野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第16回 ヘリコプターでおいしい生活を

SF小説家・野尻抱介氏が、原始的な遊びを通して人類のテクノロジー史を辿り直す本連載。
人工知能や仮想現実などなど、先進技術を怖がらず、翻弄されず、つかず離れず「ぱられる=横並び」に生きていく。プレ・シンギュラリティ時代の人類のたしなみを実践します。

今までの【ぱられる・シンギュラリティ】

第16回 ヘリコプターでおいしい生活を

1章 ChatGPTショック、つづき

 2023年になって1か月経つが、昨年12月に始まったChatGPTショックはまだ続いている。これについては前回の記事で考察した。あれから自然言語処理で大きな技術革新は報じられていない。AIを扱う研究者や技術者は忙しそうだが、総じて冷静だ。いっぽうユーザー側は大騒ぎしていて「AIをどう使うか」「AI社会とどう向き合うか」等のテーマで議論したり、サービスを試作したりしている。

 前回指摘したとおり、ChatGPTは意味理解のできる汎用人工知能(AGI)ではない。AGIが実現すればシンギュラリティ到達の大きなステップになるが、実現にはまだしばらくかかる。
 AGIでないものは知能があるふりをした人工無能にすぎず、役に立たない――と、これまでは考えられていた。だが実現してみるとChatGPTは多言語にわたるとんでもない汎用性があって、いろんなことに役立つことがわかった。画像生成AIもそうだが、それまで人が苦労して作っていたものを置き換える能力がめざましい。
参考: ChatGPTの使い方<26例>

 自分が何をしているかも理解していないAIのアウトプットで事足りるなら、人間の仕事もその程度ということになる。人類は自分たちこそ「知能があると思いこんでいた天然無能」だと気づいてしまったのだ。

 ――以上が私の理解するChatGPTショックの近況だ。

 しかし、このことから人間の知能や役割に失望するのはまだちょっと早い。現時点で人がChatGPTの出力を示すときは、その人が責任者を任じるからだ。それは厳格な手続きとは限らず、無意識に行われることも多い。
 たとえば「ChatGPTがこんなことを言ったぞ」とツイートするとき、その人はたくさん見てきた出力テキストからひとつを選別し、公序良俗に反していないか、Twitterの規約に違反していないかを考えてから投稿するだろう。自分の責任においてツイートするとはそういうことだ。会議の資料やゼミのレポートにChatGPTを使うときは、もっと厳しく、責任者として内容をチェックするにちがいない。
 何事にも責任問題はつきまとう。イギリスのエンジニアが作ったAIで自走するVTuber、Neuro-samaは昨年末から人気を集めていた。
「全自動のキャラクターがスパチャを集めてくれたら働かずに生きていけるなあ」と思ったが、ほどなく差別的な会話を学習して口走るようになり、TwitchのアカウントがBANされてしまった。

 いまのところChatGPTや各種のジェネレーティブAIは、人間のチェックなしで仕事を任せられる域にはない。任せられるのは、責任を問われないイラストや雑談の生成ぐらいだ。活用がアート分野から始まったのはそのためだろう。そしてこの界隈の賑わいは「なにかAIに任せても大丈夫なサービスはないか?」と探し回る人々によるところが大きい。
「人類に残された最後の仕事は責任を取ること」という人もいるが、私はその仕事も、そう長くは持たないと考えている。先に「まだちょっと早い」と述べたのはそのためだ。機械はすでに多くの場面で重責を担っており、人間の責任者は形式化していることが多い。これからの社会は、AIがしたことを天災のように受け止めていくのではないだろうか。

