大阪ニュー・シネマ・パラダイス #70年代型映画体験【シガレット・バーン/映画的喫煙術】

二台の映写機を交互に使って映画を上映していた時代。切り替えのタイミングの合図は、フィルムの端に出る黒丸印。
この印のことをアメリカ映画業界では“シガレット・バーン/煙草の焼け焦げ”と呼んでいました。
そう、昔から煙草と映画は切っても切れない関係にあったのです。

映画に出てくるタバコの数をカウントしたり、東映ヤクザ映画からタバコの喫い方だけをコレクションしたりと、やりたい放題の「最強のスモーキング・ムービー・ガイド」の時間です。
今回はある歴史の証言をお届けします。それは、ひとりの大阪に住む少年が「映画ファン」になるお話。
1970年代。
ベトナム戦争が終わり、中国が国連に加盟し、沖縄が日本に返還された時代。
日本にマクドナルドができ、カップヌードルが発売され、「共通一次(国公立大学入試選抜共通第一次学力試験)」がはじまった時代。
松本零士が「宇宙戦艦ヤマト」を描き始めた時代。
そして、だれもが映画館に通い、映画の上映中に煙草を喫っている人がいた時代。
レンタルビデオもシネコンもNetflixも何ひとつない。超でかくて重いブラウン管テレビと映画館しかない。そこから映画があふれていた時代。

当時、少年少女だった人には、涙が出るほど懐かしいはず。
令和のキッズには異世界のような風景かもしれません。

文・小玉大輔
レンタルビデオ業界を退いた後、『キネマ旬報』等雑誌、WEBでの執筆やTwitter (@eigaoh2)で自分の好きな映画を広めるべく日夜活動している70年代型映画少年。Twitterスペースで映画討論「#コダマ会」を月1開催。第2代WOWOW映画王・フジTV「映画の達人」優勝・映画検定1級・著書『刑事映画クロニクル』(発行:マクラウド Macleod)

ニュー・シネマ・パラダイス

© 1989 CristaldiFilm

 シチリアの寒村ジャンカルドにある “パラダイス座”。
 客席を埋め尽くす老若男女。上映中にも関わらず子どもたちは騒ぎたて、大人たちの中には鼾をかいて寝ている人や二階席から階下に唾を吐く、困った人もいます。
 この劇場で忘れてならないのは館内に充満するタバコの煙。そしてヤニに黄ばんだ壁。
 今、紫煙漂う中、“映画”という名の“光”が銀幕に向います…。

© 1989 CristaldiFilm
 ここが『ニュー・シネマ・パラダイス』の舞台になった映画館です。
 男はこの映画を観る度に想い出すのです。半世紀近く前、大阪育ちの映画少年だった日々を…。
「あの頃、通っていた映画館にはタバコがつきものだったよなぁ」
 エンニオ・モリコーネのノスタルジックな調べが、男を過去へと誘います。

© 1989 CristaldiFilm

第一章:70年代型映画少年・少女、ライジング!

”洋画劇場”で育った子どもたち

 1970年代後半、テレビの映画番組は花盛りでした。夜9時からのゴールデンタイムには毎日どこかの局が映画を放映し、深夜にも映画枠がありました。それだけではありません。地方局の中には昼間にも映画を放映するところもあったのです。これらの映画番組は一般に“洋画劇場”と呼ばれていました。その訳は放映される映画の大半が洋画だったからです。

テレビ放映される映画専門の番組表

 茶の間の注目を集めたのはやはり、夜9時からの“洋画劇場”でした。平均視聴率15%以上。有名作、ヒット作が放映される春と秋の改編期には視聴率20%が当たり前、時には30%を超えることもあったのです。
 当時、テレビは一家に一台の時代。親が映画を観れば、当然、子どもたちも観ます。この頃は今とは比較にならないぐらい放送コードが緩い時代。大人たちは 大人向けの映画を平気で小学生の我が子に見せていたのです。
 また同じ時期、少年漫画雑誌ではグラビアで映画の特集が行われ、『エクソシスト』(’73)など子ども向けではない劇場公開映画をネタバレ上等とばかりに完全コミック化。これが子どもたちの映画への興味をさらにかきたてました。

