二台の映写機を交互に使って映画を上映していた時代。切り替えのタイミングの合図は、フィルムの端に出る黒丸印。
この印のことをアメリカ映画業界では“シガレット・バーン/煙草の焼け焦げ”と呼んでいました。
そう、昔から煙草と映画は切っても切れない関係にあったのです。
どこもやらない・追いつけない「最強のスモーキング・ムービー・ガイド」。今回のテーマはスタジオジブリ”宮崎駿監督作品”です。
日本が世界に誇る映画作家であり、10年ぶりの最新作『君たちはどう生きるか』を披露した宮崎駿監督。老若男女問わず愛される作品群から、シガレットバーンでは「愛煙家」としての顔に注目し、徹底的にレビューします。
だって…宮崎アニメは傑作すぎるタバコシーンが満載じゃないですか!
レンタルビデオ業界を退いた後、『キネマ旬報』等雑誌、WEBでの執筆やTwitter (@eigaoh2)で自分の好きな映画を広めるべく日夜活動している70年代型映画少年。Twitterスペースで映画討論「#コダマ会」を月1開催。第2代WOWOW映画王・フジTV「映画の達人」優勝・映画検定1級・著書『刑事映画クロニクル』(発行:マクラウド Macleod)
タバコで見る「宮崎アニメ」
==ケムール編集部にて==
担当「いよいよ公開されましたね。『君たちはどう生きるか』!!!」
私「ですな」
担当「宮崎駿監督、10年ぶりの新作。しかも事前宣伝一切ナシという謎に包まれた映画です。小玉さんもジブリや宮崎アニメはご覧になってますよね?」
私「そりゃ、一応は」
担当「宮崎監督について…書けます?」
私「なんでぇ?」
担当「だって宮崎駿さんといえば、映画界きっての愛煙家じゃないですか!映画とタバコのコラムである『シガレット・バーン』のテーマとしてはピッタリです」
私「勘弁しとくんなはれ!アニメは専門外でっさかい」
担当「アニメ評論じゃなくていいの!そっち方面はジブリの専門家の方々が書くんだから。”タバコ映画”としての宮崎駿論にしてください。ね~~~お願いしますよ。記事は映画の公開日にアップしますからね!」
1.宮崎駿とタバコの関係
■君たちは“チェリー”を知っているか?
昔、“チェリー”というタバコがありました。
1904年、日本最初の「官製煙草」として発売された両切りタバコです。
1970年には日本初のアメリカンブレンドでフィルター付きタバコとしてリニューアルされ、映画監督・市川崑やYMOの細野晴臣、『ドラえもん』ののび太のパパといった著名人のお口の恋人になる程、人気銘柄になりました。
その後、徐々に利用者が減り、東日本大震災で工場が被災したことを契機に2011年5月12日、生産を終了。100年以上の歴史に幕を閉じました。
その“チェリー”をこよなく愛したのが、今年82歳の宮崎駿翁です。
東日本大震災の時、被災地の喫煙者の気持ちを慮って、タバコ200箱を支援物資として送り、物議を醸した程の愛煙家である駿翁。一時、マイルドセブンに浮気したものの生産が終了するまで、その口には“チェリー”があったといいます。
そんな筋金入りのヘビースモーカーである駿翁ですから、当然、その監督作品で度々喫煙描写が登場します。
1978年、実質的監督デビュー作である『未来少年コナン』では、「タバタバ」というタバコを設定年齢10歳のジムシィというキャラに喫わせます。そればかりかジムシィは主人公コナンにタバタバを勧めるのです。
いくら喫煙が当たり前だった1970年代後半とは言え、NHK最初の国産セルアニメーションシリーズとして19時30分からの「ファミリーアワー」枠で放映される番組でそんなことをするとは、駿翁はかなりの剛の者です。
■宮崎アニメの真髄を”タバコ仕草”で分析する
駿翁の「タバコ愛」は、劇場アニメ初監督作『ルパン三世/カリオストロの城』(’79)でも遺憾なく発揮されています。
ライターやマッチの火や漂う紫煙は固形物ではありません。その質感、量感、そしてそれが存在する空間をアニメーションという絵で表現するのは、非常に難しいのです。しかし駿翁は見事にやり遂げます。
メインタイトルでルパンがつける百円ライターの火を見てください。絵で火を固形物のように描くのではなく、ライターを覆う手の中の揺れる柔らかい灯りで表現しています。
後の『風立ちぬ』(’13)では様々なシーンでタバコの煙が画面を覆います。その動きは一様ではなく、正直言って、実際の紫煙以上に形を変えています。
