を言っているような気もする。

ヘイルにそう言われて返すタイミングを失ったディーキンスは、言葉にならない何とも言えない表情を浮かべてたばこを吹かす。特にセリフはないが、「ああ、ヘイルはまったくお人好しな奴だぜ」と思っているようにも見える。

任務を聞かされ顔がこわばる――核弾頭が2基

ここで、ちょっと本作の監督であるジョン・ウー氏について述べておきたい。『ミッション:インポッシブル2』や『レッドクリフ』シリーズの監督として有名な彼は、スケールの大きなド派手なアクションというイメージが強いかもしれない。

まぁ、爆発炎上はハリウッドのアクション映画の醍醐味だが、彼の演出は「ジョン・ウー・アクション」と呼ばれている。後に多くの作品で多用されることになるアクション表現は、もしかしたら本作『ブロークン・アロー』を撮影している時には確立していたのかもしれない。

ファンの中には目を見張るアクションシーンに心を奪われる人も多い。だが、ジョン・ウー氏の凄さはそうしたアクションで観客を惹きつけつつも、しっかりと物語の伏線を張って、終盤にきっちりと回収する緻密さにある。大胆にして、繊細。僕は映画好きの30代に過ぎないが、監督に対してそうした敬意を抱いている。

話を戻そう。場面はロッカールームから変わって、ヘイルとディーキンスが上官から呼び出されるところから始まる。彼らはアメリカ空軍のパイロットであり、冒頭シーンのスパーリングも体力づくりの一環なのだろう。

2人が上官室に入ってくると、上官は怪訝な顔でディーキンスを見る。「私の前でたばこを?」とたしなめる上官に、おどけた表情で謝る。いや、どう考えても悪いと思っているなら上官室に入る前に気が付くものだが、こうした行為が許されるのも彼が優秀なパイロットだからだろう。


しかも手でもみ消すって、、ワイルドすぎる。ヘイルの「またコイツやっちゃってるよ」的な視線が、何ともコミカルな雰囲気を醸し出している。少し笑えるシーンの次はシリアス展開というのはお決まりのパターンで、上官から午前0時半にステルス機での模擬演習があることが伝えられる。そして、さらに衝撃の一言……

「核弾頭を2基搭載する」

上官からの言葉を聞いて、やや強張った表情を見せるヘイルとディーキンス。しかし、上官の命令に従うのが軍人の倣いでもある。2人は準備もそこそこに、核弾頭を搭載したステルス機に乗って模擬演習に挑むことになる。この後起こる展開をヘイル大尉は知る由もなく、夜間飛行へと飛び立った。

昨日の友は、今日の敵。裏切り、略奪、そして爆発炎上

小さな子どもが人の消しゴムや鉛筆、給食のおかずを取ってしまったときに、よく親や担任の先生から言われたものだ、「他人の物を盗ってはいけない」「ものを盗むと泥棒になってしまう」と。泥棒が盗むものというのは人によって違いがあるようで、ディーキンスはこの任務中にあろうことか核弾頭を略奪してしまう。さすがハリウッド映画、スケールが違う(笑)

もちろん、傍らの操縦席にいたヘイル大尉はディーキンスを止めようとするが、格闘の末に機外に放出されて物語は急展開を迎える。僕はこのシーンを見て、「友情ってなんだろうか」と思わず考えてしまった。本作は映画なのだが、映画だからこそ自分の日常とも重ね合わせることがある。

冗談を言い合って、偉そうに茶化したり、一緒に任務に出たり……いつまでも続くように思っていたのは自分だけで、というのは考えてみればよくあることなのかもしれない。

友のヘイルを裏切り、核弾頭を砂漠に投下させたディーキンス。彼の表情からは笑みが消えており、もはや悪に手を染めていることがうかがえる。ステルス機はユタ上空で墜落炎上。軍は2人の救助と核弾頭の捜索に向かうも、残骸からは何も見つからずに「ブロークン・アロー(核弾頭紛失の緊急事態)」となる。

