2022年明けから始まった、ケムールの国内旅行連載。毎月、日本のちょっと変わったスポットを訪ねていきます。
メジャーな観光地とは一線を画す、超穴場紹介です。
その旅の案内人は「ホームレス」や「樹海」取材のパイオニア、村田らむさん。
村田らむ
一九七二年生まれ。愛知県名古屋市出身。ライター、漫画家、イラストレーター、カメラマン。ホームレスやゴミ屋敷、新興宗教などをテーマにした体験潜入取材を得意とし、中でも青木ヶ原樹海への取材は百回ほどにのぼる。著作に『樹海考』(晶文社)、『ホームレス消滅』(幻冬舎新書)、『人怖 人の狂気に潜む本当の恐怖』(竹書房)などがある。
さて、三月です。ひな祭りと卒業式。期末処理も大変ななかで木々は芽吹き、桜もそろそろですが――。「まん防」は終わりそうだけれど、これからどうなるやら。今年のお花見もおあずけかもなぁ‥‥とご心配のあなたへ。今回の「裏歳時記」はぜったいに「密」にならない旅の目的地です。
だって、誰もいませんから…。
春になると旅の虫がうごめきだす
廃墟を歩き回るのが好きである。
ホテルやら病院やら学校やらの、巨大な廃墟に侵入してグルグル歩き回るのは、もうそれだけで非常に楽しい。一眼レフカメラで適当にパシャパシャ写真を撮っているだけで、かなりカッコいい写真が撮れる。雑誌で記事にもできるし、SNSでつぶやいたらイイネがたくさんつくこと間違いなしだ。
そんな素晴らしい廃墟散策だが一つ大きな問題がある。
廃墟取材は基本的に非合法なのだ。
許可を取らずに廃墟に入ったら、警察に不法侵入で捕まることがある。その場では大丈夫でも、媒体に発表した後に訴えられることだってある。だったら許可を取ればよいのだが、これがなかなか取れない。廃墟の持ち主としては、取材を許可しても何も得がないから、なかなかOKしない。
そろそろ50歳のオッサンが廃墟に入って警察の厄介になるのもみっともないので、最近は廃墟の取材をめっきりやめている。
ただ、抜け道がなくはない。
廃墟はダメだが、廃墟の外観写真を撮ることはできる。敷地に入らなければ、建造物侵入にはならないからだ。
ただ、やっぱり外観だけではちょっと物足りない!! 中も見たい!! そんな欲求不満を晴らしてくれるのが「廃村」だ。
元々はたくさんの人が暮らしていたが、何らかの理由で人が一人もいなくなり、無人の建物が朽ち果てていく村だ。
廃村は人が住んでいないだけで、村としては存在している。家の前の道も一般の道路と変わらないのでもちろん歩いて良い。もちろん廃村も家の中に入るのは不法侵入だが、そもそも中身が丸見えになっている廃屋が多い。廃村は廃墟好きが合法的にハイになれる場所なのだ!!
