本屋の本音のあのねのね 第八冊~「シティーハンター」新宿が”彼”の街である理由~

 

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「新宿」と聞いて、みなさんは何をイメージするだろうか?

これだけだと範囲が広すぎなので、新宿をあつかったマンガや小説、アニメ、映画に限定してみよう。もちろん、世代にもよるとは思うが、まあ正解のある問いでもないので、ここはてきとうに、思いつくまま挙げてみる。
やっぱり“魔界都市”だよね、と思うひとは多いだろう。菊地秀行の伝奇小説は、ぼくらアラフォーの原体験の一つじゃないかと。ぼくより下の世代なら“奪還屋”はありそう。いい夢見れたかよ、ってやつですね。ずばり“新宿鮫”とか、倉科遼の“夜王”ってひともいるだろう。どれにも共通するのは、新宿という街を、ただ人が多いにぎやかな街というだけではなく、光と闇がある街、特にそのダークサイドの魅力をアピールしていることだ。
前世紀の上海、ヴィクトリア朝ロンドン、ベルエポックのパリ……世界には物語の舞台となることが多い街はいくつもあるが、新宿もそのひとつといえる。新宿は、東京という巨大都市の行政区のひとつでしかないが、現実には「ひとつの街」といってさしつかえあるまい。いや、ただしくは「ひとつの舞台」というべきだろうか。新宿には、上海やロンドンやパリに匹敵するくらいに、独立した舞台たりうる個性がある、ということだ。
ちなみに、ぼくは新宿という街に、十年いた。職場が新宿西口だったからだ。社会人になって二〇年、その半分を新宿で過ごした。学生時代も遊ぶのは新宿だったから、それもあわせると、ぼくの人生、かなりの“新宿率”ということになる。いわば、新宿はぼくにとっての慣れ親しんだホームといえる。
だが、田舎者のぼくにとって、新宿は昔も今も、やはりちょっと特別な街だ。どんなに慣れたといっても、それは変わらない。
はじめてひとりで新宿に来たときのことは、いまでもよくおぼえている。千葉のはずれから一時間以上電車にゆられて、ぼくはあこがれの新宿にやってきた。中学生だったぼくには大冒険だった。
新宿駅東口から出たぼくは、まっさきに”伝言板”を探した。ぼくと同じようなことをした少年は、当時たくさんいただろう。
そう、ぼくにとって新宿とは、まずなにより「シティーハンター」の舞台だった。
新宿は、“冴羽獠”の街なのだ。

ぼくは神を信じないが、神がいたとしたら、ひとつだけ感謝していることがある。それは、「ジャンプ黄金期」真っただ中に子供時代を過ごせたことだ。GJ神様、バンザイハレルヤだ。
「ジャンプ黄金期」とは、週刊漫画誌「週刊少年ジャンプ」がその発行部数、作品の人気において絶頂をきわめた1980年代~1990年代半ばの時期を指す、とされている。ぼくはこの期間がぴったり小中高にあてはまる。ああ、熱狂のマンガライフの日々。いまでは信じられないかもしれないが、ジャンプは最高653万部(!)売れたのだ。週刊誌ですよ?累積じゃないんですよ?ちなみに最近のジャンプは、140万部。もはや約5分の1弱まで減ったわけだが、これでもマンガ誌では圧倒的一位である。どれほど黄金期がすさまじい時代だったか、想像できようというものだ。
そして、このジャンプ黄金期を支えた名作のひとつが、かのシティーハンター」(北条司 集英社)であることに異論をはさむ者はいないだろう。
その主人公が「冴羽獠」だ。
サエバ・リョウ。この非の打ちどころのない響きの名をもつ、マンガ史に残るであろうキャラクターは、ある年代の男女にとって、同時期の名作「北斗の拳」の主人公ケンシロウとならんで、“男のかっこよさ”とはなにか、をまさに体現するキャラクターだった。
こうしてあのころあこがれだった獠より年上になった今、かれのことを書くのは、なかなか照れるものがある。ともあれ、まずは作品のご紹介から。

