野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第9回 タイプライターが変えた世界

1章 女性たちとタイプライター

 一昨年、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』というアニメが話題になった。タイプライターを使って代筆業務を行う少女の物語だ。時代設定は1920~30年頃、戦間期の欧州に似た異世界。
 私はタイプライターの愛好家なので、この物語に引き込まれた。
 ヴァイオレットのタイプライターはアンダーウッドのポータブル・スタンダード・4バンクに酷似している。
 Redditのタイプライター愛好家が集うSUBでこれを披露した人がいたので、
美しい機械だね。それ日本だと800ドル以上するんだよ。アニメの影響で」とリプライして動画URLを添えた。

 すると「これはすごい。私はまったく知らなかった。動画を何度も繰り返して見て、それからコマ送りで驚くべき細部を見たよ」という返事があった。自分のコレクション――100年前に製造されたレア機種――が突然無数のパーツに分かれて乱舞するのを見れば、驚きもするだろう。免疫のない人の人生を狂わせていなければいいのだが。
 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の作品世界はタイプライターというテクノロジーによって成立している。文字を手書きしないために、書き手の存在を隠したり偽ることができる。だがそれだけでは不足で、代筆には依頼主の事情と心情をよく理解する必要がある。それが各話のドラマを生んでいる。
 この状況はVRとアバターを使った現代のコミュニケーションにもよく共鳴する。筆跡や容姿を変えるだけでは、なりたい人になれない。ではどうするか、というのが本作品に通底する問いかけといえよう。

 O・ヘンリの短編小説『アラカルトの春』も女性とタイプライターの物語だ (新潮文庫『O・ヘンリ短編集(1)所収)。発表は1906年。主人公のサラはフリーランスのタイピストとしてニューヨークでつつましく暮らしている。彼女のアパートの近くにドイツ移民が経営するレストランがあった。メニューがまともな英語で書けていないのを見て、サラはタイプライターでの清書を申し出る。できあがったメニューは店主を感激させた。
 メニューは毎日変わるので、それをテーブルの数だけタイプするかわり、三度の食事を提供してもらうことになる。そして春が近づいてきたある日、音信不通になっている恋人のことを思うあまり、メニューの文面を間違えてしまうことから物語が急展開する。

この小説に絡めたレミントン・ノイズレス・タイプライターの広告

 こちらはタイプライターを使ったのに中の人が特定されてしまった例だ。推理小説でおなじみだが、タイプライターは文章だけでなく、特定の文字が欠けたり印字位置がずれるなど、物理的なサインがいろいろ残る。
 これも現代に通じる話で、SNSの匿名投稿が文体や投稿時間の分布、句読点の使い方、文字コード、クライアントなどから本人が特定されることはよくある。なくて七癖というやつだ。

 この二つの物語は、タイプライターが女性の社会進出をもたらしたことを反映している。それまで女性がオフィスで働くことは希だった。

 通販大手のシアーズ・ローバックは広大なフロアにタイプライターとタイピストをずらりと並べて、商品の宛名書きをしていた。この写真は1914年のもの。
 タイピングはまた、秘書に必須の技能になった。それは主にビジネスレターの作成に使われた。
 まだPCがなかった時代、日本の研究者がアメリカの大学で働いたところ、秘書がまことに有能で驚いたという。当時は紙に書いた原稿を文字通り鋏でカット&ペーストして編集した。その編集作業から清書までを秘書は猛スピードでこなした。現在はPCがあれば一人でなんでもできるが、操作の習熟に一定の時間を食われる。秘書、もしくは同等のAIによる業務のサポートはこれからも需要があるだろう。

 タイピング速度を競うコンテストもあった。世界記録は1946年、ステラ・パジューナスによる毎分216語だという。IBMの電動タイプライターを使った。1語は5文字に換算するのが普通だが、毎秒18文字というのはちょっと信じがたいので、換算式が違うかもしれない。2012年のフランス映画『タイピスト!』は競技会の様子を面白く描いている。
 秘書やタイピストという職業は女性の社会進出をもたらしたが、仕事の内容は男性社会の反映かもしれない。確かにそうなのだが、秘書やタイピストはただ文字を打っているだけではない。その作業にはいろいろな学びや思考がある。
 ヴァイオレットがしているような手紙のタイプ打ちを実際にやってみるとわかるだろう。私は3回ぐらい書式調整をして清書に至った。なかなかに難しく、かなり知的な作業だ。