と前置きが長くなったが、やはり廃村巡りは冬と夏はしんどい。啓蟄の虫がゴソゴソ動き出すようになったシーズンくらいが、ちょうどやりやすい。暖かくなってきたので、早速出かけることにした。
目的地は埼玉県の秩父だ。
秩父は廃村が多い地域だ。秩父は古くから鉱山がたくさんあり、鉱山で働く人達が住む村があった。交通の便が良くなったり、機会化がすすんだり、閉山になったりして、結果的に廃村になった村がある。
今回は数ある廃村の中から3つの村へ行くことにした。
知人に自動車を出してもらい、東村山市の自宅から向かう。2時間くらいのドライブだ。
廃村めぐり:01 茶平集落
まずやってきたのは茶平(ちゃだいら)集落だ。
秩父さくら湖の東、浦山の中にある廃村だ。村のギリギリのところまでキチンと道路が通っているので、自動車では行きやすい。
整備された生け垣の上に、古い廃屋が建っているのが道路から見えた。
ゆっくりと廃村の敷地内に入る。家の形はまだしっかり残っているのだが、かなり植物に侵食されている。日の当たらない場所は苔むしているし、家の中を覗くと部屋のど真ん中に竹が生えて天井を貫いている部屋もあった。
集落自体はあまり広くないのだが、高低差がかなりあり、先が見えない。
何が現れるかわからないので緊張しながら進む。ふと見ると、比較的新しい立派な墓がポツリと立っていてドキリとする。
部屋を覗いてみるとどの家も残置物が多い。布団、タンス、椅子、ポット、賞状、カレンダー……あらゆる物が残されている。
室内はしっちゃかめっちゃかになっているのだが、それが来訪者によって荒らされたのか、自然に荒れてしまったのかは、よく分からない。少なくとも20年は完全に放置されているらしく、床が腐って落ちている家も多かった。床が落ちたその拍子に、いろんな物がひっくり返ってしまったのかもしれない。
家の前の木には、住人が住んでいた時に取り付けたのであろうロープがかかっていた。
もちろん洗濯物を干すためのロープなのだと思うが、不思議なことに現在も衣類がかけられていた。それも大量にだ。何十年も吊るされていたと考えるのは不自然だが、わざわざ来訪者が服を干したと考えるのも、なんだかよくわけがわからない。
より奥に進んでいくと、農業や林業で使うような道具が散らかっていた。
比較的小さい面積だが、お墓あり、朽ちかけた廃屋あり、謎もあり、となかなか迫力のある廃村だった。
ただ、後から地図を見直して見ると、少し離れた場所にもう一つ集落があった。せっかくなら見ておきたかった。いつか再訪したい。
2番目に向かった山掴(やまつかみ)集落も、やはり浦山の中にある。
秩父さくら湖から浦山川が流れて少し下流に行ったところあたりに廃村はある……らしい。しかし航空写真を見てみてもただ緑があるだけで、どこにあるのかはさっぱり分からない。
73号秩父上名栗線を外れて、細い道路を走る。しばらく手入れがされていないらしく、アスファルトにはかなり大きくヒビが入っているし、枯葉もたまっている。土砂崩れしないようにコンクリートで塗り固められた壁面もかなり劣化していて、バリケードがはられていた。
地図上では近くに廃村があるはずなのでゆっくり走って行くが、見つからないまま山掴トンネルまで来てしまった。トンネルの手前にあるはずなので、ゆっくり戻る。
すると歩道と言うにはあまりに厳しい坂道があった。一応、柵で囲われていて歩けるようだが、まさかこんなに厳しい道だとは思わなかった。ほとんど山道を登る調子で、ゼイゼイ言いながら登っていく。しかしこんな山道の先に村があるというのは、ちょっと信じられない。
しかししばらく進んで行くと、廃屋が見えてきた。ものすごい傾斜の途中に建っている。都内にある芋洗坂だの、乃木坂だのとは傾斜角がまるで違う。
気を抜いたらそのままゴロゴロと下まで転がってしまうような急角度だ。
実際上から転がってきたのであろう、洗濯機が落ちていた。その洗濯機はハンドルでローラーを回し、圧力で洗濯物から水分を絞りとるシステムだった。サザエさんの漫画でしか見たことがない古い製品だ。
「なんでこんな坂の途中に家を建てようと思ったの? というかどうやって建てたの?」
と疑問が湧いてくる。
部屋の中を覗くと、年月による破壊が進んでいたが、もともとは普通の住宅だった様子だ。子供の描いた絵が落ちていて、当時の様子が忍ばれた。
しかし廃屋が一軒あるだけでは“村”ではない。もっと上に家々があるのか? と半信半疑のまま坂を登っていった。
