野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第19回 人生は飲んで食って楽しめ

SF小説家・野尻抱介氏が、原始的な遊びを通して人類のテクノロジー史を辿り直す本連載。
人工知能や仮想現実などなど、先進技術を怖がらず、翻弄されず、つかず離れず「ぱられる=横並び」に生きていく。プレ・シンギュラリティ時代の人類のたしなみを実践します。

今までの【ぱられる・シンギュラリティ】

第19回 人生は飲んで食って楽しめ

1章 物見遊山のストーリー

 行楽シーズンだからAIの話は後回しにして、日本式アウトドア食の話をしよう。
 日本には古くから野点や花見の宴、舟遊びなど、豊かな野外食文化がある。長い時間をかけて日本の自然環境に適応したものだから、無理なくスマートに遊べる。私が気に入っているものを以下に紹介しよう。

 まずシンプルに、竹の皮で包んだおにぎりはどうだろうか?
 これだけで通常の3倍くらいおいしそうに見えるし、事実おいしくなる。
 密封容器とちがって、ほどよく水気が抜けてべたつかないこともあるが、ポイントはストーリー性を持つことだ。竹皮で包んだ弁当は昔話や時代劇によく登場するし、旧日本軍でも使われていた。戦闘配置になると主計兵が竹の皮に包んだ握り飯を部署に投げ込んだという。そんなことを思いながら食事すれば、味わいも深まるというものだ。私は美食家ではないが、粗食なら粗食なりの、ストーリーのある食事をしたいと思っている。

 竹の皮はAmazonなどで「竹の皮 大」で検索すると出てくる。おにぎりを包むならサイズは「大」がおすすめだ。竹の皮は乾いていると割れやすいので、使う前に水にひたして湿らせてから拭き取るとよい。
 竹の皮は剛性がないので、圧迫されるとおにぎりは潰れてしまう。運ぶときはバックパックの一番上にそっと置こう。風呂敷に巻いて腰や首に結ぶ伝統的なスタイルがベストかもしれない。

 山歩きで使うなら道中でアケビやサルナシの実を探してデザートにすると楽しい。白土三平の本で読んだのだが、北海道の山で行者ニンニクを摘んでおにぎりに巻き、醤油をたらして食べるのが私の夢だ。

 続いて野燗炉(のかんろ)を紹介しよう。野風炉(のふうろ)、燗銅壷(らんどうこ)ともいう。花見のときなど、野外で酒を燗するのに使う道具だ。

 全体は銅でできていて、四角い水槽の中に炭火を入れる円筒形の炉が浸かった、原子炉のような構造になっている。炉の下に空気取入口があり、チムニー効果で効率よく燃焼する。炉の熱は周囲の水を温め、徳利を湯煎する。
 写真では左の開口部が炉、右が水槽の口になる。六角形の縁取りのある穴が空気取入口で、ダクトが水槽を貫通して炉に達している。熱効率が良く、少量の炭で長時間使えて風にも強い。実にうまくできた道具だ。

 炉の上に焼き網を置いて、焼き物もできる。
 炉の口径は8cmほどで、市販の串焼きは長すぎるので、小振りなものを用意する。串焼きのほか、ししゃもやスルメ、かまぼこを炙ってもいい。
 火力は弱いので、焼き物はゆっくりじっくりになる。酒をちびちびやりながら、本を読んだり花を愛でたりして、まったりやるのがよい。
 野燗炉はスローな道具で、煙も少ないので、私は部屋で使うこともある。一酸化炭素が出るので換気は必要だが、周囲を汚さないのでPCデスクに置いても問題ない。

 私の野風炉は古道具屋で4千円ぐらいで買ったものだ。安いかわり、少し壊れていたので自分でロウ付けして修理した。主人の話では江戸末期から明治初期のものだという。ヤフオクにもよく出ているので、入手は容易だろう。
 『ゆるキャン△』で有名になった焚き火グリルB6君に酒燗器のアダプターをとりつけると野風炉と同等になる。火力は(必要なら)こちらのほうが強くできそうだ。

