文豪たちと共にある街・銀座
銀座の7丁目のあたり。名前のついていない通りにある、小さなワイン&シガーバー「Fillers」。
イタリアンワインを愛してやまないマスターと、お客様の気まぐれなお話に耳をかたむけてみましょう。
今夜のお客様は、以前「たばこのことば」にご寄稿いただいた小説家・鈴木涼美さんのご紹介で、コトゴトブックス店主・木村綾子さんをお迎えします。
文豪にも馴染みの深い銀座で、本とワインの豊かなひとときをごゆるりと。
ーーそろそろ、バーに寄ってもいいでしょう?
1980年生まれ。静岡県浜松市出身。明治大学政治経済学部卒業後、中央大学大学院にて太宰治を研究。10代から雑誌の読者モデルとして活動。現在は文筆業の他、ブックディレクション、イベントプランナーとして数々のプロジェクトを手掛ける。著書に「いまさら入門 太宰治」(講談社)「太宰治と歩く文学散歩」(角川書店)「太宰治のお伽草紙」(源)など。2021年8月よりオンライン書店「COTOGOTOBOOKS(コトゴトブックス)」をスタート。
イタリア産を中心に世界各地から取り寄せたワインとキューバ産のシガーを集めたバー「Fillers(フィラー)」のマスター。
それぞれが見ている景色
マスター 銀座で本や小説っていうと、やっぱり文豪とバーの組み合わせが思い浮かぶものですか?
木村 そうですね。太宰治がバーカウンターで膝を立てている写真は「ルパン」で撮られたもので有名ですよね。バーの文化っていつごろから日本にあるものなのでしょうか。
マスター 白洲次郎さんが樽のウイスキーを留学先で買ってきて帝国ホテルに預けていたって聞いたこともありますから、戦前からある文化でしょうね。
編集部メモ
1870年に開業された「横浜グランドホテル」に併設されたものが日本初のバー。しかし外国人向けのもので日本人一般が利用できるものではなかった。
そのため、日本人も利用でき、広く認知された最初のバーとして、1911年に銀座で開業された「カフェープランタン」をバー文化の発祥とするのが一般的。
木村 コロナを境にみんなで持ち寄ってお家で飲んだりという機会が増えたんですが、ワイン好きの人がいるときとかは何を持っていったらいいんだろうってなります。
お酒は好きなんですけど、詳しくはなくて。
ワインを楽しめるようになるにはどんな訓練が…?
マスター 訓練ってほどじゃないけどね(笑)
ワインを知っている人と一緒に飲むのがいいと思うな。知識や経験、どんなものと合わせたらいいかとか、教えてもらいながらね。
木村 知識を得るっていうのは楽しむ前提として大きいですよね。
こういう味はこの産地だとか、この表現はあの作家だとか、そのジャンルの固有名詞をたくさん持っていることはすごく大事ってことですね。
マスター こうやって会話しながら飲めるっていうのが大切だと思いますよ。
それじゃあ早速一杯目、開けましょうか。
■今日のワイン:モンテレッシーニ ドゥレッロ DOC スプマンテメトードクラシコ 2016
マスター これは僕が昔からエージェントしていたヴェローナ郊外のワイナリーのワイン。ドゥレッラとピノビアンコというブドウ品種をシャンパン製法で仕上げたスパークリングワイン(スプマンテ)です。
ヴェローナ郊外のモンテレッシーニっていう標高350mくらいの火山灰土壌の地域で作られているから、酸味が強くてミネラル感に溢れた仕上がりに特徴が出てるね。
木村 火山灰土壌…。珍しいものなんですか?
