札束は娯楽をおもしろくするか?
日本はマンガとアニメとゲームの天国だ。世界のどこにもこの3つの娯楽が、ここまでの規模と複雑さで繁栄を極めた国は他にないだろう。娯楽大国アメリカですら、この三本の矢によるジェットストリームアタックを阻止できなかった。
……ガンダムで例えるのはそろそろ止めたほうがいいのか。とにかくこの3つがアメリカにおいて、しばしば国内での扱い以上に熱狂的にリスペクトされることがある、といった話は珍しくない。
このコラムをお読みの世代だと、もうメイドインジャパンの娯楽(MANGAやジャパニメーション)が世界を席巻しているのがあたりまえ、という感覚だろうか。
昨今では、中国の躍進が甚だしいと思うが、日本がそうだったように、経済的に成長している国では娯楽も進化するのは当然だ。
これに抵抗感があるとすれば、中国からの文化的侵略に対する反感とかだろうが、日本だってかつては世界中からそう思われていたのだからお互い様だ。
経済力と娯楽の関係は言うまでもなく深い。ことに近年の娯楽は、異様に制作費がかかる傾向にあるといえる。アニメにせよ、ゲームにせよ、なんかもういちいち大げさな金額が聞こえてきてため息が出る。
でも……何百億ドル、何千億人民元かけようが、かけた金額がおもしろさの指標には、まったく、みじんも、いっさい、ならないというのは自明だと思うのだが……
金をかければきれいな映像や音・3D表現・CG表現ができるのは確かだろう。ぼくはそうしたテクノロジーの成果に批判的なつもりはない。
だが、別にそれはおもしろさとは直接関係ないだろう。どんなに最新で最高級の音響設備でも、だれかのパクリみたいな歌を聞かされるなら、それはクソのように無意味だ。
ザリザリとノイズが入るような最悪の録音環境でも、歌うのがジャニス・ジョップリンなら、それは至高のものだ。つまり音の良さは、音楽の良さと一義的には関係ない。
無論、いい音楽を、いい音で聞くというのは、ひとつ贅沢な娯楽体験ではあろう。そういう娯楽性を否定はしない。
いい音楽を、悪い音で聞くのと、いい音で聞くなら、後者のほうがいいじゃんということだ(そうとも限らないけれど、ひとまずそうしておきます)。
だが、なんというか、「そういう方向性」に個人的にはまったく興味がない。
特に、挙げた3つの娯楽ジャンルのなかでも、ゲームについてはこの30年くらい「そういう方向性」にひた走ってしまっていて、はっきり言って“道をまちがった”と思っている。
ここはマンガのコラムだから、ゲームの将来を憂えるのは別の席でやるべきだろうが、でもこれはマンガにとっても無関係な話ではないのだ(このことはあとで触れる)。
さて、突然だがゲーム史に燦然と輝く「テトリス」はなんとわずか7行×79文字のプログラムコードで再現できるそうだ(グラフィックはASCII文字で代替されているが)。
まあこれは、どれだけコードを短くできるか、という“ショートコーディング”という分野の、つまりは腕自慢たちが腕を競う分野での話なので、テトリス=短いコードのゲーム、と文字どおりに受けとらないほうがいいが、ゲームの本質を問ううえで示唆的な事例だと思う。
テトリスのゲーム性は100億ドルかけて最先端技術をつぎこんだような大作ゲームに比肩、いや、ぼくの考えだけ申し上げれば、次元が違うレベルでより創造的で革新的だ。
どっちが上とか下とかそういうことではない。ただ、7行×79文字のプログラムコードは、100億ドルの最先端技術でも表現できないものを表現している。
リアルを再現すること(あるいはそれに基づいた、ゲーム体験)は、十分おもしろいと思うが、それはシミュレーションとしてのおもしろさだ。
実機とおなじ仕様のフライトシミュレーターだったり、セントアンドリュースを回っているようなゴルフシミュレーターのすごさ・おもしろさだ。技術のおもしろさ、と言い換えてもいい。
