村田らむの”裏・歳時記2022”【12月】~昭和レトロの”天然もの”と”人工もの”をはしごする~

2022年明けから始まった、ケムールの国内旅行連載。毎月、日本のちょっと変わったスポットを訪ねていきます。
メジャーな観光地とは一線を画す、超穴場紹介です。
その旅の案内人は「ホームレス」や「樹海」取材のパイオニア、村田らむさん。


村田らむ
一九七二年生まれ。愛知県名古屋市出身。ライター、漫画家、イラストレーター、カメラマン。ホームレスやゴミ屋敷、新興宗教などをテーマにした体験潜入取材を得意とし、中でも青木ヶ原樹海への取材は百回ほどにのぼる。著作に『樹海考』(晶文社)、『ホームレス消滅』(幻冬舎新書)、『人怖 人の狂気に潜む本当の恐怖』(竹書房)などがある。

らむさんの旅もまる1年。今年も皆様ご愛読ありがとうございました!
さて2022年のしめくくりのぶらり旅はーー?

そうだ”昭和”に行こう

 気づけば2022年も、日本全国をバタバタと歩き回っているうちに終わりつつある。当連載でもさまざまな所に行った。

 新興宗教に自殺スポットに原発に恐竜にひょっとこに云々。しかしあくまで位置の移動である。今回は時間移動をしてみようじゃないかという試みだ。
そう、まだ日本が元気だった時代、昭和。
 駅では背広組がスパスパタバコを吸っては吸殻を線路に捨て、公衆トイレは吐くほど汚く、学校の教師は気に食わない生徒に力いっぱい暴力をふるっていた、あの昭和時代へのタイムトラベルである。
 
 横浜で仕事があり、ホテルに泊まった翌日。チェックアウトして、鶴見区生麦五丁目にある国道駅に向かった。
 横浜駅から鶴見駅で下車。JR鶴見線で一駅。国道駅に到着した。電車と駅との隙間がかなり空いていて、ちょっとビビりながら降りる。

 国道駅からどこかに行くのじゃなくて、国道駅が目的地だ。慎重にホームに降りる。
 国道(こくどう)と言う名前は「国道1号線」とかの国道っぽい名前だが、実はその通り。現在の国道15号線と交差する場所に作られたから、国道という駅名になったのだ。
 ホームはさほど突飛な印象は受けなかった。アーチ型のモダンな屋根がある普通の駅だ。
 だが階段を降りると雰囲気が一変する。

 一歩一歩、昭和時代にタイムスリップしていく気がする。階段の途中には渡り廊下がある。階段の途中でとなりのホームに移動できる渡り廊下があるとは、ちょっと変わった構造だ。
 渡り廊下からは、国道駅のコンコースを見渡すことができた。

 コンクリート製のアーチが続いている。
 元々は店があった場所は、板で閉じられている。板の上には拙い、ストリートの落書きが描かれている。人通りは少しあるが、薄暗い。

 パッと見、軍事遺構のような雰囲気だ。
 バリバリの昭和感に胸が高鳴る。
 階段を降りると、改札口は無人駅でICカード乗車券の改札機が設置されている。
 無人駅化されたのは1971年で、俺が生まれる一年前だ。今年、自動券売機が撤廃されたそうで、現在は交通系ICカードのみで入場できるようだ。前後左右を見渡し、思わず
「すっごいなあ……」
 と声が出る。

 国道駅は1930年開業。ほとんどそのままの形を残している。もちろん、当時はもっとにぎやかだったと思う。
 資料を見ると、黒澤明監督の『野良犬』(1949年)のロケに使われたと書いてあった。だいぶ前に1度観ただけなので記憶は曖昧だが、主人公が拳銃をスられてえらい思いをする……という映画だった。年代的には正しいけど、主人公が拳銃をスられたのはバスだったよな? と思う。調べてみると『野良犬』のリメイク版(1973年 監督:森崎東)に登場していた。ただ、森崎版『野良犬』はなぜかソフト化しておらず、画像を何枚か確認できるだけだった。今より人通りは多いし店も開いていて発券機もあるのだが、駅自体は赤茶けてむしろ今より古く見えた。

平成が来なかった駅で

 店は一件も営業していなかったが、店の跡は残っていた。
 『三宝住宅社』という手書きの不動産屋の看板はいかにも古く、映画のセットのようだ。


 焼き鳥屋だった店には『閉店のお知らせ』が貼られていた。紙の状態から見て、店を閉じたのは最近のようだ。
「開店から四十三年の長きにわたるご支援、ご愛顧心より感謝申し上げます。」
 と書かれていた。四十三年とはなかなかの長さだ。もうちょっと早く来ればよかったなあ、と少し悔いる。

 『荒三丸』という釣り船屋さんも最近まで開いていたようだが、店頭にあった大きな看板が外されていたのでおそらく閉店してしまったのではないかと思われる。
 他には『KEY STATION』という文字が薄く見える、おそらく鍵屋だったと思われる店もあった。

 かつては、高架下は住宅としても使用できたようだ。
 すでに人は住んでいないが『土地〈高架下〉使用票』が貼られていた。

 契約年月日 昭和62年12月14日
 期間 昭和62年4月1日から昭和82年3月31日まで

 昭和82年という表記を見た途端、頭がグワーンとして自分が異世界に転生してきたような気持ちになった。
 冷静になって考えると、昭和82年は、平成19年、2007年、のことだ。