そして坂の上には……本当に村があった。
切り立った崖に家々が並んでいる。
玄関から崖まで数メートルしかない。
泥酔していたら、落っこちてしまいそうだ。
廃屋はかなり朽ち果てていて、完全に崩壊してしまっているものもある。
人類が絶滅してしまった後の街を歩いているような気分になって、ちょっとテンションが上った。
落ちている雑誌を見るとかなりの年代モノだ。週刊少年サンデーの表紙は『タッチ』だったし、平凡パンチのグラビアの女性は色褪せていた。
当時からのゴミ捨て場があって、一升瓶や食器、ブラウン管のテレビなどがごちゃっと捨ててあった。昭和丸出しのキャラクターグッズもあったりして懐かしい気持ちになる。
樹に立てかけられたまま朽ち果てた自転車や、自立したまま錆びついたホンダのバイクもあって実にかっこよい。
しかし、こんな崖の上までどうやってバイクで上がって来たのだろう? 昔は登ってくる手段があったのだろうか。
謎は解明しないまま最後の廃村に向かった。
03岳集落(嶽集落)
最後に、岳(たけ)集落を訪れた。
岳集落は記事や動画で取り上げられることが多い廃村だ。例えば心霊スポットの紹介動画なんかでも良く取り上げられている。
ホラーゲームの『SIREN』のモデルになった村だと解説されることも多い。
この廃村はかなり行きづらい場所にある。道は通じているのだが、自動車は入れない。かなりキツイ傾斜の道を、テクテクと歩いて登らなければならない。
実はここにはじめて来たのは、もう9年も前のことだ。
坂を登ったら、あるはずの廃村がなくなっていた。黒ずんだ土の上に、赤茶けたトタンや、食器などが散らばっている。荒れ果てた様子だった。どうやら火が出たということは分かった。恐怖心がゾゾゾッと湧き上がる。
ウロウロしていると、印刷した記事が壁に貼ってあった。
『非現住建造物等放火の疑いで、住所不定、無職佐藤裕太容疑者(二六)を逮捕した。逮捕容疑では、二十八日午後六時半ごろ、秩父市浦山の空き家に放火し、木造二階建て約百三十平方メートルを全焼させたとされる。署によると、
「自殺するつもりで家に入って火をつけたが、燃え広がったのを見て怖くなって逃げた」
と容疑を認めている。他の空き家二棟にも延焼し、いずれも全焼した。』
と書かれていた。
火事が起きたのは2013年8月29日で、俺が足を運んだ数ヶ月前だった。
全部燃えてしまったのか……と残念な気持ちで村の奥に向かうと、突然ボロボロの廃屋が姿をあらわした。村の半分は焼かれずにすんだのだ。
どの建物もかなり古かった。
骨組みだけになっている家もあるし、自重に耐えきれなくなり崩れかけている倉もある。日の光を浴びている廃屋はどこか神々しさも感じた。
たまたま家屋の前に落ちていた地図を見ると、大日本帝国の地図だった。戦前からこの集落があったという証拠になるだろう。
廃村は現在も残っていたが、当時よりもさらに朽ち果てていた。多くの建物が力尽きて倒れてしまった。さらに10年後には立っている家屋はなくなってしまうかもしれない。
長年見ているだけに、なんだか切ない気持ちになってしまう。
集落内にはズラリと並んだ地蔵がある。
ここは以前と比べて綺麗に整備された。ただ、不穏な張り紙が貼られるようになった。
『ここに昔からいたお地蔵様が行方不明になりました。昔からあったお地蔵さまで、馬頭様のそばに一つだけあった大きなお地蔵さまです。
~中略~
この大きな1つのお地蔵様には昔から言われがあって、手を付けると、やけどをすると言われました。手を付けると怖いお地蔵様です。
今まで嶽部落は何もありませんでしたが、そのさわりで25年8月に嶽部落が大火事になったのかもしれません。
また災難があると困るので、「お地蔵様」是非、元の場所へ帰ってきてください。お願いします。(原文ママ)』
廃村に置いてある、お地蔵様を盗むってどんな趣味なんだよ? とビックリした。そもそもこの険しい坂道を、大きな石のお地蔵様を抱えて降りる気になったと思う。
25年の大火事というのは、俺が来る直前に起きた火事だろう。
薄気味悪い気持ちになったが、そういう不思議な気持ちになるのも楽しいものだ。
ぐるり廃村巡りの旅を終え満足した気持ちで、東村山に戻ってきた。
なかなか人に会えない状況が続くが、そもそも人がいない廃村なら、ほとんど誰にも迷惑はかからない。
暖かくなってきた今日このごろに、廃村を歩いてみるのはいかがだろう?