 ChatGPTのようなAIが民主主義を脅かす、という指摘も相継いでいる。パブリックコメントなど、「民の声」とされてきたものをAIは簡単に生成できる。精巧なフェイクニュースも作れる。AIで世論操作ができてしまう、という懸念だ。
 確かにそのような生成は可能だが、私はあまり心配していない。
 民主主義はもともと民の声を正しく反映できていない。もしうまくいっているなら、選挙のたびに大金が動くはずがない。だが多数決は民主主義の本質ではない。数を増やしても結果は好きにできない。AIによる不正が疑われたら裁判になって揉め、身動きが取れなくなるから、そうならないように対策されるだろう。
 ネットの炎上は同じ意見が延々と並ぶことで形成される。それは一騎当千の逆で、“千騎当一”のゴミの山とみなされる。これこそAIを使って一個の意見に集約し、「同様の意見1462件。閲覧したい物好きはこちらをクリック」とでもしておけばいいだろう。
 もともと民主主義は効率が悪い。「過去に試みられた他のすべての体制を除けば最悪の政治体制」とチャーチルが言ったとおりだ。意見集約や議論に使う労力の大部分は摩擦熱になって消えるが、それが健全さと安定を生じてもいる。これはPoW(Proof of Work)を信頼性の基盤にするためにやたら電気代がかかるブロックチェーン技術と少し似ている。
 民主主義はそういうものだから、AIを使ってもすぐには崩れないだろう。こうした考察は「AI」を「人間」と置き換えて考えるのもひとつの方法だ。AIがやりそうな悪さはすでに人間がしていることが多い。それが対処済みなら、あとは物量の問題を考えればよい。

 新しい技術がもたらされるたびに混乱が生じるのは当然だ。それを問題とする言説が流れ、関心を集める。マスコミもライターもネガティブな意見に力を入れる。
そして新技術がもたらす恩恵を、我々はすぐに忘れてしまう。自動車もインターネットもスマホも、とんでもなく便利で生活を豊かにした発明で、弊害を補って余りある。さもなければ普及しない。
 人は弊害ばかり語りたがるが、その弊害に直面できたことこそが進歩の証だ。SNSはバカ発見器と言われるが、バカが浮かび上がるのは周りが賢くなったおかげである。
「こんどの学習モデルはだめだね。初音ミクがちっとも可愛く描けない」と不満を述べられるのはとても幸福なことだ。その前提にある巨大な技術革新と恩恵を忘れていられるのだから。
 たぶん脳がそのようにチューニングされているのだろう。悪いことに注目して対処していけば、悪くない状態が保てる。新しいことを始めるのは消極的で、「なにか悪いことになるんじゃないか」と心配して足を引っ張る。
 それでも人類の文明は進歩してきた。「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意思に属する」ということだ。

 というわけで本章の結論をまとめると、今回のAIブームは楽観し、期待していてよい。以上だ。
 これで今月のノルマは達成した。次の章からは気楽な遊びの話をするので、お急ぎの方は読まなくてもよい。
 だが本連載を通して述べているとおり、シンギュラリティが近づくにつれて人間の労働は減っていき、最終的には遊ぶしかなくなる。遊びこそが最重要なことを、いま帰った人は知らないまま生きていくだろう。

2章 ヘリコプターとVR感覚

 VRChatの航空界については第14回で紹介した。
 私はその後、VRにおけるヘリコプターの操縦にすっかりはまってしまった。きっかけはVR感覚を持ったことだ。
 VR感覚というのは、実際にはない感覚入力を、あると錯覚することだ。学術用語ではない。
 私はどういうわけか、ヘリコプターでホバリングしているときだけVR感覚がある。それは加速度で、たとえば機体が浮き上がるとき、椅子がぐっと持ち上がって自分の体を押し上げるように感じる。横方向の傾きも感じる。リアルの私は上体を揺すったり、足をふんばったりしてしまう。
 この感覚は飛行機(固定翼機)では起きない。例外としては、PrimaryGlidersというワールドでグライダーを操縦して上昇気流に乗ったとき、かすかに上向きの加速度を感じるぐらいだ。

 私はヘリコプターの実機を操縦したことはないが、パラグライダーで上昇気流を体感したことはよくある。外から見てもよくわからないが、上昇気流の感覚は明瞭だ。シートやハーネスが体に軽く食い込んで、クレーンで急速に吊り上げられているような感じになる。VR感覚はリアルでの体験の有無によるのだろうか? 夢でセックスしても童貞だとゴールまで行けないような?
 もしそうなら自動車を運転する人は、VRでカーレースをしたときVR感覚を持つだろうか? そう思ってTwitterで聞いてみると、むしろその逆で、「VRではGが感じられないから気持ち悪い」らしい。