マスター そうだね。数はそんなに多く作ってないかな。
木村 美味しい。それに、はちみつみたいなすごく甘い香りがします。
マスター 後味にミネラルも感じられると思いますよ。あと、ほんの少し苦みも。85%はドゥレッラという酸味が強い品種なんだけど、ピノビアンコの苦みでバランスを取ってるんだよ。
木村 ミネラル感も分かります。最初に口に含んだときはふわっと甘い香りが漂うんですけど、すごくすっきりした味がしますね。
マスター 色からするともっと熟成してるかなって感じだけど、そこまでではなくて酸がしっかりしてるよね。
このボトルは2016年のものを2021年に澱引き(デゴルジュマン)していてね。澱引きしてすぐのものはすごくガス圧が強くて、香りも強く感じたりするんだよ。だから高級なスパークリングワインやドンペリとかは出て1年半くらい時間が経ってから飲むのがおすすめですね。
木村 私、お酒は好きなんですけど銘柄見ても全然覚えられなくて、力説していただいて、そのときは「わぁ美味しい!」ってなるんですけど、詳しいこと忘れちゃうんですよね。
マスター 今、写真を撮ると情報を教えてくれる「ヴィヴィーノ」っていうアプリもありますよ。
木村 へー、感想が集まってるんですね。私いつも「辛口」「酸味」みたいなのを頼りにして選んでるんですけど、なんとかしたいんですよ…(笑)
これはちょっと参考にさせていただきますね。
木村 でもなんかうらやましいですね。メニューとか並んでるボトルを見て、あ、あれあるじゃんって選んでる友達を見てると、その時間って豊かだなぁって。
こうやって並んでいるのを見ても「あれがある!」って私は思えないんですけど、分かる人がみたらたまんないんだろうなぁって。
マスター ラベルだけ見て分かる人もいるからね。今はカメラとかで撮っちゃうけど、昔はみんなラベルを持ち帰ったりしてたよ。
木村 ですよね。時々「ラベルだけ剥がして持って帰ったら?」って言われることがあって、なんで?って思ったんですけど、私は本が好きだから本に置き換えたら言わんとしていることも分かるし、並んでいて壮観なんだなって感覚も分かります。
好きな方向が違うと、こうも見える風景って違うんだなって。
マスター 本棚みたいに見える?
木村 そうなんですよ。事務所には本好きの方も来てくれるし、プライベートな友達が遊びに来ることもあるんですけど、壁付けの本棚の前にすーっと移動して本を眺めてくれる人もいれば、一瞥もくれない人もいて。
マスター 全く興味ないんだね(笑)
木村 そうなんですよ。すごく面白いなと思います。本のところだけは気が合わないけど友達で、一緒にいるっていう。
マスター 僕も本はあまり読まないからなぁ。
木村 マスターは誰よりも語れる得意分野があるじゃないですか。
作家と読者の架け橋として
マスター 木村さんは下北沢の本屋「B&B」の立ち上げにも関わってたんだよね。イタリアの現代の作家で好きな作家さんとかはいます?
木村 えー、誰だろう。実は海外文学はそんなに強くないんですよ。
マスター そうなんだ。あえて日本に絞っている理由はあるんですか?
木村 今までずっと続けている「本を届けていく」っていう観点だと、日本の作家さんじゃないとご本人とのイベント企画とかグッズの製作とかが動きづらいっていうのもあるんですけど、もっと若い頃は、翻訳であいだに誰かの言葉が入ってしまった文章を読むっていうのに食わず嫌いな抵抗感がありました。
マスター 生じゃないってこと?
木村 昔って訳書と言えば図書館で岩波文庫みたいな感覚でいたんですけど、文章が固くてどうしてもお勉強みたいな気持ちになってしまって。
でもこの仕事を始めて、そういう苦手意識はなくなりました。柴田元幸さん、岸本佐知子さんの訳書は最高に面白いですし、そのお二人の訳だから読んでみようって思うことだってあります。
マスター 人となりやストーリーを伝えていきたいってことなんですね。
木村さんは悩みを聞いたりしながら処方箋みたいに本を薦めるということをやってらっしゃいますけど、あれはどういう経緯で始められたんですか?
木村 20歳くらいのときから、モデルやタレントとして雑誌で本を紹介するっていうのはやらせていただいてたんです。ファッション誌の『CUTiE』や『Zipper』とかでゴリゴリの純文学を薦めたりするので、当時の編集の方にも面白がっていただいて。
けれど、影響力の強い媒体で不特定多数に広まっていることが、あるときすごく怖くなって、1度きちんと文学を勉強しようと、当時1番好きだった太宰治の研究者の方がいる中央大学の大学院に進学したんです。
木村 そのころはもう雑誌だけじゃなく、テレビでのお仕事メインになっていたんですが、なんか違和感があって。
マスター 違和感?
木村 つまりその、もっと届いた手ごたえが欲しいと思ったんです。雑誌やテレビのお仕事をしていたのも、好きなものを伝えたいっていう思いでやっていたんですが、きっとすごい影響力はあるけれど直接の反応は分からないし、私は直接その人の顔を見たいなって思ったんです。
そんなときに、B&B立ち上げのお話をいただきました。
マスター B&Bみたいな本屋さんは当時なかったの?
木村 少なくとも毎日イベントをやっている本屋はなかったと思います。書店の一角をパーテーションで区切ってサイン会をやるみたいなのはありましたけど、きっちり本1冊分の値段をつけて本屋の売り物としてトークショーのようなイベントを売る本屋もありませんでしたね。
B&Bでは毎日イベントを企画するのが私の役割でした。
マスター 毎日って大変だよね。
木村 そうなんですよ。本を読みながら、どんなイベントができるか絵が浮かんでました(笑)
マスター そういう作家さんってあんまり有名じゃない作家さんもいらっしゃるんですか?
