【煙たい物語】第七篇~小野繙「OROKAWA MELTDOWN」【JPS】

文壇の現在と未来を担う書き手たちが、それぞれの想いとともに煙草にまつわる物語を織りなす新連載――「煙たい物語」。
第七篇は、小野繙さん「OROKAWA MELTDOWN」をお送りします。

泥酔を日課とする未名子はある夜、Xで泥酔してくたばる女の写真を投稿するアカウント「OROKAWA MELTDOWN」を見つける。見苦しいけどバズっているその写真の女は、よく見るとまさかの自分で……。

OROKAWA MELTDOWN

「私のどこが酔ってんだよ、アァン!?」
 と男の胸ぐらを掴んだ瞬間、未名子の酔いは醒めてしまった。未名子がシャツから手を離すと、男はすかさず距離をとる。未名子は男を掴んでいた手をしげしげと眺め、
「ねえ、」真顔で聞いた。「アンタ誰?」
「こっちの台詞だよ!」男は目を見開く。「誰なんだよお前ッ!」
「え?」
「え?じゃねーよ! お前から絡んで来たんだろうが!」
「そうなの?」
「そうなのって……何も覚えてないのかよ!?」
 未名子ははにかむ。「いやあ、酒が入るとつい……」
 男は呆れた顔で未名子を見た。
「お前さ、病院行った方がいいよ」
 男が乗り込んだタクシーを見送ると、通行人が未名子を遠巻きに眺めていた。見世物じゃねえぞ!と鞄を振り回すと、見物客は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。未名子は舌打ちしてコンビニに入る。酒が欲しかった。度数9%のハイボールを購入してバキバキに割れたスマホでXのタイムラインを眺めていると、駅のホームで泥酔してくたばっている女の写真が流れてくる。見苦しい写真だった。こうはなりたくないなと思い画面をスクロールするが、瞬間、嫌な汗が背中を伝う。
 今の写真、どこか見覚えがある――。
 未名子は恐る恐る写真を見返し、声にならない悲鳴を上げた。
 その女は未名子だった。
 未名子は真っ青な顔で投稿を凝視した。リポストは三桁、いいね数は四桁に達している。リプライ欄を覗くとアラビア語のスパムアカウントから「👍」やら「😂😂」のようなリプライが大量に送られている。最悪だった。未名子にとっては「👍」の向きが180度違っていたし、「素晴らしい☺」と言っているアカウントは何も素晴らしくないのでブロックした。問題は大元のアカウントである。
 OROKAWA MELTDOWN――それがアカウント名だった。プロフィール文には「愚かでカワチィ、おろカワチィ」と書かれていて、未名子は頭が痛くなる。意味が分からなかった。過去のポストを遡ると泥酔している女の写真がズラリと出てくる。いずれも顔は写っていない。けれども見覚えのある服装と髪型と背景の全てが、未名子であることを示していた。
 ロング缶を握る未名子の手がブルブルと震える。アル中の禁断症状ではない――怒りだ。未名子はこの上なく怒っていた。未名子はロング缶を握りつぶし、歯ぎしりしながら決意する。
 絶対に警察に突き出してやる……!
 そうと決まれば話は早い。未名子のアルコール漬けの脳内では、ヤツを捕まえるための策略が千鳥足で立ち上がっていた。理由はともかく、ヤツは未名子をマークしているらしい。つまり明日もそこらで酔ったフリをしていれば、中の人間は未名子を撮るためひょっこり顔を出すのだろう。そこで捕まえて警察に突き出してやるのだ。
 完璧な計画だった。未名子は乾燥した夜空に向かって自分で自分を拍手する。
 ブラボー、ブラボー未名子! 

