野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第20回 脳とモールス通信

SF小説家・野尻抱介氏が、原始的な遊びを通して人類のテクノロジー史を辿り直す本連載。
人工知能や仮想現実などなど、先進技術を怖がらず、翻弄されず、つかず離れず「ぱられる=横並び」に生きていく。プレ・シンギュラリティ時代の人類のたしなみを実践します。

今までの【ぱられる・シンギュラリティ】

第20回 脳とモールス通信

1章 人類の潜在能力

 静止衛星通信を提案したSF作家アーサー・C・クラークは『地球村の彼方』でこう書いている。

電信技師は、歴史が始まって以来、人類の中で眠っていて気づかれることのなかった技術を完璧なものにして実演したのである。 

 電信技師とは、モールス符号を打鍵したり聴取する通信オペレーターのことだ。
 私はアマチュア無線で電信をやったとき、このことを実感した。クラークはジョーク半分、まじめ半分で書いているが、人間があつらえたように電信技術に適応できるのは事実だ。AIにも関わりのある事柄なので、今回はこれを紹介しよう。

 アマチュア無線というのは、趣味で無線機を作ったり運用する営みのことだ。最近は下火になってきたが、歴史は古く、日露戦争の頃に始まっている。技術的には業務無線と変わらない。アマチュアといえども短波や人工衛星を使って世界中と交信できる。送信電力も1kwと、放送局並の設備を持つ人もいる。
 携帯電話やインターネットが普及する前、その用途にはアマチュア無線しかなかったから、人々はこれに情熱を注いだ。1987年の映画『私をスキーに連れてって』でICOMのトランシーバーが活躍してユーザーが急増したのが最後の盛り上がりだったかもしれない。
 人工衛星や中継局を使う場合もあるが、基本的にアマチュア無線は自分と相手の間に空気しかない。そのため高い独立性とゴーイング・マイウェイな気風がある。

 私は2004年、パラグライダーで使うために無線従事者/第三級アマチュア無線技師の免許を取った。その頃の三級は電気通信術の実技試験があった。試験会場のスピーカーで毎分25文字のモールス符号を聴き取って筆記するというものだ。
 当時、私はすでに英文モールス符号を憶えていたが、それは送信用の記憶だった。つまりAなら・ー、Bならー・・・、と平文をモールス符号に変換する。こんな表をたどるイメージだ。


 これはモールス通信術の学習方法としては間違いで、符号から平文へ、たとえば・・ー・と聴いたらFが浮かぶようにならないといけない。送信用の記憶でやろうとすると、1文字ぶんを聴き終えてから脳内の表を検索して、一致する項を探すことになる。これは辞書を引くようなもので、遅くて実用にならない。
 そこで私はモールス練習用のアプリケーションを使って、受信練習をした。ランダムに発音される符号を聴き取るスタイルだ。最初はうまくいかなかったが、何日か練習するうちに脳内の結線が組み変わってきた。そして脳裏にこんな図ができあがった。


 平文ではなくモールス符号でソートした図だ。・が聴こえたらE以下をたどる。ーが聴こえたらT以下をたどる。ーのあとに・が来て終わったらN、もう一度・が来たらD、とたどれば、符号を聴き終わった時点で答が出る。モールス符号は二値だから、二股の分岐を繰り返す。二分木(バイナリツリー)と呼ばれる構造だ。
 この練習で自分の脳が結線を組み換えるところを観察できたのは興味深い経験だった。ニューラルネットの仕組みを考えるとき、いつもこのことを思い出す。
 モールス符号の定義に触れておこう。・を短点、ーを長点という。「点に長短があるのはおかしい」と思うかもしれないが、古くからそういう表記になっている。長点の長さは短点3個ぶん。文字間隔は短点3個ぶん、単語間隔は短点7個ぶんの無音で示す。基準になる短点の長さは任意だ。

 練習の甲斐あって私は試験に合格し、3アマ――第三級アマチュア無線技士の免許を得た。アマチュア無線を始める人は四級から始める人が多いが、私は電信をやりたかったので、三級から受けたのだった。「アマチュア無線 完全丸暗記」という試験問題集を見ると三級のほうが薄い。つまり問題のバリエーションが少ないので、試験勉強はむしろ易しいと思う。
 アマチュア無線機を運用するには、無線従事者になるだけではだめで、無線局を構築し、開局申請をしなければならない。といっても、手のひらサイズのトランシーバーを買うだけで無線局は完成する。私の場合は自作機があったので少し面倒だったが、ともかく申請して受理され、アマチュア無線局JQ2OYCのコールサインを得た。

