純喫茶で名文を  Vol.8 足利の“文学好きにはたまらない”喫茶店で、思い出と名文に浸る

古き良き純喫茶で美味しい飲み物をいただきながら、書評家・渡辺祐真(スケザネ)氏にセレクトしていただいた「その店に似合う1冊」を楽しむというこの「純喫茶で名文を」
第8回の今回で、なんと最終回となります。皆様、これまでご愛読ありがとうございました……!

最後の純喫茶巡り、さてどこに行きましょう? スケザネさんに「どこかご希望の場所はありますか?」とお伺いをたてたところ、「もし可能であれば……」と、とあるお店の名前を挙げられたのです。
というわけで東京都内から約2時間、やってきましたのは栃木県足利市。こちらに見えますは渡良瀬川。はい、あの森高千里の名曲『渡良瀬橋』で知られた場所ですね。この光景もまさに、渡良瀬橋から撮ったもの。

 

 

渡良瀬川を渡り、数分歩いてたどり着きましたこちらが、今回の舞台「café 杏奴」です。実はこのお店、もともと東京の新宿区・下落合で営業をされていて、2013年にここ・足利に移転をされたという経緯があり。スケザネさんにとって、とても思い出深い店なのだとか。

店内に足を踏み入れると、明るく開放感のある内観が広がりますが……いや見てください、この圧巻の本棚!

入って左手には、岩波書店の日本古典文学全集がズラリ! 三島由紀夫、小林秀雄、吉田松陰、谷崎潤一郎……文学好きにはたまらないラインナップ。

右手の棚には大判の書籍や、古い雑誌のバックナンバーが並びます。「暮しの手帖」「太陽」「芸術新潮」……思わず仕事を忘れて読みふけりそうになります、いかんいかん。
「下落合にあったころは、こんな風には本は置けなかったんですよ」と語るのは「あんぬmama」こと前澤美津枝さん。雑誌のバックナンバーは、お客様からも集まってきたものが多いとか。

まずは名物のカレーで腹ごしらえといきましょう。ポークカレー700円をいただきます。コクがある濃厚なカレー、美味しい……! 添えられたデザートの黒蜜寒天も嬉しい。

では満を持して。今回のスケザネさんのセレクトは?


渡辺祐真(スケザネ)
書評家・シナリオライター。
YouTubeチャンネル「スケザネ図書館」では書籍紹介や考察、トークなどの企画を配信中。
https://www.youtube.com/channel/UCLqjn__t2ORA0Yehvs1WzjA/

cafe杏奴が下落合にあった頃、高校生だった私はよく足を運んでは、紅茶とカレーを頂いていました。足利に移転されてからは、なかなか行けなくなってしまいましたが、大好きなお店です。

まず、足利が文化的な香気に満ちた気持ちのいい町です。名前の通り、室町幕府を創建した足利氏ゆかりの土地で、足利一門の氏寺や日本最古の学校と言われる足利学校がありました。五味文彦『学校史に見る日本』によれば、足利は学校都市として繁栄していたそうで、今でもその名残か、美術館や展示スペースが充実していますし、杏奴もその例に漏れません。

前置きが長くなりましたが、今回の本を紹介します。

一冊目は、店名の由来となった、小堀杏奴『朽葉色のショール』(講談社文芸文庫)。小堀杏奴は、森鴎外の娘です。鴎外の娘といえば、この連載でも紹介した森茉莉が有名で、その著作の多くは文庫になっており、入手も容易です。一方で、杏奴の著作の入手は困難です。なんともったいないことか!杏奴の持つ劣等感や強い抑圧から放たれる力強い言葉をぜひ浴びてください。たとえば、父も姉も優秀で、更に母は後妻と、複雑な家庭に育った杏奴は、後年に一族をこう評します。「私たちの周囲の人たちはみな世間的には立派な人たちですが、一人として暖い心を持った人はいません。あの人たちは世間のために生きている人たちで、いわば世間の代表者なのですから(後略)」。