木村 新人賞を獲ったばかりで1冊目の本を出したばかりっていう作家さんだと知名度的には知らない人も多かったとは思います。でも知名度のありなしは関係なくて、読んで面白くて届けたいって思った作品をどうやったら届けられるんだろうって考えてやっていました。
マスターはいつごろからワインのことをやってらっしゃるんですか?
マスター ぼく、20歳まで全然お酒飲めなかったんですけどね。
木村 そうですよね、飲んじゃダメですよね(笑)
マスター ウェイターの派遣業みたいなことをバブル絶頂期の当時やっていて、それがきっかけでワインを好きになったのが22とか23歳のときだったかな。
木村 私、22歳でワイン飲んでたかなぁ(笑)
マスター 向こうで本を読んだり、ソムリエの学校を通ったり、あとは実際飲んで勉強しましたね。自分の給料は1000ユーロなのに、ふらっと出かけて1500ユーロ分のワインを買い込んだりしてたね。
繊細で複雑な“匂い”のことば
木村 イタリアも本屋さんはけっこう多いんですか?
マスター たくさんありますよ。日本人の作家だと、吉本ばななさんとか村上春樹さんとか読んでる人が周りにもいたね。あとはけっこう変わってて、現金で払うと15%くらい値引きしてくれたり。
木村 15%も引いたら粗利が…って考えちゃいます(笑)
マスター きっと日本とは配本のシステムが違うんでしょうね。でもね、去年、そのお店で久しぶりに本を買いたいなと思って言ったら、なくなっちゃってました。
木村 フランスの本屋さんだと、何百年も続いている老舗のお店とかもあるみたいで、海外の本屋さん巡りもしてみたいなって思います。
マスター 古本屋だとワインの用語だけが載っている辞典みたいなものもあって、現地に行って読む現地の本だから分かることもあるからね。
木村 イタリアならではのワインの表現とか、翻訳できないような独特なものってあるんですか?
マスター イタリアならではかは分からないけどね。フランス語語源が多いから。でも面白いよ。たとえば白ワインの香りを表す「ピピリガット(pipi de chat)」は直訳すると「猫の小便」なんだけど、日本語的には…そうだな…「麝香」とかね。
木村 匂いの表現ってたくさんあって複雑そうですね。
マスター 次の1杯は香りが特徴的なこちらでどうでしょう?
木村 お、これは…強いお酒ですね?
マスター 林檎のブランデー”カルヴァドス”です。
■VIEUX CALVADOS 1967 LEMORTON DOMFRONTAIS
小説の向こう側へ手を伸ばして
木村 不思議なかたちのグラスですね。
マスター 香グラスといって、このグラスだとぐっと香りが立つんです。グラッパとかハードリカーとかを飲むのにもちょうどいいグラスだね。
リンゴのすごくいい香りがするよ。ぜひ香りから楽しんでみてください。
木村 わぁ、すごくいい香り! でも強そう~!
マスター ボトリングしたのが2000年の10月だから、22年半くらい熟成されています。もし飲みづらかったらグラス変えるので、仰ってくださいね。
木村 ちょっとこのままいただいてみようかな。
木村 わ、すごい、アルコールって感じだ(笑) これはすごい。やっぱり香りを楽しむような飲み物なんですか?
マスター そうですね。これとシガーとかすごく合いますよ。
今回、2杯目にカルヴァドス(リンゴのお酒)をお出ししたのは、木村さんが敬愛している太宰治の出身地にちなんでということなんだよね。
木村 そうなんです。
太宰は青森出身なんですが、21歳で生家から義絶されて以来、長いこと実家に帰っていなかった。ですが、『津軽』という作品を書くため、35歳の年に久しぶりに実家へ戻り、津軽を一周して、改めて自分の生まれ故郷がどういうものなのか向き合う旅をするんです。
その旅に行くとき、かなり少ない友人の1人であるN君に、“他にはなにもいらない、リンゴ酒とカニだけ用意してくれ”って手紙を出すんです。
マスター だけって言うけど、今だとカニってけっこう贅沢だよね。N君、用意するの大変だったんじゃないですか?
木村 どうなんでしょう。ただ太宰は、歯がすごく悪くて若くして総入れ歯に近い状態だったんですよ。
マスター 総入れ歯ってすごいな(笑)
木村 太宰は、好きな食べ物に豆腐、すじこ納豆、カニ、バナナなどを挙げて、金のかからないものが好きだと言って、「食ひ物に淡泊なれ」という一文すら書き残しているんですが、裏の事情としては歯が悪くてモノを噛めなかったからとも言われているんですよ。
マスター それが理由なんだ(笑) たしかにカニは柔らかいね(笑)
実際の太宰は淡泊とは程遠かった?