 この「体験説」が棄却されるとすると、私のVR感覚は妄想力のせいだろうか? ヘリコプターのホバリングもグライダーのサーマルハントも、神経を研ぎ澄ますことは共通している。妄想力ではなく集中力の結果とみなせるなら、まあ悪い気はしない。

 もちろんこのVR感覚は実際の加速度を正しく反映したものではない。あくまで私の想像の中にあるものだ。それでもVRで加速度を味わえるのはラッキーというほかない。
 業務用のフライトシミュレーターはコクピットを大きなパラレルリンクに載せて動かすが、擬似的な加速度しか作れない。トヨタ自動車はそれを巨大なXYテーブルに乗せたドライビングシミュレーターを持っているが、それでさえ自動車が走る範囲としては狭い。いっぽう私の装置は5万円くらいで買ったQUEST2だけだ。

 VR酔いというものもある。原因は視覚入力と三半規管の加速度検出の不一致だという。私もHelicopter Training Field というワールドで練習していたとき、軽いVR酔いになった。しかし2週間ほど通ったら酔わなくなった。VR感覚は消えないので、いまはいいことづくめだ。

 実機のヘリコプターは安価な中古品でも数百万円するし、維持費もかかる。田舎にヘリポートを所有して自家用機を飛ばしている人もいるが、飛べば半径数kmに騒音をまき散らす。航空法がうるさいので気ままに飛んだり降りたりできない。飛行テクニックを磨こうにも、一度でも事故を起こすとおしまいだから、安全第一になってしまう。VRのヘリコプター生活にはそうした憂いがない。

 VRではアバターが体ひとつで飛び回れるのだから、仮想の飛行機やヘリコプターに乗るなど回りくどい枷でしかないと、私も考えていた。特にヘリコプターは速度が遅く、操縦が難しい。だが実際にやってみると、その枷こそが長所だとわかった。

3章 このヘリコプターはバグっている?

「うちのフライトシムのヘリコプターの動きがおかしい。暴れてとても操縦できない。バグじゃないのか?」
昨年マイクロソフト・フライトシミュレーター 2020 (MSFS2020)にヘリコプターが実装されたとき、Redditにそんな投稿があった。
 経験者たちの回答はこうだ。
「そういうものです」「それがヘリコプターです」「ヘリ沼にようこそ」

 実機でもVRでも、ヘリコプターの操縦は難しい。飛行機は基本的に前にしか進まないし、飛行経路は連続した曲線を描く。ヘリコプターは縦・横・高さの移動軸、ピッチ、ロール、ヨーの回転軸――つまり6自由度を任意に扱えるので、そのぶんやることが多い。巡航中は飛行機と大差ないが、ホバリング中はまことに不安定で、「指一本でボールを支えるようなもの」とたとえられる。

 操縦には両手両足を常時使う。大雑把に言うと、足(アンチトルク)は左右方向、左手(コレクティブ)は上下方向、右手(サイクリック)は前後左右の移動方向を入力する。
 VRの標準的なコントローラーはフットペダルがないので、右手のコントローラーをヨー軸(垂直軸)で回転させてアンチトルクにする。上下方向の入力はローターのピッチ角をまとめて変えるとともに、エンジン出力(スロットル)とも連動している。

 私もVRでヘリの操縦を始めたとき、着陸前のホバリングで急に揚力が低下するのに首をかしげた。地面が近いのだから地面効果で浮き上がりそうな気がするのだが、その反対だった。
 原因はローターに対する空気の流入方向の変化だ。動画で観察してみよう。

 この動画はMSFS2020のCFD可視化モードを使っている。CFDとはComputational Fluid Dynamics 数値流体力学のことで、コンピューターで流れをシミュレートすることをいう。MSFSでは20✕20✕20のメッシュ内に航空機を置き、ナビエ・ストークス方程式を解いて流れを計算し、それをもとに機体を動かしているという。このCFDをどこまで信じていいのかわからないが、可視化された流れはそれらしく見える。
 動画から3つの場面を切り出してみる。

これは水平飛行中で、速度は50ノット(100km/h弱)くらい。風は前から入っていて、飛行機とほぼ同じだ。ヘリコプターは水平飛行中でも下向きに風を噴射して飛んでいると信じている人が多いが、そうじゃないことはこの画像でもわかる。ヘリコプターのローターは扇風機とは似て非なるものだ。小さな飛行機がメリーゴーラウンドのように回転していると考えたほうが近い。

