純喫茶で名文を Vol.1 眠らない街・新宿の名喫茶で、熱狂の60年代を懐古する

純喫茶が、好きです。
“純粋”に、“喫茶を楽しむ”場所、純喫茶。落ち着いた空気と、いわゆる流行りのチェーン店にはない個性。飲み物の美味しさはもちろん、その空間にいられることが嬉しく、贅沢に感じられる……それこそが、純喫茶の魅力ではないでしょうか。

そんな純喫茶で、静かにページを捲るひとときを味わいたい。美味しいコーヒーや紅茶を飲みながら、ひとりで活字の世界に没頭したい……ステイホームが続く中、そんな欲求が湧いてきたのです。なかなか出歩く娯楽が楽しみづらい今日このごろ。「出会い」が減っている今だからこそ、「本との出会い」も、誰かにプロデュースしてもらえないかしら?
そんなことを考え、この方にお願いをしてみました。

純喫茶で名文を  Vol.1 眠らない街・新宿の名喫茶で、熱狂の60年代を懐古する_01スケザネ
書評家・シナリオライター。
YouTubeチャンネル「スケザネ図書館」では書籍紹介や考察、トークなどの企画を配信中。
https://www.youtube.com/channel/UCLqjn__t2ORA0Yehvs1WzjA/

書評家、文学系Youtuberとして活躍中のスケザネ氏です。
彼にお願いしたのは、こんなこと

  1. 行きたい純喫茶をまず決定。
  2. スケザネ氏が、その店に似合いそうな本を3冊セレクト。
  3. 最終的に1冊を選び、その店で飲み物などとともに楽しむ。

自分で「読みたい本」を選ぶと、どうしても個人的趣味の範囲となりがち。せっかくのひとときですもの、新たな“出会い”を期待したい。スケザネ氏がどんな本をセレクトしてくれるか、期待が高まります。
というわけで。さっそくの第一回目、選んだ店はこちら、東京は新宿三丁目にある「珈琲貴族エジンバラ」。映画館「バルト9」の向かい、裏手には飲食店やバーなどが立ち並びます。一見「純喫茶」には見えないビルの外観ですが……

中に足を踏み入れると、こんな落ち着いた空間が広がっています。実はこの店、創業は1975年。以前は現在よりも歌舞伎町寄りの場所、靖国通りに店舗をかまえていたのですがビルの老朽化により閉鎖、2015年に現在の場所に移転してきたという経緯があります。そのため、店内自体はまだ新しいのですが、老舗にしか出せない風格があちこちに漂っています。

エジンバラといえばこの、1杯ずつ丁寧に入れてくれるサイフォンコーヒー。今やこのスタイルで淹れてくれるお店も少なくなりましたよね……。目の前でカップに注ぎ入れてくれる瞬間に立ち上る香りがたまりません。そしてまた、提供されるのが大倉陶園の口当たりが繊細なカップなので、美味しさも倍増。こういう細かなこだわりが嬉しいですよね。余談ですけど、カップのお値段を知るとこの店がますます好きになると思います。私はいつも、うっとりしながら飲んでいます。

そうそう、ここ、エジンバラはSFを中心とした古書を店内で販売していることでも知られています。その名も「エジンバラ文庫」。こういう点でも、本好きにはたまらない店なのです。