2章 タイプライターのしくみと入手方法

 上の動画でも示したが、典型的な手動タイプライターの構造を紹介しよう。それはおよそ3つの部分から成っている。

 (1) キーボード部
 キーを押下するとタイプバーというハンマーのような部品が動いて、活字(タイプスラッグ)を紙に打ちつける。ピアノのキーとよく似た機構で、3段の梃子とリンクで動きを拡大している。その結果、1~2cmのキーストロークから約90度の回転運動が生じる。
 ピアノのキーをゆっくり押しても音は出ない。それと同じで、タイピングに必要なのは圧力ではなく速度だ。キートップより少し高いところから勢いをつけてぽんと叩くと小気味よく印字できて、疲労もほとんどない。指導書には“スタッカート打ち”を心がけよ、とある。
 キーを打つとタイプバーのほか、インクリボンの上下フリップと巻き上げ、キャリッジの移動が相次いで発生する。内部はピアノ線や鋼板の連結機構で結ばれていて、ANDやORのロジックも機械的に実現している。タイプライターが抱えている多数のリンクは、力と情報を伝達する点で電子回路そのものだ。

 (2) キャリッジ部
 紙を巻き付けて保持し、上下左右に移動させる機構。印字位置は固定しているので紙のほうが動く。ぜんまいで駆動する脱進器がついており、打鍵のたびに1文字ぶん左に移動する。
 印字が行末まで来ると人間が復帰操作をする。このとき、ぜんまいが巻き上げられて駆動力がチャージされる。これとキーを押す力だけで手動タイプライターは動作する。人間にとってはほとんど負担にならない力でタイプライターが動作することは賛嘆するほかない。無動力の機械としては自転車に匹敵する高効率だ。
 コンピューターの文字コード、キャリッジリターン(CR)はこの復帰操作に由来している。ラインフィード(LF)という文字コードもあるが、これはキャリッジに巻いた紙を行送りする操作だ。キャリッジの左側に生えているレバーを動かすと、キャリッジリターンとラインフィードが一度にできる。
 キャリッジが右マージンの数カラム手前まで来ると、ベルが「チーン」と鳴る。
 ルロイ・アンダーソンの管弦楽曲『タイプライター』で鳴っているのはこのベルだ。ただし演奏でタイミングよく鳴らすのは難しいので、卓上ベルやトライアングルで代用することが多い。

 キャリッジは紙を動かす部分だから、書式設定も担当している。左右マージン、行間隔、タブが設定できる。タブは高級機なら全カラムで自由にメモリーできる。これらがすべて機械的かつ非電源で実装されているのは感服するほかない。
 また、バックスペースキーでキャリッジを1カラム戻すことができる。一見単純な動作だが、キャリッジの脱進器に絡むので、メカニズムはかなり複雑だ。

 タイプライターのバックスペースには修正以外にも用途がある。たとえば「!」キーのない機種では、「’」を打鍵して1文字戻し、ピリオドを重ね打ちして表現する。タイプライターはキーの数が厳しく制約されているので、重ね打ちでさまざまな文字を作るテクニックがある。
 また、ラインフィード機構のラチェットを解除すると、上下方向の印字位置を自由に変えられる。これによって上付き・下付き文字が表現できる。

 

「1」を小文字のL、「!」を’と.の重ね打ちで表現した例

 

