煙草はリラックスのための嗜好品。しかし命がけの一服もある――。
「危険地帯ジャーナリスト」としてスラムやマフィアなどの裏社会に取材し、世界の生々しい姿を平和ボケの日本に届け続ける、丸山ゴンザレスさん。
本連載では愛煙家でもあるゴンザレスさんの数々の体当たり取材の現場に欠かせなかった煙草のエピソードを通して、その刺激的な旅の足跡をたどります。
第3回は、前回に引き続きアメリカ・ニューヨークへ。人種のるつぼの底で目にした、煙の風景とは。
丸山ゴンザレス
ジャーナリスト、國學院大學学術資料センター共同研究員。國學院大學大学院修了後、出版社勤務を経てフリーのジャーナリストとして日本の裏社会や海外危険地帯の取材を重ねている。主な著書に『アジア親日の履歴書』(辰巳出版)、『世界の混沌を歩く ダークツーリスト』(講談社)、『MASTERゴンザレスのクレイジー考古学』(双葉社)、『世界ヤバすぎ!危険地帯の歩き方』(産業編集センター)など多数あり。
マンハッタン喫煙ルール
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前回の連載で触れた煙の風景と結びつけたホテルが、現在では買収されており様変わりしたという話を聞いた。刻々と変化する世界の中でもニューヨーク、特にマンハッタンはその速度はトップクラスだったように思う。そこにコロナ禍が乗っかったのだから、さらに変化は大きいだろう。おそらく俺が見たタバコにまつわる煙の風景やそのまわりの環境が残っていないこともあるはずだ。あらためて俺の中にしか残っていない風景があるのだとあらためて思い知らされた。今回紹介したいのは、そんな二度と見ることのないタバコの吸い殻のあった風景である。
海外取材の時にタバコをどのぐらい持っていくのか。毎回、空港の免税店で1カートンぐらいは買っていた。タバコはどこで買っても同じだろうとも思うのだが、税金が値引きされると思うと、つい買ってしまう貧乏根性が出てしまう。
とはいえある程度長く外国に滞在していればどうしても日本から持ってきたタバコも尽きてしまう。特にニューヨークは取材だけでなく友人も多く住んでいるため、滞在期間が伸びていって数週間に及ぶこともある。手持ちのタバコがなくなったら購入すればいい。ニューヨークでタバコを買うとなったらデリ(コンビニのような個人商店)である。
日本のコンビニにあたる存在ではあるので買い物には便利である。だが、ことタバコに関して言えば日本の比じゃないほど厳しいところがある。
アメリカでは日本と違って21歳から喫煙が可能である。年齢確認はものすごく厳格だ。レジにタバコを持って行くと、たとえ見た目には成人していたとしてもI D(身分証)を確認されることは常識である。見た目年齢で言えば東洋人は欧米人に比べて若く見えるという一般論もあるのだが、これまでに俺は一度もチェックされたことがない。IDチェックぐらいされてもよさそうなものだが、俺が若い時から老けていたのか、髭坊主が珍しいのか、たまたま運が良かったのか。その辺りはわからないのだが、とにかくタバコの購入に際して年齢に関しては厳格なのである。
さらにアメリカではタバコの値段は高い。日本だとだいたい一箱500〜600円(一箱あたりの本数が減っているので実質値上げではあるものの現在そんなもの)。アメリカの場合、高いところだと一箱10〜13ドルもする。その一方で安い州というのもある。ニューヨークに近いところだとハドソン川を挟んだニュージャージー州。これは州ごとにタバコへの課税率が異なるためだ。その仕組みを利用して販売する闇タバコは、アメリカではメジャーな裏ビジネスとなっている。
裏ということで品質保証もないためパッケージはそのままで、中身が屑タバコにすり替わっているという悪質なものもあるそうだ。残念ながら、そこまでひどいものには今のところ俺はお目にかかったことはない。
誰もが闇タバコを買っているわけではないので大半の人は正規の高級品を購入している。それでもタバコを吸う人は意外に多いし路上喫煙者も多い。吸い殻については灰皿代わりのゴミ箱の蓋に置く人もいるし、吸い終わるとその辺に捨ててしまうことも珍しくない。
路上喫煙に厳しい日本から来た身であり、他国ではなるべくならポイ捨ては遠慮したい性分である(当然!)。敬意を払っているというか、それが当たり前だと思っているからだ。とはいえどこにでも都合よく灰皿があるわけではないので、自分で携帯用灰皿を持ち歩いている。金属製のものではなくコンビニや百均で売っているボタンで留めてポケットに入れられるやつである。海外にいく時はいつも持ち歩くことにしていた。
そのうち本連載でも書くかもしれないが、タイやシンガポールではポイ捨ては高額の罰金になるというのもある。さすがにポイ捨てする習慣はないので罰金を払ったことはないが、この持ち歩き灰皿にちなんだエピソードがある。
5〜6年ぐらい前のことだ。マンハッタンの路上でタバコを吸っていた。そこはデリの前の灰皿兼用ゴミ箱があるスポットだったので俺の他にも数名の喫煙者がいた。だからどうということもなく煙を燻らせていた。俺がタバコを吸い終わって携帯ポケット灰皿に吸い殻をねじ込む。路上でよくあることに過ぎないはずだった。ところが、横にいた男の顔が「!!」っとなった。
