2022年明けから始まった、ケムールの国内旅行連載。毎月、日本のちょっと変わったスポットを訪ねていきます。
メジャーな観光地とは一線を画す、超穴場紹介です。
その旅の案内人は「ホームレス」や「樹海」取材のパイオニア、村田らむさん。
村田らむ
一九七二年生まれ。愛知県名古屋市出身。ライター、漫画家、イラストレーター、カメラマン。ホームレスやゴミ屋敷、新興宗教などをテーマにした体験潜入取材を得意とし、中でも青木ヶ原樹海への取材は百回ほどにのぼる。著作に『樹海考』(晶文社)、『ホームレス消滅』(幻冬舎新書)、『人怖 人の狂気に潜む本当の恐怖』(竹書房)などがある。
6月。梅雨に入り本格的な夏がやってきそうです。ケムール読者のみなさまは、衣替えはもう済みましたか。父の日やジューンブライドを祝う6月ですが、高まる気温のなか、通り雨に洗濯物を気にしながらジメジメとした部屋にいるのは少々つまらないものです。では今月も、らむさんと小旅行にフラリとでかけるといたしましょう。
雨の中の旅立ち
6月、梅雨の蒸し蒸ししたシーズンは、できるなら爽やかな避暑地で過ごしたいものだ。
というわけで急遽思い立って、山梨県北杜市にある清里に足を運ぶことにした。
さて旅立とうと朝5時に外に出た所、あいにくの雨模様だった。観光地取材時の雨がふっているとテンションがだだ下がる。
東京から清里までは特急電車を使わずに向かった。到着は10時32分予定。
もう6月だしTシャツと短パンというラフなスタイルで出かけたのだが、山梨県に向かうほどに寒くなってきた。
電車の中なのに寒い。
周りを見ると皆、薄手のジャンパーやパーカーを着込んでいて、薄着なのは僕だけである。電車の中は肌寒いくらいですんだのだが、乗り換えの小淵沢駅がひどく寒かった。
避暑どころじゃない。凍える……。
6月なのにカタカタと震えながら一時間ほどすごした後、小海線の電車に乗って清里駅に到着した。
清里駅を出ると、まずはSLがドーンと出迎えてくれた。高原のポニーのあだながついたC56形蒸気機関車を修復して、2009年から駅前に展示されている。
そして見下ろすように駅前の広場を見やると、カラフルな色のバスが2台展示されている。木々植物が植えられていて華やかな雰囲気だ。そして駅前にはズラッと、ショップが並んでいる。
ただしほとんどの店が閉まっていた。
駅前からシャッター商店街なのは残念だ。
開いている店はあるのだが、人通りが皆無だ。
小海線には、にぎやかなオバサン軍団が8人くらい乗っていたのだが、全員駅から出るとまっすぐタクシー乗り場に向かい、とっととどこか目的地に行ってしまった。
街の中に一人しかいないと、なんだか人類滅亡後の街を歩いているような錯覚がおきる。
にぎやかな廃墟たち
しばらく道なりに歩いていくと、メルヘンな雰囲気の場所に出た。
緑のパステルカラーのまるでお城のような建物。そしてその対面には大きなポットの形をした超特徴的な形をしたお店もある。
作られた年代から考えて、『Dr.スランプ』に登場する、木緑あかねの実家の喫茶店『Coffee Pot』の影響を受けているだろう。
そしてその近くにはディズニーのような木の精と、大きなキノコがあった。
まさに脳内で思い描いていた「避暑地清里」だ。
お城と、ポットは廃墟だが、木の精は現役の施設だ。だが、ショッピングモールではない。施設の周りを囲って、サバイバルゲームのプレイゾーンになっていた。本物のショッピングモールで、戦争ごっこができるなら、それは楽しいだろう。
ファミリーマートの前に置かれた牛の像、レンタル自転車の看板に描かれた少年など、キャラクターもいちいち良い。
おそらくラブホテルだった廃墟があるのだが、名前は『星の王子さま』。看板の横には「おみやげはぬいぐるみが一番ヨ!」
と書 いてある。語尾の“ヨ”に泣ける。
サン=テグジュペリが聞いたら怒るかもしれないが、『星の王子さま』って名前がまた昭和のラブホっぽい。『もしもしピエロ』『べんきょう部屋』『やんちゃな子猫』とかと類似の方向性だ。
80年代ももうずいぶん過去になってしまって、今やその頃の面影は消えつつある。もちろん80年代に建てられた重要な建造物はいくらでも残っているが、ファンシーでキュートで軽薄でチープな80年代は見ることがなくなった。
駅前にある『清里高原観光案内所』でオジサンに話を聞くと、
「ここは昭和が残ってるから。裏にはたくさんあるよ。ただ、写真撮ってると地元の人にはいい顔されないと思うけど」
と言って笑った。
清里は、80年代に観光地として絶大な人気になり、そしてそのまま急激に人気がなくなってしまったため、当時の建物がたくさん残されている。
火山の噴火で一気に文明が終わってしまったため、当時の様子がそのまま残った、ポンペイ遺跡のようだ。
80年代の記憶がある、オジサン、オバサンにとっては、胸がキュンとする懐かしい街をしばし歩き回る。
