リラックスの道具であり、社会のちょっとした嫌われ者でもあり、古来は神々と人間の世界をつなぐ儀式の道具であった「たばこ」。
……「怖い話」のなかでは、どのように語られてきたのでしょうか。
今回は吉田さんが収集した膨大な怪談にまつわる文献から「煙草」を読み解きます。ーー では、怪談を一服いかがですか。
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■スモーキング・ゴーストの歴史
本連載では二度目となる「タバコ怪談についての考察」をお届けしよう。
ちょっとややこしいが、タバコにまつわる実話怪談そのものの紹介ではなく、「タバコの怪談とはなんだろう? どんなタバコ怪談がどのようにして語られてきたのだろう?」を考えていく回だ。もっとも考察のための実例として、幾つかの怪談を紹介していくことにはなるだろう。
前回のタバコ怪談考察では、「タバコの怪談はいつから存在するのか」および「タバコはなぜ魔除けに使われるのか」を議題とした。
両テーマを結びつけたのは、意外にも「蛇とタバコにまつわる怪談」だった。蛇はタバコの葉やヤニを嫌う。タバコによって蛇を退治できたり蛇毒を消したりもできる。そんな迷信がいつしか怪談的なストーリーとして紡がれていったようだ。
今回は、ある意味で真逆のテーマとなる。苦手どころかタバコを欲しがるものたち、魔除けどころかタバコに寄ってくるものたちについて、考えていくことにしよう。
「タバコ好きの幽霊たち」
そう呼びたくなるような怪談は、存外に多いようだ。本連載でも複数のスモーキング・ゴーストが登場してきた。彼らをタイプ別に分けて、どのようなタバコ怪談が語られたのかを検証してみよう。またその補強として、新聞や雑誌の掲載されていたタバコ怪談記事を、これもタイプ別ごとに付け加えていきたい。
■「微かに残るもの」としてのタバコ
まずはストレートなお題からいこう。
タバコを喫っている幽霊の目撃譚について、本連載から三話。
『後ろ姿の女』
”後ろ姿の女” 吉田悠軌の怪談一服~【アーク・ローヤル・スイート】と【セブンスター】の怪│ケムール
『残り香』
吉田悠軌の怪談一服~残り香~【ウィンストン・キャスター・ホワイト】│ケムール
『隠れ喫煙所』
吉田悠軌の「怪談一服」〜隠れ喫煙所〜【マルボロ】│ケムール
『後ろ姿の女』『残り香』は、女性の霊らしきものがタバコを喫っている状況が語られている。両者ともはっきりとした目撃談ではないのだが、口紅のついた吸い殻、甘いバニラの匂いの煙が残されていたのが印象的だ。
タバコと幽霊。この両者に共通するのは、かつてあったなにかが消えて、その後に微かなものが残される、という点ではないだろうか。タバコは喫煙行為が終わった後に、吸い殻や煙がつかの間だけ残される。幽霊はその存在自体が、かつてあったが消えたものの微かな残存だ。またいずれも、あからさまに本体が現れる様子よりも、消えた後に残されたものこそが多くを語っていたりする。
そしてタバコ怪談の場合、なにかが残される空間は必然的に喫煙スペースとなる。少しだけ隔離された、向こう側の空間である喫煙スペースは、そもそも異界と通じやすいところなのかもしれない。
『隠れ喫煙所』は病院という非日常空間の、さらに隅へ隅へと追いやられた喫煙所にまつわる話だ。このような最果ての空間であれば、さぞかし異界と繋がりやすいだろう。またこの話は、日本社会において喫煙そのものが隅へ隅へと追いやられていった状況を表してもいる。私は体験談を再構成するにあたって、その点を強調するように書いたし、出現する霊についても、ついつい「隅に追いやられたもの」同士のシンパシーが滲んでしまったかと思う。ただし体験者本人は、そんなシンパシーなど微塵も感じずひたすら怖がるだけだったが……。
これら三話に出てくる、記憶の残存のような微かな幽霊たち。『隠れ喫煙所』は手だけの出現なので性別不明だが、他の二話は女性である。似たような事例は、明治42年の都新聞にも掲載されている。以下、記事内容を私がリライトした文章となる。
■都新聞 1909年10月6日