それは、ゲーム性のひとつのカテゴリではあるだろうが、本質ではおそらくない。
さて、ぼくはなにを必死にお伝えしたいのかというと、ゲームのおもしろさってのはかけた金の大小じゃないってことだ。こんなのは、ぼくごときが騒ぎ立てるまでもなく、誰でもおおむね同意してくれると思う。
でも残念ながら、現実は多分そうはなっていない。
そしてここに――静かに滅びにむかっている、アメリカ生まれのあるゲームがある。
それは、VRゴーグルでメタバースが云々とか盛り上がっている現代では、アナクロと言われてもしかたないものだ。物理的な機構で動作し、メンテナンスを必要とし、アナログの極みのゲームだ。
バネとかネジとか鉄球とか、そういうものでできているゲームだ。それゆえに、いっときの繁栄が夢であったかのように衰退しなくなろうとしている。今回ご紹介するマンガは、そのゲームを題材にしている。
「FLIP-FLAP」(とよ田みのる 講談社)。帯には「世界初(?)のピンボールラブコメ」とある。
そう、このマンガは<ピンボール>を題材としているのだ。
このスバラシイ装丁をもう一度
「FLIP-FLAP」は、2008年3月~6月号にかけて月刊アフタヌーン誌で連載された。以前の本コラムで、アフタヌーンの黄金期について触れたことがあるが、このころもその残照は未だ眩しい、そんな時代だった。
作者・とよ田みのる先生は、異色(とは言いたくないが)のラブコメマンガ「ラブロマ」でデビュー後、2007年にまず読み切り版を掲載し、さらにそれを連載第二作として発展させたこの「FLIP-FLAP」を連載。
その後も精力的に新作に取り組みつづけ、「友達100人できるかな」「タケヲちゃん物怪録」「金剛寺さんは面倒臭い」まで、一年と間を空けず連載を継続している。
近年では、生まれたばかりの娘さんの育児エッセイ「最近の赤さん」でも話題になった(このマンガ関連で、あの糸井重里氏に座談会に招かれたりしてた)。
そして最新作「これ描いて死ね」は、おそらく満を持して発表された、「マンガを描く」ことそのものをテーマにした作品だ。
マンガ家がマンガ家マンガを描いたら危険信号(笑)と吹聴しているぼくとしては、このチャレンジを期待と不安とともに最後まで見守りたいと思っている。
だってタイトルからして、ものすごい覚悟完了っぷりじゃありませんか!とよ田センセー、生きてー!
さて、とよ田先生は以上のようになかなかに“ぶ厚い”マンガ家キャリアであられる。作風はデビューからある程度確立している感じはするが、扱う題材は多彩で、ワンパターンさはまったくない。
どこがキャリアハイというのもおこがましくなるくらい、安定してクォリティの高いマンガを発表しつづけている。
そして「FLIP-FLAP」はここにあげられた作品のなかでも、ぼくにとっては別格だ。
とよ田マンガの、デビューからのファンであるぼくのベストはこれだ。
単行本はなんと(このコラム最小の)全一巻。目がチカチカする金ピカの装丁があまりにすばらしい。
もちろん、ピンボールマシンのサイケデリックなキラキラ感を表現しているわけだ。
今回はじめてだれがデザインしたのか気にしてみたら、あのハイヴ(hive&co,ltd。いろんな有名マンガの装丁を手がけているデザイン会社)だった!さもあらん。
裏表紙もピッカピカ。鉄球の感じとか、文字だけがメタリックだったりとか、ウットリしてしまう。
でも、もう新刊書店では手に入らない、かなあ……。最近、自分の店のスタッフに「このコラムは手に入らないマンガばかり扱う」と責められた。
この点、「FLIP-FLAP」は最たるものだ。なにせ、とよ田先生みずからが電子版の発行にふみきったからだ(ご自身のレーベル「FUNUKE LABEL」より)。
