野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第5回 宇宙は木片と歯車で作れるか

SF小説家・野尻抱介が、原始的な遊びを通して人類のテクノロジー史を辿り直す本連載。第5回です。
人工知能や仮想現実などなど、先進技術を怖がらず、翻弄されず、つかず離れず「ぱられる=横並び」に生きていく。プレ・シンギュラリティ時代の人類のたしなみを実践します。

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第5回 宇宙は木片と歯車で作れるか

1章 そろばんと人間


 前回、プリミティブな計算器具として計算尺を取り上げた。計算尺はアナログ機器なので、今回は最古のデジタル計算器、そろばんを紹介しよう。広義のそろばん(abacus)はメソポタミア、エジプト、ペルシャ、ギリシャ、ローマ、中国、インド、インカ帝国と、およそ文明のあるところに存在した。形状は溝を掘った板に小石を並べるもの、棒や針金に通したビーズを動かすもの、板を仕切ったカウンティングボード等々。
 中国から日本に伝わったそろばんは独自の発展をとげた。ポケット電卓が普及するまで、そろばんの技量や普及度は日本が世界一だったかもしれない。
『ご冗談でしょう、ファインマンさん』IIに、そろばんの得意な日本人に物理学者のファインマンが暗算で挑むエピソードがある。足し算引き算掛け算ではそろばんの勝ち、割り算で互角、最後に立方根でファインマンが勝つのだが、このときはたまたま答えに近い数を知っていたことがあるので、フェアな勝負ではなかった。
 ファインマンはその日本人のことを「彼はそろばんの機械的な操作を知っているだけで、数というものの内容を理解していないのだ」と指摘している。ズルしておいてその言い草はないだろうと思うのだが、私はこのファインマンという物理学者が大好きだし、彼の指摘はこれから述べる本稿の主題によく響く。

 アーサー・C・クラークの短編SF『彗星の中へ』(1960年初出、短編集『10の世界の物語』所収)は、そろばんを扱う日系人が主人公だ。
 彗星探査に向かった宇宙船チャレンジャー号の電子計算機が故障して、帰途の軌道計算ができなくなる。彗星は近日点をすぎて太陽から離れる途中で、次に太陽に近づくのは二百万年後だ。チャレンジャー号は彗星核にランデヴーしており、イオン化したガスに包まれているので地球との通信はできない(ことになっている)。
 乗組員の一人、日系人のジョージ・タケオ・ピケットは、ふとした思いつきから、そろばんを作って軌道計算することを提案する。最初は誰も信じなかった。しかしタケオの試作したそろばんと天文学者の筆算で競争してみると、そろばんのほうが圧倒的に速く、正確だった。
856×437の乗算について、タケオはこう言う。
「つまり掛け算は足し算の繰り返しなんですよ。そうでしょう? ぼくはただ、856を1の位で7回、10の位で3回、100の位で4回足し算しただけのことです。筆算でもおなじことをやるでしょ?」
 この説明は後述する機械式計算機にはあてはまるが、そろばんの乗算は九九を使うから正しくない。クラークはそろばんを自分では習得していなかったのだろうか。しかし筆算に類似しているという指摘は正しい。
 以下の動画はそろばんで856×437を計算する様子だ。珠算では乗数を法、被乗数を実と呼ぶ。これは新頭条法というスタイルで、実は末桁から、法は主桁から掛け合わせていく。

 タケオは船内の材料と工具で全員ぶんのそろばんを作り、乗組員を特訓する。天文学者は計算手順を組み立てる。総出で軌道計算にとりくんだ結果、ついにチャレンジャー号は彗星核から離脱する……かどうかは読んでのお楽しみ。
 その計算内容だが、N体問題を解く必要が示され、人海戦術を採ったことから、数値積分をしたらしい。いずれ木星のそばを通るほのめかしがあるから、太陽、木星、彗星、宇宙船、の四体問題になるだろうか。船の現在位置から各天体までの距離と方向を知り、距離に応じた引力を算出する。そして慣性飛行のベクトルと、各天体からの引力のベクトルを全部足し合わせた向きに単位時間だけ船を進める。この繰り返しだ。このままでは誤差が大きいので補間のテクニックがいろいろあるが、計算量が増えるので今回のような手計算では使わないかもしれない。
 この軌道計算には加減乗除、三角関数、開平が必要になるだろう。水上船舶の航海暦にあたる、毎日の天体の位置を記載した天体暦も常備されているにちがいない。
 まあ、彗星核を離れて通信できるところへ移動するぐらいなら目測でも可能だと思うのだが。彗星核のまわりのガスの塊はコマ(coma)といい、直径は100万kmを超えることもある。しかしその大部分は限りなく真空に近いものだ。通信障害があるとしても、彗星核から数kmも離れたら解消するのではないだろうか。クラークも作中で彗星の尾はほぼ真空と書いているから、わかっていたと思う。彗星核の描写はホイップルの「汚れた雪玉」説に沿ったもので、ラブルパイル状に浮遊しているなど、現在でも通用する見事なものだ。