 極言すればカセットコンロに焼き網と鍋を置いても機能は同じだ。とはいえ、花を愛でたり酒を飲むのは精神的な営みだから、見た目や雰囲気、それらが紡ぎ出すストーリー性は軽視できない。「うまい酒が飲めそうだ」という期待がまずあって、実際にうまい酒を飲むことで、その物語は完結する。我々の脳にあるニューラルネットはそうやって強化学習しているのではないだろうか。

 これは最近購入した徳島の伝統的な弁当箱、遊山箱(ゆさんばこ)というものだ。

 子供用の小さな手提げ重箱で、カラフルな絵柄がついている。旧暦のひな祭り、現在の暦で4月3日頃、子供たちはこれにごちそうを詰めてもらって野遊びしたという。
 容量が小さいので、中身がなくなると自宅や近所の人に補充してもらったというから、ハロウィンに似ている。そうやって子どもたちが野山と家を往復するうちに田の神が里に降りてきて、田おこしが始まるのだそうだ  。
 江戸時代から昭和の中頃まであった習わしだが、現在も継承活動があるようだ。かわいらしいので大人にも愛用され、飲食店で使われることもある。

 写真にあるのは徳島市の漆器蔵いちかわから通販で購入したものだ。「竜田川(赤・大)」というもので、桜の絵付けが美しい。遊山箱としてはやや大きく、私なら腹八分で2食ぶんくらい入る。2時間くらいのデザートつき満腹フルコースなら1食ぶんだろうか。
 重箱は3段あり、重ねられるようにオス・メスになっているが、外箱に棚があるので別々に収納できる。そのぶん少し嵩張るが、箱の底が濡れないので始末がいい。
 中の箱を取り出すときは落とし戸になった蓋を抜き、背後の穴か側面の切り欠きに指を入れて手前にスライドさせる。箱を引き出すときは、中身を知っていてもちょっとわくわくする。

 子供の遊びだから、重箱の使い分けや配置はどうでもいいと思うが、一応こんな形になるらしい。
 上……菓子(ういろうや寒天など)
 中……煮物など
 下……巻き寿司など
 この配置は英国のアフタヌーンティーに似ている。三段ケーキスタンドの下はサンドイッチ、中はスコーン、上はお菓子を並べる。料理はふんだんに用意し、減ったら補充するところも遊山箱に似ている。
 今回は下に筍ごはん、中に煮物としゅうまい、かまぼこ、上に花見団子とキャラメル、ボンタンアメを入れてみた。
 駄菓子を入れたのは、子供の遊びということもあるが、米軍の戦闘糧食(MRE, Meal, Ready-to-Eat) にガムやM&Msが入ることからの学びもある。駄菓子は行動食としてまことにありがたいものだ。

 煮物と筍ごはんは自分で調理した。手料理を多品種揃えて重箱や幕の内弁当を埋めるのはなかなか大変だが、常備菜を作り置きしておくと楽になるし、遊山箱は小さいので三品もあれば格好がつく。
 料理はプログラミングと同様、モジュールとメソッドでできている。いちど会得すれば以後は使い回せるのでどんどん高度化できる。たとえばカツカレーはとんかつとカレーライスが複合したもので、切る、煮る、焼く、衣をつけて揚げる、炊飯する、などのメソッドを組み合わせる。和食の味付けはワンパターンで、醤油、みりん、塩、砂糖でたいてい事足りる。
 ビギナーなら炊飯器でまぜご飯を炊くぐらいから始めるといいだろう。多機能な炊飯器ならローストビーフやスポンジケーキを作れるものもある。

 炊き込みご飯を作るとき、私は炊飯土鍋「かまどさん」を使うことが多い。熱容量が適切に作られていて、失敗がない。適当な火加減で加熱し、蓋の穴から湯気が勢いよく出てきたら1分後に火を止め、20分放置する。それだけで上手に炊けてしまう。このほうがプロセスがわかって面白いし、こうしたものに馴染んでおけば、暴走したAIに電力を止められても困らない。
 なお、土鍋や飯盒での炊飯中は蓋を取って状態を確認してもかまわない。「赤子が泣いても蓋とるな」は火を止めた後の蒸らし工程(予熱調理)での話だ。