この風景を見るためだけでも、来る意味があると思う。
十分、満喫した所で、少し離れた場所に廃墟があるのに気がついて、足を運んでみた。
駅前から国道141号線清里ライン沿いにテクテクとひたすら南下していく。すぐに山道になるが、歩道があるので歩いていて危険は感じなかった。
気温は相変わらず肌寒いままだったが、歩いているうちに体温が上がり寒くなくなった。
50分ほど歩いてやっと廃墟にたどり着いた。だが、そこはすでに廃墟ではなくなっていた。
『ワンハッピーパーク』というショッピングモールだった場所だ。先程少し紹介した、サバイバルゲーム場になっているショッピングモールの姉妹店だ。
広場を中心に円弧状にファンシーなお店が並んでいる。ただかわいい風の飾り付けはされているものの、家の本体部分はコンテナのような味気ない建物だ。廃墟になって長いため、色は褪せ、ところどころ崩壊している。
かつては廃墟で規制線がひかれ立ち入り禁止になっていた。外側からしか写真を撮れなかったが、今は廃墟ではなくなっていた。
手前に韓国食材店ができ、奥に農場ができていたのだ。そのため堂々と敷地内に入って写真を撮ることができた。
「わざわざ、50分歩いてきたかいがあったぜ~!!」
とパシャパシャと写真を撮った。
転用されたとはいっても、昭和廃墟感はアリアリだった。
昭和全開なランチに舌鼓
歩いて帰る途中、手前にあった気になるお店に立ち寄る。『清里レストラン&コテージ睦』である。なんで気になったかと言えば、看板に大きく、
『うわさのク・ソフト』
と書いてあったのだ。
便器の上に茶色の物体が書かれていてハエが飛ぶイラストが書かれていた。のぼりも出ていてこちらは『開★うんク・ソフト』と書かれている。
あからさまにソフトクリームを大便に見立てている。
ザッツ!! 小学生男子センス!!
これは立ち寄らなければなるまいと思い、入店した。
意外なことにめちゃくちゃ綺麗でオシャレな店内だった。店員の女性も品が良い。
50分以上も歩いてエネルギーが切れかけていたので『湯もりほうとう』を注文した。
ほうとうは山梨県の名物で、僕はしょっちゅう樹海に行くので、その帰りに食べることが多い。
ただいつも食べている鉄鍋でグツグツ煮たほうとうとはずいぶん違った。
平たい麺と薄切りにされた大根が竹のたらいの中に入っている。お椀に出汁が入っているのだが、素揚げされた野菜や山菜がたくさん入っている。これが想像以上に美味しかった。まさか『ク・ソフト』のお店で、今までの人生の中で一番のほうとうを食べられるとは思ってもいなかった。
食後のデザートに、いよいよ『ク・ソフト』を注文する。
「笑いながら食べてください」
と言いながら店員さんが運んできた。
和式便所風入れ物の上に、チョコレートソフト。かりんとうが刺さっている。
木のスプーンには、ハエの写真が貼ってある。めちゃくちゃ凝ったアイスだ。
一口目はさすがにちょっと抵抗があったが、もちろん美味しいソフトクリームだった。店内が綺麗だったので、抵抗なく食べれた。
美味しい&変 なもの食べられて大ラッキーだった。
さて帰るか~と立ち上がると
「どこから来られたんですか?」
と聞かれた。
「清里駅から歩いてきました」
というと、少し驚いた顔をされた。さすがに50分かけて歩いてくる馬鹿はあまりいないらしい。見かねて
「なんだったら駅まで送りますよ!!」
と言ってくださった。そんな、申し訳ないので!! と遠慮したのだが、どうぞどうぞと車に載せていただいた。
清里駅までの短い道中、お話を伺った。
お店ができたのは37年前だという。
「その頃はすごかったですよ。夏はもちろん大賑わいだったんですが、スキー場ができたので冬も大勢人が押しかけてました。いつもこの道(清里ライン)は大渋滞で。やっと、たどり着いても駐車場が満員で停められなかったりして。スキー場に来たのに、スキーをできずに帰った人も多かったみたいです。
そういう思いをした人は二度と来ないだろうな~と危惧していました」
確かに、冬場にわざわざ県を超えてスキーをしにいって、結局できずに帰る羽目になったらもう二度と行かないかもしれない。
「今はのんびりしてていいんですけど、ただ銀行が撤退、酒屋さんもない、スーパーもない。ちょっと不便な状態ですね。
ただ今でも、ちょっと駅から離れた場所には遊べる場所はたくさんありますよ」
教えてくださった遊べる場所を、忘れないうちに携帯電話にメモして、駅前で自動車を下ろしてもらった。
予想より早く帰って来られたので、その遊べる場所に行ってみることにする。
ひとりを満喫する夜
最初に足を運んだのは駅から少しだけ離れている『萌木の村』。
清里にとって6月は閑散期なのだが、何人もお客さんが歩いていた。
オープン50年を超えた老舗のレストラン『ROCK』をはじめ、本格的なバー、カフェなどがたくさん入っていた。自分でも体験できる工房や、オルゴールミュージアム、ホテル、と様々な施設がギュッと密集していた。
