野尻抱介の「ぱられる・シンギュラリティ」第25回 宇宙船とフロンティア

SF小説家・野尻抱介氏が、原始的な遊びを通して人類のテクノロジー史を辿り直す本連載。
人工知能や仮想現実などなど、先進技術を怖がらず、翻弄されず、つかず離れず「ぱられる=横並び」に生きていく。プレ・シンギュラリティ時代の人類のたしなみを実践します。

今までの【ぱられる・シンギュラリティ】

第25回 宇宙船とフロンティア

1章 NASAの失敗作

 前回に続いて、VR宇宙博物館コスモリア の展示とリアルを結ぶ記事を書こう。
 コスモリア第3ホールのテーマは宇宙利用で、入るとスペースシャトル・オービター(軌道船)『ディスカバリー』がどーんと出迎えてくれる。実機からフォトグラメトリした3Dモデルだから、テクスチャは本物だ。何度も大気圏に突入したので耐熱タイルが汚れている。


 この展示はケネディ宇宙センター・ビジターコンプレックスにあるスペースシャトル・アトランティスの配置によく似ている。すばらしい威容だが、先入観だろうか、私はどこか不穏なものを感じる。
 軌道飛行中、オービターは放熱のためにペイロードベイ・ドアを開くから、この展示は大気圏内を示している。しかしオービターはグライダーだから、滑空中は機首を下げる。機首を上げるのは大気制動中とタッチダウン直前のフレアだけだ。そう思って見ると、左ロールして機首を中途半端に持ち上げた姿勢は不自然で、落ち着かない。なんだか座礁した船のようだ。

 実際、スペースシャトル計画は座礁したのだった。莫大な費用と14人の命を費やしたが、期待された成果を上げられなかった。
 1980年代の初め、日本テレワーク社長でSF作家・翻訳家の野田昌宏はスペースシャトルに入れ込んでいて、「SFにあるような、打ち上げた時の姿で帰ってくる宇宙船がついに実現した」と讃えていた。確かにその姿は、アポロ宇宙船のように「処女航海の目的地で沈没する豪華客船」ではなかった。
 私も当時はスペースシャトルに期待していて、新時代の始まりに興奮していた。初飛行したコロンビアがエドワーズ空軍基地に着陸するのを秋葉原駅前の電器店のテレビで見入ったのを覚えている。

 しかしSFの宇宙船デザインを現実に持ち込むことは、安易にやるものではない。また、SFの宇宙船が非現実的なことを笑うべきでもない。理由はいくつもあるが、まず第一に、SFの宇宙船は核エネルギーかそれ以上の高性能エンジンを想定しているからだ。
 1950年代に書かれたハインラインのSF、たとえば『宇宙の呼び声』に登場する宇宙船は原子力エンジンだ。沸騰水型原子炉でいうなら一次冷却水を噴射する、アトミックエイジならではのずぼらなものだ。ただし出発地は月で、目的地は火星。月からの出発は地球よりずっとハードルが低いから、現実的な設定ではある。
 クラークの『宇宙への序曲』で構築されたのは地球・月の往還システムで、オーストラリアの荒野から有翼の原子力ロケットで放射能をまき散らして発進する。当時のイギリス人はオーストラリアなら横着していいと思ったのだろうか。
 原子力ロケットは桁外れに高性能というわけではなく、化学ロケットの3~4倍程度だが、この小説では電磁カタパルトのアシストで単段のまま地球低軌道に乗る。そこで積んできた軌道間宇宙船に乗り換えて月と往還する。これも原子力エンジンの性能を考えれば理にかなった設定だ。

 未来のエンジンとして、核分裂の上は核融合、その上は反物質、マイクロブラックホールなどが考えられる。性能は良くなるが、核爆発やそれ以上のものを制御するとなると在来型の素材では持たないので、技術革新が必要になる。拙クレギオンシリーズのシャトルは核融合エンジンだが、かなり楽観的な設定になっている。