 小学生の頃から大人向けの映画(洋画)に親しむようになっていた70年代の子どもたち。やがて、その中から映画が好きになる少年や少女が生まれます

1976年 さすらいの口笛に誘われて

出典:Twitter

 その少年は、70年代っ子らしく小学校の中学年から映画に親しんで来ました。テレビの“洋画劇場”で『荒野の七人』(’60)『007/ゴールドフィンガー』(’64)を観たり、『ドラゴンへの道』(’72)『タワーリング・インフェルノ』(’74)に連れて行ってもらったりしていました。しかしとりたてて映画に惹かれることはありませんでした。それよりも『宇宙戦艦ヤマト』などのアニメを観たり、公園や校庭で弟や友だちと野球や追いかけっこをする方が楽しかったのです。
そんな少年が変わったのは、小学6年生だった1976年6月28日のことです。
 クリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』(’64)が月曜ロードショーで放映されたのです。この映画を少年は2年前の1974年に同じ月曜ロードショーで観ていました。もう一度観ようとしたのは「面白かった」という印象がぼんやりと残っていたのと、主演のクリント・イーストウッドを山田康雄が吹き替えていたからでした。少年は『ルパン三世』のファンだったのです。
 番組冒頭の荻昌弘の解説が終わり、映画が始まります。『ウルトラマン』を思わせるアニメのタイトル画面に流れる口笛によるテーマ曲。少年はこのオープニングを全く覚えていませんでした。
 そして、思います。

©Constantin Film Produktion, Jolly Film, and Ocean Films

「むちゃくちゃカッコええ!」

 この時、山田康雄の声が聞ければいいと思っていた少年は『荒野の用心棒』に心を撃ち抜かれました。タイトルが明けて、ラバに乗ったイーストウッドが登場すると少年は画面から目を離すことが出来なくなります。イーストウッドの雄姿と『荒野の用心棒』の世界をずっと観ていたい。コマーシャルももどかしく感じます。そしてクライマックスでイーストウッドが毛布(ポンチョと呼ぶことを知ったのは後のこと)の下に隠した鉄板を落とした時、少年の興奮はMAXに達しました。


「なんて面白いんや!」
 その興奮は小学校低学年の時に見た『タイガーマスク』で、タイガーが覆面リーグ戦での反則解禁を許された時に感じたもの以上でした。
 これで少年の映画に対する興味は一気に高まります。その勢いのまま翌週、同じ月曜ロードショーでフランコ・ネロ主演の『続・荒野の用心棒』(’66)を観ます。そしてネロが両手を潰されながらも、根性で銃を撃ち、敵を倒すクライマックスで少年は前週と同じカタルシスを体験します。その時、少年は思ったのです。

1966 B.R.C. S.r.l. – Surf Film All Rights Reserved

「『荒野の用心棒』や『続・荒野の用心棒』と同じぐらい面白い映画が他にもあるに違いない。もっと映画を見たい!もっと知りたい!!」

 

こうして、
少年は「映画少年」になりました。
あなたにも「荒野の用心棒」のような
心を撃ち抜かれた一作はありますか?

第二章:煙草をくわえた映画スター

映画小学生 ぼくを映画館に連れてって

雑誌「スクリーン」

 少年の勢いは止まりません。まずは『荒野の用心棒』『続・荒野の用心棒』のテーマ曲のシングル・レコードを買って、何度も繰り返し聞き、映画の興奮を蘇らせます。続いて映画雑誌『スクリーン』を購入。観たい映画がどんどん増えていきます。
 そんな少年を家族は理解してくれました。中でも叔母は元来、映画が好きだったらしく、少年の観たい映画につき合ってくれたのです。
 この年の8月、イーストウッド監督・主演の『アウトロー』(’76)に行った時のことです。ちょっとした事件がありました。少年が大きなスクリーンに映し出されるイーストウッドの姿に魅入っていると、隣の叔母が「席を変わって」と言ってきます。叔母は横のおっさんに足を触られていたのです。少年は映画館には痴漢がつきものということを、この時、知ったのでした。
 こんなことがあっても叔母は映画につき合ってくれました。


