Record5 三宅伸治

ジョー横溝が、親交のあるミュージシャンを迎え“レコードと煙草”について語る連載『スモーキング・ミュージック』。
連載4回目のゲストは三宅伸治さん。ソロとしての活動だけではなく、忌野清志郎さんとのザ・タイマーズ(THE TIMERS)としての活動や、鮎川誠さんらとの3KINGSなど様々な形態で活動する日本を代表するロック・ブルースギタリスト&SSWだ。

そんな三宅伸治さんとレジェンドたちのエピソードとともにレコードと煙草について語りあった。

■著者プロフィール


ジョー横溝 -Joe Yokomizo-
ライター/ラジオDJ/MC。1968年生まれ。東京都出身。
WEBメディア『君ニ問フ』編集長や音楽&トーク番組『ジョー横溝チャンネル』にて音楽に関するディープなネタを発信。

■ゲストプロフィール

三宅伸治
三宅伸治 -Miyake Shinji-
1961年生まれ。宮崎県出身。
ギタリストでありボーカリスト。数多くのアーティストと楽曲を共作、また共演し、現在もライヴやリリースを積極的に行うミュージシャン。

▼こちらの記事は三宅氏厳選の「無人島に持っていきたい」プレイリストとともにお楽しみください
※記事の最後に三宅氏の解説もあります

――すげー!!今まででレコードを最多持ってきていただいたと思います。ちなみに、レコードは何枚ぐらい持ってるんですか?
三宅「うーん…前に数えたことあったんですけど、それ以降また増えてるから。どれぐらいですかね」

――数千枚?
三宅「そうですね。でも1万枚はいかないとは思います。1万いったら、たぶんうちに入らないので(笑)。で、その中に煙草の写ってるジャケットってうちにあったかなって思ったら、いっぱい出てきちゃって(笑)」

――三宅さんの好きなブルースはレコードJKで煙草、頻繁に出てきますからね。
三宅「でも最初に思いついた煙草のジャケットがウェス・モンゴメリーの『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』だったんですよ」

ウェス・モンゴメリー - ア・デイ・イン・ザ・ライフ

――このレコードはいつか誰かが持ってくると思ってました。1967年のジャズ・ギタリスト、ウェスの代表作にして名盤ですね。
三宅「はい。探してみたらさらにどんどん煙草ジャケットが出てきて懐かしくなりました。例えば、トニー・ジョー・ホワイト

――僕もトニー・ジョーは大好きでラジオでもよくオンエアしてます。スルメみたいなブルースで、聴けば聴くほどキュンキュン来るんですよね。
三宅「俺、彼とは一緒に演ったんですよ。これは彼が亡くなってから出たアルバムですが、トニー・ジョーとは、何かの雑誌の対談で会って、渋谷のトニー・ジョーのホテルの部屋に行って話しました」

――何を話したんですか?
三宅「いろんな話をしましたよ。エルヴィス(エルヴィス・プレスリー)がカバーした『ポーク・サラダ・アニー』の秘話とか。トニー・ジョーはエルヴィスの大ファンだったんですけど、ある日、エルヴィス本人から電話がかかってきて、あの曲歌いたいんだけどって。で、とても興奮したみたいな話をしてました」

――対談企画時には楽器は持って行かずに?
三宅「持って行って、一緒に演奏しました」

――それは何年前ですか?
三宅「来日したのは20年近く前ですかね。サムズアップでトニー・ジョーがライヴをやったんですけど、俺、その時のオープニングやったんですよ。俺の演奏を楽屋で聴いてくれてて。いい曲だねって」

――素敵な思い出ですね。煙草ジャケットの話だけで3時間ぐらい行けそうです(笑)。ちなみに三宅さんは煙草は?
三宅「もうやめました。昔は1日5、6箱吸ってて。右手が常にタバコで。それやめたら、本を書いたり他にいろんなことができるなと思ってやめたんですけどね」

――煙草への憧れはありましたか?
三宅「ギター弾きながらタバコ吸うなんて、若いときはかっこいいなぁって思ってましたし、今でもそういう人見るとカッコいいなって思います。例えば、鮎川(誠)さんとか。鮎川さんはやっぱり、タバコとコーヒーとレスポールのイメージがあります。キースもそうですけどね。でもやっぱりこういうジャケットに影響されてるのかもしれないし。クラプトンなんかギターのヘッドに煙草を挿して、煙草の跡が残ってるのを真似する人がいっぱいいましたし。」