表情まで細かく描写するのが面倒なので簡潔に言うが、目がびっくりマークになったということである。知り合いでもない男が強烈に驚いたのがわかったので思わず「何?」と聞いた。
「そんなものにタバコを入れて、君は国際機関のエージェントか●●●(実在する環境保護団体)か?」
「どういう意味だ」
「そんなの(灰皿)を使うのは特別なエコロジストだけだぜ」
「う、(なんなんだよ!いきなり)それでお前はどうするんだ」
「こうさ!」
と言って地面にタバコを落とすと踏み潰した。去り際に「地面が灰皿だよ」と言っていった。
なぜだろう。俺の方が正しいはずなのにものすごい敗北感だった。
先客の残した吸い殻
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本筋に戻るが、吸い殻に何か思うところがあるわけじゃなく、どうしても忘れられない吸い殻があるのだ。どこにあった吸い殻なのか。
それはニューヨークの地下空間だ。
俺は大都市の地下に興味がある。これまでに幾つかの都市で地下に潜ってきた。その中でもマンハッタンの地下に伝わる都市伝説は興味深い物だった。飼育されていたワニが捨てられて下水道で独自の進化を遂げたという「白いワニ」とかが有名なのだが、もう一つのメジャー都市伝説に「もぐら人」がある。地下空間で生まれ育って社会を形成している連中のことだというのだ。
これは根拠のない噂ではなく、911同時多発テロが起きた2001年までは、多くのホームレスや貧困層が地下鉄の線路沿いに暮らしていたことがベースになっている。とはいえ、地下に別社会が構築されていたというのはやや飛躍しすぎなところでもある。そして、同時多発テロをきっかけにした対策で地下空間は取り締まりの対象となり、そこに暮らす人たちのほとんどが地上へと追い出されてしまった。それから20年が経過した現在はどうなっているのだろうか。
俺は都市冒険家をしているDという男と一緒に地下空間を探索することにした。その際に「地下に住んでいる人ってまだいるの? もぐら人っているの?」と聞くと「(もぐら人は)いないよ。住んでいた人はいたけど、ほとんどの人たちは地上へ。残っている人が数名いるぐらいさ」。
あっさりと希望を刈り取られてしまったが、彼は新たな目標を与えてくれた。
「ニューヨークの地下は何層もあるんだ。俺は誰よりも深く潜ったことがある。一緒に潜ってみないか?」
思いがけない提案に俺は飛びついた。好奇心がビンビンと反応しているのがわかる。
俺たちが向かったのは地下鉄のプラットフォーム。目の前には線路がある。
「地下ってどこから入るの? 既に地下にいるけど」
「この階層にもマンホールがあって、そこから入れるんだ」
流石に詳しい入り方は公開しないで欲しいと彼からも頼まれているので、その辺りは伏せさせてもらうが、確かに地下鉄と同じ階層にマンホールがあった。その蓋を取ったところ頼りない梯子があった。下は暗くて見えない。
梯子を伝って降りていくが、体感的には20メートル以上は降りたはずだ。下の階層に降りて目を凝らして見上げたら、大体それぐらいの高さがあった。
ヘッドライトと手持ちのライトで周囲を照らすが何もない。奥の方が少し明るかったのでそっちの方へと向かう。
「ここは駅だったんだよ」
「駅?」
「70年以上前に造られて完成しなかった駅さ。古い資料を図書館で突き合わせてようやくわかったことなんだけどね。駅といっても路線も通っていない。近くを通っているけど繋がっていないんだよ」
「使われていない駅があって放置されているって、そんなことある?」
「ニューヨークの地下は複雑なのさ。100年以上、開発を続けてきたから、失敗したり放置された空間もあるのさ。だから役所もこの空間を把握していない。そんな場所がこの街の地下には無数に眠っている」
実にロマンが掻き立てられる。だが、足を踏み入れた地下鉄の駅には先人たちの痕跡、ゴミや落書きがあった。それらについてDは「僕以外にもここを狙って辿り着いた連中がいたってことさ」。
「それはもぐら人なのかい?」
「違うと思うな。ほら、あれを見てくれよ。きっと僕と同じアーバン・エクスプローラー(都市冒険家)だよ」と壁面に描かれたグラフィティを指差す。いかにも現代っぽいサインだった。そして、その壁の前には何本かの吸い殻があった。
古ぼけた吸い殻だったが70年は経過していない。サインをした連中のものだろう。
俺は想像を巡らせる。
この場所に辿りついたことに安堵して壁にグラフィティを残す。達成感からタバコを取り出して一服したのだろう。火をつけて大きく吸い込んでから、この空間に煙を漂わせた。それから、ここまでは勢いで降りてきたが、この後、どうやって地上に戻るのか。梯子は大丈夫か。その後の出口まで辿り着けるのか。地上には戻れるかな。そんなことを思ったのかもしれない。
ぼやっと考えていたらDが「おめでとう。ここに辿り着いたのは外国人では君が初めてかもしれないよ」と祝福してくれたのだった。俺は少し照れ臭く手持ちのモンスターエナジーを口に含んでから、タバコに火をつけた。そしてゆっくりと吸い込んで天に向かって煙を吐き出したのだった。もちろん吸い殻は携帯灰皿に入れることも忘れずに持ち帰った。
Twitter:@marugon