たばこと映画でできている|三作目 超低予算ギャング映画【エル・マリアッチ】!映画史に残る”髭タバコ”シーン

僕は、ギャングや殺し屋を題材とした映画を数えきれないほど観てきた。道を踏み外した男たちの、危うい魅力。仁義と裏切り。謎の美女との恋と別れ。

そして銃撃戦・爆発のオンパレード……そして、ケムール読者の諸君の美意識をくすぐるであろう、タバコを使った名シーンも多いのである。

今回ご紹介する「エル・マリアッチ」(1992)も、ギャング映画史に名を残す傑作だ。

まさに、色々な意味で。


ロバート・ロドリゲスの超時短・激安監督術

監督は、ロバート・ロドリゲス。代表作は「フロム・ダスク・ティル・ドーン」(1995)「スパイ・キッズ」(2001)、「シン・シティ」(2005)などなど、映画好きの読者にはお馴染みのはず。映画をあまり観ないあなたも、Lady Gagaと Ariana GrandeのMV「Rain On Me」(2020)は目にしたことがあるのでは?あのインパクトの塊のようなMVの監督がロドリゲスその人である。ド派手なアクションと毒々しくてオモチャっぽい特殊効果、人間臭さ溢れる演出が持ち味だ。

彼の長編デビュー作が「エル・マリアッチ」。マリアッチは「流しの歌い手」のこと。本作の何がすごいって、まず、超時短・激安映画だということだ。本編80分で、撮影日数はたった2週間!製作費は約7000ドル。当時の為替レートで計算すると、88万2000円。(役者のギャラではない。総製作費だ)僕たちだって、頑張ればなんとか用意できそうな金額じゃないか?

ロドリゲス監督は新薬臨床試験のバイト代を製作費に注ぎ込んだという。胸が熱くなるね。

時間も金もかけられない中でギャング映画を成立させなくてはならない。結果として「エル・マリアッチ」には、ストーリーにも演出にも、監督たちの時短・節約・こだわりが結晶することとなった。僕は本作のおかげで、ギャング映画を「予算のかけ方」に注目して観るクセがついてしまった(笑)。予算をかけるほど、ド派手なアクションシーンがたくさん撮れて魅力的な作品になると考えがちだが、あまりに作り込み過ぎるとかえって“嘘っぽく”なってしまう。「エル・マリアッチ」は上手な予算のかけ方のお手本でもあるのだ。


ギター弾くはずが銃の引き金を引く羽目に!

アクション映画というものは、どこかぶっ飛んでいて、登場人物の多くは頭のネジが外れているものだ。だから僕たちも、頭を空っぽにして観よう。ストーリーはメキシコの片田舎・ヒメネスという村。(低予算だから、どこにでもありそうな村の日常の延長で話が展開されるのだ)

ヒメネスを拠点とするギャングのボス、モーリシオ(ピーター・マルカルド)が、手下の殺し屋アズール(レイノス・マルティネス)を脱獄させるところから物語は始まる。

同じ頃、村に主人公のマリアッチ(カルロス・ガラルド)が流れ着く。夢を追い求める主人公が期待に胸を膨らませて新天地を目指し、ヒッチハイクでやってきたのだ。(主人公には名前がなく、「マリアッチ(歌手)」とだけ呼ばれるのも、主人公の生き様を表していてイイ。)俺は音楽でのし上がってやるぜ!」という青春映画だと錯覚しそうになるが、もちろん違う。

彼はギターケースと黒服姿だったことから、見た目がなんとなく殺し屋に似ているというお粗末な理由で、いきなりモーリシオのギャング一味に狙われてしまうのだ。成り行きで4人の追っ手を射殺したマリアッチは、バーの女性オーナーであるドミノ(コンスエロ・ゴメス)に匿ってもらうことになる。

歌で身を立てるどころではなく、彼は銃を持って戦うハメになる。(自分の思うように物事が進まないというのは、まさに“青春の証”か?)いや、人を殺して、ギャングに追われる日常が、青春のはずがないか(笑)

ヒロインのドミノも、普通のオンナではない。主人公を凶悪な殺し屋だと疑い、ナイフをのど元に突き付けてギターケースを開けるよう迫ってくる。中にギターしか入っていないことを確認すると、彼女は「歌え」と言って主人公が本当に歌手であるかを確かめようとする。

突然の展開に驚きを隠せないマリアッチだが、ここは芸の見せどころ。機転の利いたユーモラスな歌詞をギターの音色に乗せて、うまく危機を脱する。ベタな展開といえばそうなのだが、この件があってマリアッチはドミノに認められ、匿ってもらうことになる。このシーンを観るたびに、土壇場の場面で人の生死を分けるのは、肚の座り方にあるのだろうと感じ入ってしまう。


悪党のボスの顔芸とパワハラに注目

主人公とヒロインだけでなく、ギャング映画に絶対に欠かせないのは、「悪党」だ。ギャングのボスが、どこかコミカルに描かれがちだと感じるのは、僕だけだろうか?