さて。「この店に合う3冊」としてスケザネさんが選んでくれたラインナップはこちら。

エジンバラは私もよく伺うお店ですので、訪れたときのことを思い起こしながら、何をキーワードに選書をしようかと思案しました。
その結果、「喫茶店」「新宿」「落語」、以上3つをテーマにした本を、それぞれご紹介したいと思います。「私の店に一年間お越しになれば、モーツァルトの音楽がわかるようになります。」
文学作品に登場する喫茶店の中で私が最も愛するお店、それが宮本輝『錦繍』の「モーツァルト」です。
主人公はモーツァルトに足繁く通っては、モーツァルトの名曲に耳を傾け、マスターと音楽談義に興じます。心中未遂や離婚など、波乱に富んだ物語ですが、その喫茶店でのゆったりとした内省的なひとときこそが、主人公を最後まで支えることとなっていく…。主人公と一緒に、極上のひと時を味わえます。続いて、「新宿」を舞台にした作品といえば、寺山修司『あゝ、荒野』が外せません。
都市が成立すると、光が当たる表舞台と、その一方、闇に包まれた裏通りとが存在するようになります。東京という大都市の中で、新宿は闇を担ってきました。この物語に登場するのは、プロボクサーを目指す男、性にしか興味のない女、自殺研究会の大学生、裏社会を取り仕切る商売人……。闇に生きる彼らは、光に包まれた表舞台ではできないことを平然とやってのけます。ネオンに照らされた彼らが、どんな理想や成功よりも眩しく映ることでしょう。最後は、エジンバラの近くにある寄席「新宿末広亭」が表紙になっている『落語推理 迷宮亭』をご紹介します。落語×ミステリーという組み合わせの全八篇の短編が収録された一冊です。落語家の殺人、ミステリーを扱った演目など、その掛け合わせ方法は様々。書き手は、オーストラリア人の落語家・快楽亭ブラックや我孫子武丸など豪華な顔ぶれです。そして、トリをつとめるのは、編者・山前譲による解説。落語とミステリーの浅からぬ因縁と歴史が巧みに語られ、一気に視界が開けます。
最後まで極上の一席が楽しめること間違いなしです。

お後がよろしいようで……。

むう、どれも魅力的で面白そう、かつ“新宿”の“純喫茶”に似合うラインナップ……!悩みに悩んだ末、持参したのはこの1冊。
寺山修司『あゝ、荒野』角川文庫

寺山修司『あゝ、荒野』(角川文庫)。
2017年に菅田将暉とヤン・イクチュン主演で映画化されたので、そちらが記憶に新しいという人もいるかもしれません。というか私もそうです。映画は観たけれど、実は原作は未読。
実は映画では、2021年の新宿が舞台になっていたんです。要はほんの少し“近未来”で、オリンピックが終わった翌年という設定。しかし、予期せぬウイルスの流行で、本来ならそうなっていたはずの世界線とはまた別の2021年に今なっているわけですが。だからというわけではないですが、2021年のうちに原作を読んでおくのもオツかなあ……そんなことを思い、『あゝ、荒野』を選んだのでした。

貴族ブレンド900円を頼み、ページをめくります。

1960年代の新宿を舞台に、“バリカン”建二と“新宿”新次、2人のボクサーが中心となって織りなす物語。ときに戯曲調になったり、詩が差しはさまれたり……という寺山修司独特の文体がなんともドライブ感があり、当時の新宿が持っていた熱狂と空気感を想起させます。あとがきによれば「モダン・ジャズの手法」……つまり即興性を重視して書かれたとのことで納得。それにしても、出てくる地名が本当に“このあたり”ばかり……。そもそも当時の新宿はカルチャーの中心地であり、寺山修司が演劇をはじめさまざまな活動を行っていた場所。「これって歌舞伎町のあのビルかなあ」とか想像しながら読んでいくのが、なんとも楽しい。ときに、テラヤマ本人がこの地を歩いていた、その光景も思い浮かべつつ。

個人的に印象に残ったのは、「実際、新宿は夜明けの時刻が一番美しい」という一文。かつて何度も新宿で飲んだくれて夜明かしをした身としてはとにかく同意ですし、続く夜明けの新宿の描写にぐっときてしまいました。取材時は緊急事態宣言発令中のため時短営業中でしたが、このエジンバラは本来、なんと驚異の24時間営業!さぞかし、“眠らない街”新宿で繰り広げられた、数々のドラマを見守ってきたのでしょう。

夜更けにゆっくりとコーヒーを味わいながらこの本を読み返したら、スケザネさんの言う「闇」の部分が、よりリアリティを持って感じられるのかもしれません。しかしそれも、新宿という街の魅力なんだろうな……そんなことを思ったひとときでした。

珈琲貴族エジンバラ
東京都新宿区新宿3-2-4 新宿M&Eスクエアビル 2F
24時間営業 ※緊急事態宣言中は6:00〜20:00
03-5379-2822
https://edinburgh.jp/

文・川口有紀

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