――三宅さんは鮎川さんとたくさん一緒に活動してきたので、今日はきっと鮎川さんのお話になると思って、僕は煙草ジャケットはシナロケ(シーナ&ロケッツ)の『メイン・ソングス』(85年)を持ってきました。

シーナ&ロケッツ - メイン・ソングス

三宅「もちろんこのレコードも知ってます。鮎川さんと煙草でいうと、鮎川さん、友部正人さんのやっている3KINGSというバンドのジャケットで、鮎川さん煙草吸ってるんですよ。その時も、写真を撮るときに何気にタバコに火を点けて。うわー、カッコいいなって」

――鮎川さんとの出会いはいつなんですか?
三宅「シナロケがりぼんという事務所にいたときに、RC(RCサクセション)も同じ事務所にいたんです。で、俺がRCのスタッフやってるときにその事務所の忘年会があったんですよ。RCのメンバーはあんまりその忘年会には参加してなかったと思うんですけど、そこにスタッフとか鮎川さんがいて、一緒にギターを弾いたような記憶があります。20歳過ぎぐらいですかね(笑)」

――そこから鮎川さんとはずーっと一緒だったんですね?
三宅「でもしょっちゅうお会いはしてなくて。いつだったか、金沢の夕焼け祭りっていうイベントがあって。ゲストで鮎川さんも俺も呼んでもらってて。なぜか新幹線の中とか、打ち上げとか、いつも鮎川さんの隣だったんですよ。で、ボブ・ディランの話をしたりしてました。で“ボブ・ディランそんな好きなんだ”って思って。もちろん鮎川さんがディランを好きなのは知ってましたけど。それで3KINGSを思いついたんです」

――なるほど。さて、ご持参いただいた煙草ジャケットの中でたっぷりお話を聞きたいのはザ・タイマーズ(THE TIMERS)の89年リリースの1stアルバム『THE TIMERS』についてです。
三宅「正確に言うとこれは煙草じゃないですけど(笑)」

THE TIMERS - THE TIMERS

――そうですね。煙草じゃない吸う物ですね(笑)。ザ・タイマーズというと伝説の『夜のヒットスタジオ事件』の話に終始してしまい、ちゃんとバンドのことを聞いたことがなくて。あのバンドは改めてどういう風に立ち上がったんですか?
三宅「当時、FM大阪の『夜をぶっとばせ』っていう番組があって、清志郎さんと俺とアシスタントの女の子とでやってたんです。ラジオ番組って言ったって、ジョーさんみたいにちゃんと喋れないから、台本があって、その台本棒読みだったんですよ」

夜のヒットスタジオ事件

出典:「忌野清志郎 エフエム東京罵倒ソング」jreastniigata_3

――生放送だったんですか?
三宅「収録です。でも1回で3週分録ったりして。ほとんどその女の子が進行してくれてて、ラジオ番組って退屈だなって二人で言ってたんです(笑)。で、ギター持ち込もうか?っていう話になって、赤本っていう歌本を持って行ってたんですけど、ページをめくってたら、あ、モンキーズだ!って、モンキーズ好きだったんだよなって話になって。それで、女の子が喋ってる後ろでモンキーズのテーマとかをやってたんですよ。で、清志郎さんが日本語の歌詞をつけて。

そんなことをしているうちに、アン・ルイスさんがトリの河口湖の夏のイベントに、清志郎さんがゲストで呼ばれてて。88年だったかなぁ…。それにタイマーズで出るか?って話になったんです。それまでに、衣装をどうしようかとかで盛り上がって(笑)。俺、当時、バイトで発掘作業やってたんで、それで『土木作業員ブルース』を作ったんですけど、それがきっかけで、ああいう衣装にするかって話になったんです」

――あの衣装は三宅さんのバイトから来てたんですね(笑)!
三宅「はい。ちなみに最初は二人で出るかって言ってたんですけど、やっぱりリズム隊が必要かもしれないなってなって、リズム隊つけたんです。それで河口湖のトップバッターで出たんですよ。要するにリリース予定だった反原発ソングが入ったRCの『COVERS』が、発売元の東芝が原発を作ってる会社ということで発売禁止になって、いろいろ言いたいことが溜まってたんです。