下付き文字の印字例

 (3) インクリボン部
 インクを染みこませたリボンを往復させるメカニズム。打鍵のたびにリボンが紙のすぐ上に移動し、ハンマーがリボンを叩くことで印字される。印字が終わるとリボンは退却し、印字結果が視認できる。印字のたびにリボンは1カラムぶん巻き取られる。駆動力はキーの押下から導いている。連鎖の末端にあり、打鍵のたびに動く部分なので、できるだけ小さな力で動くよう繊細に作られている。ここの動きが渋いとキータッチが重くなる。
 リボンはエンドレステープのようにボビンの一方からもう一方へ、往復運動を繰り返す。
 インクは少しずつ薄れていくので、突然印字できなくなることはない。インクの揮発もほとんどない。古いタイプライターを買うと半世紀前のインクリボンがついていることが多いが、薄いながらも印字できるからたいしたものだ。
 インクリボンは上下で黒と赤に分かれたものが多い。カラーセレクト・レバーの設定で2色を切り替えられる。

 いくつか使用例を示そう。これは2色の切り替えとタブを駆使してカレンダーを作ったところ。間違えずに打つのは結構むずかしい。

 ネットにころがっているPDFのカレンダーをプリントすればいいのだが、インクジェットプリンターをたまに使うとノズルが必ず目詰まりしていて、クリーニングしたらインク切れになって頭にきたので、タイプライターでやっつけた。

 次はHermes 3000でタイプしたチェス盤。30分ほどかけて@を4096回打鍵した苦心の作だ。名局の棋譜もつけた。さらに紙を切り抜いて作る駒まで印字すれば、チェス好きの人に郵送できるプレゼントになるだろう。

 タイプライターの偉大さは文章や動画では伝えきれないので、実機の入手をおすすめする。以下に指南しよう。
 タイプライターは現在ほぼ製造されていない(あるにはあるが品質が低い)ので、過去の製品をヤフオクやメルカリ、ebayなどネットオークションで入手するのが基本だ。リサイクルショップに出ることもある。
 国内ではタイプライターはあまり人気がないようで、5000円以下で買えることが多い。海外サイトは品数豊富だが、送料が高くつくし、輸送中の破損も珍しくない。
 ネットオークションに出品されたものの多くは「動作未確認・現状渡し」だ。故障は覚悟しなければならないが、全体に安価なのでリスクは低く、動かなかったら別のを買えばよい。手動タイプライターは電子部品がないので、機械いじりのできる人なら修理できると思う。

 タイプライターにはおよそ100年の歴史があるが、おすすめは黄金時代といわれる1950~60年代の製品だ。それより古いとゴム部品などに劣化があり、整備の難易度が上がる。70年代以降はプラスチック筐体のものが多くなり、徐々に品質が低くなる。
 とはいえ、いずれの年代でも動くものは動くし、動かないものは動かない。
 専門知識のある販売店が整備したものを買うこともできる。値は張るが、近道かもしれない。ただし供給は少なく、ウェブサイトを見るとSOLD OUTが多い。

 おすすめ機種はというと、国産のブラザー製品は品質が安定しており、ヤフオクでは100~1000円ぐらいで買える。まずこれで入門してみるといいだろう。
 Olivetti はどれも素晴らしい。動画で示したLettera 32は手動タイプライターの最高峰だが、たいてい数千円で買える。「赤いバケツ」と愛称されるValentineは人気があって数万円になる。
 HERMES、Olympia、Smith-Coronaも定評あるメーカーで、キータッチは「バターのようだ」と形容される。

 インクリボンはタイプライターにおける唯一の消耗品だが、ほとんどの機種が1/2インチ幅のリボンを使っており、現在も供給があるので欠乏の心配はない。Amazonや尾河商店で購入できる。ボビンは機種によって微妙に変わるが、たいていは互換性がある。合わなければ最初についていたボビンを使い、リボンだけ交換すればいい。

 取説やモデル名などの情報は海外のウェブサイトが強力なので、英語で検索するとよい。型番や製造年はTypewriter Database で検索できる。
 ほとんどの機種は取説がダウンロードできる。整備や修理の解説動画はYoutubeが充実している。

3章 知的生産の技術

 日本語を扱えるタイプライターは明治時代から始まる日本人の悲願だった。
 漢字まじりの完全な日本語を打てるタイプライターは古くからあるのだが、数千の活字を一個ずつポイントして打つ、インデックスライター型の装置だ。それは文書の清書用であって、欧文タイプライターのように脳裏にうかんだ文章をどんどん書いていけるものとは性格が異なる。映画『大統領の陰謀』の新聞記者のように、タイプライターを駆使して猛スピードで原稿を書きあげる――それを日本語でやりたい。
 PCで十全な日本語処理が可能になったのは1990年代の始め頃だ。
 それまで先人たちはどうしてきたのか? 私はこれに関心を持ったので、欧文型日本語タイプライターをいくつか所有している。