「シティーハンター」はコミックスが累計5000万部を超えているメガヒット作品だから、内容のご紹介などおそれおおい、という気がする。だが、ここでは「シティーハンター」を幸運にもまだ読んだことのない(たぶん若い)方々に向けて、そしてかつてこの作品に熱狂した世代の思い出をよみがえらせるつもりで、書かせていただこうと思う。
「シティーハンター」は、1985~91年に週刊少年ジャンプ誌上で連載されたマンガだ。元は読み切りで掲載されたのが好評だったため連載化した。こう書いてみると、たった7年だったのか。読んでいた当時は、永遠につづくような気がしていた。なんと三〇年前ということになるが、今でもコアミックスから新刊で出ていて、普通に買える(ゼノンセレクション・全29巻)。まさにオールタイムベストな作品である。

主人公・冴羽獠は、新宿を拠点とするスイーパー(始末屋=殺し、ボディーガード、探偵等々をうけおうトラブルバスター的な仕事)だ。その腕は裏の世界ではNo.1といわれ、裏社会では知らぬものはいないほどである。愛用の拳銃はコルト・パイソン357。愛車はミニクーパー。喫っているタバコはラッキーストライクのソフト。
一見、絵に描いたようなハードボイルドの主人公のようだが、“新宿の種馬”というあだ名をもつくらい、スケベな遊び人でもある。
“シティーハンター”とは、この冴羽獠(およびバディを組む相棒)のことを指す通り名だ。マンガが始まったときの相棒は、獠の親友「槇村秀幸」だったが、かれはある事件で命を落とし、以後はその妹「槇村香(まきむら・かおり)」が相棒となる。「シティーハンター」は、この獠と香のコンビがさまざまな事件を依頼され、それを解決していく、というお話である。

基本的に長編的なストーリーらしいストーリーはない。つまり、依頼があり、それを解決するという、水戸黄門的な単話ものだ。ただ、獠の過去話だったり、香とのロマンスだったり、キーになるエピソードはある。また、過去の依頼者が、のちの話に登場してきて、助力をしてくれることもある。中には準レギュラー化することになるキャラクターもいて、スピンオフ作品の主人公になってしまう者もいる。
香以外のレギュラーとしては、まず「海坊主」。キャラ立ちしすぎていて、スピンオフの主人公となった。本名・伊集院隼人。そのみやびな名前とうらはらに、巨漢の大男で、しかもスキンヘッド(二つ名の由来である)。本人は「ファルコン」と呼ぶよう主張する。獠に匹敵する超一流のスナイパーであるが、過去の怪我で視力がほとんどなく、常にサングラスをかけている。物語中のエピソードで、「美樹」というパートナーを得て、「CATS EYE」という喫茶店を営むことになる。このCATS EYEは、これ以後、キャラクターたちが常にたむろする、集合ポイントとなる。
次に、獠の古くからの友人である重要人物「野上冴子」。警視庁の敏腕刑事で、獠に無理難題をふっかけてくる、女狐的なキャラクターである。事件解決の報酬として「一発」を約束するが、たくみにそれを反故にすること、数えて百回を超える。
他にもおおくのキャラクターが何度か登場するが、全作を通じて登場するのは、海坊主、美樹、冴子の三人といっていい。

依頼人は、かならず美女である。そして獠はかならず、彼女たちにスケベな行為をしかける(のだが、あらゆる手段で香がそれを阻止する)。依頼人は獠のいいかげんさに、はじめは幻滅し、後悔するのだが、トラブルが起きると獠は鮮やかにそれを解決してみせる。そして最後には獠に恋心をいだくことになる……というのが、基本形。
おもしろいことに、作者・北条司先生のえがく美女(=北条美人といわれる)のヴィジュアルは、アイドルやニュースキャスター・科学者・ダンサー・刑事など、立場や境遇がバラバラでバラエティー豊かなのに、あまり変化がない。つまり、みんな似たような顔、外見なのである。これは、わざとそうなっていたのだとか。読者が求めるのは北条美人だからだ、という、身も蓋もない理由なんだそうな。ただ、ここまで徹底して読者サービスに徹することができる漫画家(とそれを要求する編集者)は、そうはいない。尊敬に値するクリエイター魂だとぼくは思う。