役者・澤村源之助の体験談だ。市川左團次一座の公演で、豊橋は札屋町の濱田屋という宿に泊まりこんでいた時のこと。
一座のものたちは二階の大広間を使用していたが、源之助は一階にある六畳の離れ座敷が気になっていた。ずいぶん意匠を凝らしたつくりなのが面白い。
「別料金を払うからここを使わせてほしい」
そう宿の主人に申し出たのだが、けんもほろろに断られてしまう。なにか事情ありげだと訝しんでいると、一座の役者仲間・荒次郎がこんな情報を告げてきた。
この宿は元女郎屋だったらしく、当時、一人の女郎が主人の折檻にあって変死している。その現場が、例の一階の離れ座敷だったのだ。女郎の無念のためか、今でも離れ座敷に足を踏み入れるとなにか良くないことが起こるのだとか。
「ただし女郎が現れるのは、この二階の大座敷らしい」
日暮れ時、隣家の住人たちが物干し台にて洗濯物をとりこんでいる最中、ここの二階が目に入ることがある。するときまって座敷の中ほどに女郎が坐りこみ、タバコを吸っているのだという。
「もう明日には宿を出るから話しましたけど……こんな夜にする話じゃあなかったですね」
一座のものは震え上がり、翌朝までまんじりともせず過ごした。翌朝明け方、皆が慌ただしく出立していく中、源之助はふと靴足袋を忘れてきたのを思い出した。二階の大広間、寝床の脇にあるはずだ。恐る恐る梯子段を登り、頭を出して広間を覗いてみると。
座敷の真ん中に、女が一人、後ろ向きに座っていた。こちらに気づいているのかいないのか、悠々とタバコを一喫いし、煙をふうっと吹き出した。
源之助は梯子段を転げるように飛び降りた。そのまま靴足袋は取ってこられなかったそうだ。
(都新聞1909年10月6日)
この話もまた、目撃された女郎の様子がはっきり明確でないところが素晴らしい。隣家の二階から覗かれたとか、上りかけの梯子段から後ろ向きの姿だけが見えたとか。タバコを喫う女幽霊は、ひっそり奥ゆかしく現れるべきなのだ。
■タバコをねだる幽霊
次に、タバコを欲しがる幽霊について。
これはさらに①生きた人間さながらに出てきてタバコをねだったり買おうとするもの、②なんらかのかたちでタバコの煙を求めるもの、の二種類に分かれる。
①ならば以下の話。
『びしょ濡れ』
吉田悠軌の怪談一服~びしょ濡れ~【ラーク】│ケムール
『まるで線香のような』
吉田悠軌の怪談一服~まるで線香のような~【ミスタースリム】│ケムール
『びしょ濡れ』は、本来ならタバコと相性最悪のはずの「水」が重要なモチーフとなっているのが面白い。左前や逆さ水のように、葬儀にまつわるものごとは通常と反対の「逆さごと」が行われる。死者の世界は我々の世界から見て反転しているとは、日本だけでなく人類に共通する捉え方のようだ。
死者がタバコを喫うには、むしろ水で濡らさなくてはいけない。似たような類話は他に聞いたことがないものの、思わず頷きたくなるようなルールでもある。多くのタバコ怪談を眺めてみれば、幽霊たちが自前で用意したタバコであればそのまま喫えるが(そのタバコ自体があちら側のものだから?)、生者にねだって入手した現実世界のタバコとなると一工夫が必要なのだろうか。
しかし『まるで線香のような』の幽霊は、一本どころか十本近いタバコをそのままフィルターまで喫いきってしまった。ややコジツケめいた理由付けになってしまうが、これはミスタースリムという銘柄がかなり特異な、「まるで線香のような」タバコだったからなのかもしれない。
さて、先ほどと同じ明治42年の都新聞には、タバコをねだる老人の幽霊についても記されている。これまた私の要約にて紹介する。
■都新聞 1909年4月28日
明治28年、初代・喜多村緑郎の体験だ。
京都での公演中、近隣の茶屋へ遊びにいった禄郎。女中相手にビールを飲んだ後、明け方に床につく。
ふと目を覚ますと、枕元に六十歳ほどの老人が座っていた。頭が綺麗に禿げて後ろへ撫でつけられ、色白で鼻筋の通った品のいい男だった。万筋の着物に、無地の角帯をつけていたという。
「タバコ一服ください」
老人は一言、そう告げてきた。
「……おあがりなさい」