ラジオ番組でもそんなことばっかり話してて。8月3日に河口湖で最初にライヴをやって、次の週、8月6日に広島での『広島平和コンサート』に出たときも、『ラブ・ミー・テンダー』『サマー・タイム・ブルース』『偽善者』とかを演奏したんです。山本コウタローさんとこうせつさんが司会だったんですけど、演奏が終わったら、楽屋にコウタローさんとかが来て『良かったよー』って。で、清志郎さんが『アイツ何聴いてたんだろうな?』とかって言って(笑)。」

――(笑)。そこからアルバム制作に?
三宅「そうですね。たぶんその頃、デモテープを作ってたのかもしれないです。1ヶ月ぐらいずっと東芝のスタジオを押さえて録ってたんですよ。で、最終的にそれプラスロンドンで録って完成させました」

――レコーディングの演奏はセーノで録ってたんですか?
三宅「だいたいそうでしたね。ロンドンのホテルも、リズム隊二人が一部屋で、俺と清志郎さん一部屋で、寝るギリギリまで一緒に録った音を聴きながら、朝4時ぐらいまで起きてて、ほんで、ちょっとだけ仮眠して、またスタジオ行ってみたいな感じでした」

――レコーディングで特に印象に残っている曲は?
三宅「うーん…どれだっけな。たしか『総理大臣』かなんかを、ロンドンで録ったときに、アシスタントが間違って消しちゃったんですよ。次の日にものすごく土下座されたものの、清志郎さんも、何だとぉー?!みたいな感じになったんですけど、いろいろと誠意をつくしてくれて(笑)。まぁ、いいんじゃないか?みたいな。もう一回やるかって(笑)」

――(笑)。でもよくジャケットこれにしましたね。レコード会社もよくOKしたと思うし。
三宅「今見ると面白いですよね。当時はキティー・レコードから、今はリマスター版がユニバーサルから出ていて、今日持ってきたのはリマスター版です」

――今だに売れ続けてるってことですよね?
三宅「そうですね。20万枚ぐらい売れたって話です。RCより売れたんですって」

――えー!そうなんですね。結局タイマーズってアルバム2枚ですか?
三宅「3枚ですね。ライヴ盤があるので」

――バンドは一応解散したんですか?
三宅「解散も何も(笑)。思いついたときにやってるだけですから。でも今聴いても、デビューアルバムのこれが一番いいですね。音もやっぱりいいし。チャールズというロンドンのエンジニアが…まぁ、楽しかったですね」

――ほとんど活字にできないような思い出ばかりが詰まっているアルバムだったと思いますが(笑)。それにしても、煙草ジャケットの2枚ですでに貴重なエピソード満載です!!
三宅「エピソードはまだまだいくらでもあるんですけど、例えば、トニー・ジョーは、ナッシュビルにレコーディングに行ったときに、ゲストで来てくれたんですよ。こっちからオファーはしたんですけど、コーディング最終日に、ピックアップトラックの荷台にギターをケースに入れずそのまま載せて(笑)来てくれて。

それでギター入れてくれて、声も入れてくれてたんですけど、俺のブルースハープは要らないか?って言われたんですけど、考えてなかったから。お前はスワンピーだし、スワンプにはやっぱ俺のハープは必要だよな?みたいな感じで言ってくれるんですけど、日本にいるときから、トニー・ジョーはギャラが高いっていう話を聞いてたの。だからハープを演ってもらうとまたギャラが…と思ってドキドキしてたんですよ。レコーディング終わって、恐る恐るギャラおいくらですか?って聞いたら、お前はスワンピーだから、出来上がったやつにサインして送ってくれたらそれでいいって。ノーギャラだったんですよ。すごいですよね」

――トニーの演奏はどの曲に入ってるんですか?
三宅「『615』っていうフルアルバムがあって、その中の『SWAMP MAMA』っていう曲です。ナッシュビルに行って、ナッシュビルのエリア・コード615っていうバンドで大好きで、そのバンドのメンバーでもあるウェイン・モスっていう人にエンジニアやってもらったんです。で、そのウェイン・モスもチャーリー・マッコイも入っているバンドがエリア・コード615なので、彼らの『Trip in the Countory』はあとで出てくる、無人島に持っていきたいアルバムの1枚にします。