“シティーハンター”への仕事の依頼方法は、「新宿駅東口の伝言板に、XYZ(+連絡先)と書く」こと。
XYZはアルファベットの最後の三文字、つまり「もう後がない」という意味だ。それくらい追い詰められた依頼人が、ワラをも掴む思いで“シティーハンター”を頼ってくるわけだ。現代版「必殺」みたいな感じか。
この「伝言板にXYZ」は、このマンガの代名詞となり、現実の新宿駅東口にもこの掲示板があると、当時の子どもたちは信じていた(すでに書いたとおり、ぼくもマジで信じてました)。でも実は、マンガの連載前に撤去されていて、実際にはなかったそうな。シャーロック・ホームズの住むとされた、ベーカー街221Bと同じだ。実在はしないのに、ファンはその実在を信じている……伝説的な物語には、こうしたエピソードがかならずあるものだ。
ある意味、昨今の「聖地巡礼」のハシリ、なんじゃないだろうか。ある特定の街・場所を、その土地柄のニュアンスを込めてクローズアップするマンガやアニメは、当時はまだ珍しかったと思う。

それにしても、なぜ新宿だったのだろう。同じ東京でも、渋谷や池袋や上野じゃダメだったんだろうか。もちろん、答えは決まっている。新宿以外の街は、冴羽獠には似合わないからだ。
渋谷は若者の街であり、良くも悪くも軽薄すぎる。池袋はセゾン文化臭が強すぎる。東北からの玄関口・上野には、旅情こそあれ、ハードボイルドはない。そしてなにより、これらの街には、摩天楼がない。新宿を特別な街にしているのは、いわば歌舞伎町の“低さ”と、摩天楼の“高さ”の鮮やかなコントラストだ。
獠と新宿は、まさにシンクロしている。日本一の大都会でありながら気取ったところがなく、剥き出しの欲望に満ち溢れた猥雑な街。そんな街も、摩天楼から見下ろせば、まったくちがった顔を見せる。獠はエピソード「告白のエアポート」で、依頼人をビルの屋上に連れていき、そこでかれは言う。

「――おれみたいな 裏の世界の人間は… この街の汚れたとこばかりみてるからね… こんな街でていきたくなることもあるんだ…」
「そんな時 ここへくるのさ すると ここもまんざらすてたもんじゃないって思えちまう…」。

このシーンは、自分だけの秘密の場所に女を連れてくる、口説きのテクニックのひとつ(しかも現代的にはけっこうサムイ)と捉えるひともいるだろうが、ぼくは、そうは思わなかった。ひとりで立ち直るための“儀式”というのはだれにでもあって、これもそれなのだと思った。女連れではなく、ひとりでここに来て、新宿の街を見下ろすとき、獠はまちがいなく自分と新宿が似たもの同士であることを、感じているのだと思う。

「シティーハンター」が大ヒットした理由が、冴羽獠というキャラクターの魅力だ、というのは、だれでもわかる。ところで、かれの魅力がどこにあるかとファンに尋ねたら、どんな答えが返ってくるだろう。
外見だろうか。強さだろうか。ふつうはこのどちらかを答えるだろう。もちろん、異論はない。獠は一見、ちょっとチンピラっぽいというか、ヤクザ風のファッションだが、おそろしく均整の取れたスタイルで、じゅうぶん二枚目だ。当然ながら強さは折り紙付き。あるエピソードでは、オリンピック金メダリストのスナイパーに対して圧倒的な腕を見せつけたうえで「アンタはアマチュアの世界一だが、俺はプロの世界一だ」という場面があるくらいだ。かっこよすぎる。
だが、古参のファンなら、あえてかれの魅力を「もっこり」と答えるひともおおいだろう。正気とは思えないかもしれないが、そういうものなのである。
獠のキャラクターは、当初はもっとハードボイルド寄りだったそうだ。だが、今ひとつ読者の反応がにぶかったため、担当であったスーパー編集者・堀江信彦氏が「もっこり」を描いてみることを(半ば冗談で)勧めたところ、異様にウケてしまい、以後その路線になったのは有名な話だ。