 スペースシャトルが再使用型になったのは理由がある。前回の記事で述べた通り、狂乱のアポロ計画からの反省があったからだ。「次は低コストで持続性のある乗り物を作るぞ。宇宙船は再使用型でなくちゃいかん」という流れになった。
 再使用するということは、何度も使える丈夫なものを毎回軌道まで運び上げ、持ち帰るということだ。
 その結果、地球低軌道へ行くだけなのにサターンVの2/3、打ち上げ時重量2000トンの巨大ロケットができあがった。アメリカはこれを毎週打ち上げる気でいたから、アポロ計画より狂騒的だ。
 スペースシャトルは約100トンを地球低軌道に運ぶが、うち78トンはオービターなので、正味ペイロードは20トン程度しかない。1回の打ち上げ費用を15億ドルとすると、うち12億ドルはオービターを運んで戻すために使われる、と言えるだろうか。
 この着陸装置を見ても、航空機と同じ頑丈さで、相当な重量になりそうだ。機体重量の10%ぐらいだろうか。ところがこれが役立つのは、すべての仕事を終えて地面に降りる時だけなのだ。

 スペースシャトルは上段ステージというロケットを積んでいくと、静止軌道に2トン投入できる。これはH-IIAロケットとほぼ同じ輸送能力でしかない。H-IIAロケットの打ち上げ費用は100億円、スペースシャトルは(1ドル150円とすると)2250億円だから、その不経済は論をまたない。
 スペースシャトルの飛行で捨てるのは外部燃料タンクだけだから、あとは燃料代だけですむかというと、そんなことはない。オービターは確かに出発した姿で帰ってくるが、1万人とも言われる人員が群がって整備するので、人件費だけでも莫大な費用になった。

 スペースシャトルの打ち上げ時の形状は複雑で、巨大な外部燃料タンク(ET)と2基の固体燃料ブースター(SRB)が束ねられる。これは速度も気圧も刻々と変化する環境下では悪夢のようなデザインだ。事実、二度の致命的事故(チャレンジャー事故とコロンビア事故)の原因はETとSRBにあった。
 こうした数々の問題点は、つきつめると「みんな化学燃料ロケットが悪いんや」に行き着く。
 核ロケットでなければできないことを、無理やり化学燃料ロケットでやろうとしてETやSRBをくくりつけた。
 帰還時はエンジンだけで充分な減速ができないので大気制動を使った。そのため耐熱タイルなど、大がかりで脆弱な熱防御シールドを取り付けた。
 宇宙船の大気圏突入が火の玉になるのは、不可避の掟ではない。エンジンの推力と軌道変更能力が充分にあれば、逆噴射してVTOL機のように静かに降りてこられる。SFの宇宙船、ヤマトやホワイトベースはそうやって降りてくる。軌道上にいたガンダムがバリュートを展開して大気制動したのは、充分なエンジンがなかったからだ。
 着陸においても、エンジンでホバリングする能力がないので大きな翼を取り付けて滑空した。着陸滑走のために重い車輪と制動パラシュートを取り付けた。何か取り付けるたびに要求される主翼面積は大きくなり、脚は重くなった。すべてが悪循環だった。

 そんなわけだから、スペースシャトル計画は成功とは言いがたい。初飛行は1981年で、ラストフライトは2011年。この金食い虫を30年にわたって維持するために、アメリカと関係国は大変な苦労をした。
 とはいえ、スペースシャトルは決して役立たずではなかった。コストはかかったが、ワークホースとしてよく働いた。たくさんの物資、多様な人々を低軌道に運び、有人飛行ならではの器用さと柔軟性を見せることもあった。
 スペースシャトルとは何だったのか。次の章では実世界で見聞きしたことを紹介しよう。

2章 STS-131

 2010年4月5日、JAXA宇宙飛行士の山崎直子さんがスペースシャトル ディスカバリー、STS-131ミッションでISSに向かった。山崎さんはアニメ『ロケットガール』にゲスト出演していただいたり、秋田大学の『ロケットガール養成講座』でご一緒したりして縁があった。それで、打ち上げの見学に招待していただいた。
 私は前々日からフロリダ入りして、ココアビーチのモーテル6に泊まった。ココアビーチは『ザ・ライトスタッフ』で描写されているが、宇宙開発レースの頃は暑くて閑散とした砂浜だったらしい。私が行ったときはリゾート地ぽくなっていたが、にぎわった観光地というわけでもなかった。波打ち際では散歩したり、投げ釣りをする人がいて、エイが釣れていた。