これらの表現で駿翁作品のアニメ技術の高さを実感出来るのですが、喫煙者なら更に唸らされる描写があります。
例えば『千と千尋の神隠し』(‘01)での湯屋のカエル従業員が仕事の合間に一服をして、窓から煙を吐く表情、『風立ちぬ』の登場人物たちがタバコの煙を喫ったり吐いたりする時の口や体の動きです。そこには他のアニメの喫煙シーンにはないリアリティが感じられます。
何よりもタバコの美味さが伝わってくるのです。喫煙者である駿翁だからこそ出来た描写と言えるでしょう。
とりわけ私が気に入っているのは『カリオストロの城』です。終盤、クラリスから思いもよらぬ優しい言葉をかけられた次元は口からシケモクを落とします。シケモクはそのまま地面に落ちるかと思いきや、シーンが終わるまで次元のあご髭に引っかかったまま。こんなディティール、タバコへの愛がないと描けないと思うのです。
もうひとつ、駿翁のひとかたならぬ喫煙への思い入れが感じられるのは、翁のアニメに登場する喫煙キャラクターたちのタバコの扱い方です。『カリオストロの城』での常にシケモクを咥えている次元大介、ランタンでタバコに火をつけるルパン、『紅の豚』(’92)でのポルコ・ロッソのマッチ使いを思い出してください。彼らほどカッコよくタバコを扱うアニメ・キャラが他にいるでしょうか?
■宮崎駿が憧れた「愛煙家」を予想する!
駿翁は名にし負うヘビースモーカーです。NHKのドキュメンタリー番組などを観ると、駿翁は仕事中、火をつけるつけないに関わらず、常に口にはタバコがあります。その姿はまるで『カリオストロの城』でいつもシケモクをくわえていた次元大介のようです。
しかし私がくわえタバコの駿翁を見て次元以上に連想するのが、『シシリアン』(‘69)のリノ・ヴァンチュラです。ヴァンチュラが演じたのはコルシカ系ギャング団を追う、銭形警部ばりの鬼刑事。常にタバコをくわえていますが、彼は禁煙中なので決して火をつけません。タバコをくわえながら、部下に厳しく指示を出すヴァンチュラ。その男ならずとも惚れる渋さを思い出すにつけ、駿翁はヴァンチュラをイメージしてくわえタバコをしているのではないかと疑ってしまいます。
駿翁には他にもこんな話があります。フランスの大スター、ジャン・ギャバン主演の『現金に手を出すな』(54)を観た若き日の駿翁は、ギャバンの「タバコ仕草」にシビレました。そして劇場に通いつめ、ギャバンの仕草を覚えて真似したというのです。『現金に手を出すな』はヴァンチュラのデビュー作でもあります。ですから、駿翁のくわえタバコは絶対にヴァンチュラを意識していると思うのです。
どうやら『風立ちぬ』の主題歌「ひこうき雲」の歌詞ではありませんが、翁は「彼に憧れて 誰も気づかず ただひとり 彼を真似てゆく」行為をしていたようです。これは私が推奨する“心のコスプレ”ではありますまいか。
『仁義なき戦い』公開50周年! 東映”実録やくざ映画”に漢のタバコを学べ!心のコスプレ喫煙奮闘篇【シガレット・バーン/映画的喫煙術】
駿翁はギャバン、ヴァンチュラになっていたのです。
© 1954 STUDIOCANAL – TF1 Droits Audiovisuels – Antares Films – Tous Droits Réservés
けれども実生活ではどうしてもイメージ通りには出来ない。その悔しさと情けなさを晴らす手立てはただ一つ、自らが生み出したキャラクターにやらせるしかありません。駿翁の情念が詰まった「タバコ仕草」。クールに見えないはずがありません。
担当「たしかに“心のコスプレ”だ!」
私「 “心のコスプレ”とは言うてないと思いますけどな」
担当「宮崎監督はアニメ作品はほとんど見ないって聞きますけど、古い実写映画には心酔していましたからね。”俺は今、ジャン・ギャバンだ”とか思いながらタバコを喫ってたのかなあ」
私「そこに親近感を覚えますなぁ、私と同じことしてはりますやんって。ということで、お後がよろしいようで」
担当「待った!!続行でお願いします。宮崎駿という作家にとってタバコは思ったより重要なアイテムかも。深堀していけば『君たちはどう生きるか』の中身が予想できるかもしれないぞ…」
私「分かりましたがな!宮崎アニメをもっと掘り下げます」
■宮崎作品は”誰”のために撮られたのか?