で、「もっこり」とはなんぞや、ということなのだが、さすがに解説はしない(笑)。
ただ、その隠された意味については、この年になって、少し子供のときより、わかるようになった気がする。ちょっと考えてみたい。
まず、冴羽獠は常軌を逸した女好きで、ありとあらゆる状況で女を口説こうとする。その第一声はたいてい「一発やらせろ」。
こんなナンパが、普通に考えてうまくいくわけがない。それはどんなに冴羽獠がカッコいいとしても、あたり前のことだろう。マンガだからといって、それで口説けたら非現実的すぎる話だ。ただ、そんな自明のことを、冴羽獠はつねに、ルーティンのようにやる。そう、これはいわば、決まりきった手順だ。
シティーハンター冴羽獠は「美女の依頼しか受けない」などと公言している。もちろん、実際にはさまざまなしがらみ(生活費のためとか)で、男や子供の依頼も受けざるを得ないのだが、とにかく基本スタンスはそういうことになっている。で、美女の依頼人に、ぜったい、かならず、どんな場合でも、アプローチをかける。
ふつうに考えれば、これは依頼人の、たとえば緊張をやわらげるため、リラックスさせるためのジョーク、ということになろう。つまり、本気ではなく、あくまでもポーズに過ぎないのだ、と。そう取れる側面もたしかにある。そして、このコメディ的な雰囲気をひとことで言い表せる便利なワードが「もっこり」であるわけだ。
本気でない――ほんとうにそうだろうか? もちろん、獠が真に愛するのが、香だけであることは、だれにでもわかる。それがあまりに自明すぎるからこそ、獠がさまざまな女に横恋慕しても、読者はなんの心配もしなくていい。どう考えても、香エンドしかありえないからだ。
だが、ぼくは獠の「もっこり」にも、無視できない真実味がある、と、最近は特に思う。
“運命の相手”なんてものを信じるほうが、よほど、非現実的だとわかるからだ。
運命VSもっこりの勝負は、ぼくはもっこりの圧勝だと思う。笑うところではない。いや、笑ってもいいけれど、ぼくはいちおうマジメである。
先のことは、だれにもわからないのだ。今、たしかにひとりを愛していても、この先はわからない。それはネガティブな意味ではない。むしろ、100%ポジティブな意味で、そうだ。
なにかがダメになったり、失われてしまったり、失敗してしまったり、まちがってしまったとする。でも、それがただちに、イコール不幸のことではない。
「シティーハンター」未読の方と、続編「エンジェル・ハート」未読の方のために、はっきりとは書かないが、冴羽獠はたしかにこの意味で、先のわからない生き方をすることになる。そして、そこに苦しさはあるが、暗さはない。
ぼくは、「もっこり」という、PTAから苦情が来たり、宝塚で舞台化した際にはいわゆる“すみれコード”(=タカラジェンヌにふさわしくない演出はしないという暗黙の了解)に引っかかって「ハッスル」に書き換えられてしまうような(いちおうフォローすると、この舞台は原作をリスペクトした見事なものだと高く評価されている)、どう考えてもふざけた、下品なコトバに、なんというんだろうか、とても元気づけられる。
「もっこり」と口にすると、いろいろと悩んでいることがバカバカしく思えてくる。人間、一皮むけば、みんななにがしか「もっこり」的なことを考えているはずじゃないか。どんなに取り繕っても、恰好つけてみても、それがほんとうの姿である。卑俗な本能の声にしたがうなら、「もっこり」するほうが、むしろ健全だろう。
だからこそ、獠が香にたいしてのみ「もっこり」しない、という設定は、逆説的にその愛の深さ、真実味を示すものなのだといえる。まあ、PTA的には、もっと他に表現のしようもあるだろうに、ということなんだろうが、獠の股間は、どんな名優よりも鮮やかに、かれのこころを表現しているのだから、ヤボなことは言いっこなし、だろう。