 翌日、未名子は泥酔した。酔ったフリのために酒量を抑えたつもりが、加減が分からず止まらなくなったのだ。泥酔した未名子は自販機のおつりのレバーをガチャガチャして意味の分からないことを喚いていたが、小鳥がチュンチュンさえずる明朝、近所のゴミ捨て場で目を覚ました。ゴミ袋の上でタイムラインを眺めていると、OROKAWA MELTDOWNが新しい写真を投稿していた。言うまでもなく未名子である。泥酔した未名子は光におびき寄せられた蛾のように、赤い自販機にへばり付いていた。未名子は心底腹が立った。まんまと泥酔した自分にも、OROKAWA MELTDOWNにも。
「舐めやがって!」未名子は中指を立てる。「次こそ絶対に尻尾を掴んでやるからな!」
 しかし次の日、未名子は泥酔した。次の日も次の日も泥酔した。OROKAWA MELTDOWNのカメラは泥酔した未名子を容赦なく捉え、その醜態をインターネットの海に広く流した。未名子の怒りのボルテージは上昇し続けたが、彼女は怒るほど酒を求める向きがあったので、浴びる酒量は日に日に増加した。
 未名子が泥酔という輪廻から解脱したのは、二週間後のことだった。その日はたまたま行きつけの店が臨時休業で、他の店も人がギチギチで入れなかったのだ。渋々コンビニで酒を買ったのだけれど、店員から「袋つけますか」と聞かれた瞬間に、何の因果かOROKAWA MELTDOWNのことを思い出したのである。
 この日、未名子は駅近くのベンチで酔ったフリをすることにした。ハイヒールを脱いでベンチに寝転がり、前髪を下ろして視界を隠す。脱力した手で空っぽのハイボール缶を持つこと半時間、殆どの人々は未名子を恐れて近づこうとしなかったが、一人パンプスを履いた女が未名子の前で立ち止まった。
 OROKAWAか?
 と思ったがシャッター音は聞こえない。未名子は再び寝たふりをする。
 暫くして男が立ち止まった。
「やべw これ襲われねーのかな」
 男はパシャパシャと未名子の写真を撮り始め、未名子は椅子から跳ね起きる。
「お前かーッ!」
 ギャー!と男はビビり散らかして逃げようとするが、スマホを構えていたぶん初動が遅れ、あっという間に羽交い締めにされてしまう。
「オイ! お前いま撮ったよな!?」
「ヒィィィ! ゆ、許してくださいッ!」
「いーや絶対に許さないね。毎日毎日私のことをパシャパシャ撮りやがって」
「毎日?」男は眉を顰める。「ちょっと待ってくださいよ、一体何のことだか……」
「嘘つけ! OROKAWAだろお前!」
「おろかわ……? え、最近流行ってる二頭身のヤツすか?」
「そっちじゃねーよ! お、ろ、か、わ! お前のXの半値、OROKAWA MELTDOWNだろっつってんの!」
 しらばっくれるなよ!と未名子は叫ぶが、男は心底困った顔をする。
「俺、インスタしかやってないんすけど……」
 未名子は眉を顰めた。何かおかしい。未名子は男のスマホを奪い取り、恫喝してパスワードを聞き出し解錠する。バイクとお花が並ぶ写真ライブラリの末尾には未名子の写真が二枚収められていた。けれども何処か違和感がある。
「顔だ」未名子は思いついたように呟いた。「写真に顔が写ってるんだ」
 OROKAWA MELTDOWNの投稿する写真に、未名子の顔は写らない。
「お前、OROKAWAじゃないのかよ!?」
「だから最初からそう言ってるじゃないですか!」
 未名子はスマホを男に押しつけ、夜の街を駆けた。あの男はOROKAWAではなかった。ならば本物はどこに居る?
 未名子はXを開き、OROKAWA MELTDOWNのプロフィール画面に飛ぶ。十数分前に今日の未名子の写真が投稿されていた。やはり顔は写っていない。だけど、と未名子は思う。あの男以外に今日、私の写真を撮った人間がいただろうか? 少なくともシャッター音は――と考えたところで、未名子はようやく合点がいく。
 無音カメラだ。
 そう考えると、俄然、あのパンプス女が怪しくなる。