駿翁の映画監督デビュー作『ルパン三世 カリオストロの城』から『風立ちぬ』までの駿翁の監督作は、重複があるものの様々なキーワードで分類出来ます。「主人公が女の子」とか「ファンタジー」とか「原作もの」とか「エコロジー」とかです。
それらのキーワードのひとつに「主人公が喫煙者」があります。分類されるのは『カリオストロの城』『紅の豚』『風立ちぬ』。映画とタバコについて書いてきた本コラムがそこに注目するのは当然ですが、この三作に考えを巡らすと、他の分類では分からない駿翁について色々と見えてくるのですよ。
駿翁は常々、自らの作品を「“幼いガールフレンド”に向けて作っている」と公言しています。時には『崖の上のポニョ』(‘08)のように明後日の方向に行って、“幼いガールフレンド”を面食らわせることはありますが、『となりのトトロ』(‘88)や『魔女の宅急便』(‘89)、『千と千尋の神隠し』はその言葉通りの仕上がりになっています。
では『カリオストロの城』『紅の豚』『風立ちぬ』についてはどうでしょう?
タバコを喫えるのは大人だけですから、“幼いガールフレンド”向けでは絶対にありません。翁は一体、誰のために「タバコ三部作」(勝手に命名)を作ったのでしょう。ずばり言って、喫煙者を主人公にした時、駿翁が想定した観客は自分自身なのです。
2.”自分語り”と繰り返される”別れ”ーー『カリオストロの城』『紅の豚』
■ルパンになった宮崎駿ーー『カリオストロの城』
1978年、『カリオストロの城』を監督する時、駿翁は悩みました。1971年、高度経済成長期末期に登場した『ルパン三世』をオイルショック後の1979年に復活させるにはどうすれば良いのか。そこで思いついたのが、テレビシリーズでは30歳前後だったルパンの年齢に映画版までの年月を加算することでした。
こうして『カリオストロの城』におけるルパン三世は当時39歳だった駿翁と同年齢の男になったのです。この時、翁は思ったに違いありません。ルパンと繋がったと。そして翁はルパンをジェームズ・ボンドのような高級品が似合う男から自分と同じような使い捨てライターやカップラーメンの方がしっくり来る、普通の男に変えてしまいます。
あわせて翁は昨日も明日もない生き方のルパンに過去を思い出させます。そして若い頃の自分を「一人で売り出そうと躍起になっている青二才」だと語らせるのです。この台詞は翁がテレビシリーズ『ルパン三世』の監督を務めた時の自分自身を評したものと言えるでしょう。
ルパンと一体化した翁は内に秘めた想いや願望を露わにすることを止められなくなります。そして翁の理想の女性像と言えるヒロイン、クラリスにルパンを「おじさま」と呼ばせたのです。これは中年に片足を半分突っ込んだ当時、40歳直前だった翁の願望だったに違いありません。
こうして完成した『カリオストロの城』はルパン三世の顔をした宮崎駿翁が冒険する物語となりました。当然、観客は思います。
「こんなのルパンじゃないやい!」
結果、『カリオストロの城』の配給収入は前作『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(‘78)と比較して65%減の3.5億円で終わってしまったのです。
■クラリス-永遠の女性との出会い・再会・別れ
しかし劇場公開から一年後のテレビ放映時、変化が起きます。折からの一部界隈のロリコンブームもあって、クラリスに魅せられた青年、少年が大量発生したのです。
彼らはクラリスのどこに惹かれたのでしょう。清楚にして可憐。儚げでありながら凛とした風情。柔らかい頬と風にたなびくロングスカート。色々ありますが、やはり島本須美の声から発せられる「おじさま」「泥棒さん」という言い回しではないかと思うのです。若者たちは駿翁と願望を分かち合ったのです。