 トンネルを抜けても、高架下には住居が並んでいた。かなり古く、廃墟になっている家も多い。電車の騒音は結構うるさそうだが、ちょっと住んでみたい気もする。

 そして国道駅のメインディッシュを見に行く。高架下を抜けた所に、網が貼られており、その向こうに、ガッガッと穴が穿っているのが見える。
 米軍のノースアメリカン社のレシプロ戦闘機P-51マスタングによる機銃掃射の跡だという。

 『三宝住宅社』の看板の上にもおそらく掃射の跡であろう弾痕があった。

 小学生低学年の頃に亡くなった、母方の祖母が、
「戦闘機に追いかけられて命からがら逃げたことがある」
 と話していた。小学生の俺は
「うっそでえ!!」
 と思っていたが、コンクリートにあいた穴を見ると、ググッとリアルに感じる。彼らは、こんな低空を掃射しながら飛んだのだ。
 恐怖と浪漫を同時に感じる。

 冬場にうろうろあるき回ってていたらもよおしてきたので、トイレに入る。ツンとアンモニアの臭いが鼻を突く。小便器が2つ設置されているが、昔は壁に向かってしたのではないか? と思われる作りだった。便器はやはり和式。

 用を足しながら、やっぱり古い施設だねえとしみじみと思う。

アミューズメントと化した”人工の昭和”でランチ

 ちょうど昼時になってきたので、飯を食べることにする。そう言えば1度も足を運んだことがなかった『新横浜ラーメン博物館』に行くことにした。
 JR鶴見線、JR京急東北・根岸線、JR横浜線を乗り継いで新横浜駅を降りる。
 駅を降りると、風景に全然見覚えがない。新横浜駅は新幹線に乗るたびに通り過ぎるが、ひょっとしたら降りたことがなかったかもしれない。
 ドヤ街とか廃村とか旧青線とかをグルグル回ってネタを拾うライターにとって一番用がないのがビジネス街である。ビジネス街で行くのは大手町一丁目にある将門の首塚くらいのもんだ。
 新横浜駅の周りは昭和っぽさは残っていないが、「人工的な昭和」はある。
 『新横浜ラーメン博物館』通称『ラー博』は、世界初のフードアミューズメントパークだ。

 入場料380円を払って館内に入る。ラーメン屋に入るだけで380円かかると思うとちょっと高く感じるが、しょっちゅう通いたい人は6ヶ月パス500円、年間パス800円を使うと安上がりだ。
 一階部分は、ラーメンの文化と歴史を学ぶギャラリー。ラーメングッズなどが売っているミュージアムショップがあるが、やっぱりメインはB1F~B2Fだ。

 昭和33年の街並みが見事に再現されている。古い町並みを再現するスポットはちょくちょくあるが、その中でもかなり出来が良い。地下の閉鎖空間を上手く利用している。煤けた古いビルや店の看板、映画看板、洗濯物などがリアルでありつつファンタジックな町を構成している。

 そして地下一階は路地裏を再現しているのだが、これがものすごく高いクオリティだ。くすんだコンクリート塀に、古く汚れた原動機付自転車が置かれている。地面にはケンケンパの丸がチョークで書かれている。
 据えた臭いがしそうな連れ込み旅館や、プチボッタされそうなバーに並んで建つ、駄菓子屋「夕焼け商店」、喫茶&すなっく「Kateko」は実際に営業している。


 P-51マスタングに追いかけられたという祖母は名古屋でおでん屋兼菓子屋を営んでいて小さい頃はよく通った。
 まさにこんなゴミゴミとした下町だったので、なんだか当時の町を歩いているような懐かしい気持ちになる。

◎◎◎でいきなり現代に引き戻される

 そんな昭和のノスタルジックな雰囲気を楽しめる博物館だが、オープンしたのは1994年ともう30年近く前。ガチの平成レトロな建物でもある。
 ラー博がオープンした時、雑誌などで特集されていたのを覚えている。当時は、福岡県の大学生だったので、足を運べなかったが。30年経っても、現在もたくさんの人が訪れている。この日も、どんどん人が増えていった。外国人のお客さんも多い。コロナもおさまって、如実に訪日外国人観光客が増えてきている。円が安いから遊びに来やすいだろう。

 ラー博が長い人気を誇る一番の理由は、ご当地のラーメンが食べられることだ。
 現在は7店のラーメンを食べることができる。店によっては長蛇の列が出来ている。せっかくなので食べていこうと『熊本 こむらさき』『利尻らーめん味楽』を食した。

 ミニラーメンもあるから何軒も回れる。
 『利尻らーめん味楽』は本店まで飛行機とフェリーを乗り継ぎ8時間かかり、さらに本店の営業時間は2時間30分しかやっていないそうだ。かなり好みの味だった。

「また食べたい!!」
とも思ったし、
「がんばって本店にも行ってみたい!!」
 とも思った。

 二杯食べ終わった後に、催してきてきたのでトイレに向かった。壁には張り紙が貼られて、剥がされた跡。古びた不動産屋は、国道駅の『三宝住宅社』を思い出させた。

 トイレ付近は古い駅を再現していた。まさに国道駅のような雰囲気だ。トイレのドアも汚かった。
 しかし開けると、現代的なトイレが現れた。個室はウォシュレットつきだ。
 急に現代に戻されたような、もしくはゲームのセーブポイントにたどり着いたような変な気分になった。
 でもトイレはやっぱりキレイな方が嬉しい。昭和の駅のトイレの壮絶な汚さを思い出しながら、用を足して帰路についた。

 一日で、ガチ昭和レトロと、人工昭和レトロの両方の施設を回ってみたが、どちらもそれぞれの良さがあった。
 できればどちらもまた行きたいから、なくならずにずっと存在し続けてほしい。

▶これまでの「裏・歳時記」

文・村田らむ Twitter:@rumrumrumrum

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