ケムールが贈る「最強のスモーキング・ムービー・ガイド」、女優編の#2:後編です。オードリー・ヘプバーンから辿ってきた、煙草が似合う女優クロニクル。後編はついに日本が誇る”あのひと”が登場。
▶#1:前編はこちら【煙草はダメ女の烙印?】
レンタルビデオ業界を退いた後、『キネマ旬報』等雑誌、WEBでの執筆やTwitter (@eigaoh2)で自分の好きな映画を広めるべく日夜活動している70年代型映画少年。Twitterスペースで映画討論「#コダマ会」を月1開催。第2代WOWOW映画王・フジTV「映画の達人」優勝・映画検定1級・著書『刑事映画クロニクル』(発行:マクラウド Macleod)
たばこは動くアクセサリー
明治の女流作家の行動によってインテリ女性たちの間に喫煙が定着。一方で夜の街に身を置く女性たちは江戸時代から変わらず煙草で心を癒していました。日本の喫煙女性は二極化したのです。
変化が現れたのは、先に述べたヘプバーン旋風が起きた昭和30年代です。起爆剤になったのは昭和32年(1957年)から日本専売公社が始めた若い職業女性へのキャンペーン。当時の職業女性と同世代の昭和ヒトケタ生まれの若い映画女優たちに煙草を持たせ、「たばこは動くアクセサリー」というコピーを添えたポスターを全国に掲示したのです。
煙草”ピース”の広告 画像出典:Twitter
そして1930年代のハリウッドで煙草会社が行ったように映画の中で女優たちに喫煙をさせます。映画の中で煙草を嗜む女性たちの姿は都会的で洗練されたものでした。若い女性たちの喫煙への心理的ハードルがグッと下がったのは言うまでもありません。
“ピース”煙草の宣伝ポスターを飾った司葉子さんが主演した『その場所に女ありて』(’62)という映画があります。葉子さんが演じたのは生き馬の目を抜く広告業界で男性に負けずに懸命に働く女性です。それまで娘役ばかりだった葉子さんは、この役を演じるにあたり人生で初めて煙草を吸います。以後、日本映画で喫煙は若い女優が大人の女性を演じた“証”になっていきました。
©東宝 画像出典:amazon
2022年にこの映画を観た上白石萌音さんはこう言いました。
「私も(司さんのように)かっこよく煙草の吸える女優になりたいです」
煙草離れの現代を生きる若い女性にもそう思わせたのですから、昭和30年代の女性たちに与えた影響は計り知れないものがあったでしょう。もし近い将来、萌音さんが喫煙姿を披露しても「なんてことを!」なんて思わないで、大人の女優にステップアップしたんだなぁと応援してあげてくださいね。
画像出典:スボニチ
かくて昭和38年(1966年)、日本の女性の喫煙率は18.0%という過去最高の数字になります。今に至るもこれを超える女性喫煙率を記録した年はありません。
♬おれのあん娘はたばこが好きで♬
60年代のヒッピー・ムーブメントや学生運動、ウーマンリブなどのカウンター・カルチャーを経て迎えた1970年代。日本女性の喫煙率は15%前後、アメリカ女性の喫煙率は30%前後を推移し、煙草を吸う女性は当たり前になりました。
この時代を代表する女優と言えば、梶芽衣子さんと桃井かおりさんが思い浮かびます。二人の喫煙姿には明治の女性や昭和30年代の女優のような気負いが感じられません。「吸ってますけど、何か?」って感じで、男性と同じように日常の一部として自然に煙草を燻らせているのです。そこには喫煙する女優の新しい魅力がありました。
まずは梶芽衣子さん。正直言って、彼女ほど咥え煙草をクールに決められる女性は他にいません。試しに「梶芽衣子 タバコ」でネット検索してください。そこに表示される写真の数々を見れば、どんな男性も「惚れてまう!」ってなること確実です。
©東映 画像出典:Pintarest
『ジーンズブルース/明日なき無頼派』(’74)の冒頭で、芽衣子さんが煙草を燻らせている時の虚無の表情がとても印象的なのですが、さらに素晴らしいのは『わるいやつら』(’80)です。芽衣子さんはあるシーンで煙草を咥えて喋りながら、マッチを擦って火をつけます。文章で書くと簡単そうですが、一度やってみてください。この動作を自然にやるのは至難の業。それを難なくやってみせる芽衣子さん、どれだけ煙草を吸ってきたんだ!と思ってしまいます。
ただ、問題なのは芽衣子さんが美しすぎること。氷の美貌なのです。仮に彼女と煙草を吸う機会に恵まれても、男性の殆どは緊張で手が震えてライターやマッチに火を付けることが出来なくなるかもしれません。
その点、安心なのは桃井かおりさん。あの『徹子の部屋』に咥え煙草で出演した1日100本のヘビースモーカーで、当時、煙草片手に笑っている姿をレコード・ジャケットにした人ですから、彼女との喫煙タイムは気楽な「心の日曜日」になりそうです。