夜が明けて、朝の砂漠の静けさは画面越しの僕でさえ、世界が変わってしまったことを感じてしまう。そして、砂煙の中から人影が――


たばこを片手に颯爽と現れるトラボルタ。もはやそこに正義の男の影は消え、完全な敵役の姿がある。

それにしても、サングラスが似合いすぎる。目元が見えないと、本当に何を考えているかが分からない。

投下した核弾頭を回収するディーキンスとその一味。この手際の良さを見れば、すでに前々から核弾頭を軍から奪う計画を立てていたことが分かる。このくだりで、ディーキンスがおもむろに軍服のポケットから20ドル紙幣を取り出すシーンがあるのだが、言わずもがなヘイルと賭けていた冒頭の金だ。

特にセリフも口にせず、じっと紙幣を見つめる彼からはかつての友人との決別の意志が伝わってくる。

この時点でヘイルの生存を知っているディーキンスだが、彼の表情は固い。「勝とうって意志がないからだ」とロッカールームで彼に語った言葉を反芻するかのように……

クライマックスは相容れない親友の一騎打ち

一方、ヘイルはというとディーキンスと同じユタの国立公園に落下していた。核弾頭を探そうとする彼だが、ここで公園監視員のテリー(サマンサ・マシス)と行動を共にすることに。ヘイルとテリーは、ディーキンスたちから一時は核弾頭を奪取するも、激しい銃撃戦に。

戦闘の最中、核弾頭の1基は旧銅鉱山で起動することになるが、地下深くで炸裂したので影響は皆無。いや、おいっ!影響ないわけねぇだろと思わずツッコミたくなるが、そこはご愛嬌というもので笑

そして、残り1基は再びディーキンスたちに奪われることになり、強奪した核弾頭をちらつかせて、なんと合衆国政府に金銭を要求する展開となる。

が、そんなに易々と金が手に入るものではない。軍の協力を得たヘイルは、企みが失敗に終わったディーキンスを追って列車に乗り込む。冒頭のスパーリングのシーンとは打って変わって激しい闘志をむき出しにするヘイルに対して、ディーキンスはついに発狂して核弾頭を作動させてしまう。

男同士のバトルでは、もはやクライマックスに言葉はいらないのだろう。なぜなら、お互いの意志は固く、もはや相容れない存在となっているからだ。

守りたいもの、守れなかったものがあるときに、人は全ての出来事を受け入れるのかもしれない。ディーキンスとの闘いを制したヘイルは、核弾頭の解除ボタンを押して車外に脱出する。しかし、すでに発射された核弾頭はディーキンスを目がけて飛んでくる。


核弾頭と共に、ディーキンスは爆死。屈強な男の最期がミサイルを抱いて終わるとは。全てが終わり、ヘイルのもとにテリーが駆け寄って物語は幕を閉じる。

観終わって、思うこと

さて、今回紹介した『ブロークン・アロー』はクライマックスにかけて激しいバトルが繰り広げられるので、そのアクションシーンをぜひ自分の目で確かめてもらいたい。かつての友は今日の敵というのは王道展開だが、ベタな展開だからこそ思わずハマってしまうのがこの作品の良いところ。

どんな危機に直面しても決して諦めないヘイル大尉のスタンスは、物語が後半に進むにつれて見る側の気持ちをグイグイと惹きつけてくる。けど、やっぱり本作はトラボルタ演じるディーキンスの悪役っぷりがあって、全てのシーンが生かされている。

悪党の最期というものは作品によって描かれ方は異なるが、自分の信念を曲げずに最期は爆散!という展開は嫌いではない。いや、むしろこんな生き様に惚れてしまう自分がいる。そして、友と袂を分かったように見えて、実はヘイルの成長をディーキンスは喜んでいるのではないかとさえ思えてくるのだ。

屈折した人間模様ではあるが、「悪の美学」に惹かれてしまうのも本作の魅力。明日から親友に一体どんな顔で向き合おうか…腐れ縁の友がいるのも、まったく楽しいものだ。友との向き合い方に迷ったら、またいつかこの作品を紐解いてみよう。

文責:方山敏彦(タバコの映画ライター)

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