 ポケット電卓が普及してからもしばらくの間、街のあちこちに珠算教室があった。私も小学生のとき通わされていた。私はそろばんが嫌いで、よくさぼっていた。あまり上達もせず、3級でやめてしまった。
 近年になって、人類の計算史をなぞるためにそろばんを使ってみると、指が憶えていてそれなりに使えた。ピアノや書道もそうだが、子供の頃のお稽古ごとは、大成しなくても糧になるものだ。
 とはいえそれが子供の時間の最も有効な使い方とは限らない。現在ならその時間をプログラミングやアプリケーション習得に使ったほうがいいだろうか? 「銃に負けるから空手や柔道の鍛錬など無意味だ」「自動車に負けるから陸上競技など無駄だ」という考えが間違っているとしたら、そろばんにも意義を見いだせそうなのだが。
 いまそろばんを使ってみると、脳のふだん使わない場所を使うので、まず認知体験として面白かった。
「そろばんは計算器ではない。計算補助具だ」という指摘がよくある。計算しているのは人間で、そろばんは筆算における紙と鉛筆みたいなものという考え方だ。私もそう思っていたが、今回再考してみて、簡単には割り切れなくなった。
 結論はひとまず保留して、そろばん計算のしくみをおさらいしよう。
 そろばんは値を示す珠を動かすことで計算する。
 10進そろばんの場合、どの桁にも1個で5を示す「天」の珠と、4個の「地」の珠がある。ひとつの桁が取り得る値は0~9だ。足し算の場合、3+4、7+8など、足す数と足される数がそれぞれ0~9の値を取り得るから、あわせて100通りの組み合わせがある。桁上がりがあるときはひとつ上の位を+1して、いまの位からは補数を引く。これさえできれば、そろばんで表現できる限りどんな大きな桁でも迷わず足し算できる。
 引き算も類似の操作だからすぐ理解できる。ただし足し算とは流れが逆向きなので、反射的に指が動くまでにはそれなりの練習が要る。
 掛け算はまず九九で積を得てから足し算する。複数桁どうしの掛け算は位取りをシフトしていくのだが、慣れないと混乱する。位取りを定める定位法を身につけるといいだろうか。
 割り算は「試行をともなう掛け算および引き算」で、手順の中にif文が入るが、習得は別に難しくない。
 こうしてみると、個々の加減乗除は人間がしているといっても、きわめて機械的なものだ。実際、慣れると思考せずにできるようになる。これは「人間が計算している」というより「人間が機械になっている」のではないだろうか?

2章 タイガー計算器と宇宙


 これは大正時代から1974年まで日本で製造されていたタイガー計算器の後期モデル、1960年代の製品だ。外側にプラスチックが使われているが、内部は大正時代のものと大差ない。電気は使わず、右側に突き出しているクランクハンドルを手で回すことで加減乗除の計算ができる。
 コンピューターはCPU内部に「レジスタ」と呼ばれる演算装置を持つが、タイガー計算器にも3つのレジスタがある。説明書では「置数レバー」「右ダイヤル」「左ダイヤル」と呼んでいる。


 置数レバーで設定した数値は、ハンドルを回すたびに右ダイヤルに加算(もしくは減算)される。
 左右のダイヤルはキャリッジという移動機構に乗っている。これは桁を左右にシフトさせる機構だ。
 前章の例題856×437をタイガー計算器でやってみよう。
 キャリッジを左端に移動する。
 右ダイヤルと左ダイヤルを帰零(ゼロクリア)する。
 置数レバーに856をセットし、クランクハンドルを1回転させると、右ダイヤルに856が加算される。437を掛けるので、まずは1の位ぶん、ハンドルを7回まわす。
 次は10の位を計算するので、キャリッジを1桁右へ動かしてハンドルを3回まわす。
 次は100の位を計算するので、キャリッジをもう1桁右へ動かしてハンドルを4回まわす。
 計算完了。前章でタケオが説明したとおりだ。