こうなると、もうルパン三世の顔の下が駿翁でも気になりません。駿翁が大好きなジョン・フォード監督の西部劇『荒野の決闘』(’46)にオマージュを捧げたエンディングで、大人の自制心をMAXに振り絞り、クラリスとの恋を諦めて別れを告げるルパン三世と自らを一体化させるに至ります。だから青年、少年たちは、銭形警部のあの有名な台詞にジ~ンと来てしまうのです。
『カリオストロの城』には、以降の翁の作品に綿々と受け継がれていく主人公とヒロインの関係があります。ひとつは「昔、二人は出会っていた」というルパンとクラリスの過去。この事実を自覚している・していない、の違いはありますが、『紅の豚』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』(‘04)『風立ちぬ』でも、この関係が繰り返されます。
もうひとつは「別れ」です。原作もの『魔女の宅急便』『ハウルの動く城』を除いて、駿翁の主人公たちはどんなに互いが惹かれあっていても別れる運命にあります。『天空の城ラピュタ』(86)と『崖の上のポニョ』はどうなんだ?って声もあるでしょうが、「ラピュタ」の小説版ではパズーとシータは冒険の後、別々に暮らしていて、その後どうなるかは明確にしていません。「ポニョ」の宗介とポニョがいた、あの場所は現世ではなく死後の世界という説があります。別れないためには死ななければならなかったようです。
思うにルパン三世の顔を被って自らの願望をダダ洩れにさせた『カリオストロの城』が多くの人に受け入れられ、アニメ映画史上に残る傑作と評価されなければ、駿翁は現在のように国民的アニメ監督になれなかったでしょう。
そして「タバコ三部作」第二作『紅の豚』で翁はさらに自分をさらけ出すことになります。
■駿翁、蒼天を翔るーー『紅の豚』
宮崎駿翁は自らをイラスト化する時、豚の姿で描きます。と言うことは『紅の豚』でタバコを燻らせているポルコ・ロッソは駿翁自身ではないかと思うのです。原作になった漫画『飛行艇時代』を収録した『宮崎駿の雑想ノート』には、
「いつもこれだけをやっていられると楽しいんですけれど、これはまったくの趣味ですからね(笑)。ようするに、自然保護の問題をどうのこうのとか、少女の自立がどうのこうのとかね、そういうのは一切ヌキ!」
という序文や、映画製作時の演出覚書に
「『疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のための、マンガ映画』であることを忘れてはならない」
とあるのを読むにつけ、確信を深めてしまいます。
そして翁を知る押井守や庵野秀明はロッソは翁自身だと言っています。しかし私はロッソは翁にとって、ただの自画像ではなく、「こうありたい」「こうなりたい」と“心のコスプレ”中に思い描いてきた理想の自分ではないかと思うのです。だってロッソの声が森山周一郎ですから!彼はテレビの洋画劇場でジャン・ギャバンとリノ・ヴァンチュラの声を吹き替えていた声優なのです。憧れのスターの声を持つ自分の分身である豚。これは究極の“心のコスプレ”です。
引用元:Dr.Popaul
翁は本作で女性への願望をさらに露わにします。これは『カリオストロの城』が評価され、ルパン三世の顔の下の自分が受け入れられると思ったからかもしれません。