 私は好きで調理をするが、自炊しない人はスーパーの惣菜コーナーで一式そろえてもいいだろう。カルディや成城石井でちょっと高いチーズや缶詰を買ってもいいし、寿司屋に入って「この箱に詰めて」と頼んでもいい。できあいの料理をコーディネートするのは面白いし、センスを要することだ。

 上はスーパーの惣菜コーナーと菓子売り場で買いそろえた日常的な昼食だ。しめて千円程度でコスパもいいが、買ったまま並べると殺伐としている。その包装を解いて遊山箱に移すだけでずいぶんムードが変わる。「料理は目で食べる」というが、そういうことは確かにあるし、そこにストーリーを織り込むこともできる。惣菜を組み合わせてジブリ飯、たとえば『となりのトトロ』にでてきたお弁当を再現するのも面白いだろう。

 いろいろ試すうち、遊山箱にウイスキーのポケット瓶がちょうど入ることに気がついてしまった。ミニチュアボトルならいくつも入る。気の利いたつまみとセットにして、公園のベンチや汽車旅でちょっと一杯やったら極楽だろう。
 こんな怠惰に耽るとき、いつも脳裏にうかぶ、この言葉をあなたに贈ろう。
 人生は飲んで食って楽しめ。事情が良くなるなどとは考えるな。

2章 AIボイスチェンジャーの革命

 AI方面の話をしよう。2023年4月上旬、RVC(Retrieval-based Voice Changer)というボイスチェンジャーが話題になった。画期的な性能ながら導入は容易というので自分のPCにインストールしてみた。
 この動画はVRChatでRVCを使ってみたところだ。

 私はふだんどおりに話しているのだが、その口調を残したままナチュラルに変換されるのに驚いた。遅延は1秒程度で、ほぼリアルタイムなのでVR内でも問題なく会話できる。通常の設定では変換した声は自分に聞こえないので、使っていることを忘れるほどだ。これは確かに画期的だ。

 RVCをリアルタイムで使うには、RVC-betaVC Clientのふたつをインストールする必要がある。いずれも無料、オープンソースだ。中国で作られたシステムなのでWeb UIは中国語だが、こちらこちら の解説に従って問題なくインストール&実行できた。容易とはいってもコンシューマー向けではないので、戸惑う人もいるだろう。そうなったら検索して試行錯誤することになる。

 変換先の声も用意する必要がある。これはVOICEVOX 小夜/SAYO を使った。これもオープンソースでフリーウェア、商用利用もOKというありがたいものだ。
 テキストはITAコーパスや青空文庫の小説を使った。漢字まじりのまま、VOICEVOXで処理できる長さで改行し、一度に流し込む。これを朗読させ、WAVファイルにする。
 最初のテストでは10分程度の朗読ファイルをepoch値20で学習させた。5分程度で終わった。いま使っている学習モデルは47分の朗読ファイルをepoch値を100にして学習させた。これには90分ほどかかった。この学習モデルはこちらで公開している。自由に使ってもらってかまわない。

 私はヘッドマウントディスプレイにQUEST2を使っているが、これのスピーカーとマイクは開放的な構造になっていて、音がマイクに還流する傾向がある。RVCの言語認識は敏感で、なにか音が入るとニューラルネットの悲しさで適当な言語に変換して発話してしまう。この問題は別のUSBヘッドセットを併用することで解決した。

 ここでこれまでのボイスチェンジャーを振り返ってみよう。
 在来型のボイスチェンジャーは基本的に波形変換で、遅延はほとんどないが、男声と女声の1オクターブの差を埋めるのは難しかった。無理にやるとTVの目撃者証言みたいなケロケロ声になってしまう。そのためユーザー側で訓練してターゲットに近づけた声を出していた。これはちょっと、しんどい。
 音声認識型のゆかりねっとというアプリケーションもある。自分の声を音声認識でテキストに変換し、別音源で読み上げる方式だ。これなら声の質は申し分なく、現在も動画やネット配信で広く使われている。欠点としては、遅延があり、テキストの読み上げなので入力音声のニュアンスが反映されない。会話というよりはコメントを流している感じだ。
 ディープラーニングを使ったリアルタイムのボイスチェンジャーではMMVCがあった。遅延は0.3秒程度。無料で使えて高性能だが、ユーザーの声と目標の声をそれぞれ学習させる必要がある。学習には数日程度の作業を要するという。