AREA CODE 615 - Trip in the Countory

ちなみに、ディラン(ボブ・ディラン)の『I Want You』のギター、ロイ・オービソンの『オー・プリティー・ウーマン』のギターもウェイン・モスです。チャーリー・マッコイもナッシュビルのカントリーの殿堂入りをしてて、日本にも何回か来てますけど、ディランの『Rainy Day Women』でトランペットを吹いているのもチャーリー・マッコイです。エリア・コード615のアルバムではベース弾いてるんですけど、とにかくマルチプレイヤーで、右手でベース弾きながら、そこにあったトランペットを取って吹いたっていう逸話があります(笑)」

――レコーディングでそれはスゲーなぁ。
三宅「俺のレコーディングでも木琴みたいなやつをダビングするって言うから見てたら、スティックを4本使って叩いてて。もうぶったまげました。チャーリー・マッコイがバンドマスターになって、みんなセーノでやるんですけど、やりながら、今サビだ、こっからソロだみたいなことを言って、一回やるんですよ。で、次録ろうって言ってレック。だから2テイクでおしまいでした。だから俺らは、世界で一番早い、うまい、安い!って吉野家みたいな(笑)」

――(笑)。
三宅「あと、ウェイン・モスはシンデレラスタジオっていうのを持っていて。ようは自分の家なんですけど。エンジニアもウェイン・モスがやって。もうアナログ中のアナログですよ。スタジオに行って、到着したその日から録ろうと思ってたらノイズが出てて。ちょっと待っててくれって言って、掃除し始めて。で、OKって(笑)」

――アナログ世代にはいちいち震えるエピソードですね。そもそも三宅さん最初に買ったレコードはなんですか?
三宅「買っちゃいないんですけど、幼稚園生のときに、舟木一夫の『高校三年生』を幼稚園の帰りにレコード屋で万引きして帰ったという(笑)」

――これ書いていいんですか(笑)?
三宅「ええ。あとでお袋が謝りながらお金を持っていったという(笑)」

――なんでそれを万引きしたんですかね?
三宅「好きだったんですかね?たぶんテレビか何かで見て、あ、これだって思ったんじゃないですかね。普通に持って帰ったみたいで(笑)。それが最初ですけど。自分のお金でちゃんと買ったのは『Imagine』でした。日曜の夕方に文化放送ラジオで、みのもんたさんのポップス20という番組があって毎週聴いてて、大学ノートに今週のベスト20をバーって書いて、今週の新曲を書いて、それでお小遣い持ってレコード屋に買いに行くっていうのが好きだったですね」

――その中でジョン・レノンだったんですね。そのぐらいからギターも始めるんですか?
三宅「そうですね。小学校6年ぐらいから」

――ギターは誰憧れだったんですか?
三宅「誰憧れっていうか、いろんなの人の曲を弾いてました。古井戸のチャボさんだったりとか、その影響でB.B.キング聴いてみたりとか。最初聴いた時は、これってジャズって言うのかな?って感じでしたけどね」

――そこからずいぶん時間が経って、清志郎さんや鮎川さんのように天国に行ってしまった仲間もいますが、コロナも明けて今ライヴも普通になって、三宅さんはどんなことを考えていますか?
三宅「夢ですけど、もう一回ウェイン・モスのとこ行ってレコーディングしたいなとかですね。だから今はナッシュビルですね。だってトニー・ジョーも亡くなっちゃったし、一緒にレコーディングしたレジー・ヤングっていう大好きなギターリストも亡くなっちゃったので。どんどんいなくなっちゃうんで、会えるときに会っておきたいなっていうのはありますね」

――そうですね。音として残しておけば永遠ですもんね。
三宅「そうですね。ダン・ペンっていうソングライターが9月末に来るんですよ。前にダン・ペンとスプーナー・オールダムの二人来たときに、磔磔(takutaku)で、この二人が来る前の日にライヴをブッキングして『Wellcome ,Dan Penn』って(笑)。東京の公演は清志郎さんと二人で観に行ったりした大好きな人です。この人たちも生きてるうちに会いたいなって」