 翌日、未名子は居酒屋を二件梯子して、泥酔したフリをした。
 近所の駅の片隅に置かれている自販機に横から抱きつきながら、寝ているように見せかけるのだ。通行人から奇異の目を向けられても気にしなかったし、脳内ピンクの男が話し掛けてきてもゲロを吐くフリをして帰らせた。求めているのはOROKAWAなのだ。他の者はお呼びでない。未名子はブーンと唸る自販機の駆動音に耳を澄ませ、薄ら目を開けて人々の足元に目を光らせていた。
 やがて半時間近く経っただろうか、昨日と同じパンプスが視界に入り、未名子の前で立ち止まる
 ――コイツだ、間違いない。
 未名子はパンプス女に飛びかかる。スマホを構えた女は虚を突かれ、まんまと未名子に羽交い締めにされてしまう(未名子には羽交い締めの才があった)。
「おい!」未名子は酒臭い口で叫ぶ。「OROKAWA MELTDOWNだろ、お前!」
「な、なんのことですか!?」
「しらばっくれんなよ、お前ぇ!」未名子は思い切り唾を飛ばす。「スマホ見せろスマホ! そこに私の写真が入ってんだろ!」
 未名子は女からスマホを奪い、画面を点けた。そこには21:22という時計とともに、泥酔してよだれを垂らしている未名子の顔が写っている。
「は?」
 未名子は二度見した。何度見ても未名子だった。未名子は側面のボタンを押す。画面が真っ黒になる。再びスマホの画面を点けると、よだれを垂らした未名子が写る。ボタンを押す。真っ黒。ボタンを押す。未名子。ボタンを押す。真っ黒。ボタンを押す。未名子。
 再び画面を真っ黒にすると、スマホを覗き込む間抜けな自分の顔が写った。
「えっと……これ何?」
「未名子さんですけど!?」女は逆ギレした。「とっても愚かでカワチィ、私の未名子さんですけど!?」
「お前の未名子さんになった覚えはないんだけど!?」
 未名子もキレ返す。
「てかお前、なんで私の名前を知ってんだよ!?」
 女はムッとして、
「失礼な、誕生日だって知ってますよ! 11月27日、ノーベル賞制定記念日ですよね!? だから私のスマホのパスワードもお揃いで、1127にしてるんですけど!?」
 未名子は女のスマホの画面を点け、パスワード画面でよだれを垂らしている自分を見ながら1127と入力する。ビンゴだった。ホーム画面に入ると、背景には路上で寝ている未名子の隣でしゃがみ込み、幸せそうな顔で指ハートをつくる女の自撮りが設定されている。
 未名子は110番に通報した。
『はいこちら110番。事件ですか事故ですか』
「変質者です」
『変質者?』
「ええ、面識もないのに私をつけ回して盗撮してて。いま捕まえているんですけれど」
『なるほど。いまどの辺りにいますか?』
 未名子は現在地を言って電話を切った。羽交い締めされている女が口を開く。
「誰と話していたんですか」
「警察」
「警察ですか! はー、こりゃまた物騒な……」
「お前だよ」
「え?」
「お前を通報したんだよ」
「え、私!? なんで!?」
「逆になんで分からないんだよ、とにかく豚箱に行くんだよお前は」
「それは困るッ!」女は激しく身悶えする。「離してください! 私にはまだ撮るべき未名子さんの写真が……!」
「離すわけないだろ馬鹿!」
 女はショックを受けてガックリと項垂れる。が、弱々しく顔を上げて、
「……あの、一本だけいいですか?」
「何が?」
「煙草です」女は泣きそうな声で言う。「逃げませんから、豚箱に入る前に一本だけ吸わせてくれませんか……?」
「煙草ねえ」
「お願いします……」
 未名子は暫く考え、女の拘束を解いた。
「あっ、ありがとうございます!」
 女は地面に落としていたハンドバッグを拾い上げると、中から黒地のパッケージに金色のJとPとSが絡み合っている厳つい箱を取り出した。眉を顰める未名子をよそに、女は慣れた手つきで煙草に火を点けて、おいしそうに煙草を吸う。
「はあ……思い出すなあ」
 女は未名子を見て、
「この前読んだ漫画で、煙草を線香みたいに地面にブッ刺すシーンがあったんですよ。それを見てから、なんだか煙草の煙が天国のムーちゃんまで届いている気がして」
「ムーちゃん?」
「飼ってたハムスターの名前です」
 女は煙草を吸って、ゆっくりと煙を吐き出した。