思わず答えたものの、タバコ嫌いの緑郎は道具もなにも持っていない。しかし、いつのまにか枕元に二つ折りのタバコ袋が置かれており、老人の手にはキセルが握られているではないか。
老人は“バクバク”と勢いよくタバコを吸いだした。
禄郎の全身をすさまじい寒気が駆け抜けた。
「もう九時ですから起きなさい」
次の瞬間、女中の声で起こされた。ずっと同衾していた彼女によれば、すぐ横で緑郎がうなされ続けていたのを不審に思い、揺さぶり起こしたとのこと。
その日の昼、また別の女性が禄郎の元を訪ねてきたので、同じ座敷で寝ることにした。夜中、今度は女性の方がうなされていたので起こしてみると、おかしなものを見ていたという。
「六十歳くらいのお爺さんがこの枕元に座って、『タバコを一服ください』と頼んできたのよ」
二人で同じものを見たとなれば、これは本物だ。怖ろしくなった禄郎は、女性を連れてその茶屋から逃げ出した。
後日、寄り合いで一緒になった木村猛夫が件の茶屋の扇子を持っていたので、色々と訊ねてみた。すると彼も確かに、同じ部屋で同じ体験をしているのだという。
「どうやらあの座敷の押入で、爺さんがモルヒネを飲んで自死したことがあったそうですよ」
禄郎はよほど気になったのか、この後にも土地の人に情報を聞きまわったようだ。するとあの老人に「タバコ一服ください」とやられたものの合計は、なんと二十人にも及んだのだという。
(都新聞1909年4月28日)
さすが泉鏡花芝居に欠かせない役者にして、鏡花の怪談会の常連でもあり、なにより生粋の怪談マニアであった初代・喜多村緑郎。かなりスケールの大きなタバコ怪談を披露してくれている。
■煙を求める幽霊
さて、②の煙を求めるタイプの幽霊はどのようなものだろうか。
本連載でいえば次の怪談がこれにあたる。
『かだっぱり』
吉田悠軌の怪談一服~かだっぱり~【マルボロ】│ケムール
祖父の位牌に、祖父の好きなマルボロの煙を吹きかけ続けていた祖母の話だ。しかし喫煙行為というものは、タバコを唇で咥えて煙を吸い込むという一連の動作がなくてはならないと思うのだが。このタイプの霊はただ副流煙をかけられるだけで満足なのだろうか。
大正10年の大正日日新聞には、次のような変わった怪談が載っている。
■大正日日新聞 1921年2月23日
明治42年、荻原早苗という当時35歳の女性の話。
この年は早苗にとって災厄の年だった。実家の銭湯が失火により所有地一帯を焼失。美貌の早苗は陸軍中佐と結婚できたものの、これもすぐに離婚。父の死後、弟が家督を継いだ実家に舞い戻る。しかし家は火事の始末による貧困状態、母親も生活苦から病死してしまったのであった。
心配した知人たちが訪ねてみると、早苗はやおら自分の髪を掴み、ひきずりおろした。それはカツラで、早苗の頭はすっかり禿げあがっていた。どうやら家の中で数多くの怪異が起こっていたのだという。
母の死後、早苗は位牌にタバコの煙を吹き付けていた(※記事中で言及されていないが、おそらく生前の母は愛煙家だったのだろう)。すると奇妙な煙が母親の姿かたちそっくりとなって固まる、という怪現象が発生。またある夜中、弟がいきなり寝ている早苗を叩き起こして「タバコを喫う」とまくしたてた。意味不明の言動に怒った早苗が「勝手に喫え」と返すと、弟は激高し、こう叫んだ。
「今まで毎晩タバコを喫いつけてくれた親切なお前が、なぜにそんなにするか!」
その声は死んだ母親そのものだった。早苗が驚き唖然としていると、弟は自分でタバコを詰めて喫いだした。その仕草もまた母そっくりだ。
その後も連日にわたって弟は、まるで母にとり憑かれたような言動を繰り返した。寺に頼んで母の法要を再度催したところ、なんとか弟の奇行はおさまる。しかし心身の調子が戻らないまま、弟は勤めていた電信局を解雇されてしまった。
そうした諸々の苦労から、早苗の頭は禿げあがってしまったらしい。
その後、早苗は遠方の男性と再婚し、地元を出ていったということだ。
(大正日日新聞 1921年2月23日)
もはや悪霊と化して、タバコの煙を求める母親。こうなるともう実際の喫煙とはかけはなれ、むしろ「香の煙をかける」といった世界共通の宗教儀式に近くなっているように感じられる。