これは高いところでホバリングに入ったところで、前進速度はゼロになっている。このときは扇風機を下に向けたような流れになっている。空気は上から下へと流れるので、それに合わせてローターのピッチ角を上げないと揚力が作れない。パワーも余分に要る。

着陸直前の様子。下向きの流れが地面で遮られて、機体のまわりにボルテックス・リング(渦輪)ができている。ホバークラフトのような地面効果も生じているが、自分で起こした風が一周して上から吹き付けているのでパワーを吸われる形になっている。
 難解かもしれないが、とりあえず「ヘリコプターを取り巻く気流は複雑で、状況によって刻々と変化し、操縦も難しい」とわかってもらえたらOKだ。

 私はトイラジでヘリコプターを操縦したことがあるし、ラジコン用のフライトシムを使ったこともあるので、まったくの初心者ではなかった。しかしそうしたものはコンピューターアシストが入っていて、今回直面したようなことは学べなかった。
 VRChatにあるヘリコプターは全体にアシストが弱く、人間が常に制御しなければならない。操作感はCFDを使ったMSFS2020と大差なく、リアリティは充分だと思う。機体の挙動は物理計算で算出されていて、機体が揺れたとき、どこをぶつけたか見当がつくぐらいにはリアルだ。

 ヘリの練習を始めたとき、着陸直前のホバリングがうまくできなかった。
 そこでVRAF飛行機教習所に参加して、taiyakiさんという教官からヘリコプターのレッスンを受けた。
「ホバリングを教えてほしい」と言うと、
「ホバリングは教えません」という返事だった。
「毎日30分練習してください。ホバリングは自転車のように体で覚えるしかありません」

 私は面食らったが、それが正しい指導だった。毎日練習するうちにコツがつかめてきた。
 ヘリの動きには段階がある。サイクリックを行きたい方向にちょっと傾けると、ヘリはまだ動かないが、動く準備には入っていて「みなぎってきたぞ」という顔になる(気がする)。もう少しすると動き始める。

 動き始めたヘリはすぐに止まらない。サイクリックをちょっと戻すと、ヘリは「止まってもいいよ」という顔になる。もう少し戻すと実際に止まり始める。いちいち始末をつけるところは、スラスターを使ってドッキングする宇宙船の動きに少し似ている。

 操縦のノウハウはいろいろ教えてもらえた。右手(サイクリックおよびアンチトルク)を動かしたら、同時に左手(コレクティブ)で埋め合わせをつけること。ホバリング中のコレクティブの位置は70%ぐらいを保つこと。ホバリング中の操作量は小さく、角度は5度以内にすること、等々。

 taiyaki教官にはその後も機会をとらえては操縦を教わっている。これはTest Pilots という有名な航空系ワールドで操縦を習っているところだ。(手前がtaiyaki教官、奥が私) アバターを自撮りすると手の動きや目の配り方がわかるので参考になる。

4章 ヘリコプターのある生活

 ヘリコプターを使ったライフスタイルを語ろう。

 以下の出来事はcity湊という横浜港をモデルにしたワールドで起きた。ヘリコプターを多数そろえた楽しい場所だ。作者は航空系ワールドを多数制作している恩人、シンさん。

 この動画はハンマーヘッドクレーンの小屋に着陸するところだ。操縦はベテランの黒ゐ猫さん。私は地上にいて、飛行中の黒ゐ猫さんに手を振ったらすぐに降りてきて、コパイ席に乗せてくれた。着陸をきめた後、おそるおそる機を降りて記念写真を撮った。

 これはスイスの少年二人組を乗せたときの写真。VRChatのパブリックワールドではよくこういう10歳くらいの悪ガキが暴れている。でたらめに操縦しては爆発させていて目障りなので、私のヘリに手招きして乗せ、ビルの屋上に捨ててきた。二人を降ろしてこの写真を撮ってから私だけ素早くコクピットに戻って離陸したのだった。二人はリスポーンで帰れるが、飛行中のヘリには乗りこめないので、悪ガキの上空でホバリングして悔しがる顔を眺めた。日本の猫耳少女をなめたらあかん、と学ばせるためだ。