本作には二人の女性が登場します。かつてロッソの操縦する飛行機に乗ったことのある幼馴染で戦友の未亡人ジーナと、サボイ機を修理する17歳のフィオ。ジーナはクラリスを思わせるしっとりとした大人の女性、フィオは翁アニメの多くのヒロインと同じ元気溌剌な少女です。ジーナはロッソを密かに愛し、フィオは積極的にロッソに恋します。世代とタイプの違うふたりの女性に想われるなんて、翁の願望と妄想が丸出し状態です。
しかもロッソはどちらの想いも受け入れさせません。フィオとは友人/庇護者としての立場を守り、ジーナとは彼女の気持ちに気づかないふりをし、大空に飛び去ります。それもルパンのように堪えに堪えての末ではなく、とてもクールに別れるのです。その態度は完全にジャン・ギャバン。自らの分身にこんなナルシスティックなことをさせ、“心のコスプレ”をやりきる翁。恐るべしです。
翁の闇の部分がヒロインへの想いなら光の部分は飛行機への愛です。美しいアドリア海の青い空をロッソの愛機サボイアS.21試作戦闘飛行艇が飛ぶシーンからは翁の喜びが伝わってくるのです。見ているとアニメの世界で大好きな飛行機に乗って、身体に風を感じている翁の爽快感と解放感を共有してしまいます。
この翁が己のアニメ作家としての才能と技量を尽くして作り上げた飛行艇が天翔けるシーンを見ていると、私はある映画を思い出さずにはいられません。
■空に憧れて 空をかけてゆくーーハワード・ヒューズ『地獄の天使』
それは20世紀アメリカを代表する大富豪ハワード・ヒューズが製作・監督した『地獄の天使』(’30)です。第一次世界大戦で英国空軍に従軍した兄弟の物語なのですが、見せ場は前半と後半に用意された空中戦です。
自ら飛行機を操縦する程、空に憧れた男ヒューズはクライマックスの大空中戦のために80機の複葉機を購入し、130人以上のパイロットを雇いました。完成したドッグファイトは、CG時代の21世紀では絶対に再現できない生の迫力に満ちており、圧倒されること確実です。
ヒューズはクライマックスの空中戦撮影時、自らの思い描くシーンを撮るためにパイロットたちに命の危険がある飛行を強要したそうなのです。『紅の豚』で青い空を翔ける飛行艇のシーンを見ていると、ヒューズと同じく空に憧れを持つ翁は、ヒューズがパイロットに求めたような過酷な要求を部下のアニメーターたちに行ったのではないかと思ってしまうのです。何と言っても翁は『千と千尋の神隠し』の制作時、春巻きの食べ方が自分のイメージ通りに描けないアニメーターを叱責し、精神的に追い詰めた人ですから。
『紅の豚』を初めとする、飛行物が登場する翁の作品が好きな方は是非、『地獄の天使』を観てほしいです。駿翁が、この映画に影響を受けていることに気づくはずです。例えば『天空の城ラピュタ』での飛行戦艦ゴリアテは確実に本作にインスパイアされています。
『紅の豚』で自らの夢、願望、妄想を“心のコスプレ”を行って描いた翁。それから21年後、「タバコ三部作」第三作『風立ちぬ』は極北に至ります。
3.『風立ちぬ』-自分語り、ここに極まれり
■二郎が煙草を喫う理由ーー駿翁、ついに仮面をとる
『風立ちぬ』の基になったのは、翁が『モデルグラフィックス』誌に連載した同名の漫画。実在の零戦を設計した堀越二郎の半生に、作家・堀辰雄の自伝的小説を融合させた疑似伝記物語です。
漫画の中の堀越二郎は豚の顔で描かれています。このことから翁が堀越二郎を自分自身と同一視したことが分かります。そして漫画中で何度も飛行機作りをアニメ作りと比較して描かれていきます。
ですが、この漫画をそのままアニメ化したら、飛行機を作る豚の顔をした男の物語という珍妙なものになってしまいます。『風立ちぬ』のアニメ化に本気の「引退」を覚悟して臨んだ翁は決断します。堀越二郎と堀辰雄ではなく、宮崎駿の物語として作ろうと。そしてこれまでルパンや豚の顔で隠してきた素顔をさらけ出し、赤裸々に「自分語り」をしたのです。