というのも、本作も例外なくボスのモーリシオがどこか憎めない存在として描かれている。本作の後半は彼の“顔芸”によって成り立っているといっても過言ではなく、いい味を出しているのだ。

この凄みの効いた顔を見てくれ。

このシーンは自分の手下に吸っていたタバコを投げつける場面。「子どもかっ!」とツッコミたくもなるのだが、自分にとって気に入らないことがあると理不尽な態度を取るのは、ギャングのボスあるある。このモーリシオのパワハラぶりの中でも、ケムール読者にぜひ紹介したいのが、投げつけたタバコに火を点けるシーン。弁解する手下のあごヒゲでマッチを擦るのだ。

斬新……!

しかしまあ、暴君っぷりを示すには満足のいく演技じゃないか。

ギャング映画というのは、殺し・買収・脱獄などシリアス要素が多い。そのバランスをとるかのように、コミカルな演出をどこに入れるかは監督のセンスが光る部分でもある。映画を楽しむポイントの1つとして押さえておくと良いだろう。映画にかぎらず、物語を描く作品において悪役の存在感は作品そのものの良し悪しを決める重要なファクターだ。その点において、本作は観る側の期待を裏切らずに、絶妙なシーンでボスのコミカルさを挟んでくる。

こういった演出は予算の多い、少ないでは語れないものなので映画好きとしてはニクいシーンである。意外とこのシーンが記憶に残りに、ハマってしまう人も多いと思う。キャストのピーター・マルカルドは本作でしか僕は知らないが、味のある役者さんで忘れられない。


手下に復讐されるボス。映画のオチは髭タバコが(笑)

モーリシオが理不尽に怒っていたのは、「オレの女に手を出しやがって」と「オレのシマを好き勝手にしやがって」というお約束な理由。「オレの女」というのはバーの経営者であるドミノのことで、当然関わりのある主人公はボスから狙われることになる。

終盤に向かってガンアクションが増えてくるのだが、ミリタリー系のマニアにとってはここも外せないポイントだ。本作ではMAC-10やTEC-9といったわりとマイナーな銃火器が出てきて思わず目を奪われてしまう。厳密に言えば、予算の都合なのかは分からないが、MAC-10は別の銃であるような気もする。なんか、連射速度が遅いように見えるんだよなぁ。…まぁ、普通に観る分には気にならない話なのでこの辺りにしておこう(笑)

ラストシーンの舞台は農場。すべての登場人物がここに集結といった展開である。行き違いからお互いのことを探すうちに農場へとたどり着く、マリアッチとドミノ。が、マリアッチとが農場に着く前に殺し屋のアズールがドミノを人質にとり、金のことでボスのモーリシオと交渉を始める。

もうお分かりだろうが、この理不尽なボスが素直に「お金を払います」と言うわけがない。ボスが放つ弾丸はドミノを貫き、そして殺し屋も凶弾に倒れる。一足遅く農場にたどり着いたマリアッチが見たものは、真っ赤な血で染められたドミノの遺体……。

高笑いをするボスはマリアッチのの左手を撃ち抜き、「この町から出て行け」と恫喝する。痛みにもがくマリアッチだが、先に殺された殺し屋の銃が地面に落ちているのを見つけ、続けざまにボスを目がけて3発放つ。

ここでギャングの手下たちが、誰もボスをかばおうとしないのが地味におもしろい。どれだけ信用がないかが、普段の理不尽な振る舞いから見て取れるようだ。しかも、チェック柄の手下がオチを付けてくれている。

この手下はモーリシオに、マッチをあごヒゲで擦られた男である。自分のボスが死んでいるのを確認すると、仕返しとばかりにボスのあごでマッチを擦って深く一服する。きっとこのおじさんは、いつかボスに復讐してやりたいと思っていたのだろう。

この後、主人公が新たな土地に向けて旅立って物語は終わるのだが、ボスのあごでマッチを擦るシーンのほうがどうしても印象に残ってしまう。手下に見捨てられ、劇中で死んでもなお、存在感を示すボスの凄さ。そして、ケムール的には忘れられないタバコの名画であった。

それにしても、本当にあごヒゲでマッチが擦れるのかな……?

 

文責:方山敏彦

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