 どの位で何回まわしたかは左ダイヤルに記録されている。回しすぎていたらハンドルを逆転させれば修正できる。動画の後半ではそれを利用した改良手順も示している。

 ハンドルを1回まわすたびに置数した値が加算されるのはどんな仕組みになっているのだろう?
 この章で伝えたいポイントはここだ。結論を先に言うと「歯車は計算ができる」
 タイガー計算器の原型はロシアのオドネルが1874年に発明したもので、オドネル型とかピンホイール型と言われる。ドイツのブルンスビガ社が量産して世界中に広まった。
 オドネルの発明のポイントはピンホイールという置数用の歯車だ。
 ピンホイールはクランクハンドルに直結していて、計算の出発点にあるものだ。ピンホイールは0~9まで1桁ぶんの数が置数できる。ハンドルをまわすと回転中に置数した数と同じだけ歯が出たり引っ込んだりする。たとえば3を置数した状態でハンドルを回すと、3本の歯が出てきて結果側のギヤを3コマ進めて引っ込む。

 それまでの計算器は段差ドラムというかさばるものを使っていた。そのため表示部分の数字が互いに遠く離れている。ピンホイールは薄いのでたくさんの桁をコンパクトに扱えるようになり、表示密度も現在の電卓並になった。操作に熟練を要さず、不安感がない点では電卓よりすぐれているかもしれない。
 タイガー計算器は現在数千円~数万円で入手できる。ヤフオクなどで「タイガー計算器」もしくは「タイガー計算機」で検索するとたくさんでてくる。ただし最初から動くとは限らない。ケースを外して汚れを取り除き、注油する必要があるかもしれない。電子計算機は故障していると修理困難だが、これは純粋な機械なので目視でなんとかなるだろう。

 タイガー計算器を紹介したところで、人間・機械・計算の話に戻ろう。
 人間と機械は対義語として扱われることが多いが、人間のかなりの部分、もしくは全部を機械とみなすこともできる。生物の微小部分を高性能な顕微鏡で観察すると、ある段階から機械と見分けがつかなくなる。
 脳のニューラルネットはたぶん計算に不向きだが、そろばん教室に通って訓練すれば、回り道ながらデジタル回路に近づくことができる。
 そのデジタル回路は何をしているかというと、フリップフロップという情報を保持する回路と、AND、OR、NOTの論理回路を組み合わせている。これをたくさん用意すれば、ノイマン型コンピューターはすべて実現できる。
 2進数の掛け算はシフト演算といって、上位のビットに値を移動させることで進める。下の表を見れば、左にシフトしてゆく2進数の値が倍々に増えていくことがわかるだろう。これに足し算を組み合わせれば倍々以外の掛け算もできるようになる。

2進数   10進数
00001011 11
00010110 22
00101100 44
01011000 88
10110000 176

 これが「計算」なのか「データの移動」なのかは判然としない。ここでは2倍になる場所へ値を移動することが計算になっている。
 タイガー計算器のキャリッジ移動もシフト操作だ。左ダイヤル、右ダイヤルという記憶装置を動かして計算している。10進数だからシフトのたびに10倍の変化になる。
 つまりダイヤルやそろばんや紙の記憶部分で計算が行われているのだから、「計算は人間がしている。そろばんは計算してない」とは言えなくなる。
 人間側でする計算については、前章の終わりで述べたように「人間の機械化」を考えなければならない。
 ここまで理解すれば、電子式の「コンピューター」と「人+タイガー計算器」「人+そろばん」「人+紙+鉛筆」をある程度は同一視できるだろう。
 同一視できて何がうれしいかといえば、人と機械の境界を柔軟に扱えることは思考の道具になるからだ。それはシンギュラリティの洞察に役立つ。
 シンギュラリティに到達した人類は多かれ少なかれ機械と融合する。融合に準じたことは人が道具を使い始めたときから始まっている。映画『2001年宇宙の旅』で類人猿が鹿の大腿骨を棍棒にする場面がそれだ。その骨はやがて人工衛星に重なる。
 スマートフォンを「これが未来だ」ともてはやす人が涌いて15年になるが、鹿の大腿骨は数百万年前から未来を指していることを忘れずにいたい。なお狩猟をしているとこんな大腿骨がいくらでも手に入るので、『2001年宇宙の旅』の“月を見るもの”コスプレ用に販売しようかと思うのだが、どうだろうか。

