純喫茶で名文を Vol.7 四谷駅前で、昭和のモダニズム建築と名曲に隠された魅力をじっくり味わう

古き良き純喫茶で美味しい飲み物をいただきながら、書評家・スケザネ氏にセレクトしていただいた「その店に似合う1冊」を楽しむというこの「純喫茶で名文を」。第7回の舞台は、四谷です。
JR四ツ谷駅を出て、新宿通りと外堀通りが交わる交差点をわたってすぐの場所。今回ご紹介するのは、大通りを静かに眺めながらたたずむこの「コーヒー・ロン」です。

一見、喫茶店らしからぬ外見に「?」と思う人もいるかもしれません。じつは川口の個人的なお気に入り喫茶店の1つであるロンですが、その魅力はなんと言っても建物! 創業は1954年、もともとは今の建物の向かいにあった店舗営業していたそうで、この建物は1969年にできたもの。佐賀県立博物館をはじめさまざまな名建築を設計した高橋靗一氏が常連だった縁で、高橋氏に師事した池田勝也氏が設計したとのことですが……。

コンクリート打ちっぱなしの外観から一歩足を踏み入れると、シンプルかつ落ち着いた空気感の店内に。柱のない構造、奥の螺旋階段、斜めになった天井、中央に作られた吹き抜け……。けして広くはないお店ですが、圧迫感を感じさせない考え抜かれた空間。見れば見るほど、細部にまでこだわっていることがわかる「昭和のモダニズム建築」。当時としては革新的な手法・デザインが、この店には詰まっています。
「建ててからしばらくは、毎月10〜20人くらい建築を学ぶ人が見に来ていたよ」
そう語るのは、二代目店主をつとめる小倉洋明さん。

2階はこんな感じです。この外光が入る窓と吹き抜けの立体的な構造が、ロン独特の雰囲気を作り出しているんですよね。仕事仲間や友達と喋ったり、一人でちょっと休憩したり……店内BGMでよくかかっているビートルズを聴きながら、ついつい長居したくなる場所です。全席喫煙可なので、愛煙家にも嬉しいスポット。

かつてテレビ局やラジオ局がまだ都心に多くあった時代、四谷は放送人たちが多く集まる場所でもあり、この店も数々の打ち合わせの現場となったようです。入り口すぐ近くにはこんな変形席があり、グループ客に人気。近くの上智大学に通う学生さんらしき若者が喋ってるのもよく見かけます。
また、この店は故・井上ひさし氏が愛した喫茶店としても知られている場所。数多の名作が、この店から生まれていったのでしょう。

さてさて。今回のスケザネさんのセレクトは?

純喫茶で名文を  Vol.1 眠らない街・新宿の名喫茶で、熱狂の60年代を懐古する_01
渡辺祐真(スケザネ)
書評家・シナリオライター。
YouTubeチャンネル「スケザネ図書館」では書籍紹介や考察、トークなどの企画を配信中。
https://www.youtube.com/channel/UCLqjn__t2ORA0Yehvs1WzjA/

今回は四谷にある老舗喫茶店「ロン」。というわけで、「四谷」、「常連客」、「店内BGM」から、三冊を選びました。

まずは四谷という町から、四谷生まれの作家、三島由紀夫『不道徳教育講座』(角川文庫)です。三島と言えば、デカダン(退廃主義)と呼ばれる、科学技術などの安直な進歩に対して背を向けて、独特の芸術を築き上げた一派として数えられる人物です。本書はそんな「デカダン的お悩み相談室」と言うべき一冊で、「罪は人になすりつけるべし」や「大いにウソをつくべし」と言った、およそ道徳的は言い難い章立てが並びます。三島の言辞を丸ごと信じるのではなく、まさにこのシニカルな態度こそを味わって、それを改めて三島に対して向けてみる。単なる逆張りではない、既存秩序への揺さぶりを体感してください(入社式で本書を読んだことにより、入社から約半月で退職したのはかつての私です。マネしてはダメ。ゼッタイ)。