 これはcity湊の空母のマストに着陸した猛者と、その上に2機目を積もうとして失敗した猛者である。パイロットは同じ人かもしれない。

 ヘリコプター乗りは狭いところが好きで、二人集まれば「あそこの高架通りました?」「あそこ降りられますよ」などと語らっている。次の動画は同ワールドの立体駐車場に攻撃ヘリで突入した黒ゐ猫さん。脱出成功を祝って記念撮影していたら北京在住のshiro-sheepさんが別のヘリに乗ってやってきたので、皆で同乗して観覧車をくぐったりした。

 1月中旬には第8回 VRCヘリ競技会が開催された。私はカジュアル部門で参加した。4人中3位という成績だったが、第2ラウンドで自己ベストが出せたので喜んでいる。このワールドとヘリコプターモデルは現役のヘリパイロットであるおっぱいろっとさんが設定したもので、一定のリアリティが期待できる。

 次の動画は私の練習と本番の様子をまとめたものだ。オイルリグにある赤い円内に降下員を二人降ろし、ヘリパッドに着陸するまでの時間を競う。私はタイムアタックは戦わず、安全に完走することだけを考えていた。

 競技会の様子はYoutubeで配信され、こちらに残っている。すでに次回のワールドもテストに入っていて、完走するだけなら難易度は高くない。主催者はヘリコプター乗りがもっと多く集まることを望んでいるので、参加してみてはどうだろうか。ビギナーには私がしたように、VRAF飛行機教習所をおすすめする。

 ご覧の通り、VR世界でのヘリコプター生活は実に楽しい。地上に誰かがいたら横に降りて乗せ、望む場所に連れていける。これはエアカーが実現した世界を疑似体験しているようなものだ。ワールドにある建物や地形はすべて遊具になる。空港の管制塔や空母の艦橋に人がいたら、窓の外でホバリングして挨拶するのもたしなみだ。

 先に述べたとおり、VR世界ではわざわざヘリに乗らなくても、アバターだけで飛べる。だが、誰かが操縦するヘリに同乗すれば、その人の技量や性格、気分、心遣いが感じ取れる。
 自分が操縦するときも、誰かを乗せていたら、それなりのはからいをするものだ。景色がよく見えるように飛ぶし、なにかに興味を持ったようなら近づいてホバリングしたり、別の角度から見られるようにする。それで喜んでもらえたらこちらも嬉しい。

 VRでは枷になることが価値を生み、その価値が敬意や収益にむすびつく。
 これは先日開催されたSkybox DJFestival – Revival の様子で、DJが音楽を流すワールドの空にアクロバットチームが光の軌跡を描いている。DJもパイロットも人がリアルタイムで操作している。(動画は無音)

 VR空間に任意の模様を描くことは、プログラムを組めば簡単に実現できる。だが、生のDJプレイに合わせた飛行演技を航空機の物理モデルでおこなうには人が必要で、相当な操縦技術とリアルタイムの判断が求められる。それは大きな価値を持つので、開催のたびにjoin戦争と呼ばれる席の取り合いが起きる。今回は前回入れなかった人のためにリバイバル開催されたのだった。

 ここには収益化の見込める価値が発生しているので、事業化を考えてもいいだろう。しかし1章で述べたとおり、人類は遊んで暮らせる方向に向かっているので、急ぐことはない。VRであれリアルであれ、価値が生み出せているならそれだけで、好きを貫いた、おいしい生活が送れる。今すぐでなくても、まもなくそんな世界になるだろう。

(第16回おわり)


▶今までの「ぱられる・シンギュラリティ」

野尻抱介

野尻先生
SF作家、Maker、ニコニコ技術部員。1961年生まれ。三重県津市在住。計測制御・CADのプログラマー、ゲームデザイナーをへて専業作家になったが、現在は狩猟を通して自給自足を模索する兼業作家。『ふわふわの泉』『太陽の簒奪者』『沈黙のフライバイ』『南極点のピアピア動画』ほかで星雲賞7回受賞。宇宙作家クラブ会員。第一種銃猟免許、わな猟免許所持、第三級アマチュア無線技師。JQ2OYC。Twitter ID @nojiri_h

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