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開けっぴろげな陽性のスモーキング・ウーマン、桃井かおりさんのダークサイドが垣間見られるのが『疑惑』(’82)です。彼女が演じるのは保険金目当ての夫殺しで容疑者にされる元ホステス。本作で彼女は煙草をバカバカ吸い、悪態をつき、暴れまくります。圧巻は自らの疑惑への弁明を行う記者会見でのかおりさん。煙草を片手に自分に疑いの目を向ける熱血暴走新聞記者(今の姿からは想像出来ないでしょうが、演じたのは柄本明)を愚弄し、テレビカメラ越しに捜査にあたる刑事たちを挑発。まさに観客の憎しみを一身に集め、イライラさせる完全無欠のビッチ。こんなかおりさんと煙草を吸いたいなんて思う男性は絶対にいないはず。
けれどもすべてが終わったラスト、列車の中で煙草を燻らせるかおりさんが一瞬見せる寂しげな表情に心が動かされるから不思議です。この時、思い浮かぶのは西岡恭蔵の歌『プカプカ』の一節。
幸せってやつが あたいにわかるまで
あたいたばこ止めないわ プカプカプカプカプカ♬
©松竹 画像出典:Twitter
このシーンを観れば、煙草が似合う女優No.1は桃井かおりさんだと確信できるはずです。
えっ、梶芽衣子さんはどうしたって? あのですね、彼女は煙草を吸おうが吸うまいが最高なのです!
紫煙はタフな女によく似合う
1980年代に入ると、喫煙女性のイメージは更なる進化を遂げます。煙草は“女の強さ”の象徴になったのです。
嚆矢となったのは『グロリア』(’80)のジーナ・ローランズです。幼い少年を守るため単身、マフィアと戦う彼女は、多くの女性映画ファンの憧れの的になりました。日本でも「こんな役が演じたい」と公言した女優が出る程だったのです。
実際のところ、劇中でローランズは数本しか煙草を吸っていないのですが、数少ないシーンで煙草を持つ姿が強烈な印象を残します。そのためリバイバル公開時のチラシ、ポスターでは、煙草を手にするローランズのポートレートを前面に打ち出しました。
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そしてジェームズ・キャメロン監督による2作、『エイリアン2』(’86)と『ターミネーター2』(’91)です。どちらも下手な男を圧倒する戦闘力を持つ女性が大活躍する作品です。ほぼ一人で無数のエイリアンを全滅させたシガニー・ウィーバー演じるエレン・リプリーも、人類滅亡のジャッジメント・デイを阻止したリンダ・ハミルトン演じるサラ・コナーも共に喫煙者。二人は煙草で心を静めつつ、闘志を燃やしていました。二人の雄姿に共感した女性たちはアクション&SF映画の面白さに目覚めていったのでした。今に続くバトルヒロインたちの歴史はリプリーとコナーが煙草を吸わなかったら始まらなかったと言ったら言い過ぎでしょうか?
©20th Century Studios, Inc. 画像出典:Twitter
©TriStar Pictures, Inc. 画像出典:Twitter
喫煙女性のタフなイメージは古典的な“ファム・ファタール”にも影響を与えます。かつての“ファム・ファタール”はどんなに男を翻弄し、闇落ちさせても、最後には罰を受けるか、改⼼していました。しかし新しい“ファム・ファタール”は違います。「退かぬ。媚びぬ。省みぬ」なのです。そんな彼女たちのキャラや男たちとの関係を見ていると、先に記した“煙草=男根説”が正しいと思えてくるから面白いです。二人の“ファム・ファタール”新世代を例にあげて説明してみましょう。
1作目は『白いドレスの女』(’81)でキャスリーン・ターナー演じるマティです。彼女は誘惑した男を使って完全犯罪に成功し、大金を手にする非情な女。自らの計画のためにプレイボーイの三流弁護士ネッドを誘惑します。このネッドがとんでもないヘビースモーカーなのです。友人や愛人の前ではノンストップで煙草を吸っています。ところが煙草片手にマティが張った蜘蛛の糸に囚われてからは、なぜか彼女の前では煙草を咥えなくなるのです。横でマティが吸っていてもです。“煙草=男根説”で考えると、これを去勢と言わずしてです。
印象的なのはマティとベッドで一戦を交えた後です。別の女なら余裕で一服していたのですが、マティ相手だとヘトヘト。煙草を口にする余裕もありません。そこへさらに求めるマティが迫り、彼の一物を握ってベッドに誘います。“煙草=男根説”で解釈するなら、この時、ネッドは男根の象徴である煙草を持つ余裕を無くしたばかりか、男性その物をマティに“掴まれた”という訳です。案の定、ネッドは以後、ズルズルとマティの罠に落ちて、破滅的な結末を迎えます。
