村田らむの”裏・歳時記2022”【11月】~世界一ユルい戦場を歩く~

2022年明けから始まった、ケムールの国内旅行連載。毎月、日本のちょっと変わったスポットを訪ねていきます。
メジャーな観光地とは一線を画す、超穴場紹介です。
その旅の案内人は「ホームレス」や「樹海」取材のパイオニア、村田らむさん。


村田らむ
一九七二年生まれ。愛知県名古屋市出身。ライター、漫画家、イラストレーター、カメラマン。ホームレスやゴミ屋敷、新興宗教などをテーマにした体験潜入取材を得意とし、中でも青木ヶ原樹海への取材は百回ほどにのぼる。著作に『樹海考』(晶文社)、『ホームレス消滅』(幻冬舎新書)、『人怖 人の狂気に潜む本当の恐怖』(竹書房)などがある。

11月は歴史好きの読者様必見の旅でございます。
その舞台は関ケ原!! そう1600年10月に天下を分けた”関ケ原の戦い”、日本一有名ともいえる合戦に想いを馳せて、村田らむさんも古戦場へ。そこには「どうしても見たい場所」があるそうでーー。

合戦へ惹かれて

 10月あたまに大阪で仕事をした後、時間に余裕があったので、昔から行きたかったスポットに足を運ぶことにした。
 新大阪から新幹線こだまに乗って、米原で降りる。滋賀県は雰囲気が好きで、よく遊びに来る。特に、長浜は好きだ。
 長浜は秀吉が初めて城を持って大名になって開いた城下町として知られている。
 明治モダンな雰囲気が漂ってきてとても素敵な街並みだ。長浜タワービル、日本一の万華鏡など良い感じの珍スポットもある。
 豊臣家家臣の石田三成の出生地には、石田会館が建っており、三成の生涯が展示されている。
 ただ今回の目的地は長浜ではないので、米原でJR東海道本線に乗り換えて東に向かう。約20分後、関ケ原駅に到着した。

 関ケ原といえば、“関ヶ原の戦い”の主戦場になった場所だ。
 豊臣秀吉の死後の政争で、東軍と西軍がしのぎを削った。東軍の総大将は徳川家康。西軍の総大将は毛利輝元。長浜生まれの石田三成は西軍だ。敗北後は六条河原で斬首されている。しかし、未だに人気が高い。俺も、長浜に思いを寄せてから関ケ原に来たので、内心ちょっと石田三成贔屓になっている。
 長浜と関ヶ原の距離感も実感している。

 駅を出ると、徳川の葵の御紋の旗や、石田の大一大万大吉の旗がはためいていた。

 電柱には

『このまち、まるごと、古戦場。』

 と書いてある。
 古戦場って自慢になるかどうかギリギリな感じするなあ。

『このまち、まるごと、事故物件』
『このまち、まるごと、心霊スポット』

 と言い換えられちゃうじゃないか。

422年目の関ケ原

 俺が普段取材に行くスポットは大体人がおらず、下手すると誰にもすれ違わないままスタスタと何十分も歩くことになる。
 ただ今回は違った。
 家族連れがたくさん歩いている。
 2020年に開館したばかりの岐阜関ケ原古戦場記念館の駐車場はほぼ満車だった。
 実は、訪れた2022年10月8日は、大関ケ原祭2022の初日だったのだ。

 コロナの影響で3年ぶり、岐阜関ケ原古戦場記念館がオープンして初の大関ヶ原祭だ。松平健や山之内すずと言った有名人のトーク、プロジェクションマッピング、人間将棋といったイベントが目白押し。
「そりゃ混むわな!!」
 って話だった。
 関ヶ原の戦いが起きたのが1600年10月21日だから、それにちなんで開催されているのだろうが、実はお祭りがあるのはマジで知らずに来た。来てみてビックリだった。
 ただまあお祭りで何をすることもなく、舞台で踊ってるオバサンや、売店をチラ見しただけで通り過ぎた。

 しばらく歩いていくと、すぐに人通りは乏しくなった。いつもの雰囲気がもどってきた。
畑があって民家があって、遠くに山並みが見える。1600年の頃からあんまり変わってないんじゃないかな〜という風景だ。

 さすがに、まるごと古戦場だけあって。名所も多い。徳川や石田の陣地。首塚。決戦場。ただ徒歩でいちいち立ち寄るには距離がある。

悲願の場所へ到着

 30分ほど歩いてやっと目的地へ到着した。
 さすがにここまで離れると、観光客はポツポツといるものの祭りの賑わいはなかった。
 緑色の天井に金のシャチホコが載っている建物が見える。否、建物というか壁だ。

 ここは『関ケ原ウォーランド』。

 敷地を壁で囲っているのだ。『進撃の巨人』の街を囲う城壁を思い出すと良い。

「死ぬまでに、行っておきたい!」
という珍スポットが日本各地にいくつかある。『関ヶ原ウォーランド』もその一つだった。
 コロナ禍にはお休みになっていて、このまま閉園になってしまうんじゃないの? と危惧していた。実際、コロナ禍で畳んでしまう施設も少なくないのだ。
「生きて、この地に来れた」
 と思うと顔がほころぶ。

 このテーマパークでは約30,000平米の敷地内に200体を超えるコンクリート像が立ち並び、『関ヶ原合戦』を再現している。



 まず『関ヶ原ウォーランド』という名前のセンスが最高である。422年前の戦争だから、ギリギリOKという感じだ。
 近現代の戦場で『ウォーランド』とか言ったら、たぶん怒られる。
 いや『関ヶ原の戦い』でもすでにOKじゃないと、自覚があるのかもしれない。
 館内には武田信玄の亡霊の像が立っていて、

