SF小説家・野尻抱介氏が、原始的な遊びを通して人類のテクノロジー史を辿り直す本連載。
人工知能や仮想現実などなど、先進技術を怖がらず、翻弄されず、つかず離れず「ぱられる=横並び」に生きていく。プレ・シンギュラリティ時代の人類のたしなみを実践します。
1章 悲しき南京錠
過日のこと、中国のネット通販で素敵なピッキングツールをおすすめされた。ロックピッキング――鍵を使わずに錠を非破壊で開ける道具のセットだ。
価格も手頃なのでそそられたのだが、確認すると日本では2003年よりこうした「特殊開錠用具」の所持が禁じられていた。通称ピッキング防止法 である。業務として使うなど正当な理由がない限り、所持すると一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処せられる。
ピッキングツールはピアノ線や金鋸の刃で容易に自作できるし、ヘアピンやクリップでも代用できる。もっぱら当人のスキルに依存するので、道具の所持を禁じてもピッキングは阻止できない。不審者が所持していたときの逮捕理由にしたいのだろうが、文化活動としてのピッキングまで巻き添えにする、雑な法律だ。英語版Wikipediaの記述 によれば、日本のように所持を一律に禁じている国は少ない。その是非については後で語る。
ゲーマーやハッカー、パズル好きの人にとってロックピッキングは魅力的な挑戦だ。ゲームでドラゴンを倒しても実世界には響かないが、市販の錠を破れば、その錠が阻むものを現実に突破できることになる。実行したら不法侵入になるが、できると考えるだけで愉快ではないか。
たしなむ程度だが、私もロックピッキングを愛好している。南京錠ぐらいなら破れるので、まずその動画を見ていただこう。法に触れないよう、道具はピアノ線などから応急に作り、使い捨てることにする。
動画を見て南京錠がいかに脆弱か、驚いた人もいるだろう。このタイプの錠の仕組みと開錠方法を説明しよう。
上の図はシリンダー錠のなかでもっともありふれた、ピンタンブラー錠の内部構造を示している。(Wikipedia – ピンタンブラー錠 より )
鍵を挿して回転させる部分を内筒という。内筒には数本のピンが並んでいて、正しい鍵が入ってないときはこれが内筒の回転を妨げる。
ある場所のピンはドライバーピン(青)とタンブラーピン(赤)に分かれていて、合計した長さは同じだが、境界部分の位置が異なる。タンブラーピンの長さは鍵の切り欠きと相補関係になっているので、正しい鍵を差し込むとすべてのピンが開錠位置に揃う。そこで鍵をひねると内筒が回転し、開錠する。
シリンダー錠のピッキングには2つの道具を使う。
(1) ピック 鍵を差し込んだ状態をつくる道具。
(2) テンションレンチ 鍵をひねる力を加える道具。単に「テンション」と呼ばれることもある。
上の写真にある2本のピアノ線は、左端をテンションレンチ、右端をピックとして使う。
まず鍵穴にテンションレンチを差し込んで、内筒にトルク(回転力)をかける。
その状態で鍵穴にピックを差し込み、タンブラーピンを一個ずつ動かす。細い鍵穴に2本の道具が同時に差し込まれることになる。
ピンには機械的な精度のばらつきがあるので、トルクはどれかひとつのピンにかかっている。そのピンが開錠位置に来ると、そこでひっかかってトルクが抜け、別のピンにトルクがかかる。そのピンをピックで開錠位置に動かす。すべてのピンが開錠位置に来ると内筒が回転し、開錠するというわけだ。
なお「ピッキング」という言葉は非破壊の錠前破り全般を指すことが多いが、狭義ではいま述べた方法を指す。ほぼ同じ道具を使う「レーキング」と混用されることが多い。レーキングはテンションレンチを使った状態で、並んだピンをピックで適当にがちゃがちゃ動かす。すると自然にピンが開錠位置にそろう現象を利用したものだ。何も考えなくていいので、レーキングですむときはそれですませたい。