 少年はテレビを夜9時から独占するようになります。この年の秋、初めてテレビで放映された『ゴッドファーザー』(’72)『ポセイドン・アドベンチャー』(’72)を観て、ますます映画が好きになります。とりわけ『ゴッドファーザー』は口にティッシュを含んでマーロン・ブランドの真似をするほどお気に入りになりました。ちなみに同じ時期、『サウンド・オブ・ミュージック』(’65)も放映されたのですが、少年は観ることが出来ませんでした。家族から「そんな映画を観る柄か、あんたは?」と言われたからです。
 小学6年生が『ゴッドファーザー』を観るのは良くて、『サウンド・オブ・ミュージック』はダメ。何とも理解し難い判断ですが、おかげで少年はその年の年末には『ダーティハリー3』(’73)『カサンドラ・クロス』(’76)をひとりで観に行く“背伸びくん”になっていました。

映画中学生 大人は判ってくれない

 1977年、中学生になった少年は勉強もそっちのけで映画にハマっていきました。とにかく映画に関することなら何でも知りたかったのです。家にある百科事典の「映画」の項目を端から端まで読むだけでは飽き足らず、図書館では『キネマ旬報』、映画評論、映画の原作やノベライズを借りるようになり、FMの映画音楽番組をエアチェック、テレビの“洋画劇場”の音声をラジカセで録音。そして、金曜日の夕刊に掲載される週末公開の映画広告が待ち遠しくてたまりませんでした。
 しかし、そんな少年は、あの叔母からとうとう愛想を尽かされてしまいます。
 中一の秋、『タクシードライバー』(’76)に連れて行ってもらった時のことです。鏡の前で一人芝居をするロバート・デ・ニーロに痺れた少年とは対照的に、叔母は映画の内容に辟易。「こんな映画、嫌やわぁ」と言われ、それからというもの、映画につき合ってくれなくなりました。


 映画をひとりで観に行かなければならなくなった少年。そうなると入場料金の高いロードショーに頻繁に行けなくなります。でも少年には観たい映画がいっぱいあります。どうすればいいのでしょうか?
 少年は幸運でした。大阪には当時、ロードショーが終わった映画を上映する二番館、三番館、名画座と呼ばれる映画館が、帝都・東京にも負けないぐらいたくさんあったのです。

 中でも、ふたつの劇場が有名でした。西梅田の毎日大阪会館にあった「大毎(だいまい)地下劇場」と心斎橋のキリンビルにあった「戎橋(えびすばし)劇場」です。どちらも週替わり二本立て。上映されるのはロードショー上映後すぐのヒット作や話題作、ファン向けの作品、そして『ゴッドファーザー』や『アラビアのロレンス』(’62)『小さな恋のメロディ』(’71)のような広く知られた人気作でした。入場料は学生料金500円。少年はここなら限られたお小遣いの中でこれまで以上にたくさん映画が観られます。

 少年が選んだのは家に近い「大毎地下」でした。週末は映画ファンの大学生や映画デートのカップルなどで館内は立ち見が出る盛況ぶり。少年は年上のお兄さんやお姉さんに交じって二本立てを観る自分が大人の一員になったような気がしてきました。そして名画座で映画を観ることが映画マニアの正しい姿だと思ったのです。
 それからというもの、少年は足繁く「大毎地下劇場」に通いました。お気に入りは「大毎地下」の隣のビルの11階にあった毎日文化ホールで行われる「大毎地下名画鑑賞会」でした。“昔の映画を観てこそ映画ファン”と思うようになっていた少年にとって、ここは聖地でした。『キネマ旬報』や書籍で評論家や映画マニアが絶賛している映画が次々、上映されたのです。
『ワイルドバンチ』(’69)『ダーティハリー』(’71)『わらの犬』(’71)『アメリカン・グラフィティ』(’73)『ロンゲスト・ヤード』(’74)『ヤング・フランケンシュタイン』(’74)、そしてフランソワ・トリュフォー監督作。これらの作品から少年は『荒野の用心棒』を観た時と同じ興奮、そして感激を何度も体験することが出来ました。
 この頃、少年はあることに気づきます。『荒野の用心棒』『アウトロー』『ゴッドファーザー』『さらば友よ』(’68)など、彼が好きな映画には共通点があるのです。憧れの主人公たちは全員タバコを喫っていたのです(『アウトロー』は噛み煙草ですが)。
 こうして少年はタバコを喫うことにも憧れを持つようになります。それが決定的になったのは1978年11月13日、テレビで『ロング・グッドバイ』(’73)を観た時のことでした。