 私はビーチに釣り竿のアンテナを立てて、アマチュア無線でモールス交信をした。すると通りすがった禿頭のおじさんに「おっ、あんたハムか。俺もだぜ」と、声をかけられた。
「私、宇宙飛行士ナオコ・ヤマザキの応援で来たあるよ」と言うと、
「おおそうか、俺の兄貴は同じ便の宇宙飛行士なんだ!」と握手された。その宇宙飛行士が誰だったかは忘れたが、さすがココアビーチ、関係者がうようよしているなあ、と思ったことだ。

 現在も活発に宇宙関連の配信をしているNVS(ネコビデオ・ビジュアルソリューションズ)の二人も現れて、ココアビーチからニコ生配信をしていた。

 

 JAXA宇宙飛行士の打ち上げは国家的大イベントなので、見送りも盛大だ。家族や親類、出身地や出身校の応援団が集結した。観光バスを連ねて移動し、前日にはケネディ宇宙センターの施設ツアーが行われた。コンフォートインに集合してバスに乗り、ビジターコンプレックス(KSCVC)に入ってスペースシャトルやアポロ計画の展示を観覧した。
 ここにもサターンVがあり、その威容を堪能できた。アポロ時代の管制センターも、一部だが移設されている。

 スーベニア・ショップで買い物する時間もあった。私は定番のフィッシャー・スペースペンを買った。写真のパンケーキ型を買わなかったことを後悔している。

 

 午後、山﨑家主催のプライベートな懇親パーティーがあった。カジュアルな立食パーティーで、カナベラル港に面したMiliken’s Reef レストランで行われた。
 カナベラル港はケープカナベラルという砂州の南端に位置する。ここから北はケープカナベラル宇宙軍の敷地で、波打ち際は射点が並び、かつてはミサイル横町と言われていた。現在は民間ベンチャーの発射施設に活用されている。
 山崎直子さんは打ち上げ前の隔離に入っていて、たぶんミサイル横町の一角にあるビーチハウスにいたと思う。このパーティーでは代わりに等身大パネルが置かれていた。

 目の前を巨大なクルーズ客船が通っていく。現在はスペースXのドローン船『指示をよく読め』号や『もちろんいまも君を愛してる』号が繋留されているが、もちろん2010年にはなかった。空を見上げるとパイパーカブのような軽飛行機がセクシーな広告バナーを曳航していた。

 JAXA宇宙飛行士の星出彰彦さんが来ておられたので挨拶した。「宇宙飛行士に選ばれる前、ニュートンに記事を書いておられましたね。名前が印象的なので憶えています」と伝えてツーショット写真を撮らせてもらった。記事の終わりにある写真はここからトリミングしたものだ。


 STS-131の打ち上げは4月5日の未明で、私はモーテルで仮眠してから、レンタカーで集合場所のコンフォートイン・ホテルに移動した。真っ暗な中、バスに乗ってケネディ宇宙センターに向かった。バスにはNASAとJAXAから広報職員が添乗していた。


「打ち上げが終わったら大勢が移動して混雑するので、固体ブースターが切り離されたらバスに戻る用意をしてください」と言われた。
 打ち上げ1時間前、バスは巨大なVAB(ロケット組立棟)の横を通過し、アポロ/サターン V センターに到着した。スペースシャトル用滑走路の横にあるビジターコンプレックスのひとつだ。駐車場のすぐ横に階段状の観覧席があって、日本人も大勢来ていた。日の丸や横断幕が掲げられている。
 自分の目で見て、耳で聴いたスペースシャトルの打ち上げは神話的だった。巨大なSRBを使うためにサターンVより眩しく、夜空が一時的に青空になった。私はインディアン河に面したフェンスの前まで行って、一部始終を撮影していたが、ハイライト・シーンであるリフトオフ直後のところがうまく撮れなかった。13年前のデジカメで撮ったホームビデオみたいなものだから、画質も低い。しかし招待者による打ち上げ見学の様子をよく伝えているので、以下の動画にまとめた。