これまでの紹介マンガも入手困難なものはあった。が、まあまあ新刊で買えるはずだ(完全版・改訂版・作品集・コミック文庫etc.……とか初版時と形式はちがえど)。
だが、今回も(古本以外に)紙媒体での入手が困難なケースになってしまった。これは由々しき事態といわざるをえない。
なぜ、これほどの作品を紙媒体で重版してくれないのだろう……(泣)。しかもこの装丁は、紙でないとダメなやつなのにー。
ええ、わかりましたとも、ウチの店で千冊くらい売ってみせますから、なんとか頼んます……とか、ジタバタしてみせても、ぼくもギョーカイ人なのでこのへんのシビアさはわかっている。
大げさでなく、だれか(重版する場合に責任をとる方)の生き死にがかかっている。だから安直に重版とか、紙でとか、いうべきではないのかもしれない。わかっている……わかっている。
ああ、でも言ってしまおう。つまり、しょせんぼくらはあと100年もすればこの世とオサラバしているだろう。でも、このマンガはちがう。100年以上、残る。
ぼくはそう確信する。ビジネスの観点から、この「FLIP-FLAP」というマンガが「幼なじみが最強の美少女魔術師でリストラされた俺の奴隷になってなんでもしてくれるけどハーレムも作りたい」(←いまテキトーにぼくが考えた)より金になりにくい(それが現実だ)ことなど些末なことじゃないか。
マンガを飯の種にすることを選び、まあまあ地獄も見て、金はなにより大事だと学んだ今、それでもこれ以外の結論にはならなかった。
アラブの大富豪が、印刷費とかくれないかなー。
このマンガがたった一六〇ページとは信じられない
……という明るい未来がみえたところで、まずはあらすじなどご紹介していきたい。
すでに触れたとおり、このマンガはとても短い。量としては、単行本一冊(のしかも一部。後半には読み切り版が収録)ページにして160枚、連載にしてわずか4回だ。
しかし、感覚的には、500ページくらいはある感じがする。それくらい、ページの密度が高い、ということだ。
でも詰め込んだ感じはまったくしない。きっと、ネーム(マンガを描く前の、下描きみたいなもの)はさぞ練り込まれたのであろう。もしぼくがマンガ学校の講師をするなら、まちがいなく教材にすると思う。
たぶん、このじつに端正でムダのない構成に、唯一の欠点をあげるとすれば、それはそのあまりのムダのなさゆえに、「作者がすごく考えたんだろうな、と読み手に思わせてしまうこと」だけだ。
全四話の各話は「BALL・1~4」と銘打たれていて、3までは実在するピンボールマシンの名機たちからその名を取られている。BALL1から順に、ご紹介していこう。(毎度のことだが、最後ははしょります。絶対現物を読んでほしいから)
BALL 1 TWILIGHT ZONE
主人公・深町(フカマチ。下の名前はミチオだが漢字は不明)は、自らが「普通」でしかないことを、諦め半分受け入れているような人間だった。そこそこ勉強して、そこそこの大学に行き、そこそこの会社に入るだろう……と。
だが一念発起して、高校の卒業式の帰りに好きだった女の子・山田華(ヤマダ・ハナ)に告白する。まったく色よい返事は期待していなかったのだが、なんと返事はあっさりと「いいですよ」。だが、彼女は続ける。「ただし条件があります」。
彼女に連れられるままにやってきたのは、ゲームセンター「FLIP-FLAP」。そして華は深町をまっすぐ、あるコーナーへと導く。――そこには、ピンボールの筐体があった。
出典:FLIP-FLAP ©とよ田みのる・講談社
31億2367万320点。この、気の遠くなるような天文学的スコアを抜くこと。それが華と交際するための条件だというのだ。
しかも、このゲーセンには同じ条件にチャレンジする、大勢の男たちが集っていた!