 そろばんやタイガー計算器や棍棒は自分からは動かない。こうしたパッシブでありながら人間の能力を拡張してくれる道具は、すべて注意深く観察する価値がある。
 たとえば自転車。一説によると移動のエネルギー効率が最も高い動物はコンドルで、人間の順位はかなり低い。しかし自転車に乗った人間は一躍トップに立てるという。能動的なオートバイや自動車にも人類の叡知が込められているが、もともとある力だけを利用して高い効率をひきだす道具は、どこかで必ず自然法則を味方につけている。それはテクノロジーにおける極上の果実だ。

3章 シミュレーション仮説と人類の未来

 我々はすでに計算機の中に住んでいる。この世界は何者かが作った大規模なコンピューターでシミュレートされたものだ、という説がある。これをシミュレーション仮説という。
 SF小説や映画でたびたび――しばしば安易に――扱われるので、ご存じの方も多いだろう。いくつか紹介したいところだが、叙述ミステリと同様、これらの作品はメタ要素があるので、そうと示すだけでネタバレになってしまう。
 この世界がシミュレーションだとして、我々はそれに気づけるだろうか?
 私はプレイしたことがないが、初期のドラクエはキャラクターが画面上端に達すると下端から現れる。画面左端をはみ出すと右端から出てくる。ドラクエ世界は平面や球ではなくドーナツ型だ。これを俗にドラクエ空間、数学ではトーラス空間という。
 もし我々がドラクエ世界で生活していて、マゼランのような航海者が世界一周を試みれば、そこがトーラス空間だとわかるだろう。だとすればその表面で一様な重力はどのように生じるのだろう? 科学者はいつかその不自然に気づくかもしれない。その世界でまともな科学が成立するならの話だが。

 ドラクエに較べれば、我々がリアルと呼ぶこの世界はとても精密かつ広大だ。
 リアル世界のシミュレートに長けているのは気象学者だろうか。地球の大気運動のシミュレーションは、日本周辺だけというわけにはいかず、少なくとも北半球をそっくり扱わないとうまく再現しない。赤道をまたぐ動きも少しはあるので、全球を扱うのが望ましい。
 気象シミュレーションでドラクエの画素にあたるのはメッシュ(格子)だ。
 現在、数値予報に使われている全球モデル(GSM)のメッシュ間隔は20km。赤道一周が4万kmだから、それを2000分割している。4Kモニターの半分を使って描いた世界地図ぐらいの解像度と思えばいいだろうか。
 シミュレーションの精度を上げたければメッシュは細かいほうがいいが、これを半分の10kmにすると縦横高さの格子数がそれぞれ2倍、時間の刻みも2倍になるので16倍の計算量になってしまう。4乗で増えるとなると、おいそれとメッシュを細かくできない。気象の数値予報には最強クラスのスパコンが使われるが、自然を相手にするとき、その計算パワーが大きすぎることは決してない。未来を明るくしたいならスパコンへの投資を惜しんではならない。
 さて、キロメートル単位のメッシュで苦労しているところ、これを素粒子レベル、大目に見ても原子レベルで計算しろというのがシミュレーション仮説の注文だ。
 炭素原子の原子半径が大体0.1nm。これに較べると20kmメッシュは200兆倍。計算量はその4乗だからギガだのテラだのペタだのの補助単位ではまったく足りない。2×10の56乗倍だ。
 身近にあるでかい数字といえばアボカドロ数、6×10の23乗だが、それより30桁以上でかい。でかすぎて想像もできない。インターネットミームの「5000兆円」なんてたかだか5×10の15乗である。

 これはちょっと大変すぎるから、計算量を倹約することは可能だろうか? 無人の荒野の砂粒や海水の一滴、遠方の星まで原子レベルでシミュレートしなくてもいいような気がする。リアルに再現するのは筑波にあるような加速器施設だけでいいのでは?
 私見だが、この倹約処理を破綻なく実行するのは無理だろう。その砂粒や海水を「誰も見ていない」と判定するのが難しいからだ。
 原子レベルのふるまいは量子物理に支配されている。量子現象は微小な領域にとどまらず、日常の至るところに顔を出している。たとえば水たまりに浮いた油が虹色に光るのは量子現象だ。あなたがいま見ている液晶スクリーンも、偏光という量子現象を利用している。倹約のため液晶の表面だけを描画しても、ほとんどの人は気づかないだろう。だが、誰かが突然「この液晶スクリーンの偏光はどうなっているのだろう?」と思って調べ始めたらどうだろう? 画面に偏光フィルターを当てて回転させて、光の透過度が変わらなければ、嘘がばれてしまう。倹約アルゴリズムはこれに対応できるだろうか?
 PFNが開発したMATLANTISという汎用原子レベルシミュレーターは、深層学習を利用してシミュレーション速度を数万倍にしたという。私はこの技術にとても期待している。しかし5桁程度の改善では、シミュレーション仮説のゴールにはまだ遠い。
 ここまでの話は地球上の話だ。しかしいまや人類の知覚領域は際限なくひろがっている。
 2021年末に打ち上げられたジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡は月の向こう側にあるラグランジュ1ポイントに運ばれ、現在調整中だ。稼働すればビッグバン直後にできた天体、ファーストスターの観測が期待されている。それは130億光年先――130億年前の時空だ。
 この世界をシミュレーションするとなると、半径130億光年の原子をすべて計算することになる。そのためのコンピューターはどれほどの大きさになるだろうか。おそらく宇宙全体より大きく、計算時間は宇宙年齢よりも長くなるだろう。