ところで、「シティーハンター」には、さまざまな“お約束”がある。XYZもそうだし、もっこりや一発もそうだ。そして、なかでもとくに欠くべからざる重要なお約束が、「香のハンマー」である。
事件の依頼人や関係者の美女をみると、獠はすぐにモーションをかけるのだが、そのたびに、香が「100t」と書かれた巨大なハンマーで獠を殴りたおすのだ。どんな攻撃も、苦もなくかわしてしまう獠なのだが、どういうわけか、香のハンマーだけはかわせない(香にだけ「もっこり」しない、という設定と対になっている)。どんなシリアスなシーンでも、このハンマーが登場するだけで、たちまちコメディになってしまう。
現代的なギャグのあり方からみれば、このハンマーは、八〇年代的センスというか、さすがにオールドスタイルな印象はぬぐえないかもしれない。だが、やっぱり、あらためて読むと、もうおかしくて笑うしかない。
ハンマーにはさまざまな文字が書かれているのだが、最初は普通に(?)「100t」だけだったのが、たとえば「連載一〇〇回記念」とか「ジェラシー100%」とか「250t 連載5周年記念特別限定ハンマー」とか、どんどんエスカレートしていく。またアルバムによれば幼少期にはすでにハンマーを使っていた記録があり、「いちとん」と書かれている。しまいには香以外もハンマーを使うようになっていく。ニュースキャスターがふるうハンマーには「JBS報道部用」「90年代ようこそ 世紀末HAMMER」というのもあった。

香のハンマーには、こうした笑いをとるための役割と同時に、作劇上もたいせつな機能があることは、指摘しておきたい。まず、そもそも「シティーハンター」は、その8割がたがコメディだったりする。たとえば獠は、3分以上シリアスな顔ができない。依頼人や関係者はみな真剣に事件とむきあっているのだが、獠だけはどこまでも「もっこり」のことしか考えていない、ようにみえる。
これは、獠がじっさいにスケベであるのも理由だが、同時に、ずっとシリアス・ずっとカッコつけているのは、逆に「カッコ悪い」という、おそらくは八〇年代的な価値観のあらわれでもあるのだと思う。一瞬カッコいい描写があっても、ただちにコメディに戻さないと、なんというか「ダサい」。そういうシリアスからコメディへの場面転換のスイッチ・合図として、香のハンマーがうなりをあげるのだ。
こうして、たえずコメディ化する物語は、読者に、最後に訪れるシリアスへの期待感をじりじりと高めていくことになる。
そして、最後の最後、ストーリー全体からすれば一割にも満たない時間、そこでだけ冴羽獠は“シティーハンター”の顔になる。それまでのおフザケを、濃縮したカッコよさで一気に解消する。そのカタルシスこそが「シティーハンター」の醍醐味だ。コメディ的な描写が多ければ多いほど、シリアス描写がきわだち、読者たちは、まさに依頼人と同じで、冴羽獠のかっこよさに“落ちる”のである。

最後に。じつは今回、「シティーハンター」という、三〇年も前に連載されていた作品をこうして紹介するうえで、ちょっとためらいがあった。
それは「思い出補正」がかかっているんじゃないか、ということだ。
だが、そんな心配は杞憂だった。読みなおした「シティーハンター」は、めちゃくちゃおもしろかった。それはなんでか、と考えてみるに、つまりはひとはあんがい、ある「変わらないもの」の枠組みの中で、生き、おもしろがっているからなのだと思う。わかりにくい書き方だが、つまりは、にんげん、今も昔も、たいして変わりゃしないんだから、昔おもしろきゃ、今もおもろいでしょ、ということだ。

たとえば、先にご紹介した「掲示板」
2019年公開の劇場版アニメでは、時代性を反映し、すでに掲示板は撤去されていることになっていて、代わりに掲示板のあった場所で、スマホのアプリを起動すると、ARで掲示板が表示され、そこにXYZを書き込む、というアレンジがなされていた。おもしろいアイディアだと思う。ただ(詳しい経緯はネタバレになるので伏せますが)最後にはこの掲示板は復活する。また、「シティーハンター」の正当な続編である「エンジェル・ハート」でも、携帯などの普及で不要となった掲示板が、ある理由で復活することになる。
このあきらかに“アナクロ”な掲示板というツールは、いわば「変わらないもの」の象徴として、描かれている。時代がどんなに変わっても、変わらないものがある、あるいは“あるべくして、ある”という思いの象徴として。
何度撤去されても、物語の中でくりかえし復活するのは、そういうメッセージがあると考えるべきだろう。