上の写真は動画の後半にでてくるディンプル錠の鍵穴をクローズアップしたものだ。左が閉鎖状態、右が開錠状態。鍵穴の左右から半球型のピンが顔を出しているのが見える。動画ではこのピン配列にフィットする平たいレーキング用ピックで開錠した。
この4桁ダイヤル錠はシリンダー錠と同じ脆弱性を持っている。U字型のシャックル部にテンションをかけるとダイヤルのどれかに力がかかるので、そこを回してひっかかるところで止める。するとテンションは別のダイヤルにかかるので、そこを探る。最後のダイヤルはどの位置でもひっかかるのだが、テンションをゆるめながら順に試していけば開錠する。
このダイヤル錠は古くから金庫に多く採用されているタイプだ。キーナンバーは38-04-38となっている。0時位置のマークに対して、
(1) 右回りで38を2回通過させ、3回目で止める。
(2) 左回りで04を1回通過させ、2回目で止める。
(3) 右回りで38に止める。
そこでシャックルを引くと開錠する。
なぜ何度も通過させるかというと、詳しくは説明しないが、3枚重ねの円盤を揃える仕組みに関係している。
この錠は精緻な作りではなく、動きも雑な感じなのだが、いまだ破れていない。
キー位置でダイヤルを止めても、他の場所と変わらず、まったく手応えがない。シャックルにテンションをかけても、3枚めの円盤に故意につけてある凹凸を拾うだけなので手がかりにならない。
構造を考えると、3枚の円盤を連動させるピンがあって、これが触れ合う時の音を捉えるしかないように思える。ピンが触れ合うのはリセット時と2番めのナンバーに合わせる途中だ。映画などで金庫破りが聴診器を使うのはこのためだろうか。
金庫に採用されるだけあって優秀なメカニズムだが、開錠操作がかなりめんどくさいせいか、南京錠ではあまり使われていない。
『ご冗談でしょう、ファインマンさん Ⅰ』に物理学者R・P・ファインマンがロスアラモス研究所で金庫破りをしてまわるエピソードがある。金庫やキャビネットの扉が開いている時、ダイヤル錠は最後のナンバーを示したままになっていることが多い。その状態である操作をすると、ひとつ前のナンバーも読み取れる。3層タイプなら未知数はあとひとつだから、容易に金庫破りができてしまうとのこと。ただしこれはソーシャルハックが混じるので、純粋な金庫破りとは言えない。
ロックピッカーにとっての聖杯はこのMIWA U9だ。日本の三和ロックが開発したロータリーシリンダー錠で、玄関ドアなどによく使われている。鍵穴の形が平たいW型なのが特徴だ。
プロの錠前屋でもこれを破れる人は少ないという。私もAmazonで交換用のU9を購入して挑戦してみたが、まったく歯が立たなかった。
9枚あるロータリー・タンブラーは鍵の高さに応じて回転するが、先のダイヤル錠と同じで、タンブラーが開錠位置に来たときの手応えがつかめない。さらにダミーゲートという狡猾なメカニズムがあって、これにつかまると、それまでに動かしたタンブラーをすべて戻してふりだしに戻るしかない。
錠には耐ピッキング性能というスペックがあり、5分未満/5分以上/10分以上、の3段階がある。U9は10分以上だ。このことから錠とは公開鍵暗号のトラップドア関数と同様、時間稼ぎの装置であることがわかる。
つまり技量のある人が一定の時間をかければU9も破れる。
ネットで検索してみると「ついにU9を破ったぜ!」という動画や記事がたくさん出てくる。特別な道具は使っていない。ピックとテンションレンチだけだ。
U9は嵌合が完璧で、動作はバターのようになめらかだ。それが快感なのでキーを差し込んでひねるだけの操作を無限に繰り返していられる。交換用なら3千円程度なので、一式購入してハンドスピナーがわりに弄んでみてはいかがだろうか。
2章 隠蔽のセキュリティ