 免許は取得したものの、実際の交信では毎分100字前後で送信されることが多く、全然ついていけなかった。しかし慣れてくると脳内の二分木を意識しなくなり、符号を聴いたらすぐ文字が浮かぶようになった。さらに頻出する単語や定形文も直接取れるようになった。慣れると意識から外れることや、プログラムなしで最適化が進むところなど、(我ながら)実によくできた脳だと思う。

 私の電信術は凡庸なところで頭打ちになったが、優秀なオペレーターは高速の聴取と打鍵ができて、通信文の記憶力もすごかった。雑談しながら何ページも聴き取ったとか、右手で通信文を筆記しながら左手で別の相手に別の通信文を打鍵する、などの芸当が伝わっている。
 モールス電信は1830年代に発明され、日本には幕末のペリー来航で伝わった古い技術なので、明治時代には電信技手がいた。おじいちゃんおばあちゃんがプロの技を披露して若い人を驚かせる動画がよくある。
 意外なことに、モールス電信が発明されたとき、人間が耳で符号を聴取して解読できるとは考えられていなかった。受信側には紙テープに印字する複雑な機械が設置されていた。しかし電信技師たちはほどなく、この印字装置の音を聴くだけで復号できることに気づいたのだった。

2章 電鍵

 電信技師が叩いているのは電鍵(Telegraph key)というもので、押すとON、離すとOFFになる単純なスイッチだ。タイタニックでSOSを打鍵した典型的なものは縦振り電鍵(Straight key)という。ほかには横振りタイプや、短点を自動的に完了するバグキーなどもある。現在はオートリピートを組み込んだエレキーも普及している。しかし戦後も業務通信では縦振り電鍵が主役だった。この記事では縦振りに絞って紹介する。


 写真は手持ちの電鍵だ。後ろの4つは左から日本、ロシア、チェコ、イギリス製。手前にあるストラップのついたものはイギリス軍とオーストラリア軍で使われた膝打ち電鍵で、太腿にくくりつけて歩行中や運転中に使う。私も車を運転しながら膝打ちで交信したことがあるが、交信そのものはわりあい普通にできた。しかし相手局のコールサインをメモするのが難しく、事故を起こしそうなのでやめた。

 この膝打ち電鍵はコンパクトだが、普通の電鍵は大きい。単純なスイッチなら押しボタンでもいいだろうに、電鍵はなぜあんなに大げさな形をしているのだろう?
 そう思って自分で試してみたのだが、普通のプッシュスイッチではうまく打てなかった。接点に弾力性があって、一度接触すると力をゆるめてもしばらく接触を維持するので、思い通りに断続できないからだ。
 キーの反発力もデリケートだ。普通のプッシュスイッチはスプリングが押し返すので、ストロークが進むにつれて反発力(バネ圧)も強くなり、長く使うと疲れる。電鍵はピアノやタイプライターのキーに似ていて、動き始めの小さな峠を越すとストンと落ちるような感触がある。
 電鍵で調整するのは通常2箇所、接点間隔とバネ圧だ。
 接点間隔は私の場合、0.1~0.2mm程度だ。ツマミ部分でのストロークは0.5mm程度だろうか。ピアノやPCのキーボードよりずっと短く、動画で見てもよくわからない。それでも前述のようなレスポンス曲線が感じ取れるから不思議だ。
 手持ちの電鍵2つを動画で示そう。いちばん気に入っているのはイギリス製のNATOキーで、軍艦色のケースに入っている。中身はスウェーデン型だ。日本のメーカー、ハイモンドの電鍵も歯切れがよくて快い。

 初期の装置は通信電力をそのまま電鍵で断続したので、かなり大きな電流が流れた。打鍵中に火花が飛ぶこともあった。接点をカバーで覆ったり、ノブに鍔のようなものがついているのはその名残だ。

 現在、業務でのモールス通信はほとんど行われていないが、かつての電信技師や通信士は一日中、高速で打鍵していた。指が疲れないか、心配する人もいるだろう。
 電信オペレーターの手元を観察すると、指はほとんど動いていない。外からは見えにくいが、動いているのは手首だ。腕と手の角度を変えると、反動で手が上下し、これがキーに伝わる。この動画が参考になるだろうか。

摩周丸(青函連絡船)の無線室にてモールス信号の実演 – YouTube

3章 空で出会った人々

「警部、犯人の車を見失いました!」
「大丈夫だ、ヤツの車に発振器を取り付けておいた」
 サスペンスものに頻出する、この発振器とは何かというと、電流のプラスとマイナスを周期的に入れ替える、つまり交流電流を作る回路のことだ。
 家庭用の交流100Vは東日本で50Hz(ヘルツ。1秒あたりの周波数)だが、周波数がこの千倍くらいになると、電流は電線から離れて空中を飛ぶようになる。これが電波というもので、電界と磁界が交互になって、空間を波紋のように広がってゆく。なおサスペンスものの発振器はレーダーのように位置情報を伝えてくるが、これはかなり高度な機能で、単純な電波発振器は方向しかわからない。