木村 風貌からだとあんまり食べなさそうに見えるんですけど、実は大食漢だったという言説も残されているんです。師匠の井伏鱒二とすき焼きを囲んだとき、井伏さんはお酒とお豆腐をちびちび楽しんで、お肉をメインディッシュに取っておいたんです。それを太宰は「井伏さん食べないんですね」って……
マスター 全部食べちゃったんだ。卑しいな(笑)
木村 そうなんですよ。
ただ、でも、作品では「食ひ物に淡泊なれ」とか書いているのに、本人はこうだったっていうギャップとか、作家って実はこういう人間なんだよっていう部分に惹きつけられて、小説ってただ読むだけじゃなくて、その先にいる作家とも繋がることができるアイテムなんだって思わされたのは太宰治がきっかけなんです。
その小説の向こう側にも手を伸ばしたいって思ったのが、今の活動にも繋がっている原点だと思います。
棚上げにした気持ちを代弁してくれる文学
マスター 木村さんが太宰に感じた魅力の部分は、人間の業の深さとでも言えばいいのかな。
木村 そうですね。もしくは執着だと思います。
マスター 執着。小説にはやっぱり大事なもの?
木村 作家さんは多かれ少なかれ執着を原動力にしているのかもしれないと思うこともあります。ずーっとあの手この手でそのことばっかり考え続けて、書き続けているので。
たとえば西村賢太さんはずっと藤沢清造の没後弟子であることを、自分で肯定したくて書き続けていましたし。
編集部メモ
西村賢太さん(1967-2022)
暗澹たる日々を抉り出すように描く私小説の書き手として「最後の無頼派作家」と呼ばれた。藤澤清造に人生を重ね、『藤澤清造全集(全5巻、別巻2)』を編んでいる。代表作に芥川賞受賞作である『苦役列車』など。
マスター 文学作品だとそういう傾向はちょっと強そうだね。
木村 そうですね。
例えば町田康さんは、エンターテイメントと純文学の違いをキャッチボールに喩えています。「さあ今から2時間であなたを楽しませますよ。そこに座ってミットを構えてくれていれば、望むところに玉を投げますよ」というのがエンタメだとしたら、どこに飛んでいくか分からないボールを追いかける、自分から手を伸ばして掴みに行くのが純文学なんだ、と。
マスター その自分で手を伸ばしていく技術みたいなものってどうやって培われるんだろう? ほら、僕はあんまり小説とかを読まないから。やっぱりセンスなんですかね?
木村 どうなんだろう。たくさん読むうちに分かってくるっていうのもあると思いますけど、自分がどんなことに疑問を持っているか、納得いかないか、どういうときに心が動くかとかを知っておくのは大切かもしれないですね。
マスター 大人になると、自分の気持ちや都合じゃなくて、生活とかお金とか周りの都合に合わせて動かなくちゃいけないこと、自分の気持ちは一旦横に置いておいてやることやらないとっていうシーンが増えると思うんだよね。だから、そんななかで「自分はこう思います」っていうことは案外見つかりづらいような気がします。
木村 そうやってずっともやもや抱えていたり、日常を過ごすために棚上げしていた気持ちを書いてくれているっていう一文に出会うと、ただぼーっと待っているだけじゃなくて次はボールを取りに行こうって思えるようになるのかもしれません。
■ Talk at Fillers #3
■フィラー ワイン&シガー(FILLERS WINE&CIGER)
東京都中央区銀座7-7-15 銀座HARAビル 3F
080-7961-5704(予約可)
営業時間:月~金 19:00~00:00
定休日:土・日・祝日
Instagram:@fillers_ginza
HP:https://fillers-ginza.jp/
■木村綾子
Twitter:@kimura_ayako
Instagram:@kimura_ayako
コトゴトブックス:https://cotogotobooks.stores.jp/
6月27日〜7月9日まで、渋谷PARCO3階にてポップアップを開催します。
これまでオンラインで販売してきた書籍やグッズが並ぶ他、
ポップアップ限定グッズの販売や作家イベントも開催予定です。
詳細はCOTOGOTOBOOKSサイトで順次発表していきますので、ご期待ください。
■今回のワイン
モンテレッシーニ ドゥレッロ DOC スプマンテメトードクラシコ 2016
▶【らびっとらん】ONLINE SHOP
Twitter(X):@korekore_koume
ケムール編集部員。前は古着屋。潰れたソフトケースのなかにあるしわしわの煙草がすき。担当連載は「鳥居服装学院」「Talk at Fillers」「ネオホームレス-自由と稼ぎの流儀-」。
株式会社アクロスソリューションズ所属。
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