2022年、三才ブックスの『アリエナイ医学辞典』『アリエナイ工作』が鳥取県で有害図書指定され、その影響でAmazonでの販売も停止されたことが話題になった。
私はこの「ア理科」シリーズの一冊『アリエナイ理科の工作』を愛読している。同書で紹介されているのは電子レンジの魔改造、自作ジェットエンジン、真空爆音発生機、エグゾーストキャノン、ライターを使った火炎放射器、ターボライターから白金線を取り出すなど、アンダーグラウンドだが知的刺激に富んだ工作ばかりだ。科学とテクノロジー、ものづくりへの深い造詣がなければこんな本は書けない。
鳥取県に限らず、ア理科シリーズは有害図書指定されることが多いが、私見ではきわめつけの優良図書だ。この本を読んで「技術と知識があればこんなことができるんだ!」と感激し、進路を決めた人もいるだろう。それは書籍がもたらす最良の作用である。
武器や爆発物の作り方など、悪用されたら危険な情報の取り扱いは、確かに慎重を要する。そうした情報を隠し、一般から遠ざけるやり方を「隠蔽のセキュリティ」または「あいまいさによるセキュリティ」 (Security through obscurity)という。
隠蔽のセキュリティには賛否あるが、否定意見が支配的だ。専門家と悪者だけが情報を握り、一般社会で知られないのでは検証が進まず、かえって脆弱になるというのが否定派の主張だ。
では錠前破りの情報はどう扱えばいいのだろう。この記事を読んで不法侵入が起きたらどうする?
私は、本稿にあるような情報は簡単に入手できるし、積極的に共有すべきだと考えている。この情報によって攻撃側が不法侵入する可能性を考えるなら、防御側が防犯体制を見直す可能性も考慮すべきだ。
防犯についてコメントするなら、南京錠は「立入禁止」の立て札ぐらいに考えよう。前回紹介した宅配ボックスの南京錠は、置き配できない配達側の規則に対応したものであって、盗難防止は考慮していない。
玄関ドアなどに使われる錠はピッキング耐性が記載されているので、それを読んで対策しよう。ピッキング耐性が低いことで問題になったディスクシリンダー錠はもう生産されなくなっているが、建物に残っていたら交換しよう。
空き巣対策の基本は「手間のかかる家だとわかったら手を出さない」だ。監視カメラや補助錠があれば抑止効果になる。MIWA U9の特徴的な鍵穴を見たら、空き巣はピッキングをあきらめるだろう。撤退すればいいが、ドアを破壊したり、サムターン回しを試みる可能性もある。防犯は複合的に進めるべきであって、錠だけに頼るべきではない。相手のあることだから、更新を重ねながら動的に維持していくほかない。
2014年、ベイエリア、サン・マテオで開催されたメイカーフェアで、TOOOL――The Open Organization Of Lockpickers のハンズオンが開かれていた。アジア系の女性が熱心にピンタンブラーを説明している。このグループが「隠蔽のセキュリティ」に逆らっているのを目の当たりにして意を強くした。ウェブサイトにはこんな言葉が掲げられている。
「セキュリティはオープンであることによって達成されます。物事をバラバラにして、それらで遊んでください…悪いセキュリティを公開することは、私たち全員を保護することになります」
TOOOLはロックピッキングに関する講演やワークショップを開催し、子供に教えるなど、教育分野でも活動している。
またメイカーフェア、メイカームーブメントはオープンソース活動の延長上にあり、情報共有を活動の根幹にしている。オープンソース活動が現在の技術文明にもたらした途方もない貢献を思えば、このやり方が優れていることは想像できるだろう。
ロックスポーツという活動もある。錠前業や犯罪者と区別するために考案された言葉だ。錠前破りをスポーツとして扱っていて、競技会も開かれている(写真上)。