 何が言いたいかというと、このモールス符号を使った無線通信はものすごくシンプルで、この電波発振器をスイッチでオンオフするだけだ。発振回路は単純なので、囚われの主人公が「よし、ラジオの部品を使って電波発振器を作ったぞ。これで本部に連絡できる!」という場面もありうる。この通信方式をCW(Continuaus Wave)と呼ぶ。

 CW専用のトランシーバーはとてもシンプルでコンパクト、消費電流も小さくできるので、自作する人も多い。私も自作機で始めた。自作といっても主要部分はミズホ通信のキットを使ったものだ。出力はたったの1Wだが、200km離れた東京の局と交信できた。

 次に作ったのはSW-40+というアメリカのガレージキットだ。基板に部品を差し込んでハンダ付けしたら一発で動いた。持ち運びやすくするため、一個の筐体に電池と電鍵を組み込んだ。電鍵はソビエト軍用の小さなものだ。


 このタイプの無線機には歴史があって、1972年、アメリカの無線雑誌QSLに発表された自作機Mountaineerが元祖だ。ホールアース・カタログの時代で、ヒッピーやバックパッカーの文化とも結びついていた。アポロ計画が終わる頃、ベトナム戦争は継続中で、グローバル・アースとか宇宙船地球号という意識もあった。

 小さな無線機を持って単独で山に登り、世界と対話するのは、喚起的な営みだ。私はこのようなミニマリズム、インフラに頼らない生き方に惹かれるので(ふだんは実践しないが)、自分でもやってみた。


 これは三重県の奥地、美杉方面でバックパッキングしているところだ。テントのかわりにハンモックを使った。その日は雨と濃霧だったが、立木を利用してダイポールアンテナを張り、ハンモックの中でキーを叩いた。
 一日中独りで歩き、誰もいない山中でソロキャンプするのはとても心細い。獣の声がするとサバイバルナイフを握りしめて身を固くする。そんな中でする無線交信は、世界とつながる、かけがえのない一本の糸に思えた。V/UHF帯のハンディトランシーバーも持っていったが、山間部では遠くに届かない。SW-40+は7MHzの短波帯を使うので、電離層の反射を使い、遠方と交信できた。

 電波は「戦略物資」みたいなもので、国際的に法規がうるさく、海外で誤った使い方をすると即投獄もありうる。しかし日本はアメリカと相互協定を結んでいて、日本のアマチュア無線局はアメリカでも運用できる。そこで2007年にアメリカを旅したとき、SW-40+を持っていった。
 このときは凧でアンテナを揚げた。凧はパラフォイル型で骨がなく、小さく折りたためる。アンテナは1/2波長モノポールで、凧糸の途中から20mの電線を真下に降ろす形にする。
 レンタカーでテキサスからニューメキシコへと旅しながら何度か運用したのだが、風が弱くて苦労した。




 この写真はホワイトサンズ・ミサイルレンジの近くの町、ニューメキシコ州アラモゴードの公園で凧アンテナを使って交信しているところだ。アメリカのCW通信は略号をあまり使わず、打鍵速度ものんびりしていて、雑談を楽しむ傾向があった。これをラグチューという。CQを出すとしばらくして応答があった。
「JQ2OYC、こちらはW7AYN、名前はボブ、場所はアリゾナのメサ」
 550km離れた隣の州から応答があった。
 CW通信はラバースタンプQSOという略号を使ったテンプレート文があって、海外局とのやりとりでも苦労しないのだが、このときはモールス符号でネイティブと日常会話することになったので焦った。使いたい単語が出てこず、さりとて辞書を引く時間もない。しかしどうにか言い換えて乗り切った。
「信号ステータスは569から589。君は凧アンテナを使ってるのか。それで信号強度が揺れてるわけか」
「イエスイエス、私、凧で半波長ロングワイヤーアンテナ使ってるある」
 必死で英会話したときのあるあるだが、この短点と長点だけでできたモールス交信も、あとで思い出すと日本語の会話になって再生されるのだった。海外ドラマを声優が吹き替えたような男性の声が聞こえる。脳の言語処理は不思議だ。

 この旅では最終日、エルパソに移動して、凧アンテナでユタ州のシーダーシティと交信できた。距離は約900kmになる。
 三重県の自宅からは、同じ無線機で北海道や韓国、ロシア、中国と交信できた。送信出力2WというのはQRP(小電力通信)というジャンルに属する。QRPは小電力縛りなかわりにフルサイズのアンテナを使い、ロケーションを選ぶなどの工夫をして遠距離通信をめざす。
 ある韓国局と交信したときは、相手もQRP局だったが、なかなかコールサインを聴き取ってもらえなかった。