「もう争いはやめい!ノーモア関ケ原合戦じゃ!」

 とのたまっている。
 ちなみに、ウォーランドの隣に建つ、法蔵寺にも立派な石碑に、
『ノーモア関ケ原』
 と書いてあった。『ノーモアヒロシマ』に習ったんだろうけど、なんかなあ。

 入場料500円を払って中に入る。
 入ってすぐのところに出された手書きの『ウォーランド散策マップ』に主だった武将の像がある場所が書かれていた。

 西軍の石田三成、島左近、島津義弘、

 東軍の徳川家康、黒田長政、細川忠興、

 あたりの有名な武将たちは像が作られているが、飽くまでメインは一般の兵隊だ。
 決戦場で大勢の無名の兵士が戦っているのだ。

異界レベルのユルさ

 コンクリートで作られて、ペンキで色を塗られた像は、一見朴訥とした雰囲気だ。ゆるキャラという感じもする。

 どこかで見た雰囲気だと思ったら、愛知県犬山市にある『桃太郎神社』と同じ作者・浅野祥雲によるものだった。この施設の桃太郎たちもすごくゆるくて良かった。

■浅野祥雲(あさの・しょううん・1891年-1978年)は、昭和初期~40年代にかけて、無数のコンクリート像を制作した異色のアーティスト。その作品数は全国に1000体以上とも言われる。

 ただ一体一体はゆるいのだが、それぞれが武器を持って戦っている。刀を抜いて襲いかかる武士を、突き殺そうとする槍兵。

 尻もちをついて命乞いする槍兵。

 列をなして敵を狙う鉄砲隊。

 遠目に見ると、本当に戦争をしている一コマに見えてくるから不思議だ。

 石田三成の陣地の方向に進むと、切腹しようとしている像が出てきた。珍スポット目当ての若いカップルが来ていて、

「すげえ!!切腹じゃん!!目ぇ真っ赤!!」

 と盛り上がっている。

 カップルに写真を撮られながら、腹を切ろうとしているのは大谷吉隆(大谷吉継)だ。
 小早川秀秋に裏切られて、自刃した武将だ。
 大谷吉継は病気で失明していた。目を真っ赤にして表現しているのかもしれない。
 やはり朴訥とした雰囲気の像なのに、なんとも痛々しさが伝わってくる。

 そして進んでいくと石田三成の陣地がある。全体的にしょぼい作りだ。

 石田三成の像は右手を上げて指揮を取っているが、痩せていて神経質そうな顔をしている。目の下にくまもできている。
 この後、裏切られて、斬首されるのを覚悟しているのだろうか?

 東に進んでいくと、徳川家康の陣地に至る。徳川家康の陣地の近くには『首実検場』と書かれている。さっきのカップルが

「首実験?実験するの?首で?」

 とはしゃいでいる。
 たぶん実験はしない。検分する。
(編集部注:首実検…討ち取った敵の首を大将が確かめること)

 生首4つを担ぎ棒にぶら下げて運んでいる像が妙にリアルだ。

 運ぶ兵士も、ぶら下げられた首も、どちらもコンクリート製なのだが、生首からは死体独特の雰囲気が漂っている。
 片手に生首を持って歩く像もある。戦いに勝ったはずなのだが、顔は厳しい。
 で、その首がどこに運ばれるかというと、徳川家康の前である。

 徳川家康の陣地は石田三成の陣地に比べてずいぶん立派だ。徳川家康の周りを何人もの武将が取り囲んでいる。

 そして徳川家康の目の前には、生首が置かれている。首を検分している所なのだろう。石田三成の首かな?と思ったが、ヒゲがないから違うっぽい。
 徳川家康の後ろから、生首を撮ろうと思ったら、徳川の背中にラミネート加工された紙が貼り付けてあった。

『5徳川家康の陣 答え テ』

 どこぞで出されていた、クイズの答えらしい。いや、東軍の総大将の背中に、いじめられっ子みたいに紙を貼らないでほしい。

戦場から生還して

 念願だった関ヶ原ウォーランドを見学することができて大満足だった。
 かなりストイックな施設で、コンクリート像以外には、資料館しかなかった。資料館と言っても、壁に関ヶ原の戦いのデータが淡々と書かれているだけの施設だ。
 関ケ原合戦以外だと、現存する十九女池の大蛇(美女)が再現してあるくらいだ。
 ただ、やはり200体のコンクリート像は迫力があった。実は一体一体の像は2メートル以上あるものも多く、迫力がある。写真で見ても面白いが、実際にリアルで見た方が楽しい。
 全部の像を、1人のアーティストが一体一体作ったと思うと、胸にくるものがある。

 見終わった後は、またテクテクと関ケ原駅に戻る。
 せっかくなので、岐阜関ケ原古戦場記念館に寄ってみるが、さらにすごい人になっていた。内容は端折るが、特別展示で漫画『ドリフターズ』(著:平野耕太)の原画展をやっていたので、
「ラッキー!!」
 となった。

「そういえば『ドリフターズ』のオープニングは、関ケ原の戦いだったな〜」
 と思い出し、米原駅でこだまに乗った後、Kindleで『ドリフターズ』をダウンロードして読みながら帰ってきた。

 

▶これまでの「裏・歳時記」

文・村田らむ Twitter:@rumrumrumrum

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