ロックスポーツもまた「隠蔽によるセキュリティ」に対する反抗を活動の理念としている。錠前や錠前破りの技術を隠蔽するのではなく、責任を持って情報開示することによって脆弱性を発見し、消費者が共有できるようになる、という考え方だ。
前回の記事でとりあげた暗号技術(▶リンク)においても、情報共有をめぐって悶着があった。
1977年4月にRSA暗号の最初の論文が発表されると、同年10月にアメリカ国防総省の職員が「機密保護法違反である」と警告を発し、論文の発送が差し止められる騒動があった。当時「大きな素数は軍事機密になるかもしれない」というジョークが交わされたという。この警告は個人的なものだったが、その後アメリカ政府は暗号技術のソースコードを軍需品とみなして商取引を制限した。これは1996年まで続き、2000年までは輸出に許可を必要とした。
これに対抗して1980年代の終わり頃から「サイファーパンク」と呼ばれる人々が活動し始めた。暗号技術は政府の監視を逃れるため自由に使えるべきである、というのがサイファーパンクの考え方だ。
政府側から見れば、暗号技術は犯罪やテロ活動に悪用される懸念があるので、コントロールしたい事柄だろう。しかし政府が常に信頼できるものではないことは、近ごろの国際情勢を見ても明らかだ。
数年前にもフェイスブックのメッセージ暗号化が議論になった。専制国家の監視を逃れるコミュニケーション手段になった反面、児童ポルノなどの違法コンテンツ取締りの妨げになると批判された。
エリック・ヒューズはサイファーパンクのマニフェスト でこう述べている。
「プライバシーと秘密は違う。秘密は誰に対しても隠したい事柄だが、プライバシーとは自分自身を選択的に世界に明らかにする力である」
「そのために自分たちはコードを書く。それを無料で公開して世界中で利用できるようにする」
フィル・ジマーマンが1991年に開発した暗号ソフトウェアはその名もプリティ・グッド・プライバシー(PGP)という。アメリカ政府が暗号技術の輸出を禁じていたため、PGPはソースコードを書籍として輸出した。合衆国憲法修正第1条(言論・出版の自由)によって政府が出版物を取り締まれないことを逆手に取ったものだ。
PGPはその後OpenPGP、GNU Privacy Guard (GnuPG, GPG) に派生している。
1990年代の終わり頃、私のまわりにも日本人のサイファーパンクがいた。アメリカ政府の対応が変わったので活動は役割を終えたようだが、暗号技術とそれを扱う法整備の礎となったことはまちがいない。
錠前や暗号は何かを隠蔽したり、人の侵入を拒むことに使われるが、それは結局、人が自由に行動するためにある。錠がなければ家を空けられないし、車を駐車場に置いて店に入ることもできない。
錠前と暗号に通底する理念は「他人を信用するな」や「人を見たら泥棒と思え」ではない。それは他者と自分の自由を最大化するための技術だ。
自由はその一語だけでは存立しない。複数人が自由であるとき、衝突が発生しうる。法と技術が衛兵のように囲んでこそ、自由は実世界で機能する。
いずれ人類が星間文明を築いたり、すでにある星間文明に仲間入りすることになれば、星系単位での錠前や暗号化が開発されるだろう。それはフェルミのパラドックスの解になるかもしれない。
(第12回おわり)
野尻抱介
SF作家、Maker、ニコニコ技術部員。1961年生まれ。三重県津市在住。計測制御・CADのプログラマー、ゲームデザイナーをへて専業作家になったが、現在は狩猟を通して自給自足を模索する兼業作家。『ふわふわの泉』『太陽の簒奪者』『沈黙のフライバイ』『南極点のピアピア動画』ほかで星雲賞7回受賞。宇宙作家クラブ会員。第一種銃猟免許、わな猟免許所持、第三級アマチュア無線技師。JQ2OYC。Twitter ID @nojiri_h