腹を括った翁がまず行ったのは堀越二郎の顔を豚から人間に戻すことでした。ポルコ・ロッソが自らにかけた魔法を解いたのです。
そして本当の堀越二郎が非喫煙者だったにも関わらず、自分と同じヘビースモーカーに変えます。喫う銘柄は“チェリー”。そうです、翁が愛煙していた銘柄です。
次に翁は堀越の同僚、本庄を原作より大きな役にします。大学で机を並べ、飛行機開発会社「三菱」に就職後は共にドイツへ研修に行き、飛行機作りの夢を語り合う同僚にして親友に格上げしたのです。彼もまたヘビースモーカーで、無口な堀越と違って、饒舌です。その言葉遣いは何かの政治運動家のような理屈っぽさです。
翁は本庄に東映アニメーション時代の先輩で、一緒に組合運動やアニメ作りに励んだ高畑勲を重ねたのです。後半、新技術について会話を交わす堀越と新庄には、新しいアニメ作りのために切磋琢磨していた若き翁と高畑が透けて見えてきます。
そしてアニメ監督、庵野秀明の起用です。『シン・仮面ライダー』(’23)のメイキング・ドキュメンタリーをご覧になった方はご存じの通り、庵野も翁同様、スタッフに過酷な要求をする完璧主義者です。そんな男に堀越の声を任せたことから、『風立ちぬ』を自分の物語にするのだという翁の強い意志を感じます。
劇中で、尊敬する飛行機設計者カプローニが堀越に言います。
「創造的人生の持ち時間は10年だ。芸術家も設計家も同じだ。君の10年を、力を尽くして生きなさい」
このアドバイスは若き日の駿翁が誰かに言われたのではないかと思えてなりません。また堀越と部下たちとの新たな飛行機ミーティングでは、アニメの制作開始時にアニメーターたちに自身の構想を話す翁の姿がダブります。実際は映画で描かれるような和気あいあいとしたものではなかったかもしれません。しかし翁にはこうあるべき、こうあって欲しいと望んでいたのです。
■嗚呼、菜穂子抄
翁の「自分語り」の総仕上げは堀越の妻、菜穂子です。堀越が初めて会った時の彼女は『紅の豚』のフィオや『となりのトトロ』のサツキのような天真爛漫で快活な少女、十年後に再会した時は『カリオストロの城』のクラリスのような儚げな女性になっています。翁の好きなヒロイン像のハイブリットのようなキャラクターです。
唯一違うのは主人公と結ばれた後、“死”という形で別れを告げるところです。この違いは堀辰雄の同名小説のヒロインがそうだったからだけではなく、別の理由があるように思えます。
そもそも「幼い頃に最愛の人に出会い、その後再会する」という翁が大好きな設定は『神曲』で知られるイタリア・ルネッサンス期の詩人ダンテのこんなエピソードに由来します。
9歳の時、ベアトリーチェという少女に出会ったダンテはひと目で恋に落ちますが、想いを伝えることが出来ませんでした。9年後、二人は偶然再会しますが、ダンテはヘタレのまま。そうこうしている内にベアトリーチェは別の男性の妻となり、5年後、病死してしまいます。失意のダンテは以後、自作の詩の中で彼女を永遠に称え続けようと決心します。
翁は自らの菜穂子像を作り出す時、実在の堀辰雄の婚約者ではなく、ベアトリーチェを強く意識したのではないかと思うのです。
菜穂子が堀越と再会するのは、初めて設計主任を務めた試作機が失敗して、失意のどん底にある時。菜穂子が別れを告げるのは、再起した堀越が設計した新しい飛行機のテスト飛行の日です。その飛行機は再会の場所、軽井沢で菜穂子を喜ばせた紙飛行機と同じ形をしています。
ベアトリーチェはダンテに詩作の天啓を、菜穂子は堀越に飛行機作りの天啓をそれぞれ命を犠牲にして与えたのではないでしょうか?