 HL2xxx. DE JQ2OYC JQ2OYC JQ2OYC PSE K (相手局コールサイン、こちらはJQ2OYC JQ2OYC JQ2OYC どうぞ)

相手局 JQ? PSE RPT AGN (JQなんでしょう、再送願います)

 HL2xxx DE JQ2OYC JQ2OYC JQ2OYC K (HL2xxx、こちらはJQ2OYC JQ2OYC JQ2OYC どうぞ)

相手局 JQ2O..? SRI AGN PSE (JQ2O……なんでしょう、すみません、再送してください)

 DE JQ2OYC J-Q-2-O-Y-C J~Q~2~O~Y~C K (速度を落としながらコールサインを繰り返す)

相手局 R R JQ2OYC DE HL2xxx GE DR OM TNX FER UR CALL BT UR RST 549 KN (了解した! JQ2OYC こちらはHL2xxx こんばんは。交信ありがとう。信号レポートは549です)

 HL2xxx DE JQ2OYC GE DR OM TNX FER FB REPT BT UR RST 589 KN (HL2xxx こちらはJQ2OYC こんばんは。よいレポートをありがとう。あなたの信号レポートは589です)

 こんな感じで再送を繰り返し、汗だくになって交信を成立させた。コールサインと信号レポートを交わさないと交信成立にならないからだ。通信内容は定型文で、テキストにすれば淡々としたものだ。
 しかしモールス通信はデジタル通信ではない。強調したいところで速度を落としたり、長点を引き伸ばすなどの方法で感情を乗せられる。
 向こうがどう思ったかはわからないが、私はこの韓国局と心が通った気がした。このとき脳裏に浮かんだのは、ヘッドホンの位置を整えて音量を上げ、右手に鉛筆を持ち、左手を電鍵に置いて打鍵する相手の姿だ。「うーん、取れないなあ、ごめんもう一度!」「よし、コールサイン取れたぞ。交信成立だ」などと独り言している。
 交信を終えるときには「TU VA E E」(ありがとう、交信終了、さようなら)という定型文になるが、こんなときは名残を惜しむように長点を引き伸ばし、「ツ~~ツツツー、ツツツツ~~ツツ~、ツッ……ツッ」と打鍵するのだった。

 現在の通信技術は途方もなく複雑で情報量が多い。先月示した動画ではVR空間で少女の姿と声になり、ヘリコプターを操縦しながら会話した。相手は無言勢だったが、しぐさで意思表示した。そのあいだPCでは鬼のような画像処理とAIのベクトル計算が行われて、GPUの冷却ファンがフル回転していた。
 対してモールス通信が運ぶのは低速の文字列だけだ。しかし私は相手の声と姿を思い描ける。馴染みの相手だと体調までわかる。定型文にもバリエーションはあるし、打鍵には癖が出る。

 太平洋戦争末期、特攻機の搭乗員は電鍵を押しっぱなしにして突入したと伝えられている。それはデッドマン・スイッチとして機能して、送信が止まったら任務終了とわかった。「ー」は和文符号だとになるが、それが人生の終止符になった。
 モールス符号の送受は慣れると無意識にできるが、意識して感情を乗せることもできる。TwitterやDiscordをしているとき、TCP/IPのプロトコルを変えろといっても無理な話だが、人間は融通無碍だ。そして際限なく情報を補完できる。
 LLM (大規模言語モデル)のハルシネーション(虚言)が社会問題化しているが、人間の脳も空白を許さず、補完力や妄想力ではひけをとらない
 ニューラルネットにせよ脳にせよ、その能力が最高度に発揮されるのは、情報が欠如したときではないだろうか。画像生成AIは故意に加えられたノイズの中から絵を復元することで画力をつける。我々はモールス通信で豊かな物語をやりとりするし、文字しかない小説に感情移入する。VRなど、至れり尽くせりの環境にあるときより、脳は能動的に働いているかもしれない。
 特攻機から送られてきた最後の「ム」が途切れたとき、基地の通信士は何を思ったことだろう。名前も年齢も知らず、自分が交信したわけでもないのに、その通信士の胸中を思ってやるせない気持ちになったのは、私だけではないだろう。

(第20回 おわり)


▶今までの「ぱられる・シンギュラリティ」

野尻抱介

野尻先生
SF作家、Maker、ニコニコ技術部員。1961年生まれ。三重県津市在住。計測制御・CADのプログラマー、ゲームデザイナーをへて専業作家になったが、現在は狩猟を通して自給自足を模索する兼業作家。『ふわふわの泉』『太陽の簒奪者』『沈黙のフライバイ』『南極点のピアピア動画』ほかで星雲賞7回受賞。宇宙作家クラブ会員。第一種銃猟免許、わな猟免許所持、第三級アマチュア無線技師。JQ2OYC。Twitter ID @nojiri_h

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