 欧文タイプライターの日本語バージョンを作るとなると、漢字はあきらめてカナを打つことになる。
 欧文もウムラウトやアクサンテギュ、通貨記号など、国や地域ごとに細かい差異があるので、タイプライターは販売先にあわせてローカライズするのが普通だった。明治時代の終わり頃には日本向けローカライズとしてひらがなと漢数字の打てるタイプライターがアメリカで製品化されている。
 その後、電報局でカタカナのタイプライターが使われるようになった。いわゆるテレタイプではなく、モールス電信を耳で聞き取って電報用紙に印字するためのものだ。「ハハキトク スグ カエレ」等の文面になる。

 この写真はスミス・コロナの日本向け製品で、電信用ではないが、キー配列は同じになっている。販売は1949年だからまだ連合軍の占領下だ。「ヲ」がなく、電報文や宛名書きを想定しているように見える。
 
 戦後の高度成長期、日本語の文書作成や情報整理を改善しようという新しい運動があった。その旗手は文化人類学者の梅棹忠夫で、著書『知的生産の技術』(岩波書店)はベストセラーになった。刊行は1969年7月。アポロ11号が月着陸した頃だ。
 梅棹氏が提案したのはひらがなタイプライターだった。
 戦前の文書はカタカナが多用され、電報も法律文もカタカナだったが、戦後はひらがなが日本語の基軸になった。漢字が扱えれば理想なのだが、PC以前の世界では望めない。ならば、ひらがなタイプライターが最善であろう、というのが梅棹氏の主張になる。確かにひらがな文はカタカナ文よりずっと自然で、頭にすっと入ってくる。


 カナ文字のキー配列は3通りほどある。上は内田強三氏が考案した「ひらかな標準配列」を採用し、事務機器メーカーNIPPOが製造した電動タイプライターだ。『知的生産の技術』でも「先を越された!」と悔しがる記述がある。かなりレアで、博物館に展示する価値があると思うのだが、ヤフオクで5000円だった。
 母音を右手側に集め、子音も50音表の並びにそってまとめてあるので憶えやすいとされている。が、憶えるほど使い込んでいないのでわからない。

 カタカナタイプライターで一番多いのは、現在の日本語キーボードとほぼ同じ配列のものだろう。オリベッティなど海外メーカーも、このキー配列と英語大文字をセットにした日本語ローカライズバーションを販売している。
 この配列でひらがなを持ったものは珍しく、ヤフオクではシルバー精工のものしか出会ったことがない。シルバー精工がROYALのOEMとして作った写真の機種は私のお気に入りだ。


 濁点・半濁点は前の文字に重ね打ちする。印字位置を下方に少しずらすシフトキーがあり、これを使うことで「っゃゅょ」など促音・拗音が表現できる。文字の大きさは変わらないが、印字位置を変えるだけでそれっぽく見えるのは秀逸なアイデアだ。これで普通の文章がかなり自然に書ける。字体も線に強弱があって美しい。

4章 未来の二つの顔

 デジタル機器で自在に日本語を扱えるようになった現在、ひらがなタイプライターを使う必要があるだろうか。
「必要ではないが、使ってるよ」が私の答えになる。
 記事や作品、計画の構想を練るとき、思いついたことをどんどんメモしていく。ひととおりアイデアを吐き出したら手書きで書き込んだりもする。

本記事の構想メモ

 タイプライターにはこんな長所がある。

・気が散らない。ほかにできることがないので。
・「とりあえず書く」から「書き始める前にちょっと考える」への変化。
・決定力。「無限に修正できるので永遠に完成しない」がない。
・電源やバージョンアップ、セキュリティの心配がない。
・完全に自分の所有物である。メーカーに尻尾をつかまれていない。