 打ち上げの15分ほど前、上空をISSが通過したのは偶然ではない。スペースシャトルの飛行は正味10分で、それが終わるとISSのそばにいる。バトンリレーにたとえるなら、バトンを持った走者が横を通過してから、次の走者が追いかけるようなものだ。
 ランデヴーおよびドッキングの考え方を簡単に説明しよう。
 ISSやその他の人工衛星はすべて、地球の重心を含む面内を周回している。これを軌道面という。軌道面は地球の重心を含む約束だから、地球といっしょに動く。
 しかし軌道面の向きは慣性の法則によって、空間に固定している。地球は勝手に自転しているので、ISSにドッキングするためには、ケネディ宇宙センターがISSの軌道面と重なった時に出発しなければならない。
 ISSが軌道を一周するのに90分かかる。そのためISSが軌道のどこにいるかも考慮して、打ち上げのタイミングを合わせる。打ち上げ直前にISSが上空を通過するのは、それゆえだ。
 軌道速度は高度が低いほど速くなるから、少し遅れて出発したスペースシャトルはいい塩梅で追いつく形になる。

 打ち上げから2分、動画では6分すぎ、高度45kmでSRBが分離し、歓声が上がった。白い噴煙はそこで途切れて、以後は水素エンジンの透き通ったガスと白い閃光だけになる。それが朝焼けの水平線に近づくまで見守った。「固体ブースターが切り離されたらバスに戻る用意を」と言われていたが、そんなことは忘れていた。
 それから突然、上空に真っ白な雲が出現した。固体ブースターの噴煙のいちばん高いところが、地上より一足先に夜明けを迎えたのだった。ここで上がった歓声は動画にも記録されている。
 自転する地球はフロリダ半島を昼半球に運びつつあった。日照が成層圏を降りてきて、ロケットロードと呼ばれる噴煙を染めていく。それは高層大気の風で刻々と形を変え、飾り結びのリボンにようになった。
 このとき、地上はまだ夜で、低い空は夜明け、高い空は昼になっていた。
 噴煙の低いところは夜明けの光を反映して赤い。高空の噴煙は昼の光を浴びて白く輝いた。
 私は帰途につくバスの中からそれに見入った。この現象は現地でも珍しいことらしく、翌日の地方紙フロリダ・トゥディの一面を飾った。
 山崎直子さんたちは無事ISSに到着し、約2週間をそこで過ごして元気に帰還した。応援団の人たちは、帰還まで滞在したり、一度帰国して再訪した人もいた。

3章 フロンティアに立つこと

 日本政府は日本人を宇宙に送るために高い費用を払っている。それを批判する人もいるが、実際に宇宙に行った人から自国の言葉で体験をシェアしてもらえることの意義を思えば安いものだ。
 京都大学で元JAXA宇宙飛行士の土井隆雄さんにお会いしたとき、スパルタン衛星を船外活動でつかまえたときのことを聞かせてもらった。
 このSTS-87ミッションではスペースシャトルのRMA(リモート・マニュピレーション・アーム。通常ロボットアーム)で衛星を回収しようとしたのだが、つかみ損ねて衛星がスピンし始めてしまった。
 そこで宇宙飛行士が予定外の船外活動をして人工衛星を手でつかみ、ペイロードベイに収容した。そのとき船外活動した宇宙飛行士の一人が土井さんだった(画面右)。この出来事は有人宇宙活動の柔軟性と器用さを劇的に証明した。