そういえば私も墓地を散策していた際、酒をかけるのと同じような意味合いで、墓石にタバコの煙をふきかけている参拝者を見たことがある。または昔の暴走族が、仲間の事故死現場に火のついたタバコを供えるといったエピソードも有名だろう。墓にタバコの煙を供えるというのは、それほど珍しくないことのように思えるが、はたしていつ頃に生まれた風習なのだろうか。
1979年の『週刊文春』掲載のコラム、後藤明生「チェリー喫煙室」に次のようなタバコ怪談が記されていた。後藤氏が信濃追分の山小屋で働いていた時のことだという。こちらは短いので原文を引用しておこう。
■「チェリー喫煙室」『週刊文春』1979年5月
ある日わたしが昼飯をすませて仕事部屋へ戻ると、机の上の灰皿にすいかけの煙草が四本のっていて、紫色の煙を上げていた。おや、と思って近づいて見ると、四本のうち二本はハイライトだった。わたしはここのところずっとセブンスターばかりで、ハイライトはすわない。わたしは、ぞっとした。追分の山にはずいぶん墓地が多いが、わたしの山小屋のすぐ裏にも大きな墓地がある。それに、ちょうど八月十三日でお盆の入りだった。それでわたしは、裏の墓から出て来た煙草好きの亡者が、そっとわたしの部屋へ入り込んで来て、煙草をすって行ったのではないかと思った。いや、亡者は姿が見えないだけで、まだそのときもそこに坐って、ハイライトをすっているのではなかろうか。
(後藤明生「チェリー喫煙室」『週刊文春』1979年5月25日号)
この怪談はこれ自体として興味深い。本記事冒頭のような幽霊がいた痕跡についての怪談かと思いきや、今まさにこの場に幽霊がいるのではないかとの考察が入る。確かに「喫い殻」ではなく火の灯った「喫いかけ」のタバコなのだから、そのような想像も成り立つ訳だ。
そして同コラムの最後に、後藤氏はこう結んでいる。
『よく、生前酒好きだった人のお墓には酒を供えるが、煙草好きだった人の墓に煙草を供えるという話は、余りきかない。どうしてだろうか。わたしの墓、あるいは仏壇には、是非、煙草も供えてもらいたいものだと思う。』
■「タバコ好きの幽霊」の行方
当時(1979年)はまだ墓前にタバコを供えることは一般的ではなかったのだろうか。後藤氏がこの体験談をコラムに書いたのも、「幽霊がタバコを喫うこと」が怪談として珍しかったからという理由もあるだろう。
タバコ怪談全体を見てみれば、明治大正には「タバコ好きの幽霊」がチラホラと散見されるのに、戦前あたりはめっきり数が減る。今回、新聞記事の探索については湯本豪一『怪異妖怪記事資料集成』を参照したが、昭和戦前期のタバコ怪談というものはついぞ発見できなかった。ざっくりした概観に過ぎないが、なぜか昭和前期だけ「幽霊がタバコを喫うイメージ」がぷっつり途絶えている印象だ。
これには戦前戦中の日本における物資不足が影を落としているのかもしれない。たとえ幽霊といえども、おいそれとタバコが喫える時代ではなかったのだということか。
とはいえこれが昭和後期から平成あたりまでになると、本連載でも複数紹介しているように、「タバコ好きの幽霊」の事例が多くなってくる。
そしておそらく禁煙運動が盛んになった2000年代後半からは、「タバコ好きの幽霊」についての怪談は目減りする。私の実話怪談収集の実感からしてもそうだし、今後どんどん減少していく傾向にあるのは間違いないだろう。
タバコと怪談という視点から、こうして時代の変遷を探ってみるのも、また面白い作業かもしれない。
■プロフィール
吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、オカルト、怪談の研究をライフワークにする。著書に『現代怪談考』(晶文社)『一生忘れない怖い話の語り方』(KADOKAWA)『オカルト探偵ヨシダの実話怪談』シリーズ(岩崎書店)『新宿怪談』『恐怖実話 怪の遺恨』(竹書房)、『日めくり怪談』(集英社)、『禁足地巡礼』(扶桑社)、『一行怪談(一)(二)』(PHP研究所)など多数。
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