――是非、レジェンドたちとセッションしてその音を残してほしいなぁ。
三宅「レジェンドで思い出したんですが、俺チャック・ベリーのサインも持ってるんですよね」

――マジですか!
三宅「チャック・ベリーが日本でRCと演ったとき、俺、RCと一緒に移動したりもしましたから」

――そうか!
三宅「最初の来日で、横浜での公演のときは内田裕也さんがいたり、スタッフが付いてたんですけど、だんだん一人で行動するようになってたんですよね。結局人間不信なんですよね」

――チャック・ベリーってギャラを現金じゃないと受け取らないって本当ですか?
三宅「そう聞いたことはります。最後の公演のとき、羽田に着いて、そのあと、大阪からチャックと一緒に移動してたんですよ。飛行場で預けた手荷物が出てくるじゃないですか?あれくらいの大物だと楽器とかスタッフがピックアップして運ぶんですが、自分でピックアップして、自分一人で行きました。こうやって世界回ってるんだなって思ったのを覚えています。で、チャックにもレコードにサインもらったんですよ。レコードとか楽器ってそういうのを思い出しますよね。音楽、ギター、レコードが好きで、本当良かったですわ」


▼こちらの記事は三宅氏厳選の「無人島に持っていきたい」プレイリストとともにお楽しみください
※記事の最後に三宅氏の解説もあります

【三宅伸治が選ぶ無人島に持って行きたいレコード5枚】

●エリアコード615『Trip in the Countory』  : 本文参照
●ザ・ビートルズ『PLEASE PLEASE ME』:ビートルズはリアルタイムでは間に合ってないんですけど、いまだにこれが好きです。これUKオリジナルなんですけど、これが本当に音が太くて。鮎川さんと名古屋のオープンハウスというところで二人でDJやったんですよ。最初俺のコーナーで、これかけたら、鮎川さんが興奮して、俺のコーナーなのにボリュームをグーッとあげて(笑)、お客さんは踊りまくるし、もう最高でしたね(笑)。やっぱりUKオリジナルっていいんですよ。例えばビートルズのメンバーが、この音聴いてOK出したんだなって思うし。そしたらやっぱ、その音聴いてみたくなるじゃないですか。だって今まで聴いてたビートルズとは違ったわけですから。そんなことを思うと、お金出して買ってもいいなって思います。
●ロバート・ジョンソン『King of the Delta Blues Singers 2』:ロバジョンっていろんな都市伝説がある人ですが、このアルバムも都市伝説があふれてます。例えば、JKにしても、なぜ壁を向いて録音してるか?というと、次にレコーディングするメキシコのバンドが待ってて、そこに見せたくなかったっていう説と、あと壁の反射する音が良かったからこうした説とかあるんです。好きな人にとっては、そういう妄想するのが楽しくて」
●マディ・ウォーターズ『The Best Of MUDDY WATERS』:マディが来日したときにライヴを見たんですよ。記憶違いじゃなかったら、トイレに隠れて2回見たんです(笑)。1回目はチケット買って見て、休憩時間にトイレに隠れて、2回目も見た(笑)。っていう話を清志郎さんにしたことがあって。そしたら、“俺もサム&デイブでそれやったって(笑)。同じことやってた(笑)。マディはとにかく王様なんですよね。王様って言ったらこの人のことだなって思う。来日したとき、ホトケさんとか鮎川さんとかみんなで楽屋に行ったみたいで。俺は行ってないですけど。その写真とかありますよ」
●ライトニング・ホプキンス『Lightnin’ Strikes』:高校の修学旅行をサボって、名古屋に行って、ライトニング・ホプキンスのライヴを観たんです。もう中学の頃から好きで。これ、おばあちゃんがハワイに行ったときに買ってきてくれたレコードなんですよ。『Lightnin’ Strikes』っていう本来は稲妻のジャケットの有名なタイトルのアルバムなんですが、タイトルと入ってる曲が全然違うんですよ。ハワイ盤なのかなんなのかよくわかんないですけど、ちゃんとアルバムとしていいんです。中学の頃から一生懸命聴いたんですけど。それで高校の時に観に行って。ギンギンの格好をしたまま表から出ようとして、スタッフの人に止められました(笑)」

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