華「皆さん私の彼氏候補さん達です」。
あきらかに「変」だ……と深町は思いつつも、ものは試しにピンボールをやってみる。元々たいがいのゲームに素養があった深町なので、器用にこなす程度にはすぐにゲームに慣れていく。
深町「いやーゲームは割と得意なんですよー」。華「ええ、深町さんはゲームばかりしてそうな空気が漂ってますよ」。ぐうの音も出ない深町。
ただ、どうしてこんな条件を出すのかと深町は華に問う。すると華は答えた。
出典:FLIP-FLAP ©とよ田みのる・講談社
そういう華であったが、深町にはよくわからなかった。ゲームなんてあくまでも娯楽であって、余暇にやるものじゃないか。なのにそんなものが、この世で一番大切だと華はいう。深町にはどうしても理解できなかった。
なにはともあれ「FLIP-FLAP」に通いはじめた深町。そこで、これまで普通を標榜してきたかれは、カルチャーショックをうける。
はじめ、たかがピンボールと思って軽くみていたが、華をはじめ、ここのピンボールプレイヤー達はみながゲームに対して「本気」だったからだ(ほぼ、深町よりヘタクソなのだが)。
そして、一ヶ月がたった。
ピンボールにも慣れ、ゆっくりと、だが着実に点数を重ねていった深町であったが、ハイスコの1/10もいかないあたりで、伸び悩んでいた。といっても、華が一年(!)かけて出したスコアをすでに抜いているのであったが。
深町は、あらためて華に問うた。「山田さんにとってあのハイスコはなんなんですか」「そんなに意味があるものなんですか?」と。華はすんなりと答える――「無いです」。
出典:FLIP-FLAP ©とよ田みのる・講談社
「何の見返りも無いのに」「無意味なのに」「孤独なのに」「あのハイスコを出したような人間こそ……」華はいうのであった。「私の理想なのです」。
華があこがれる“理想”とは、つまり深町が到達しなければならないところとは、報酬や意味を求めて辿りつけるような地平ではどうやらないらしいと、深町にはわかってきた。
「山田さんは恋をしている」「顔も知らない、最高得点者(ハイスコアラー)に!!」。
ついに深町は、やる気になった。
出典:FLIP-FLAP ©とよ田みのる・講談社
はじめて本気でピンボールと向き合いプレイする深町。自己ベストを更新し、勢いに乗ったところであったが、無情にもボールはアウトレーンに吸い込まれていく……
そのとき、華が叫ぶ。「まだあきらめない!」。
出典:FLIP-FLAP ©とよ田みのる・講談社
※これはピンボールマンガです。ドラ○ンボールでもワ○ピースでもありません。
ちなみに「揺らし(ハッジング)」はピンボールのテクニックのひとつで、台を叩いて揺らすことで、落ちそうな球の軌道をかえ、死にそうな球を活かすこと。
ただし、揺らしすぎると「TILT」という反則になって、プレイが終了してしまう。
華が授けたのは、その中でも特に派手な「揺らし」である「バン・バック」という技(大会などでは禁止されることもある)。
そのバン・バックによって、深町の球は生きかえった。最終的に、グランドチャンプのスコアの、四分の一にまで到達する。
こうして深町は、ピンボールとおかしな出会いをし、その奥深い世界に一歩を踏み出してしまったのであった。
……さて、以上で第一話「TWILIGHT ZONE」は終わり。見事な出だしだ。
ピンボールがこんなにエキサイティングなゲームだとは、ぼくは思ってもみなかった。もちろん、これはマンガの演出であって、バン・バックも本来はあまり推奨されないテクニックなのだが、そんなことは瑕瑾、問題ではない。次のゲームにいってみよう。
BALL2 PIN-BOT
華の彼氏候補たちと、すっかり打ち解けた深町は、先日のプレイでグランドチャンプのスコアの四分の一に到達したことを、称賛される。