マスコミでよく語られる
「人気のなくなってしまった清里」
というイメージではなかった。
同じく様々なレストランや工房が入った『清里の森』に行ってみたが、やはりこちらも様々なお店が開いていた。
また牧場しかないような場所にも、ポツポツと美味しいレストランが点在していた。
清里に別荘を買う人は基本的に自動車を持っている。だから駅前よりも少し離れた場所のほうが流行っているのかもしれない。
ついつい、駅前の廃墟を見て「廃墟の街」と書きたくなってしまうが、実際には今でもかなり良い避暑地なのだ。
さすがに疲れたので、一泊することにする。
清里にはかなり高級なホテルもあるが、もちろん最安値の宿を探して泊まることにした。『北野印度会社』跡地の近くにある『清里ユースホステル』が3400円で泊まれた。
「今日はお客さんだけなので、一番良い部屋に泊まってください」
と言われる。そもそもは二段ベッドの部屋の予定だったので、広々とした部屋に一人で泊まれるのはラッキーだ。
部屋の名前を見ると『レナウン娘』『巨人の星』などと書かれていた。つまりそれらが流行った頃につけられたのだから、かなり古くから営業しているユース・ホステルだ。
「お風呂沸かしますね。朝は誰もいませんので、そのまま帰ってください」
と言われる。
一日中歩いたのでヘトヘトだったので、あっつい風呂に入って疲れを落とす。
お風呂から上がって廊下に出ると、シーンとしている。
「広いユース・ホステルに一人でいるんだ」
と思うと、急になんだか不安な心持ちになった。幽霊のたぐいは信じていないが、信じていなくたって怖いもんは怖い。
部屋の端っこに布団を敷いて、電気をつけたまま丸まって寝た。
2日目も観光づくし
目が覚めるとスカッと晴れていた。
昨日は寒くてカタカタ震えていたが、今日は暑いくらいだ。
昨日は霧が出ていたので、再び歩き回って廃墟などの写真を撮りなおす。晴れているほうがもちろん綺麗に撮れるのだが、どうしても日差しの下だと健康的になる。
霧の中で撮った廃墟写真は、少しぼやけて、白んだ感じが雰囲気がある。
どちらの写真を使うのかは迷うところである。
撮影を済ませても、まだ時間があったので、最後に2つ観光地に寄っていくことにした。
清里駅から北側の山に向かってどんどん山を登っていく。暑いくらいの日差しなのだが、風はとても心地よく涼しい。避暑地清里の本領発揮といったところである。
40分ほど歩いてやっと『ポール・ラッシュ記念館』に到着した。ポール・ラッシュとは、日本にアメリカン・フットボールを普及させたことで知られる教育者である。清里高原の開拓支援など、清里にゆかりのある人物である。住んでいた建物がそのまま残されていた。多角形型の部屋にソファが並べられ、周りには絵画や皿、剥製などが並べられている。すばらしく良い部屋だった。
正直面白いパビリオンではなかったけれど、少々日本のアメリカン・フットボールに少し詳しくなって、また山道を登っていく。
いつの間にかかなりの山奥を歩いていて、高い橋を渡る時は足が震えた。
そしてやっと『山梨県立まきば公園』に到着した。県立八ヶ岳牧場の一部を開放して作られた、動物とふれあいができる公園なのだが、利用料金は無料だ。
近くには『まきばレストラン』があり、山梨県の畜産物を素材にした料理を食べることができる。窓から見える羊は食べられないのかな? と思ってメニューを探したが、なかった。代わりに『ステーキ丼』を食べたが、山の中で食べる料理とは思えないほど美味しかった。お土産屋も充実していた。
そして、せっかくなので動物と触れ合って帰る。
触れ合えるゾーンには羊がいて、数匹で並んで草をバリバリと削り取るように食べていた。警戒心はあまりなく、近づいても動じないで食べている。
カップルや家族連れがたくさんいて、
「かわいい!!」
「すごい!! すごい!!」
と騒ぎながら、さわったり、写真を撮ったりしていた。
一人で歩いて来ている変人は僕だけで、どうにも不審人物なので、家族カップルからは一定の距離を置いて動物を愛でた。
羊を愛でて、ヤギを愛でて、ポニーを愛でて、牛を愛でていたら、いつの間にか電車の時間ギリギリになってきてしまった。
慌てて山を降り始めたのだが、ものすごい勢いで霧が発生してきた。風景に白い膜がかかったように見えなくなる。
映画『ミスト』やゲーム『サイレンスヒル』のワンシーンのようで、不安な気持ちになってくる。そしてしばらく歩いたところで土砂降りになってきた。
山の季節は変わりやすい。
雨で濡れた身体のまま、電車に乗って東京に帰ってきた。
結論としては、清里は廃墟も楽しめるけど、避暑地・観光地としても十分楽しめる。
やっぱり自動車があったほうが便利。
というところだろうか。
ちなみに僕は、一泊二日の旅で、4万5000歩も歩いたのであった。合掌。