続いて、杏奴がかつてあった下落合に記念館のある作家、林芙美子『新選 林芙美子童話集 第2巻』(論創社)。実生活の内に潜む厳しさと明るさの両方を鋭く描いた『放浪記』や『浮雲』などで知られる作家ですが、実は童話も数多く執筆していました。特に本書に収録された「僕の日記」は、これまで単行本や全集などにも収められたことがない、貴重な一篇。時は第二次世界大戦中、小学五年生の少年による日記の体裁をとった物語です。『ペンギン・ハイウェイ』を想起させる、観察眼の鋭いませた少年の語り口がほほえましいですが、物語の終盤にちょっとした火遊びが原因で、上着が燃えてしまいます。その焼け方がさらりと描写されるのですが、時代を考えるとぎょっとさせられます。

最後です。足利は、ジョージ秋山、相田みつをなど、数々の有名人を輩出していますが、その中の一人として、想田和弘『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)。著者は、『選挙』や『牡蠣工場』など「観察映画」と呼ばれるドキュメンタリー映画の監督です。一般にドキュメンタリーといえば、テーマを設定し、字幕や音楽を駆使して、そのテーマを浮き彫りにしていくようなイメージですが、観察映画はその真逆。じっくりと対象を映すだけの映像を流します。観客はその映像と向き合い、自らテーマを発見、考察していくのです。本書には、そんな観察映画が生まれた経緯、想田監督の「わかりやすさ」への警鐘などが詰まっており、映像に向き合う心と技術が学べます。さあ、今回は一体どの本になるのか。一緒に味わっていきましょう!

最後の最後で、また悩ましいセレクトを……! この店の名前にちなんだ1冊か、下落合という思い出の地にまつわる1冊か、足利という土地に縁深い方の1冊か……。『学校史に見る日本』も面白そうだし。
さてどうしましょう……と、本を目の前にして悩みます。え、目の前?

あれ?

はい、最終回にしてスペシャルゲスト! スケザネさんご本人がなんと登場です。スケザネさんがあんぬmamaと思い出話に花を咲かせている間(漏れ聞こえてきた高校時代のスケザネさんエピソードは胸にしまっておきます)、選んだ1冊はこちら。

林芙美子『新選林芙美子童話集 第2巻』。セレクトの理由は非常に個人的なものですゴメンナサイ。なぜなら川口の故郷は林芙美子が幼少期を過ごした地、尾道。その名がとても馴染み深い文豪の1人という、それが決めてでした。

スケザネさんが書かれているように、林芙美子というと『放浪記』『浮雲』などがすぐ思い浮かび、児童文学のイメージはない人が多いのではないでしょうか? かく言う私もその1人。
しかし、この1冊を読み、いろいろと衝撃を受けます。林芙美子が紡ぎ出す、子供視点のなんたるみずみずしさ! 描写の細やかさ!! 「僕の日記」、凄いです。国民学校5年生の子供の目線で書かれていく日々の風景と感情の、なんとリアルなことか。連載の最後の最後で、“名文”という言葉が心に染み渡ります。
もしこの説明で「読みにくい古典文学でしょ?」と思ったならそれは誤解。むしろ、今の時代にそのまま教科書に載っていてもおかしくない読みやすさと、文章の見事さです。というか、あとがきでも触れられていましたが、作文の書き方に悩む小学生がいたならこれをお手本にしたらいいのでは……という見事っぷり。情景を描写する、他人にわかりやすく説明するということの“基本のき”のような文章でいて、それでいて面白いという。また、スケザネさんが書かれたように、時代背景の暗喩も読み取れるあたりがまた興味深く。あ、川口がよく知っている場所が出てくる「小さな花」の言葉は、完全にネイティブのイントネーションで脳内再現できました。それも嬉しかったです。

時代背景と言えば。この1冊で、個人的に印象に残ったのは冒頭の序詩「ひかり」。1947年、戦後間もないころに書かれたこの1篇の詩が、まだまだ閉塞感と不安感が漂う生活に疲れた今の心に染み渡っていくようでした。これもぜひ、手にとってご確認を。

時代の流れとともに、今や少なくなっている個性的な喫茶店たち。そんな貴重な場所で、本との邂逅を楽しむひとときを過ごせたら……そんな思いつきからスタートした連載でしたが、自分の予想を遥かに超えた楽しい“出会い”ばかりでした。

この連載は終わりますが、良きお店と良き本とのマッチング、皆様もぜひ楽しんでいただければと思います。

café 杏奴
栃木県足利市通2丁目2624 前澤ビル1階
0284-22-4530
11:30〜19:00 火曜定休

文・川口有紀

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