 RVCには上記の欠点がない。学習は簡単で、ユーザーの声を学習させる必要がない。不特定話者を認識するので、変換先の学習モデルがあれば誰でもその声になれる。名探偵コナンの蝶ネクタイと同じだ。それでいてユーザーの声のニュアンスは反映されるので、自然な対話ができる。
 欠点としては遅延が1秒前後あること、ノイズを拾って言語化しがちなこと、「あははは」などの笑い声や特定の言葉がうまく変換されないこと、PCへの負荷がそれなりにあることだろうか。
 不得手な言葉にはニューラルネットぽい現象があって、「はとぽっぽ」と入力すると「はてぺって」と発声する。ところが「小夜ちゃんはとぽっぽ」と前に適当な単語を置くと正しく発声する。マイクの性能も関与していて、QUEST2の内蔵マイクではだめでも別のヘッドセットならうまくいくことがあった。
 しかしほとんどの会話は問題なく、地声よりRVCのほうが聞き取りやすいと言われることもある。

 これまでのVR生活で、私は女の子のアバターを使っていたが、地声のままだった。
 私はすでに顔も声も知られているし、少女になりたいと願ってもいない。しかしテクノロジーが出揃ったので軽い気持ちで試してみたら、これは予想外にいいものだった。もしかしたら、こういうものが世界を救うのではないか、と思い始めてもいる。
 なぜかといえば、私のようなむさくるしい男がどこかに出向くと、そこにいた誰かを押し出すような気がして、それだけで軽く自己嫌悪してしまうからだ。それが少女の姿になると、誰の邪魔にもならず、ただ愛らしいものとして存在していられる。誰が請けあったわけでもないが、そんな気がする。
 上の動画でフレンドに「こんにちは」と話しかけるの、なんとたおやかなことか。これなら誰だって悪い気はしないだろう。声と姿を変えることでその一帯がやさしい世界になり、困ることは何もないのだから、やるしかないではないか。
 これはおにぎりを竹の皮で包んだり、遊山箱に詰めるだけで美味しくなることと本質的に変わらない。人も料理も、一次審査は外見や声、匂いなど、非接触の情報でおこなう。それをパスしないと内面が評価される二次審査に進めない。
 一次審査は情報なので加工できる。容姿を良く見せるために人は古来より化粧や服飾の技術を培ってきた。料理を美しく盛りつけるために木工芸や陶芸が発達した。AIボイスチェンジャーもその延長線上にある。人に好かれ、社会の入り口に立つための情報加工技術だ。

 山本正之の『元気のススメ』という歌に「空元気でも元気」という詞がある。人が虚構を伴侶として生きていることを示唆する、含蓄のある言葉だ。
 小説を読んだり映画を見ると、それが架空の人だとわかっていても、感情移入してしまう。その幻想が生涯を支配することさえある。これらは人間の脳が持つ秀でた能力であって、小説家が生計を立てていられるのも、読者が持つこの能力のおかげだ。
 それゆえ、うわべの優しさだったものが、いつか本物になることもある。こうしたものは、あだおろそかにできない。脳が本物とみなしたものの正体とは、虚実織りまぜたオブジェクトの連鎖であって、我々はそれをストーリーと呼んできたのではないか。ときどきそんなことを思う。
 ざっくり人生の半分くらいは虚構だ。だから飲んで食って楽しめ。

(第19回 おわり)


▶今までの「ぱられる・シンギュラリティ」

野尻抱介

野尻先生
SF作家、Maker、ニコニコ技術部員。1961年生まれ。三重県津市在住。計測制御・CADのプログラマー、ゲームデザイナーをへて専業作家になったが、現在は狩猟を通して自給自足を模索する兼業作家。『ふわふわの泉』『太陽の簒奪者』『沈黙のフライバイ』『南極点のピアピア動画』ほかで星雲賞7回受賞。宇宙作家クラブ会員。第一種銃猟免許、わな猟免許所持、第三級アマチュア無線技師。JQ2OYC。Twitter ID @nojiri_h

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