 よってシミュレーション仮説は実現不可能である。証明終わり!
 ……とはならないのが、この仮説のしぶといところだ。
 計算速度や計算量はシミュレーション仮説の本質ではない。シミュレートされた世界の中では時間の進み方もシミュレーションに含まれるからだ。1億年かけてシミュレーションを0.1秒進めるだけでも破綻はない。中にいる者にとって、それは0.1秒だ。
 シミュレーションに使うコンピューターも、なんでもよい。シリコンチップの中を走り回る自由電子でも、そろばんの黄楊の珠でも、タイガー計算器の歯車でも、紙と鉛筆でもかまわない。メモリー空間内のどこかからデータを読み、演算してどこかに置く。そこがシミュレートされた人間の網膜なら、その演算で視野に何かが現れるだろう。消化器官の担当モジュールが「空腹」状態を返せば、血液中に伝達物質が放出され、血流をシミュレートする演算でそれが脳に運ばれ、「なにか食べよう」という判断の神経回路を発火させる。そうした情報はそろばん珠や歯車に記録されていてもかまわない。ハノイの塔の伝説ではないが、世界の外にいる100兆人の僧侶が日夜そろばんを弾いて我々の宇宙を作っていると考えることもできる。

 2回にわたってプリミティブな計算装置を紹介してきたが、計算という営みと知性・人間・宇宙との関わりが少しはつかめただろうか。
我々がいまいる宇宙がシミュレーションか現実かを知る見込みはかなり薄いだろう。計算不可能なことをさせればボロが出るという説もあるが、計算不可能性もシミュレートできるのではないだろうか。
 もしシミュレーションか現実かを知る方法がないなら、それは科学の対象ではなくなる。宗教や疑似科学の範疇になるということだ。
これに関連した思考実験として「世界5分前仮説」というものがある。
「この世界は全能の神によって5分前に作られた。我々の記憶も、歴史資料や地中の化石も、すべて5分前に作られた」とする仮説だ。これは全能の神の設定が圧倒的に強いので、反証不可能なことがすぐわかる。
 バートランド・ラッセルがこの仮説を提唱したのは、この世界がそうだと言っているのではなく、反証不可能なものの知的意義を問うためだ。
 反証不可能な仮説に科学的な意義がないことは、世界5分前仮説から知識が引き出せないことでわかる。神が実在するかどうかも、歴史の理解にもまったく貢献せず、「ああ、そうとも言えるね」で片付けられてしまう。「神を否定しない考え方ができる」というだけで、引き出せるのは信仰だけだ。
 世界5分前仮説は信仰の一種とみなしていいが、シミュレーション仮説は反証をさぐる営みが続くうちは科学の対象でいられるだろう。そして現在のリアルがシミュレーションでないとしても、シンギュラリティ後の知性がシミュレーテッドリアリティを実現してそこに移住する可能性は無視できない。

「シミュレーション仮説」「世界5分前仮説」「反証可能性」はいずれもキーワードなので、検索すればいろんな資料がでてくる。これらは科学と哲学にまたがる分野だ。私は哲学というものに冷淡なので、深入りはすすめないが、シンギュラリティを洞察するにはたしなんでおきたい事柄だ。

 

野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第一回野尻抱介

SF作家、Maker、ニコニコ技術部員。1961年生まれ。三重県津市在住。計測制御・CADのプログラマー、ゲームデザイナーをへて専業作家になったが、現在は狩猟を通して自給自足を模索する兼業作家。『ふわふわの泉』『太陽の簒奪者』『沈黙のフライバイ』『南極点のピアピア動画』ほかで星雲賞7回受賞。宇宙作家クラブ会員。第一種銃猟免許、わな猟免許所持、第三級アマチュア無線技師。JQ2OYC。
Twitter ID @nojiri_h

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