 こんな少年でしたが、孤独ではありませんでした。映画について話せる同級生が何人かいたのです。彼らとは『2001年宇宙の旅』(’68)『時計じかけのオレンジ』(’71)のリバイバルを観に行ったり、テレビで『大脱走』(’63)『バニシング・ポイント』(’71)が放映された翌日はその話で盛り上がったりしていました。

 とは言え少年は、テレビで映画を観る“映画ファン”の彼らより、自分がワンランク上の“映画マニア”だと密かに思っていました。その証拠が『スターウォーズ』(’77)への興味です。一年前には観るのを心待ちにしていたのに、公開される頃には「急ぐこともないか」という考えに変わりました。結局、観たのは「大毎地下」で二本立て上映されてから。しかもその時には同時上映の『フューリー』(’78)の方が面白いと感じるようになっていたのです。
そう、この頃の少年は今で言う“中二病”でした。

タバコの名シーンを数多く生み出した
70年代映画。
いくつ作品を知っていましたか?
さて、お小遣いを全部映画につぎこむようになり
もう引き返せない少年はーー。

第三章 おっさんの中で映画愛を叫ぶ

映画高校生 さらば友よ

「銀河鉄道999」公開時 画像出典:青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

 1980年、少年は高校に進学します。
 少年は思っていました。高校の映画研究部に入れば「大毎地下」にいるような映画大好きな同級生や先輩がいて、今まで以上に映画の話が出来ると。
 しかし少年の希望は脆くも崩れます。高校の映画研究部の新入部員は自分だけ。しかも先輩は映画より『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』が好きな3年生ばかり。イーストウッドの話を振っても「ふ~ん」で終わってしまいます。
 しかも高校生になると興味の対象がバイクやオシャレに広がるので映画について話す同級生もいませんでした。少年は一気に孤独になってしまったのです。
 それでも少年の映画への情熱は冷めることはありません。映画に費やすお金を稼ぐためバイトを始めます。
 自由になるお金が増えれば行動範囲が広がります。当時の大阪には「大毎地下」や「戎橋劇場」のように映画ファンが集う名画座の他に、一つの建物にスクリーンが二つあり、一般映画の三本立てと、成人映画の三本立てをそれぞれ上映する映画館がありました。少年はこういう映画館にも行くようになったのです。入場料金は学生900~1200円。「大毎地下」「戎橋劇場」に比べると少々高かったのですが、自転車で行ける距離にあったので電車賃が掛からないのが良かったのです。少年の頃はどれだけ自転車を漕いでも疲れないものですから。
 初めてそんな劇場内に入った時、少年は戸惑いました。客が少ない。ぽつりぽつりとしか座っていません。おまけに彼らは「大毎地下」に来ていたような映画ファンではありませんでした。どう見ても休日の暇つぶしに来たご近所のおっさんです。
 これだけで“映画を観る人”を神聖視していた少年には驚きでしたが、それ以上に衝撃的な出来事が起こります。おっさんたちが上映中に平然とタバコを喫い始めたのです。こんな光景を少年はそれまで観たことがありませんでした。映画館は禁煙のはずなのに!

© 1991 Universal City Studios, Inc. and Amblin Entertainment, Inc. All Rights Reserved.