「時代は変わったが、オレは変わらない」的なメッセージをこめた作品が、主に一番人口のおおいアラフォーを狙って、おおく発表されているのは、たしかなことだと思う。もちろんマーケットの大きいところを狙うのは当然なので、別におかしなことではない。
気をつけるべきは、それが単なるノスタルジー、懐古主義ではない、ということだ。むしろ、逆だ。もっと強い、積極的な意味があることなのだと思う。あまりにモノゴトが、軽く、簡単に変わりすぎ、消費され、長く残らなくなってしまった時代だからこそ、むしろ「変わらないもの」の追求こそが、今を生きるうえで有効なんだ……そういったひとつの視点の転換として、クローズアップされてきたということだ。
こうしたメッセージは、「シティーハンター」のみならず、近年のさまざまな作品にも込められているように思う。
典型的な例をひとつあげてみるなら、アニメ「ルパン三世」シリーズだ。前シリーズのパート5では、怪盗という存在自体が時代遅れ=アナクロだ、と徹底的に否定された。事実、ルパン一味は、その時代の波にのまれて一時は追い詰められてしまう。しかし、最後にはそれをひっくり返して、ヒーローは不滅だと告げて終わる。さらに最新シリーズのパート6では、冒頭0話のタイトルがずばり「時代」。ルパン三世の相棒・次元大介が、テクノロジーや新しい考え方についていけないことを嘆きつつも、最後は変わらぬ神技で警察をてんてこ舞いさせる。この話数で引退する声優・小林清志への別れのエピソードとして話題になったこの0話だが、ぼくはこれを見たとき、なぜか、冴羽獠と、ゴルゴ13のことばかり考えていた。
いいかえれば、「時代が変わっても、変わらないもの」のことを。

冴羽獠、ゴルゴ13、次元大介。
おそらく、日本の生んだ三大ガンマンだろう。そして、三人が三人とも、強いポリシー、変わらぬスタイルを持っている。
つい先日、ゴルゴ13を生んだ「さいとう・たかを」先生が亡くなり、前述のとおり次元大介のオリジナル声優も勇退した。つまり、こうして時代がたしかに変わっていることを、いやでも思い知らされる事件がつづいた。
そんな中、2019年の劇場版「シティーハンター」は、スタッフから声優、楽曲にいたるまで、かつてのオリジナルを再現してみせた。これを、オールドファンへの“媚び”だという感想は多かった。たしかに、劇場はアラフォーに埋め尽くされ、まさにコビコビな狙いは的中したとみえる。だが、ことはそう単純ではない。
観客たちは、ただの“思い出同窓会”に参加したのではない。ぼくが思うに、かれらは、「変わらぬもの」を確認しに行ったのだ。
獠も、ゴルゴも、次元も、変わらないことは「停止ではない」と示しているように、ぼくには思える。変化や、あたらしさを、ことさらに求めることは、自然なことだ。善し悪しの問題ではない。変わらなければ、飽きるし、刺激がほしくなる。でも、変わらずにいるためには、アクティブでなければならないのだ。変わらない、という努力が必要だ。そして、「何を変えずにいたいのか」を見定めなければならない。あからさまなくらいオリジナルを再現した劇場版には、そうしたアクティブな努力が、全編にわたって表現されていた。
ぼくは、すばらしいことだ、と思う。

劇場版「シティーハンター」の最後。エンディングテロップが終わって、短いエピローグがあり、オチのヒトネタも披露されて、すべて終わった……と思ったその瞬間、ぽつりとひとこと、ちいさな声でセリフが流れる。
「もっこり」。
ここで笑い取りに来るか!いや、それもあるけど、まじめな話、これ以外の終わり方などありえなかったんじゃないだろうか。長い時がたって、世界がどんどん変わってしまっても、変わらないものを確かめるために。
摩天楼の上から、新宿の街を見下ろした獠も、こんな気持ちだったんじゃないかと、そう思った。

 

文・COMIC ZIN
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