だが、あのバン・バックの代償に、なんと深町は、右手にヒビが入って全治三週間のけがを負ってしまった。とはいえ、あのプレイで、華との距離がどこか縮まったような気がするのもたしかであった。
そんなところへ華が現れ唐突に言う。「その腕を見込んで大会に出場して頂きたいのですがいかがでしょう?」。大会とは、このゲーセンで開かれるものだという。
しかし大会は、二週間後。けがはもちろん治らない。そう告げると、華は予想外の提案をしてきた。「深町さんがよろしければ私とシングル・ハンド・ダブルスで出場してください」。
出典:FLIP-FLAP ©とよ田みのる・講談社
「私が頭脳で……」「深町さんが道具です」。せめて手足にして!!!と叫ぶ深町。
だが、二人打ちの経験がない深町なので、大会まで練習しないとならない。
華と近づける絶好の機会と期待した深町であったが、華はこの店の店長である、彼女の祖父にトレーナーをたのむ。ピンボール歴30年のツワモノなのだという。そして練習がはじまる。
出典:FLIP-FLAP ©とよ田みのる・講談社
ちなみに、この間、深町は大学に進んでいたが(華とはちがう大学)サークルにも入らず、ひたすら「FLIP-FLAP」で練習三昧の日々を送っていた。
ふと、華の彼氏候補のひとりで、常連の最古参である井森と話をしながら華が小学生のころにはすでにピンボールにはまっていたこと、女の子でゲーセン通いはめずらしく、彼氏候補たちはそのころから彼女とともにこのゲーセンの常連となっていたこと……といった昔話を聞く。
そんな井森たちにも深町はどこかシンパシーを覚え、交流を深めるのだった。
そして、ついに大会当日。
華は、優勝目指して頑張りましょうと宣言。もちろん、普通のシングルではむずかしいが、シングル・ハンド・ダブルスの出場者は少ないので、可能性はあるとのこと。
そして、順調に予選を突破したふたり。よろこびのあまり深町に抱きつく華(その深町の背中を彼氏候補たちがつねりまくるのはお約束)。そんな華の喜びようには理由があった。
「本当にPINHEAD EXPOに行けるかもしれません」。
PINHEAD EXPOは、一年に一度あるピンボールのお祭りである。どの部門でも優勝したら店長が連れていってくれるという約束になっていたのであった。
そして、いよいよ決勝。深町たちを含む予選上位の三組が争うことに。
1BALLごとの交代制だが、これが曲者でリズムが狂う。そして、深町は徐々に集中を欠いていく。
出典:FLIP-FLAP ©とよ田みのる・講談社
自分をパートナーにしたのは、優勝して、PINHEAD EXPOに行きたかったからだけの理由だったのか。
結局、ふたりが近づいた気がしてもそれはピンボールでの繋がりでしかなかったのではないか……
しかし、そんな揺れる深町を華は叱咤する。「弛んでますよ深町さんっ!!!」
出典:FLIP-FLAP ©とよ田みのる・講談社
深町は自らの浅慮を悟った。そう、華はそんな計算などしない。彼女はただ、純粋に楽しんでいるだけなのだ。深町は、ハンパなおのれに、喝を入れる。
出典:FLIP-FLAP ©とよ田みのる・講談社
「もっと本気になれ俺っ!!!!!」「俺が楽しんでいなかったのはピンボールにじゃない」
「俺の人生にだ!!!」
ヒビの入った右手でハッジングし、苦悶する深町であったが、最後には渾身のパスを華に送り、ついにふたりは優勝に輝くのであった。
PINHEAD EXPOに行けると歓喜する華を見て、俺も付いていかせてくれ、と頼む深町。
華は答える。「ええ一緒にシカゴまで行きましょう!!!」
――シカゴ?何県? (後編へつづく▶︎)
出典:FLIP-FLAP ©とよ田みのる・講談社