 とは言え、少年にはおっさんたちを注意する勇気はありませんでした。自分にこう言い聞かせます。「おっさんとは席が離れているからタバコの匂いも気にならへん。タバコのことは忘れて映画に集中すれば、何の問題もないやん」と。
 そう思ってスクリーンを観ていると少年は不思議なことに、この空間に居心地の良さを感じ始めます。
 何と言っても空いているのが良い。週末の「大毎地下」はいつも満員で、席の確保が大変でした。以前、『さすらいの航海』(’76)『ニューヨーク・ニューヨーク』(’77)というどちらも2時間半越えの映画2本立てを立ち見で観るはめに陥った少年にとっては、近所のおっさん御用達のがらがらさは夢のようでした。
「上映してる映画、大毎地下と変わらんし、こっちの方がええやん」

映画を途中から観るなんて!

 かくて少年は映画ファンが集う「大毎地下劇場」や「戎橋劇場」より、劇場でタバコを喫うおっさんたちがいる映画館に行くことが多くなりました。
 ただ近所のおっさん御用達の映画館で観る時、忘れてならないのは、事前に電話で上映のタイムテーブルを確認すること。こういった映画館の多くは午前中にはほとんど観客が来ません。暇つぶしのおっさんたちが行動を起こすのは午後からです。そのため午前中は映画を途中上映して、時間調整を行っていたのです。何も知らずに午前中に劇場へ来た場合、ロビーで次の映画が頭から上映されるまで待つしかありません。


 ある時、うっかり朝一の回が途中上映かどうか確認しなかったことがありました。次の映画が始まるまで時間を潰していた時、少年は劇場のおばちゃんに声をかけられます。
「お兄ちゃん、観いへんのか?」
「途中からはいややねん」
 いっぱしの“映画マニア”気取りになっていた少年にとって映画を途中から観ることなんてありえなかったのです。おばちゃんは言いました。
「…変わった子やな…」
 このおばちゃんの言葉が少年の自意識を強烈に刺激しました。とりたてて映画が好きでもない人の中のただひとりの映画好き。少年は自分が世界の中心で愛を叫んでいる”孤高の映画マニア”のように思えたのです。
「俺は孤独やない。あえて孤立を選んだんや!!」
 こうして“中二病”的映画熱を拗らせていった少年。
 その後、彼は“運命の映画”に出逢ったことをきっかけに、家族から未成年が一人で行ってはいけないと注意されていた地区に足を踏み入れます。
 通天閣を見上げる新世界と、飛田地区です。
 そこの映画館で少年は “パラダイス座”のトトのような体験をすることになるのでした。
 でも、それはまた別のお話。

 Part2(完結編)を公開しました。

大阪ニュー・シネマ・パラダイス PartⅡ #70年代型映画体験【シガレット・バーン/映画的喫煙術】

今回登場した映画

荒野の用心棒(’64)
続・荒野の用心棒(’66)

荒野の七人(’60)
アラビアのロレンス(’62)
大脱走(’63)
007/ゴールドフィンガー(’64)
サウンド・オブ・ミュージック(’65)
さらば友よ(’68)
2001年宇宙の旅(’68)
ワイルドバンチ(’69)
わらの犬(’71)
小さな恋のメロディ(’71)
ダーティハリー(’71)
時計じかけのオレンジ(’71)
バニシング・ポイント(’71)
ドラゴンへの道(’72)
ポセイドン・アドベンチャー(’72)
ゴッドファーザー(’72)
エクソシスト(’73)
アメリカン・グラフィティ(’73)
ロング・グッドバイ(’73)
ヤング・フランケンシュタイン(’74)
タワーリング・インフェルノ(’74)
さすらいの航海(’76)
アウトロー(’76)
カサンドラ・クロス(’76)
ダーティハリー3(’76)
タクシードライバー(’76)
ニューヨーク・ニューヨーク(’77)
スターウォーズ(’77)
フューリー(’78)

ニュー・シネマ・パラダイス(’88)


▶いままでの「シガレット・バーン/映画的喫煙術」

著:小玉大輔(https://twitter.com/eigaoh2
扉絵:Tony Stella(https://twitter.com/studiotstella

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