エンディングで、堀越と菜穂子は再会します。場所は堀越が子供時代から何度も夢にみてきた真っ青な空に包まれた緑の草原。菜穂子の死後に作った飛行機・零戦が一機も日本に還ってこなかったことで堀越は失意のどん底です。当然、菜穂子に優しく迎えて貰いたい。
しかし菜穂子に拒絶されます。「生きて」と言われるのです。夢の世界で菜穂子と幸せに暮らしたかった堀越にとってこれほど残酷な言葉はありません。絶望の中で生き続けなくてはならなくなりました。
当初の脚本では菜穂子の台詞は「来て」だったと言います。それをなぜ翁は「生きて」に変えたのでしょうか?
零戦と共に散っていった若者たちがいるのに生みの親である堀越に安逸を与えることに抵抗を感じたのかもしれません。
それとも本作が翁の自分語りだと考えれば、堀越の零戦は翁の監督作品そのもの。零戦のパイロットは翁の下で血と汗と涙を流したスタッフたち。彼らのことを思うと、アニメの中であれ、自分だけが理想の女性と幸せになることを躊躇したのか?
または本作制作の過程で「引退」の意思がなくなった自分自身への叱咤激励として「生きて=作り続けて」と菜穂子に言わせたのかもしれません。
いずれにしろ、翁は菜穂子と再会する草原を「地獄」と呼んでいるようです。
駿翁の父、勝次は零戦の部品を作っていた“宮崎航空機興学”の社長だったそうです。そして母の美子は結核で9年間療養をしたと云います。翁は『風立ちぬ』の物語の中に自分だけでなく、若き父と母の姿も見つけたからこそ、自分語りを行ったのではないでしょうか? 翁は本作の試写会の際に声を震わせながら語っています。
「恥ずかしいんですけど、自分の作った映画で泣いたのは初めてです」
■『君たちはどう生きるか』で宮崎駿は愛を成就できるか
担当「堀越二郎が『チェリー』を喫っているのは、監督が”自分をさらけ出す”覚悟のあらわれだったんでしょうか…。『君たちはどう生きるか』も自らを投影した物語になるんですかね?」
私「このタイトルやから、自分語りにかこつけてお説教を始めるかもしれまへんで」
担当「どんな物語なんだろう。楽しみだなぁ」
私「実は、私は翁が主人公の仮面を被った自分とヒロインに100%完璧なハッピーエンドを迎えさせるかどうかに注目してますねん」
担当「え? 完璧なハッピーエンド?」
私「翁の年齢を考えると、今度こそ、恋人たちが離れないエンディングにすると思いますねん。もしそうせんかったら、翁の人生、悲しすぎるやおまへんか」
担当「いやいや~~。92歳で新作を撮っているクリント・イーストウッドみたいな監督もいるんですよ。宮崎監督はまだまだ現役を続ける気満々で、ナルシスティックに別れを告げると思うなぁ。僕はそれが見たいです! 切なくていいじゃないですか」
私「じゃあ、賭けましょ。当てた方が飯を奢るということで」
担当「いいですね。今度こそ宮崎駿さんの愛は”成就”するか。あとタバコシーンが出るか(笑)!いまから劇場で決着つけましょう」
2023年7月14日(金)全国ロードショー
監督・脚本:宮﨑駿
音楽:久石譲
製作:スタジオジブリ
▼上映情報はこちら
https://theater.toho.co.jp/toho_theaterlist/kimitachihadouikiruka.html