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次は『氷の微笑』(’92)でシャロン・ストーンが演じたキャサリン・トラメル。連続殺人の容疑者になる作家で、担当刑事を誘惑するバイセクシャル。これまで紹介してきた喫煙女性と彼女たちへの男性の恐怖の集合体のようなキャラクターです。彼女の存在を強烈に印象づけたのは取調べの刑事たちを見下しながら紫煙を吐き、足を組みかえ挑発するシーンです。ここを“煙草=男根説”で解釈すると、上から目線で煙草を吸い、ノーパンの股間を露わにする姿はバイセクシャルである彼女の“両性具有性”を露骨に描き出していることになります。
どうですか、“煙草=男根説”。納得していただけましたか?実は書いていて思ったんですが、この説はファム・ファタールだけでなく、映画に登場する全ての喫煙女性に適応出来るのではないかと。試しに『ローマの休日』のアン王女をこの説を使って解釈してみてください。
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さて話を戻します。
21世紀、女性の喫煙率が15%前後に落ちたアメリカにタフでハードな80年代型スモーキング・ウーマンが帰ってきます。『アトミック・ブロンド』(’17)でシャーリーズ・セロンが演じる女スパイ、ローレン・ブロートンです。リプリーやサラ・コナーに劣らぬ戦闘力とマティやキャサリンとタメを張るセックス・アピールの持ち主。おまけにグロリアばりにクールなスモーカーなのです。
1989年が舞台ということもあって、ローレンは常に煙草を燻らせます。とりわけ上司に事情聴取される時のチェーンスモークは堂に入ったもの。その姿はかつての喫煙女優たちが持っていた人を惹きつける魔力が現代に蘇ったかのようです。
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日本でこのハリウッドの潮流に対抗したのは五社英雄監督です。『鬼龍院花子の生涯』(82)、『陽暉楼』(’83)、『極道の妻たち』(’86)、『肉体の門』(’88)などで、喫煙するやくざの情婦やパンパンたちを以前の日本映画のように憐れみや唾棄の対象ではなく、男社会に真っ向勝負を挑む度胸のある女性として描いたのです。それらの作品で岩下志麻さん、浅野温子さん、かたせ梨乃さん、名取裕子さんら錚々たる女優たちが堂々とした喫煙姿を披露。その姿は男性が⾒ても惚れ惚れするカッコ良さでした。
五社映画における煙草を吸う女優の姿勢は他の映画にも影響を及ぼしました。80年代の日本映画では、多くの女優が強く、美しく煙草を吸いました。
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その中で特に注目して欲しいのは当時のトップ女優のひとり、十朱幸代さん。煙草を吸う幸代さんからは強さや逞しさだけでなく、慈愛も感じられるのです。それは1987年に主演した『極道の妻たちⅡ』(監督:圡橋亨)と『夜汽車』(監督:山下耕作)を見ればよくわかります。どちらの映画も劇中、幸代さんが吸う煙草は数本。しかし『グロリア』のジーナ・ローランズ同様、大女優は少ない本数で強烈な印象を残すのです。
『極道の妻たちⅡ』で幸代さんが演じた役はダメな夫に代わって組を仕切る極妻。冒頭で海水浴を楽しむ子分の妻と子供を眺めながら一服する時、敵対する組織のボスの前で煙草を吸う時、どちらも物腰が上品でカッコ良いのです。
『夜汽車』で演じたのは年の離れた妹のため高知の色街で働く芸妓。両切り煙草の吸い口側をつぶし、親指と人差し指で挟んで吸う時の手慣れた感じは貫禄たっぷり。
一転するのは隣に男性がいる時です。男性の口から煙草を取って自ら吸う幸代さんからは愛に生きる女の情愛と悲哀が伝わってきます。その甘くて優しい声の影響もあるのでしょうが、五社映画の女優たちとはまた違う良さがあります。
十朱幸代さん。今ではその名を聞くことも少なくなりましたが、その喫煙姿は語り継がれてしかるべきものです。
©東映 画像出典:シネマニアの日記
煙草を吸うのも私の責任
喫煙への意識が変わった21世紀。映画の中の喫煙女性は“ダメ女”として描かれ、雑誌やネットニュースは女優の喫煙をスキャンダルのように報じます。
しかし、かつて煙草は⼥性の⾃⽴の象徴であり、喫煙姿の⼥優が観客を魅了した時代があったのです。
最後に、窮屈な現代に生きるスモーキング・ウーマンに『女と男のいる舗道』でアンナ・カリーナが女友達に言う台詞を贈ります。
「私はすべてに責任があると思う。自由だから。
手をあげるのも私の責任。右を向くのも私の責任。
不幸になるのも私の責任。煙草を吸うのも私の責任。
目をつぶるのも私の責任。責任を忘れるのも私の責任。
逃げたいのもそうだと思う。
すべてが素敵なのよ。素敵だと思えばいいのよ。
あるがままに見ればいいのよ。
顔は顔。お皿はお皿。人間は人間。人生は人生」