 そうは言っても、現代の宇宙服はそれほど柔軟でも器用でもない。内圧で浮き輪のようにパンパンに膨らんでいるので、見た目ほど自由に動かない。土井さんによると「腰から下はカチコチです。ペイロードベイはいろんなところに手でつかむハンドルがあるんだけど、できるだけ握らないようにします。すごい握力が要るので、何時間も作業していると手が疲れて物が持てなくなるので」とのことだった。
 なお、スパルタン衛星の手づかみ回収は、予定外ではあるものの想定内で、事前に訓練もしていた。この回収作業のために、その後に予定されていたマジックハンドのテストを少し短くしてスケジュール調整している。まったく想定外の船外活動を臨時に実行するのは難しいかもしれない。

 宇宙服もスペーシャトルも、SFで描かれるような性能には程遠い。それらは基本的に1970年代、半世紀前のテクノロジーで、その後大きな技術革新は起きていない。
 NASAがしたことは早すぎたのだろうか。だが、こんな言葉もある。
「もしコロンブスがスペイン内政問題の解決を待っていたら、サンタマリア号は港で朽ち果てていただろう」
 未解決の問題を抱えたまま、コロンブスは出発した。そして新大陸を発見して、西欧の入植が始まった。フロンティアではいいことも悪いことも起きる。先住民族は受難の時代を迎えた。
 繁栄したアメリカは飛行機や半導体を発明し、人を月に送ったが、いっぽうで核戦争を引き起こし、ベトナム戦争を泥沼化させた。
 巨大プラットホーム企業はすべてアメリカで生まれた。GAFAMは憎まれてもいるが、圧倒的な財力で人材を集め、技術文明を推進している。彼らは遠からず、シンギュラリティの要件であるAGI(汎用人工知能)を作り出すだろう。
 アメリカは国益のために武力をふるうこともしばしばだが、民主国家にはちがいなく、世論に逆らえない。その世論なるものは賢明とは限らず、行きすぎたナショナリズムやポリティカル・コレクトネスに走ることもある。
 それでもアメリカは、他の専制国家よりはましかもしれない。アメリカ、ロシア、中国のうちどの国民になるかと問われたら、あなたはどこを選ぶだろうか。

 もうひとつ、映画『第三の男』の有名な台詞を挙げよう。水増しペニシリンを売りさばいて大勢を苦しめた悪人がこんなことを言う。
「ボルジア家が支配したイタリアの30年は戦争と流血と毒殺に明け暮れたが、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチを輩出し、ルネサンスが花開いた。いっぽうスイスの共和と慈愛の500年は何を生んだかね? 鳩時計さ」

 私はこの考えを否定も肯定もしない。善悪が混ざったまま抱えている。
 アメリカは治安が悪く、毎年銃で何万人も死ぬ。なにかあると略奪が始まる。保険制度が未熟で、怪我や病気で破産する。
 そのいっぽうでアメリカはいまも人類のフロンティアに立っている。それは結果ではなく姿勢である。フロンティアがアメリカを動かしてきた。
 人間を最も活き活きさせ、能力を引き出すもの、それがフロンティアだ。何かを決めるとき「これは自分にとってフロンティアか」と考えるくせをつけると、生き方がずいぶん変わるものだ。参考までに、これと正反対の態度は「だってそんなの知らないし」だ。
 化学燃料エンジンでは不足なことを、スペースシャトルの技術者たちはわかっていた。だが優秀な核エンジンを待っていたら、人も機材も朽ち果ててしまう。アメリカは無理を押して進む道を選んだ。フロンティアは宇宙にあり、そこに立つためには、どうしても宇宙船が必要だからだ。
 スペースシャトルは失敗した。だがこれに挑んだアメリカを、称賛してやまない。

(第25回 おわり)

▶今までの「ぱられる・シンギュラリティ」

野尻抱介

野尻先生
SF作家、Maker、ニコニコ技術部員。1961年生まれ。三重県津市在住。計測制御・CADのプログラマー、ゲームデザイナーをへて専業作家になったが、現在は狩猟を通して自給自足を模索する兼業作家。『ふわふわの泉』『太陽の簒奪者』『沈黙のフライバイ』『南極点のピアピア動画』ほかで星雲賞7回受賞。宇宙作家クラブ会員。第一種銃猟免許、わな猟免許所持、第三級アマチュア無線技師。JQ2OYC。Twitter ID @nojiri_h

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