 短所についてはどうだろうか。

・同音異義語が識別できない→「かれは こうしょう(たかわらい)した」などと補って書けばよい。「私立」を「わたくしりつ」と説明読みにしてもいい。
・修正ができない→修正ホワイトを使ってもいいが、普通は「x」を重ね打ちする。タイプライター愛好家のトム・ハンクスは「間違ったらxを重ね打ちするだけだ。気にするな」と言って、手紙も修正まじりですませている。
・編集できない→鋏で切って並べ替える。スクラップブックに貼ってもいい。
・騒音が出るので人前で使えない→自然の中に分け入ろう。電源もいらない。

 こうしてみると長所と短所は裏腹で、短所の中に長所が宿っていたり、その反対だったりする。
 テクノロジーが発達すれば短所が消えて長所ばかりになるわけだが、過渡期においてはその限りでない。いましばらくは過渡期だから、弊害に気をつけなければならない。ネット環境のない山奥でキャンプでもしてみれば、自分が何に気を散らされ、何に時間を食われているか、身に染みてわかるだろう。

 人類の未来には二つの選択肢がある。私はこれを「未来の二つの顔」と呼んでいる(が、ジェイムズ・P・ホーガンの同名作品と重なって混乱するのはうまくない)。
 その二つとは、
 (1) テクノロジーで肉体と知能を拡張する、新しい生き方。
 (2) テクノロジーに支えられた、牧歌的な生き方。

 私は(1)を望むが、間に合わなければ(2)でもいい。そのときはタイプライターを使い続ける頑固者になっているかもしれない。人体は精妙なバランスの上に成立しているので、その拡張は茨の道になる。まず(2)を確立してからゆっくり(1)に向かうのが穏当だろう。
 先に触れたとおり、人間の力を高効率で引き出す点で、タイプライターは自転車に似ている。自転車に青天井の未来があることは多くの人が認めるだろう。自転車ほどではないにせよ、タイプライターにも同じことが言える。使いたいものを使って生きられてこそ真の文明だ。

  Macintoshが発売された頃、WYSIWYGという言葉が流行した。What You See Is What You Get(見たままが得られる)の頭字語だ。ワープロソフトなどで、画面で見た通りの印刷結果が得られるという意味で、当時はかなり進歩的な実装だった。だがタイプライターはWYSIWYGをあたりまえに備えている。なにしろ画面がなく、いきなり紙に印字するのだから。

 そのWYSIWYGは欠点も指摘されている。見かけだけを整えて文書の論理構造をないがしろにする傾向があることだ。タイプライターが重ね打ちでフォントを拡張したり、1を小文字のLで代用するなど、「見た目がそうなればそれでよし」とする態度はまさしくそれだ。これは情報処理の美徳に反している。私はプログラマー出身なので、データ構造の重要性は身に染みてわかっている。それはアルゴリズムと不可分の関係にある。
 だがこれはプログラマーという、コンピューターに仕える者の思考かもしれない。見えもしない論理構造に気をつかうなど、人がコンピューターに使われているのではないか。人間は見た目を整え、コンピューターのほうで論理構造を見いだしてこそ進歩ではないか。
 重ね打ちや手書きの校正指示、物理的なカット&ペーストを経て文書を作りあげるのが性に合っているなら、それを選べる未来であってほしい。書き込みとつぎはぎだらけの紙原稿をカメラの前にかざせば、AI秘書が正しく意図をくみ取り、デジタルデータで清書して編集部に送信してくれる――そんな時代が、まもなくやってくるだろう。

(第9回おわり)


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野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第一回野尻抱介

SF作家、Maker、ニコニコ技術部員。1961年生まれ。三重県津市在住。計測制御・CADのプログラマー、ゲームデザイナーをへて専業作家になったが、現在は狩猟を通して自給自足を模索する兼業作家。『ふわふわの泉』『太陽の簒奪者』『沈黙のフライバイ』『南極点のピアピア動画』ほかで星雲賞7回受賞。宇宙作家クラブ会員。第一種銃猟免許、わな猟免許所持、第三級アマチュア無線技師。JQ2OYC。Twitter ID @nojiri_h

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