「信じてもらえないかもしれないけど、ムーちゃんってそこの……セブイレの隣に、ほら、中華料理屋さんがあるじゃないですか。あの前で拾ったんです。最初汚くてゴミかと思ったんですけど、よく見たら動いてて。連れて帰って家で飼うことにしたんです。私、すっごく可愛がったんですよ。なのに、すぐケージを登って脱走しようとするから、ムカついて水槽で飼うことにして……」
「本当に愚かで、カワチィ命でした。学習能力がないから、絶対に無理なのにツルツルの水槽をよじ登ろうとするんです。そんなおろカワなとこを見てたら、どんどん好きになっちゃって。でも、私が拾ってから一年と八ヶ月だったかな? ムーちゃん、死んじゃったんです。長生きしたのか早死にだったのかは分かんないけど、とにかく私、ムーちゃんロスになっちゃって。最近ようやく元気になれて、また何処かにムーちゃんみたいに愚かでカワチィ子、落ちてないかなあって探してたんです」
「もちろん、いるわけないのは分かってました。でも、もしかしたらって探していたら――本当に落ちていたんですよ、泥酔した未名子さんが!」
「本当に驚きました……。もしかしたらムーちゃんの生まれ変わりなのかもって、本気で思ったんです。だって未名子さん、毎晩見かけるたびに、他人様に迷惑かけてゲロ吐いて、それでも懲りずにお酒を飲んで――こんなおろカワな人がいるなんて、想像もしなかったんです! 私、未名子さんを見て、絶対に飼ってあげなきゃ!って思いました。でも未名子さん、人間じゃないですか!? だから私、なんとか写真だけで我慢しようと思って――ううん、本当は我慢なんてできなくて、だからネットの皆におろカワな未名子さんを見てもらいたくて、じゃないと私、こんなに痛くて苦しい気持ち、独りで抱え込むことができなくてッ!」
 女は興奮した様子で、未名子に顔を近づけた。キツい煙草の匂いと底知れぬ恐怖に、未名子は引きつった顔で後ずさる。女の息は荒く、頬を真っ赤にして、
「未名子さん、ちょっとだけ、撫でてもいいですか」
「はあ?」
「頭じゃなくてもいいんです、ほんのちょっとだけ、顎とか、肩とか、お腹とか――」
「ヤダよ、馬鹿じゃねーの!?」未名子は声を荒げた。「絶対に嫌!」
「じゃ、じゃあ……」
 女はまだ何か言おうとしたが、遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。
「ほら、お迎えが来たぞ!」
 未名子は調子を取りもどして言う。女は泣きそうな顔で未名子を見つめて、短くなった煙草を吸っていたが、ふとハムスターのように頬を膨らませると、
 ぷうっ!
 と未名子の顔に煙の塊を吹き出した。
「ヴォエッ!?」
 もろに煙を浴びた未名子は、両手で煙を払いのける。ふざけやがって!と目を開くと、女は何処にもいなくなっている。
「は……?」
 呆然と立ち尽くす未名子は、目の前に落ちていたJPSの箱を見つけて、拾い上げる。
 パトカーのサイレンが徐々に近づき、未名子の顔が赤く照らされる。

 翌日、未名子がXを見ると、OROKAWA MELTDOWNのアカウントが削除されていた。「このアカウントは存在しません」の文字列に、未名子は暫し考え込む。
 新手の妖怪のような女だった。未名子の心に恐れを残し、煙のように消えたのだ。ただ、女が吐き出した言葉は何処か真に迫るものがあって、それに乗せられた感情の手触りを思い出す度に、未名子は考えてしまうのだ。
 あの時、肩くらいなら撫でさせても良かったかもしれない――。
 女が浮かべただろう笑顔を夢想し、未名子は溜息を吐いてコンビニに入る。
 酒が呑みたかった。
 未名子の鞄の底には、捨てきれないJPSが入っている。


小野繙(おの・ひもとく)
2022年、第4回百合文芸小説コンテストで河出書房新社賞受賞。受賞作が『百合小説コレクションwiz』(河出文庫)に掲載されて商業デビュー。2023年、カモガワ奇想短編グランプリ優秀賞。
Twitter(X):@negishiso

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💡次回(3月下旬ごろ予定)のゲスト作家は……斜線堂有紀(しゃせんどう・ゆうき)さん

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