続いては、常連客として足を運んでいたことから、井上ひさし『ナイン』(講談社文庫)。本作は短編連作小説で、特にその表題作は四谷を舞台にした一篇です。ロンから新宿通りを渡って一本入ったところにある、「しんみち通り(新道)」という小路から物語の幕が開きます。新道の畳屋の主人と著者と思しき語り手が、約二十年前にその界隈の少年たちで構成されていた野球チームの思い出話に花を咲かせます。やがて話は彼らの明るい近況へと移るのですが、四番でキャプテンを務めていた人物の話になると、一転不穏になり…。近年ますますビルの新築が相次ぐ四谷ですが、そんな変わりゆく街並みに、少年時代の分かちがたい絆を思い起こす名品です。(このじんとくる作品の次の『太郎と花子』という作品が、もう最高にお下劣で、これも必読!)

三冊目です。常に店内BGMがビートルズということで、ビートルズの歌詞を味わえる、佐藤良明『ビートルズde英文法』(放送大学教育振興会)をご紹介します。本書はタイトルの通り、ビートルズの名曲の数々を英語として味わうことを主眼にしています。時制や人称といった文法をはじめ、歌詞に隠された意味を学ぶのはもちろん、音韻や拍といった英語の音声について学べるのが稀少価値高いです!コラムとして挿入されるビートルズにまつわるエッセイやこぼれ話も粒ぞろいで、特に代表曲である「yesterday」が楽譜の上ではアンバランスながら、なぜ演奏すると見事な均整がとれているのかは必読です。

今回はどの本が選ばれるのでしょうか。良い読書になりますように!

……なんかスケザネさんの思わぬ一面が見えてしまったような気がします。入社後半月で退社……何があったんでしょうか。今度聞かせてください。

今回も悩ましい3冊が揃いましたが、こちらにしました! 『ビートルズde英文法』です。

「名文」と銘打っておきながら、こんな本まで飛び出すのがこの連載の良いところ(多分)。この本、よくある英語勉強本だと思ったら大間違い。実は「放送大学のテキスト」なんですよ。スケザネさん、こんな本までチェックしてるとは……恐るべし!

ブレンドコーヒー(600円)と、せっかくなので井上ひさし先生も大好物だったというタマゴサンド(700円)も注文して読み始めます。
わー。英文法の本なんて何十年ぶりだろう読むの……一瞬遠い目になりましたが、最初の章から「押韻」の文字が出てきておっと思います。確かに、普通に英文法学んでいて押韻気にすることなんてないですよね。日本語の1音は「モーラ」と呼ばれ「音節」じゃないとの表記に「へー」ともなり。文法の本って「SVOCが云々」って感じだと思ってましたけど、随分様子が違う。確かに「読み物」として面白いです。
筆者によるビートルズの思い出話あり、曲やタイトルに関する蘊蓄あり。「ジョン・レノンには自分以外の男と付き合う女性への嫉妬の曲が多い」とか、スケザネさんも言及してる「yesterday」にまつわる“謎”とか、英文法の勉強はおろそかになったとしても(おい)合間に挟まれる小ネタを読んでいるだけで、なんだか自分の知らないビートルズの一面をどんどん知ることができる。でもそれを知った上で曲の英語をきちんと解読していくと、確かに没入感が全然違うような気がします。勉強の意味でも、音楽鑑賞の意味でも。

フル回転している脳に栄養を送り込むべく、タマゴサンドをパクリ。焼かれたタマゴがふんわりしたパンに挟まれ、なんとも風味豊か。ああ美味しい!
「このタマゴサンドが人気になると、バターの消費が早くって」
そう語る店主・小倉さん。あ、この芳醇な味わいの秘密は、たっぷりはいったバターでしたか……道理で。カロリーは考えないようにしようっと。

この連載で紹介した喫茶店はどこも個性的な店ばかりでしたが、こういう「ビルごと」持っている喫茶店というのも今や珍しいのではないでしょうか。不滅の名バンドの曲を味わいながら、空間と美味しさも堪能する。そんなひとときを、あなたもぜひ。

コーヒー・ロン
東京都新宿区四谷1-2
11:00~19:00(LO18:30)
03-3341-1091※文中の価格は2021年11月現在。12月に改定予定

文・川口有紀

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